第55話: かつて彼らが持っていた力
エルバリセスエルフ王国の朝は、ひやりと冷たかった。
高くそびえるエルフの木々の間に、うっすらと霧がただよっている。
木漏れ日がゆっくりと差し込み、
遠くの方からは、また金槌の音が響いてきた。
エルフの国に、再び活気が戻り始める。
倒壊した家々を修理する者、
巡回の兵士たちが木材や石を運ぶ姿、
ひびの入ったマナの木には、癒しの魔法がかけられ始めていた。
だが、破壊の痕跡はまだはっきりと残っている。
一面が黒く焦げた土地、
基礎部分だけが残った家々も少なくない。
王国の中心地から最も離れた場所――
エルフ王家所有の大きな木造の館の近くで、
三人のグランドマスターが鍛錬を行っていた。
「フォオオオッシュ!!」
赤い炎が空を裂き、
爆発と共に地面にひびが走る。
だがそれで終わりではない。
今度は黄色い雷が空から降り注いだ。
「ズラアアアック!!」
続いて激しい風の渦が、まるで大きな刃のように鍛錬場一帯を切り裂く。
砂ぼこりが舞い上がり、木の葉も高く舞い上がる。
その真ん中で、
ケイリス・ヴェイラは胸を押さえながら、その場にへたり込んだ。
「……はあ……」
「……まだ痛む……」
リオラ・ライゼンは腕を組んで言う。
「……当たり前でしょ」
「……終末の魔物に蹴り飛ばされたんだから」
ケイリスは舌打ちをする。
「……お前の口のほうが、アケディアよりよっぽど恐ろしいわ」
リオラは胸を張り、自分自身を指さして得意げに言った。
「……やっと分かってくれたか」
二人から少し離れた場所で、
不知火昭陽はただ静かに立ったままだった。
手のひらには赤い炎が燃えている。
だが今回の炎は、いつもとは違っていた。
炎はゆっくりと凝縮され、
力を込められ、
徐々に小さくなっていく。
やがてその小さな炎は、今までにないほど強い輝きを放ち始めた。
ケイリスは眉を上げながらその様子を見ている。
「……何をしてるんだ?」
昭陽はすぐに答えず、次の瞬間――
「ボオオオン!!」
小さくなった炎が炸裂し、先ほどよりもはるかに大きな爆発を起こした。
目の前の木々は半分ほどが一瞬で黒く焦げてしまう。
ケイリスは目を見開いて驚く。
「……バカな……」
リオラも横目で見ながら言う。
「……今まで力を抑えていたってこと?」
昭陽は自分の手のひらを見つめながら、静かに言った。
「……まだ足りない」
その声は落ち着いているが、どこか重みがあった。
彼の頭の中には、まだアケディアの姿が鮮明に残っている。
腕を切り落としても、すぐに再生してしまったあの魔物。
その姿を思い出すたび、昭陽はある事実を痛感する。
――自分たちはまだ、力が足りない。
今のままでは、まったく通用しないのだ、と。
木造の館の近くでは、
アエレル・アシア・シルファエルがそっと三人の様子を見守っていた。
手には温かいお茶を持ち、
目は絶えず彼らの動きを追っている。
炎、雷、風――
この人たちこそ、戦争の伝説。
魔王を倒し、世界を救った英雄たち。
だが今の彼らは、どこか疲れ切ったように見え、
体には深い傷を負い、
それでもなお立ち上がろうと、自分自身を追い込み続けている。
アエレルはゆっくりとある事に気づいた。
――伝説と呼ばれる人たちでも、恐れる心があるのだ、と。
鍛錬は続けられる。
ケイリスが大きな風の渦を起こせば、
リオラはその風の流れの中へと飛び込み、
風の勢いに乗って雷の速度がさらに加速する。
一方昭陽は、三人の攻撃範囲が崩れないよう、周囲の力を抑え続けていた。
この時ばかりは、三人の連携は今までにないほど滑らかで、まとまりがあった。
だが次の瞬間――
ケイリスが突然、風の力を収めた。
「……やっぱり、どうしようもない」
大きな石に腰を下ろし、黒い髪をかきあげながら言う。
「……あの魔物、まったく常識が通じない」
リオラも芝生の上にごろりと横になる。
「……私もまだ納得できないわ」
「……腕が切れたらまた生えてくるなんて、あり得ないでしょ」
昭陽は長い間静かに立ったままだったが、やがて低い声で言った。
「……アケディアはただ強いだけじゃない」
「……根本的に、俺たちとは違う存在なんだ」
ケイリスは目を細めて彼を見る。
「……だったらどうして、お前の炎はあの虚無の力さえ抑えることができたんだ?」
辺りが静まり返る。
昭陽は手のひらに浮かぶ小さな炎を見つめ、
「……俺にも分からない」
そう、正直に答えた。
リオラは空を見上げながら言う。
「……昔、魔王に勝てたのは……」
「……俺たちが相手より強かったからじゃない」
ケイリスもその言葉に黙り込む。
昭陽が続けるように言った。
「……当時は、グランドマスター全員が揃っていたからだ」
風が一瞬止まり、
辺りの空気がさらに重く、静かになった。
五年前の大戦の記憶が、皆の心に浮かび上がる。
当時は五人のグランドマスターがいた。
だが今はもう戻ってこない者たち、
ただ名前だけが語り継がれることになった仲間たち――
ケイリスは乾いた笑い声を漏らす。
「……昔はこんなに大勢いたのにな」
リオラは彼の肩を軽く叩く。
「……それが今では、世界にグランドマスターは五人だけ」
昭陽は何も答えず、ただ少しだけ目を伏せた。
そこへアエレルがゆっくりと歩み寄り、
皆のそばに温かいお茶を置いた。
「……皆さんは英雄というより、長年戦い続けてきた古傷のある兵士のように見えます」
ケイリスはすぐにお茶を手に取り、
「……そりゃそうだ。俺たちはたしかに、歴戦の兵士なんだから」
アエレルはそっと隣に腰を下ろし、
やがてふと問いかけた。
「……皆さんは、恐れているのですか?」
短い質問だったが、
その言葉のせいで、辺りの空気はさらに重くなった。
最初に笑い出したのはケイリスだった。
「……当たり前だろ」
「……俺は死ぬのが怖いんだ、バカ」
リオラもすぐに大きくうなずく。
「……私は醜い死に方をするのが嫌なの」
「……せめて、かっこよく死にたいじゃない」
ケイリスは冷めた目で彼女を見る。
「……お前は死ぬ前でも自分のことが大好きなんだな」
「……ありがとう」
アエレルは思わず口元を緩めた。
それからゆっくりと、昭陽の方へ目を向ける。
昭陽は長い間黙り込んでいたが、
夕暮れの風が彼の髪をそっとなびかせる中、やがて静かに言った。
「……俺は、また失敗するのが怖い」
再び沈黙が訪れる。
もう誰も笑う者はいなかった。
皆、その言葉の意味をはっきりと理解していたからだ。
もし魔王が再び目覚め、
自分たちがまた敗れるようなことがあれば――
世界は二度目の破滅を迎えることになる。
太陽がゆっくりと沈み始め、
エルフの国の空は黄金色に染まっていく。
マナの木々は柔らかい光を放ち、
遠く北の山々には、うっすらと雪が積もっているのが見える。
長い時間が経って、この時ばかりは三人が鍛錬も戦いもせず、ただ並んで座り、
ただ夕暮れの風を感じていた。
だがその場所から遠く離れた、
暗い森の奥深く――
木々の陰の中に、一人の男がたたずんでいた。
目は赤く血走り、
全身からは重い殺気がみなぎり、
その心は怒りの炎で燃え上がっている。
男の視線は三人のグランドマスターの方へ向けられ、
低く、冷たく、怒りに満ちた声が響く。
「……こいつらがグランドマスターというのか……」
「……アーギエル様が話していた英雄たちが……」
足元の地面がゆっくりとひび割れ始め、
木陰の中からは、憎しみに満ちた薄笑いが浮かんだ。
「次回更新: 6月 1日 21:00」




