第3話: 【緊張感の高まり】
日の村の朝は、ゆっくりと訪れた。
東の丘の向こうから太陽の光が差し込み始めても、小麦畑にはまだ薄い霧が立ち込めていた。空気はひんやりと冷たく、湿った土の香りと、家々のかまどから立ち上る木の燃えるにおいが漂っていた。
村のはずれには、質素な造りの小さな木造の家が建っていた。
家は大きくはない。
平屋建てで、古い板張りの傾斜屋根が載っている。家の前には小さな庭があり、いくつかの雑草が生い茂り、壁際には薪がきちんと積み上げられていた。
家の中では――。
一人の青年が、かまどに火を起こしていた。
乾いた木片をくべると、小さな火がゆっくりと燃え広がっていく。
火のオレンジ色の明かりが、質素な部屋の中を照らし出す。
小さな木のテーブル。
古びた椅子が二脚。
食器がいくつか置かれた棚。
贅沢なものは何一つない。
青年は鉄の鍋に水を注ぎ、火の上に置いた。
彼はしばらくそこに立ち尽くし、ゆらゆらと揺れる炎の様子をじっと見つめていた。
この村では彼は「アキラ」と呼ばれている。
だが、かつてこの世界は彼を、もっと大きな名前で知っていた。
不知火アキハラ――。
二年前の戦いの流れを一変させた、「炎の大師範」と呼ばれた男だ。
今ではただ、一人の普通の青年として暮らしているに過ぎない。
鍋の水が沸き立ち始めた。
アキハラは土焼きの湯呑みを取り出し、簡単なお茶を注いだ。
彼は木の椅子に腰を下ろし、窓の外を眺めた。
そこからは、まだ人通りの少ない村道が見える。
畑に向かって歩き始める農夫たちの姿がちらほらと見えた。
一匹の犬が、小さく吠えながら家の前を走り抜けていく。
アキハラはゆっくりとお茶を口に含んだ。
こんな日々は――穏やかだと感じる。
戦いもなく。
叫び声もなく。
空を焼き尽くす炎もない。
ただ、こうして静かな朝が訪れるだけだ。
朝食を済ませると、アキハラは戸口近くに掛けてあった簡単な上着を取った。
彼は家の外に踏み出した。
朝の空気が柔らかく彼を包み込む。
日の村は少しずつ活気づき始めていた。
家の前で洗濯物を干している人たち。
小さな工房の前で板を切っている大工。
そしてそのすぐ近くでは――。
数人の子供たちが土の道で遊んでいた。
「投げろ! 投げろ!」
一人の子供が叫びながら、小さな木のボールを友達に向かって投げた。
だが、力加減が強すぎたらしい。ボールは遠くに飛んでいき、アキハラの足元まで転がってきた。
彼は歩みを止め、ボールを拾い上げた。
子供たちが一斉に駆け寄ってくる。
「アキラお兄ちゃん!」
そのうちの一人が、大きな笑顔を浮かべた。
「僕たちのボール!」
アキハラは軽く手首を動かし、ボールを彼らに投げ返した。
子供たちは喜んで声を上げた。
「お兄ちゃんも一緒に遊ぼうよ?」
小さな男の子が尋ねる。
アキハラはかすかに笑みを浮かべた。
「また今度な」
子供たちはがっかりする様子もなく、笑い声を上げながらまた遊び始めた。
アキハラはしばらくそこに立ち、彼らの姿を眺めていた。
彼らの笑い声が朝の空気に響き渡る。
軽やかで、何の悩みもない笑い声。
戦いなど知らない、純粋な笑い声だ。
その瞬間、胸の奥がほんのりと温かくなるような感覚が生まれた。
だが、その気持ちは長くは続かなかった。
突然、ある思いが頭をよぎったからだ。
昨日、村の図書館で見た古い本のこと。
そこに書かれていた記述。
長い間耳にすることのなかった名前――。
アルギエル・ルシファー。
悪魔の王だ。
アキハラは小さくため息をついた。
そんな思いを振り払うように、彼は頭を振った。
戦いはもう終わったのだ。
あれから二年が経った。
悪魔の王は倒された。
少なくとも――歴史の記録にはそう書かれている。
だが、その本の中の一文が、どうしても頭から離れない。
「彼は死んだのではない。ただ姿を消しただけだ」
アキハラはしばらく目を閉じた。
「古い言い伝えに過ぎないさ」彼は小さくつぶやいた。
もうそんなことは考えたくなかった。
だが、それよりもさらに彼の心をかき乱すものがあった。
一つの名前。
昔の戦いの中で、一度も聞いたことのない名前だった。
レイラー・ゼルナルダ。
アキハラは眉をひそめた。
二年前の悪魔軍との戦いで、彼は数多くのものを見てきた。
悪魔の将軍たちとも刃を交えた。
一撃で城壁をなぎ倒すような巨大な魔物も目撃した。
だが、そんな彼でさえ、この人物の存在については一度も聞いたことがなかったのだ。
「地獄の王妃――」
彼はその言葉をゆっくりと口にした。
もし本当に悪魔の王の側にそんな存在がいたのだとしたら――。
なぜ戦場に姿を現さなかったのか?
なぜ一人の兵士も、その名前を口にすることがなかったのか?
アキハラは晴れた朝の空を見上げた。
頭の中は疑問でいっぱいになっていた。
そんなとき、突然――。
「アキラお兄ちゃん!」
小さな手が彼の服のすそを引っ張った。
アキハラが目を下ろすと、先ほどの子供の一人が、壊れてしまった木のおもちゃを差し出していた。
「これ、割れちゃったの…」
アキハラはおもちゃを受け取り、しばらく眺めてから、ポケットから小さなナイフを取り出した。
素早くいくつかの手つきを加えると、割れた部分はあっという間に元通りになった。
彼は子供にそれを返した。
「はい、できたぞ」
子供はすぐに大きな笑顔を浮かべた。
「ありがとう!」
彼は友達のもとへ駆け戻っていく。
アキハラは再び彼らの遊ぶ姿を眺めた。
子供たちの笑い声がまた村の空気に満ちていく。
その瞬間だけは――悪魔の王のことなど、遠い昔の話のように感じられた。
世界は本当に変わったのかもしれない。
戦いは本当に終わったのかもしれない。
自分が昔のような存在に戻る必要など、もうないのかもしれない――と。
太陽はゆっくりと丘の彼方に沈み始めていた。
空は黄金色と紅色に染まっていく。
村の外れの小さな丘の上で、アキハラは大きな木の下に一人腰を下ろしていた。
夕暮れの風がそっと吹き抜ける。
ここからは日の村全体が見渡せる。
家々の煙突からは細い煙が立ち上り、明かりが一つ、また一つとともり始めていた。
村はどこまでも穏やかに見えた。
アキハラは長い間その景色を眺めていた。
そして、小さな声で自分自身に言った。
「もし本当に悪魔の王が戻ってくるのだとしたら――」
彼は言葉を途切れさせた。
風が彼の髪をゆっくりとなびかせる。
「……もう、私の関知することではないと願っている」
だが、日の村から遠く離れた――。
人間の地図にも記されていない場所で。
闇の中で何かが動き始めていた。
一対の瞳がゆっくりと開かれる。
そして、とうに終わったはずの古い伝説が――。
再び動き出そうとしていた。
「次回更新: 4月 6日 20:20」




