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老いた中年の悩み

作者: stage

 誰か、助けてほしい。私にまだ、理性があるうちに、助けてほしい。もう、雑踏の奥のビルの窓から零れる真夜中の光が、眩しく思えてしまうのだ。初夏の暑さが私の喉の潤いを奪って、刺々しい空気を食み続けているのだ。それしか、食えるものが無かった、この感覚が、私の全てであった。

 脚を引きずりながら、私は、精神が前途不覚の状態になったまま、公園の水飲み場に着いた。蛇口を捻って、水にありついた。口の周りの髭に水滴が飛んできて、汗と皮脂と水が混ざって、たびたび口の中に入ってしまった。それを気にせず、私は、久しぶりの水にありついた。

 水飲み場は、公園の中心にあった。水は冷たく、しかしながら私に理性を与えるかのように、優しかった。奇跡のように思えた。水は、私に冷静さを取り戻させた。周りを見ると、人っ子一人、居なかった。水は、周りの草いきりを感じさせなかった。ただ、冷静さと理性を与えてくるから、私自身の今までのことと、今の状況と、これからのことを、必死に非難してくるのだった。

 水を流したり止めたりして過ごした。服に何度か飛び散って、肌に引っ付くのだった。少なくとも、もうこの後のことを考えることは止めにした。今のことを考え始めた。服を脱いで、裸一貫。蛇口をもう一度捻って、今着ている服を洗った。


 生きるということは、素晴らしいことだと思う。嫌われていた真に美しき者が救われるというシンデレラストーリーは、私の胸にしまったままである。ただ、私は男だった、年を老いていた。顔つきは美しくなかったし、所作も体格も平凡かそれ以下で、笑いものにされるという人間関係における一種の()()も無かった。性格は、よくある独りよがりであり、他人が秀でていると思えば、自身が優先されるべき存在なのであると、それとなく、秀でていることを暗に皆に伝える。嘘も沢山ついた。服にも自身の身体にも無頓着で、臭いも正そうと思えば正せるのにそういう努力はせず、気づけば肺の持病だけを身に付けていた。現在、身体を縮こませながら服を絞り、全裸でいる。体毛は多く、髭も豊かであった。こんな私を、誰が助けてくれるというのか。物語の中の主人公だって、聖人だって、聖女だって、助けてくれない。私を助ける物語はここにもフィクションにも無いのだ。私は、私の努力で、この私の惨劇を、変えることができるだろうか、あるいはあの時、変えることができたのだろうか。


 皆々様、教えてください。私が、今の境遇を述べた代わりに、教えてください。私は、どうしようもない人間であるのか、あるいは救われるべき人間か。あなたはどういう人間か、自身が聖人であると思うか、聖人でないなら私を見捨てるのか。あなたは私を見た、あなたは少なくとも私の現在を見たのだ、私はあなたの外にいるのか、それともあなたの内に居ることができるのか。……あなたも私を見捨てるのか。あなたは、隣人の愛を、あるいは私と同じ正義を、若しくは社会の中の一員としての正しさを、思っているのに、私は私というだけで、救われないのか。私は社会の外に居るのか。私は、誰彼からも目を反らされ続けるのか。例えば、自分自身を救うことができるほんの僅かの間隙があったとして、それを行い続ける苦しみを、あなたは気づいてくれないのか。私は見捨てられ続けてきた、それしかもはや自身が救えない、自身のとりえがそれしか無いのだ。そうして、あなたは助けてくれなくて、私は、どうしろというのだ。私は、また寂しい思いをするべきなのか。春の美しさに不安になり、夏の暑さにやられ、秋の寂しさが私を襲い、冬は私を生と死の狭間に置いてゆく。私は、何も関係が無いことに、安全の境遇が無いことに、延々と心が侵襲されていくように思う。私を見捨てて、極楽浄土や天国に、行けると思うなよ。


 気づけば既に朝になっていた。時間が早く進んでいく。服はもう乾いていた。小学生の女の子が大きなランドセルを背負って、公園と歩道の間あたりを、しょぼしょぼと歩いていた。恐らく登校をしているようであった。そうして女の子は、声を出さないように、泣いていた。腕や脚は白く、日に照らされて、艶やかに見えた。黒紺のスカートがくっきりと、しかし風をふわりと受けている。


「ああ、あの子になりたい。もっとひ弱な存在になりたい。あの子ならきっと、周りから励まされる、周りから褒められる、周りから愛される。私の人生には、誰も居ない、誰も居てくれない。私を馬鹿にしないでくれ、私を傷つけないでくれ、私の側に居て話を聞いてくれるだけでいいんだ、それとほんの少し食事をとって、物語の感想を言い合って、日常平素の何気ないことを真剣に話し合って、他愛のない世間のことを顔色伺いながら頷き合って……。私は、この姿で、何も享受できやしない。私は、もし天国に行ける確証があるなら、喜んで死ぬと思います。でも、怖い。私は、死ねない。暗闇はもう嫌だ。適度な灯りが、眩しくはない灯りが、ずっと側に居て欲しい。こんな私でも、居て欲しい、そう願うだけでも、罪なのですか、神様。」


 胸の前で両手を組んで祈った。そのときの腕は確かに細かったけれど、水で洗ってぬるりとした腕が、陽光に照らされて、あの少女の肌と同じ、純な艶やかさを持っていた。

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