第7話 路地裏の人影
学園に通いたい理由がまた1つ増えた。
『ルミナス・ハーツ』のオタクとして、ヒロインや攻略対象たちを間近で見たい。
生前は叶えられなかった虹色のキャンパスライフを体験したい。
――初恋の彼にもう一度会いたい(NEW!)
初恋の彼――殿下は兄達と同じ歳で、幼馴染と言ってもいい間柄なのだという。
お転婆なヴィオレッタとはちがって将来有望な兄達は、まだ12歳だというのに父について王宮へ出入りしている。
王宮からユリウスが帰ってくる度に彼の話を聞かせてほしいとせがんでみたけれど、「楽しみはとっておくべきだ」なんてかわされてしまう日々を送っていた。
◇◇◇
「お嬢様ったら最近いかがなさったんですか。街に行きたいと言うのはいつものことですが、まさか本をお求めになるなんて」
買い物を終えて馬車に乗り込むと、手に持った数冊の本を見るなり長年仕えている侍女が驚きの声を上げた。
「出して」と御者へ彼女が伝えると、馬車はゆっくりと動き出す。
私は手にした革表紙の本を一冊めくった。
書庫にある魔法関連の資料のほとんどには目を通していたけれど、古い本ばかりで有用なものは多くない。
特に気になっていた『精霊との契約方法』については、書庫のものはすべて読破してしまった。
だから、こうして街の本屋に来てみたんだけど、あまり収穫はなかったかな……。
ヴィオレッタの生家、フィオレンツァ家の収める領地は、王都から馬車で2日ほどの郊外にある。
兄達は近く議会が開かれるとかで父と王都のタウンハウスにいるため、ここ数週間は不在にしていた。
「それに! 癇癪を起こしたり、使用人に手をあげることも無くなりましたし、あんなに嫌がっていたスキンケアも進んでしてくださるし、もう私感激です。こんなに大きくなられて」
「……やめてちょうだい」
今にも泣きだしそうな侍女をなだめて馬車の外を眺めていると、活気にあふれた街並みが目に入る。
王都ほどではないとはいえ、この街も比較的栄えた街だった。
道は石畳で舗装され、左右に所狭しと店が立ち並ぶ。ヴィオレッタはこの町が大好きで、よく出かけていた。
ぼーっと眺めていると、路地裏にたたずむ少年と暗い影を見つける。
思わず「馬車を止めて!」と叫んだ。
「何事ですかお嬢様!?」
「いいから止めなさい!」
慌てる侍女と、馬で着いてきていた護衛の騎士をそのままに、私は馬車から飛び降りると一目散に走り出した。
人ごみの隙間を縫うように走り抜けていく。後ろから私の名を呼ぶ騎士の声が聞こえたけれど、振り返らなかった。
心臓がどくりと嫌な音を立てる。スカートをたくし上げる手が震えた。
華奢なヒールは低いとはいえ、走るのに向いていない。さほど長い距離ではないはずなのに、何度も石畳に足をとられて転びそうになる。
――どうか間に合って!
路地裏に駆け込むと、まさに少年が殴り飛ばされたところだった。細い体が路地裏の壁に当たって跳ねる。
暗い影――体格のいい男がなおも馬乗りになって彼を殴ろうとしているのを見て、私はその腕にしがみついた。
「何しているの! 逃げなさい!」
少年はその場にへたり込んで、黒く丸い瞳を瞬かせている。逃げ出す気配はない。
私はなおも「逃げなさい」と声を張り上げ続けた。
しがみついた腕をこれでもかと振り回され、ぐわんぐわん視界が回る。
でも所詮子供の力で何ができる訳もなく、ぐんっと振られた拍子に地面へたたきつけられた。
「ぐっ」と息が詰まる。地面で擦れた頬が火をつけたように熱くなる。
「なんだ嬢ちゃん、こいつ知ってんのか? いや、そんなわけねえか」
「こんな幼い子に手をあげるなんて、恥を知りなさい!」
いまだに地面に座り込んだままの少年を背にかばい、男と相対する。
手が震えだし、膝は笑って力が入らない。少年と2人この場から逃げのびる想像が全くできなかった。
「なに、してるんだ」
背中からかすれた声がする。少年特有の高い声が枯れてつぶれていた。
「あなた、走れる? あちらの方向に走ったら大通りに出るわ。誰か大人を――」
「なにしてるんだ」
壊れたロボットのように繰り返され、一瞬言葉に詰まった。
何をしているんだろう、と自分でも思う。ただ、窓から彼が殴られる光景が見えて、いてもたってもいられなくなってしまった。
たかが子供の身体の自分に何ができるのか、なんて思う暇もなかった。
「……あなたを、助けたくて」
まぎれもない本心だった。彼を助けたかった。
なぜか彼の姿を見た時、心臓がどくりと音を立てたのだ。「彼を助けて」と確かに脳内に誰かの声が響いていた。
「そう、か」
彼はそう呟くと、ゆらりと体を揺らしながら立ち上がった。
手を握ったり開いたりながら、口にたまった血を路傍へ吐き出す。
彼は立ち上がってみると、思っていたよりも背が大きかった。他の国の血なのか、褐色の肌に細い体格で、胴に比べてすらりと長い腕と足。
地面に座り込んだまま見上げると、まっ直ぐ伸びた暗い赤色の髪の下から鋭い刃のような鈍色の瞳が、太陽に透けて見え隠れする。
彼はぐっと拳を作ると、すーっと蛇の様に細く息を吐きだした。
「お、お前。命令に背くつもりか!」
男が激高し声を荒げる。
彼はそれに鋭い視線を投げるだけだった。
勝負は一瞬だった。
男の拳を紙一重で避け、横っ面に一撃。体勢を崩した男の腹部に蹴りを一撃。倒れた男の背骨を砕く勢いで踏み抜いた。
それでおしまい。あまりにも一瞬の勝負だった。
私はそれを見ながら、呆気に取られる。ぽかんと口を開いたまま動けなかった。
「……おい」
「ひっ」
振り返った彼の視線が鋭くて、おもわず悲鳴をあげる。
だって私までやられるかと思うくらいの殺気に満ちていたから。正直怖い。
さっきまで殴られていた儚い少年はどこに行った。めちゃ強いじゃん。
助けに入る必要などなかったかもしれない。
彼は私の悲鳴に目を丸くすると、ばつが悪そうに首の後ろをかいた。
ため息をついて地面にのびた男の靴から紐を抜き、表情一つ変えずに後ろ手に縛りあげた。大変手慣れていらっしゃる。
やっぱり助ける相手、間違えたかしら。
「あれっ」
立ち上がろうとして、足に力が入らないことに気が付いた。腰が抜けてしまっている。
うんうん唸りながら地面を必死に押していると、彼が私の様子に気が付いたらしい。
無言で手を差し伸べられ、その手を取ると、ぐいっと引き上げられる。
それでも足に力が入らず体勢を崩してしまう。彼は私を受け止め、軽々と背負った。
「え! いや、大丈夫よ。肩を貸してもらえれば歩け――」
「従者はどっちだ」
彼に背負われている事実に驚いて声をあげると、静かな声で問われる。
「あっち」と答えながら、せめて彼の負担が減るようにと首へ腕を回した。
「ごめんなさい。あの、ありがとう」
「助けなどいらなかったんだが」
「そうみたいね。そんなに強いなら最初に言ってほしかったわ」
間近で見る彼はボロボロだった。
衣服も土で汚れ、ところどころに血のシミが付いている。細い背中に骨が浮いているのを見るに、あまり食事もとれていないのかもしれない。
まっすぐ伸びた髪は、雑に後ろで1つに束ねられている。
「さっきの誰?」
「……雇い主だ。逃げ出したところを追われていた」
「じゃあ、今はもう無職?」
彼の足がぴたりと止まる。
ふむ? と声を出して、何かを考えているようだ。
「そうなる、のか?」
「そうだと思うわ」
「そうか」なんて失業した割に冷静な彼がなんだかおかしくなって、声を出して笑ってしまった。
彼の人間らしさが見えて、ほっとしたのかもしれない。
足をぶらぶらと揺らすと前から「おい」とだけ返ってくる。落とさないようにぐっと足を抱えなおされるのだって、なんだか嬉しかった。




