第3話 アレクシスはわからずや
結局のところ、私はヴィオレッタらしい。
転生してきたけれど、10歳までヴィオレッタとして生きてきた記憶も少しある。
というより、ヴィオレッタの意識を少し引き継いでいると言うのが正しい。
転生前のオタクで人見知りな私と、行動力の化け物であるヴィオレッタが混ざっている。
◇◇◇
「こら! 降りてこい、ヴィー! この前落ちたばっかだろうが!」
ぶらぶらと投げ出した足の下に、こちらを見上げているアレクシスが見える。
私はアレクシスから逃げ出して、猫みたいに木の上に登っていた。生前木登りなんてしたことなかったのにね。都会っ子だったから。
朝食を終えた後、廊下でばったり会ったアレクシスに驚いて思わず逃げてしまった。
だって、出会い頭にぶつかりそうになったとはいえ、優しく抱き留められてしまったのだ。
あの! アレクシスに! 画面越しに何度も見てきたアレクシスに!
転生前の記憶を思い出してから数日、会わないようにずっと避けてきたのに!
私、まだそんな心の準備は出来てません!
「やだ! お兄さまあっち行って! パンツ見ないで!」
「は!? パン、ツ!? み、見てない! 断じて見てない!」
「えっち!」
「どこでそんな言葉を覚えてくるんだ」と目をふさいだアレクシスの顔は真っ赤に染まっている。
素直で朗らか。武術に長けていて、正義感があり、人情に篤い。
我が兄ながらまっすぐないわゆるイイ人だ。ちょっと距離が近すぎるのが玉に瑕。
でも、たまにからかってみた時の反応が面白くて好き。
ヴィオレッタはよく急に驚かせたり、虫を投げつけたりして遊んでいた。
……いや、やっぱりそれはちょっとかわいそう。
「ヴィー、降りなさい」
「……はあい」
枝に座ってくすくす笑っていると、騒ぎを聞きつけたらしいユリウスが、2階の窓辺から顔を出していた。
静かなトーンだけれど、有無を言わせない強さがある。絶対怒ったら怖い。ヴィオレッタ相手には怒ったことないけど。
「アレク、ヴィーはまだ怪我が治ったばかりなんだから負担をかけないでよ」
「俺のせいか!?」
「お兄さまのせーい!」
アレクシスのせいにして笑っていると、ユリウスも口元を手の甲で抑えて笑っていた。珍しい。
原作ではだいぶクールな印象だったけれど、家族の前では笑ってくれることもあるらしい。
それでも12歳にしては、だいぶ大人っぽい色気のある笑みだ。
差し出されたアレクシスの手を取ると、地面に着地する。
抱き上げようとしてくれたもう一方の手は、ちょっと(触られるの恥ずかしくて)無理なので無視をした。
ぶつぶつ何かを言っているが、無視だ無視。
こちとら花も恥じらう乙女だぞ、触るな! やめろやめろ! 耐性がないんだこっちは!
「兄さま?」
スカートについた葉っぱを払って隣を見上げると、手をつないだまま「ん?」と言ってくれる。
正直、生前18歳だった私は12歳の彼を『兄さま』と呼ぶのは抵抗があるのだけど、ヴィオレッタはどうやら甘えん坊だったらしい。
いたずらをしてからかったりすることもあるけれど、それ以上に彼を兄として慕っていたようだ。
その記憶に引きずられて、隙あらば私も甘えたくなってしまう。
「兄さまは強いんだよね」
「ああ、強いぞ! いずれはこの国一番の剣士になる男だ!」
そう言って胸を叩く。
……ちょっと強くたたきすぎて咳き込んでるのが何とも、まあ、この兄らしい。
フィオレンツァ家は王に忠誠を誓う騎士の一族だ。
父は国の中枢である第一騎士団の騎士団長。アレクシスは将来その座を継ぐことが期待され、周囲からは神童と呼ばれている。
「じゃあ、兄さまにはもう精霊さんがいるの?」
原作「ルミナス・ハーツ」には精霊というシステムがある。
魔法を使うには、精霊と契約する必要があるらしい。
この世界で魔法を扱えるのは、ほんの一握り。
魔法の素質がある者だけを集めた学園が、原作ゲームでの舞台だった。
原作ストーリーが始まった15歳の春には、みんな精霊との契約を済ませていたはずだ。
もしかしたら、精霊との契約ができていることが『魔法の素質あり』と判断される要因になるのかもしれない。
「おう、いるぞ。……と言いたいところだけど、精霊との契約は魔力の質が安定してからするもんなんだよ」
「それって何歳くらい?」
「大体10歳から15歳くらいまでの間だな。大体は13歳前後で契約するらしい」
15歳まで。あと5年後だ。それまでの間に精霊と契約しなければならない。
時間が足りなさすぎる。
夢のキャンパスライフへの準備期間としては大変心もとない。
「どうした?」
うーんと唸っていると、アレクシスがいきなりのぞき込んできた。
急に目の前に綺麗な顔が飛び込んできて、反射的に押しのける。
心臓に悪い! 大変距離が近い! 離れてほしい!
力いっぱい押しのけたはずなのに、全然揺るがない。
何なら私の方がよろけてしりもちをついた。なんてことだ、悔しい。
「お前なんか変だぞ。熱でもあるんじゃないか」
まさかと思ったけれど、額に手が伸びてくる。思わず払いのけて、そのままずりずりと地面を後ずさった。
「兄さまのバカ! さわらないでってば!」
「は!? いつもベタベタ抱き着いてきてたのはお前だろ!?」
「やなものはいやなの! なんでわかってくれないの!」
心の中に居座る10歳のヴィオレッタ。わがままな彼女は甘えん坊だったから、兄にいつもべったりくっついていた。
だからと言って、18歳で異性とろくにかかわったことのない私が、同じように接するのは正直なところ難しい。
明らかに傷ついた表情、宙に浮いた手。漫画だったら背景にでかでかと『ガーン』なんて文字があってもおかしくない。
18歳の私はそれでも『反省しろー!』と声を高らかに心の中で叫んでいるけれど、10歳のヴィオレッタはそうもいかない。
なんだこの感情。幼かったり、大人びていたり忙しい。まるで体の中に2人いるみたいだ。すごく気持ちが悪い。
「……そうか。俺のことが嫌いになったのか」
「そっ」
んなことない。なんて言葉は口から出なかった。嫌いになったわけじゃないけれど、うまく伝えられない。
素直になれないこの気持ちは、私のものか。それともヴィオレッタのものか。
気まずい沈黙が流れる。
どうしても兄の顔が見られなくて、意味もなく地面を見つめた。
ごめんなさいって言わなくちゃ。今ならまだ間に合う。きっと。
今ごめんなさいって言えたら、きっとアレクシスは笑って許してくれる。
「あっあの――「もういい。わかったよ」
ばっと勢いよく顔を上げると、怒ったような顔をしているアレクシスがいた。
いつも視線が合えば朗らかに笑ってくれるのに、苦々しく鋭い目つきをしている。
大好きな兄を悲しませた。その事実が、心の中のヴィオレッタを揺さぶる。
次に口から出たのは、拒絶の言葉だった。
「……兄さまの、わからずや!」




