3:
翌日に矢文で届けられた第3の試練。その後の第4の試練も、拍子抜けする内容だった。
第3の試練は、24時間以内に指定された4種類の魔獣を倒すこと。
第4の試練は、同じく24時間以内に指定された合計10種類の薬と毒物を調合すること。
第4の試練は特に、第3の試練で倒した魔獣から採取される体液や、毒袋を用いるという、なんとも親切な内容だった。
もちろん、いかなる時も気は抜かない。
簡単な試練と油断して不意打ちに遭うなど、ドロウの戦士として恥ずかしい。
私は順調に二つの試練を終えてから、第5の試練を受け取った。
ここからさらに二日南に移動せよ。
そこで遭遇するであろう、刺客と戦い、倒せ。
気が緩んでいたわけではないが、改めて気を引き締める。
刺客と書かれている。私を殺しに来るのだ。
ドロウレイスの資質を示すために必要な相手が来る。簡単に勝てる相手ではないことが予想できた。
何があっても常に対応できる体勢だ。野営など行ってはいないので、私はすぐさま移動を開始する。
試練が始まってからもう1週間になろうとしていて、疲労はかなり蓄積している自覚があった。
だが、残る試練は二つ。
何としても乗り越えてみせる。
私は周囲を十分に警戒しつつ、可能な限りの速度で移動を続けた。
第2の試練で戦った男は、明らかに私よりも格上だった。
もしこの試練で奴と戦うことになれば、あのままでは勝てない。
移動しながら戦う手立てを考えた。
手段など選んでいられない。私は一つの結論に達した。
移動二日目、指示によればじきに刺客と接触することになるだろう。
これまでの試練の様子から見て、私の位置は把握されている。
恐らく魔法使いの類に監視されているのだろう。
私は警戒のレベルを一段上げて、速度を落とした。
前方から強い気配を感じる。
殺気ではない……闘気と呼ぶべきだろう。刺客とあったので暗殺者の可能性も考えていたが、そうではないらしい。
自らの存在を隠す気がないようだ。
正々堂々と戦えということか。
私はそれに付き合う気はなかった。
私のすべきことは、奴を排除することだ。
手段は問われていない。
可能な限り気配を消して接近を試みる。
奴は少し開けた場所に一人立っていた。
その気配を周囲に誇示するかのようだ。
ならば。
私は近くの木の上に陣取り、真横からの狙撃を試みる。
幸い気づかれていない。
静かに大きく息を吸いながら弓を引き絞り、首元に狙いを定める。
そしてゆっくりと息を吐きながら、吐き切ったタイミングで矢を放つ。
奴は素早くドロウロングナイフを抜くと、自らをめがけて飛来した矢を切り落とした。
そして、こちらの方向に向き直り、かかってこいと言わんばかりにその場に立っている。
私は少し怒りを覚えた。
奴はドロウロングナイフを左手で抜いたのだ。
右手すら必要ない、そう言いたいのだろう。
確かに前回は奴の右腕一本に敵わなかった。だが最後には左手も使わせた。
舐めているなら、その報いを受けるといい。
私は地面に静かに降り立ち、ポーチから小瓶を取り出し、中の液体を一気に飲み込む。
強いアルコールを口にしたときのように喉が焼けつくように熱い。
わずかに遅れてくる高揚感と、体の力がみなぎる感覚。
私は幾ばくかの冷静さと引き換えに、強化薬を口にした。
私もドロウロングナイフを抜き、ジャングルから猛然とそいつめがけて走り出した。
いつもよりも自分の速度を早く感じる。
そして容赦なく切りかかった。
ガッっと金属がぶつかる鈍い音が響く。
私の攻撃が想像よりも重かったのだろう。舐めているから!
再びドロウロングナイフを横に一閃するが、そいつは間合いを取って躱した。動きの速度はなかなかの反応だが、この間ほどではない。
いける。
私はそう思い、追撃を繰り出したが、次の瞬間、その手を止めざる得なかった。
攻撃に振り出したロングナイフの軌道を変えて、飛来した矢を切り落とす。
油断していた。
こいつが強い存在感を放つので、周囲の消された気配を感じ取れなかったのだ。
油断をさせておいて、不意を付く。
どうやら向こうの思惑にはめられたようだ。
私の怒りにさらに火がつく。
激しく連打を繰り出して、目の前の奴を圧倒していく。
普段よりも重い一撃であることは自分でも感じる。
速度も奴より早い。
苦し紛れに攻撃を繰り出してくるが、決して早くはない。
体が自然と反応し、切先を躱していく。
奴が対応しきれなくなり、私のロングナイフが奴を捉えると思った瞬間に、再び矢が飛来した。
正確に私を狙っている。
邪魔をするな!
私は左手のダガーを矢の飛翔した方に投げる。
手ごたえを感じた。
その僅かな間で、目の前の奴は態勢を立て直して、ロングナイフを私にめがけて振るってくる。
殺気を放つ必殺の一撃。
だが、それは私にとっては、凡庸な攻撃でしかなかった。
人を舐めているから!
声には出さないが私は一気に攻勢をかけて、浅い傷をいくつか付ける。
そして相手の動きが一瞬鈍くなったのを見逃さず、首元めがけて一撃を放った。
それを剣で防ごうとしたが、もう遅い。
私のロングナイフは狙いの通り、そいつの首を半分ほど切裂いた。
鮮血が飛び散り、その場にそいつは崩れ落ちる。
その最中、私は奇妙な声を聞いた。
「見事だ」
くぐもって不明瞭な言葉。だが私には確かにそう聞こえた。
私は森の中、ダガーを投げた方に慎重に近づく。
するとそこにもう一人、弓使いが倒れていた。
頸部に刺さったダガーを引き抜く。
狙ったわけではないが、運がよかった。
私はそこで自身に起きている異変に気付いて呟いた。
「あれ、私、泣いている?」
正面から浴びた返り血を洗い流すように、私の目からは涙があふれていた。
なぜ?強化剤の副作用?
自分の思うように体が動かない。
力が一気に抜けてしまったかのように、その場にへたり込んだ。
周囲に別の気配を感じ、私は反射的に武器を構えて立ち上がる。
そこには蠍人――ドロウの上半身と巨大な蠍の下半身を持つ、蠍神の祝福を受けた一族。
蠍神の司祭を務める連中だ。
そのほかに数名のドロウの戦士。司教の部下なのだろう。
「第5の試練は終わった。続けて第6の試練を執り行う。この杯を受けよ」
スコーロウは私に黄金のゴブレットを差し出す。
私は状況がまだ呑み込めずにいたが、そのゴブレットを受け取る。
「一気に飲み干せ」
私は命じられるままに、注がれていた液体を飲んだ。
ブドウを使った酒……他にも何かが混じっている味がする。
そんなことを思っていると私の意識は突然途切れた。
私は自宅の自分の部屋で休んでいた。
不意に鼻をつく血の匂い。
私は置いてあるドロウロングナイフを手にして、部屋を飛び出した。
血の匂いが濃くなる。
私は慎重に歩を進めた。
父と母の寝室の扉が開いている。
私は扉の前に立ち、意を決して中に入る。
そこには首をダガーで刺され倒れている母。
そして激しく血しぶきを上げながら崩れ落ちる父。
私に背を向けて立っている人物がゆっくり振り返る。
その顔は……私だった。
そしてその私は嘲るように笑いながらこう言った。
「見事だろ?」
私は飛び起きた、夢・・・・・・。
そう思うと同時に何かが込み上げてきて、耐え切れずそのまま吐いた。
大量の血。
私は夢から覚めたばかりで少し混乱していた。
ここがどこかもわからなければ、私がなぜ服を着ていないのかもわからない。
記憶がない。
私は記憶の糸を辿ろうとする。
第5の試練を終えて、その後第6の試練と言われて、盃に注がれた葡萄酒のようなものを飲んだ……
軽い頭痛の中で、おぼろげであるが、その時の様子が思い出される。
そして、その後の記憶がない。
悪夢の後に血を吐いた。
私は毒を飲まされたのだと推測する。
第6の試練、つまり毒を飲んでも死なないことが求められたのだろうか?
私は部屋の中を確かめる。
私が横になっていたのは壁際に置かれた木製の寝台。
部屋に窓はない。
入り口は木製の扉、一か所だけ。
簡単な2客の椅子と机。
これも簡易的なチェスト、あるいは物入れ。
私は起き上がりチェストの中を調べる。
そこには私の装備が一式収められていた。
不意に扉をノックする音がした。
「誰?」
私の問いかけに外側で声がする。
「お目覚めですか、名無き方。扉を開けてもよろしいでしょうか?」
聞き覚えのない呼ばれ方だが、この部屋には私しかいない。
そこの装備からドロウロングナイフを手にすると、音を立てずにベットに戻りシーツを被る。
「いいわ、入って」
相手の長に合わせてそう答えると扉が開く。
入ってきたのは壮年のドロウの男性。蠍神に仕える神官が身に付けるローブを着ていた。
「失礼いたします」
男は入り口で一礼するとこちらに歩いてくる。
私はベッドに横になった状態から素早く飛び上がり、その男の後ろを取ってロングナイフを突きつけた。
「少し混乱しておられますか?」
男は冷静に言った。余裕があるとは思わないが、恐れる必要性を感じていない、そんなところか。
「混乱も何も、裸の女がいる事がわかっていて部屋に入ってきたのでしょう?どう説明するのです?」
「はい。あなたは今、名無き方となられております。つまり試練を乗り越え、ドロウレイスとなる資格を得られた。
お召し物は清める必要がありましたので、失礼とは存じましたが、お脱ぎ頂きました。他にも儀式のために脱いでいただく必要がございましたので」
「儀式のために脱ぐ必要がある?」
「はい。ご自身の胸元をご確認ください。鏡はそこのテーブルにございます」
私は剣を引き、そのまま机に向かう。
全裸のままではあるが気にはしない。男に見られるくらいで穢されることはない。
テーブルの上の手鏡で自分の胸元を見ると、薄っすらと何かの文様があるようにも見えるが、はっきりとは分からない。
「何かはあるようですが、それが何かはわかりませんね」
「左様でございますか。お休みの間に処置をさせて頂いております。正式にドロウレイスとなられたのちに、ご確認ください。
あと、少々申し上げにくいのですが、お召し物を……少々気まずうございます」
「それは私の御配慮が足りないという意味ですか」
「いいえ、決してそのようなことは。ただ、女性でドロウレイスとなられる方は極めて稀なのです。ましてやあなたほどお若い方は聞いたことがございません」
「なるほど、あなたの配慮、という意味なのですね。それには感謝しよう」
その言葉を聞くとその男は手にしていたローブをベッドの上に置いた。
「外に控えておりますので、お召しになりましたら、お声がけください。
儀式の場へとご案内いたします」
そう言って部屋を出ていった。
私はそこに置かれたローブを手にする。
少し厚手の生地、上質な手触りだ。
漆黒に染められており、上半身には豪華な金の刺繍が施されている。
明らかに戦い向きではない。儀式のためのものか。
私はローブにそでを通した。
サイズは私に合わせて誂えたものだとすぐにわかった。
私はそのまま扉を開けて外に出る。
そこに先ほどの男が立っていた。
「大変よくお似合いです。ではご案内いたします」
ドロウらしくない物腰の柔らかな男だ。戦士ではないのだろう。どういう人物なのだろうか。
そんなことを思いながら、男の後ろをついて歩く。
廊下を突き当たりまで行くと階段があり、それを下へと降りた。
階段を降り切ってから再び通路。ただし、通路は先ほどよりも圧倒的に広かった。
通路を歩いてすぐ、大きな扉があった。
「名無き方をお連れいたしました」
男がそう言うと扉が開かれる。
男が扉の中へと進み、私はそれに続いた。
中はホールになっている。正面奥には大きな祭壇。
私は男に従い、祭壇へと向かう。
私が進むにつれて、周囲にスコーロウが列を作る。
私が祭壇の前に到達したときにはかなりのスコーロウがそこに整列していた。
「名無き方よ、ここで跪いてください。まもなく蠍神が降臨なさいます。
そのままの姿勢でお聞きください。
あなたはこれから蠍神により新たに名を与えられて、ドロウレイスとなる。
儀式はそれだけです。
ドロウレイスになられました後のことにつきましては、また後程私よりご説明いたします」
後ろからスコーロウの詠唱が響き渡る。
それは小声から始まり、何度も繰り返されながら音量を上げ、やがてホール全体揺らすほどの声となる。
正面から例えようのない強烈な気配が感じられた。
あまりの威圧に顔を上げて確認することもできない。
これが神の威光。
私は身震いした。
恐怖感ではない、寒いわけでもない。
体が本能的に委縮しているのだ。抗うことが出来ないことを知っているかのように。
スコーロウたちの詠唱がぴたりとやんだ。
すると正面から、地の底から響くような声が聞こえてきた。
一音一音が重く、体中を揺さぶるような声。
それはこういった。
「汝を娶る。選ぶは汝とせん。されど素を我は忘れぬ」
背後にいるスコーロウたちがざわめく。
私は意味が理解できなかった。
何と答えていいかもわからない。
脇にいた男が小声で私に告げる。
「なんと喜ばしいことか。蠍神様はあなたを大変気に入られたご様子。あなたを妻に迎えたいと仰せだ。
ただ、あなたにも選ぶ権利があるともおっしゃっている。慎重にお答えください」
私は何が喜ばしいのか分からなかったし、そんなつもりもまったくなかった。
私が求めるのは戦士としての生き方と、一族の名誉だ。
少し考えて言葉を選んでから、私は答えた。
「過分なお申し出にただただ恐縮するばかりです。
ですが私は、ドロウレイスとして戦うことを望みます。
わたくしめに、ドロウレイスの名をお与えください」
静まり返るホール。
そして再びざわめきが広がった。
それを打ち消すように再び重い声が響いた。
「名を得よ。然るに、名の重みを知れ。その名は、我の望みと共にある。
汝が名は密林の薔薇。胸に刻め」
その声と同時に私は胸元に熱と激しい痛みを感じた。
唇を強く噛み、声を殺す。
これは戦士としての意地だ。絶対に声は出さない。
覚悟をして臨んだが、痛みは一瞬で終わった。
そこにあった圧倒的な存在感も消えている。
「さあ、儀式は終わりました。お部屋にご案内いたします」
男は立ち上がり、下がることを促す。
私は立ち上がりスコーロウ達の間を扉に向かい歩きはじめた。
スコーロウたちは口々に蠍神を称える言葉を叫んでいた。
私はその熱狂の中を抜けて、ホールの外へと出た。
先ほどの部屋に戻ると、私が吐いた血の跡などが綺麗に片付けられていた。
少し驚いたのを察したのだろう。
男が説明した。
「ここにも雑用する者はおります。そんなに驚かれることもないでしょう」
「貴殿のようにか?」
「いえ、私は雑用は致しません。ああ、申し遅れました。私は岩を砕く者と申します。
今日は儀式のために呼ばれたので、ここにいるのですよ。密林の薔薇」
「儀式、私の儀式のために呼ばれた?」
「そうです。私は一応ドロウレイスの筆頭ということになっておりますので、いわばお約束、ですな」
私は言葉を失った。この柔和で物腰の柔らかい人物がドロウレイスとはにわかに信じられなかった。
「そんなに驚かないでください。教育係と申しますか、決まり事を説明するのが役割なのです。密林の薔薇……薔薇とは何のことでしょうね。あなたはご存じか?」
私もその言葉が何を意味するものか知らなかった。
首を横に振り返答する。
「そうですか。まあ呼び名ですので、区別がつけばいいとは思います。良い意味なら、なお良いですね。その方が気分がいい」
私は特に何も答えなかった。
どう接するべきかを考えていたので、答えられなかったというのが正しいかもしれない。
「本題から逸れましたな。ドロウレイスの責務と規則をお伝えいたします。なに、大したことはありませんすぐに終わります。
まず、ドロウレイスは蠍神に直接仕えるドロウの戦士です。スコーロウとは同等とみなされます。言い方を変えれば相手がスコーロウの大司教を名乗っても、あなたには従う義務はありません。奴らも命令することはできない。要請されても断っても構いません。その辺はあなたの匙加減で結構」
これにも驚いた。
定期的に村に訪れるスコーロウの司祭などは、いつも偉そうにしているが、それに従う必要がないというのは、私には物凄いことのように感じた。
私にとって、連中が横柄で高圧的なのは当たり前のことだったからだ。
男は続けた。
「言い方を変えれば、蠍神の命令には従わねばなりません。これは絶対に。ですが命令は極めて稀にしか来ません。私も長くドロウレイスを務めていますが、実際に勅命が下ったのは2度だけ。まあ、他の連中に比べれば、儀式に呼ばれるので拘束時間は長いですがね。
ドロウレイスとなったことで、蠍神から自由を頂いた、そう考えて差し支えはありません」
「ちょっと待ってください。ドロウレイスは神に認められた最強の戦士ではないのですか?」
「ええ、その通りですよ。誰もがこの栄誉に預かれるわけではない。挑む者は多いですが、試練を乗り越えることが出来るのはほんの僅か。
実際に現在ドロウレイスは私とあなたを含めて8名しかいません。ドロウレイスはドロウ最強の戦士という認識は正しいと思います」
そうなのかもしれないが、私のイメージしたものと何か違う気がする。何と言えばいいのか、違和感のようなものを感じていた。
「ドロウレイスとは蠍神によって祝福された者であり、その名の通り亡霊なのです。ドロウであってドロウではない。
ですから、一族から離れて、一人のドロウレイスとして生きてゆくのです」
「一族を守護するのはドロウレイスの務めではないのですか?」
「それは貴方の自由ですよ。そうしたいならそうすればいい。普段から出身氏族の中に暮らし、今までのようにふるまうのも貴方の自由です。
ですが、次の点は覚えておいてください。
ドロウレイス同士の戦いは禁じられています。いかなる理由があろうとも。禁が破られればその代償を払うことが求められます。
言い方を変えれば氏族間の争いごとにドロウレイスは関与できません。ああ、どちらか片方にドロウレイスがいないのであれば、その限りではありませんね」
私は頷く。
その様子に少し機嫌をよくしたように『岩を砕く者』は続けた。
「そう、同じ理由でスコーロウとも争ってはいけません。同様に代償を求められます。その昔、この禁を犯してスコーロウと争ったものは、体が腐り、激しい痛みに襲われながら衰弱して死んだと聞きます。私も目の当たりにしたわけではありませんが、避けるべきでしょう」
私は再度頷く。
「以上です。おさらいしましょうか。蠍神の命令は絶対。ドロウレイス、スコーロウとは争うな。それがドロウレイスの掟です。ご理解いただけましたか?」
私は少し面を喰らった。
「それだけ、なのですか?」
「ええ、それだけです。それ以外の裁量は全てあなたに任せられているという事ですよ。最初に言ったでしょ?自由を与えられるわけです」
理解できない。
なぜその自由のために、命を賭けてまでドロウレイスを目指すのか。
「ああ、大切なことをもう一つ。先ほども言いましたがあなたは蠍神の祝福を直接受けたのです。
それによってあなたには何らかの超常の力が与えられたはず。その力が何かは私にはわかりませんが、あなたはおいおい気づくでしょう。
そう、あなたはすでにドロウレイスになられたのだから、他のドロウレイスは見ればわかります。少しだけコツをお教えしましょう。
相手を見る際にドロウレイスであるかを自らに問いかけてみてください」
私は『岩を砕く者』を見ながら、自らに問う。この者がドロウレイスであるかを。
すると『岩を砕く者』の周囲に黒い影のようなものが見えた。
「ご理解いただけたようですね。まだ意識しないと分からないかもしれませんが、訓練をしていれば自然に分かるようになります。
まあ、ドロウレイス同士が鉢合わせることは本当に稀ですけど、相手がドロウレイスでなくとも訓練はできます。自らの胸に刻まれているその証を見ると良いでしょう。鏡には映りませんよ?あなたが直接見た時にはその証が見えます」
私が自問と混乱と覚えるべきことの合間でもがいているのを知ってか知らずか、『岩を砕く者』は話し続けた。
「という訳で私からお教えすることは以上です。ドロウレイスがどういうものなのかは時間が教えてくれるでしょう。
さて、慌ただしくて申し訳ないですが、あなたをお送りしますので、出立の準備をなさってください。
あなたの持ち物はそこのキャビネットに……ご存じでしたよね。外でお待ちしておりますので、準備ができたら出てきてください」
「送っていただかなくても、自分の足でどこへでも行けます」
「ええ、存じております。ですが、ここの場所をあなたに教えることはできないのです。例外は儀式のために訪れる私ただ一人。
蠍神の神域はスコーロウの司祭以上でなければ知らされません。ドロウでこの場所を知っているのは、ここから出ることが許されないものだけです。
ご理解いただけましたかな?」
言葉は柔らかく丁寧だが、明確な拒絶と脅し。
ここで無理に意地を張る必要はないし、他に方法はないと思われた。
私は首を縦に振る。
「それでは、後程」
そう言い残し、彼は部屋の外に出ていった。
正直に言って、ドロウレイスというものが私には分からなくなっていた。
それでも、終わったという安堵感は感じていた。
「時間が教えてくれる……か」
私は呟いてから、身支度を始めた。
着替えてから荷物を背負い外に出ると、『岩を砕く者』はそこに立っていた。
私の荷物を見てローブはもっていかないのかと聞かれたので、必要ないと答えた。だが彼はせっかくだし、それを着ていればだれが見てもドロウレイスと分かると強く進めてきた。
わざわざ用意してくれたのだろうし、それならばと、丸めて荷物の外側に縛り付ける。
彼は満足そうに微笑んでから頷き、
「参りましょうか」
と言ってから歩き始めた。
祭壇のあるホールとは逆方向の上に向かって階段を上がる。
すぐに大きな自然洞窟に出た。
そこには二人のスコーロウ―身に付けている物から推測するに司祭クラスの身分だろう―が待ち構えていた。
「彼らがあなたを運びます。その間、あなたにはそこの箱に入っていただかねばなりません。
少々時間がかかるので、これをお渡ししておきます」
そう言うと『岩を砕く者』は小さめの革袋と小さめの薬瓶を2本、私に手渡した。
「水と、栄養剤です。空腹には効きませんが、衰弱には効きます」
つまり、箱の中にいる時間は、数日と言う意味だ。
私は受け取った小瓶を腰のポーチに入れる。
そして指示された箱に向かった。
「そのまま入っていただいて問題ありませんから」
何を言っているのか意味が分からなかった。
そのまま入る以外にどうやって箱に入るのか。
そう思っていたが、すぐにその意味を理解した。
中に入ろうとその箱の脇に立って中を覗くと、そこには漆黒の闇が広がっている。
理屈はわからないが、別の空間に繋がる類の魔法だろう。
面を喰らったが、問題ないと言っている者に入るのを躊躇する訳にはいかない。
私は何事もなかったように箱に入った。そうするとゆっくりと体が沈んでいく感覚がした。
「!」
思わず声を出しそうになるが、それをこらえる。
私はドロウレイスなのだ。この程度のことで驚いてどうすると自分に言い聞かせる。
「中から外は今は見えますが、ふたをすると内側からは継ぎ目がなくなります。
外の様子も音も、一切届きませんので、ご注意ください」
ゆっくりと沈んでいく私を見ながら『岩を砕く者』はそう言った。
私はゆっくりと沈み続け、完全に箱の中に沈み込む。
そこは何もない空間で、私はそこの浮いているような感じだ。
水の中とは違う。体を圧迫するような感覚はない。
「では、また後程」
そう言うと箱に蓋が載せられた。
周囲は漆黒の闇。
音もなく、地面を踏みしめる感触もない。
ふたを閉められた今、上下の感覚すら怪しくなっていた。
私は思った。
これもまたある種の試練だ。
ドロウレイスを名乗るなら、正気を保つくらい、訳もないだろうと言われているのだ。
私は体の無駄な力を抜き、リラックスを心がける。
自分の心音を聞き、足先や指先を触る。
完全な暗闇の中ではいくら夜目が利いても、何も見えない。
自身を強く意識すること。
自分の感覚が正常であることを自分に教え続ける。
目を閉じたまま、自分の体がどこにあるかをイメージし続け、それと自分で触れている感触を繋ぎ続ける。
浮遊感があっても、ものの重さを感じている。上下は存在している。
途中、最小限の水を口に含み、一本目の栄養剤を口にした。
時間の感覚には自信があったが、さすがにこの状況ではそれは失われつつあった。
移動しているのかも止まっているのかもわからない。
確かにこれならば、箱から出た場所がどこであっても、神殿の位置はわからないだろう。
私は私がここにあることをひたすら思い続けていた。
不意に光が差し込む。
箱のふたが開けられたらしい。
どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
私は自我は保っていたが、時間の感覚はかなりあやふやで、水分の摂取量と合わせて推測するに2日半から3日くらいか。
手を伸ばし箱の境目に触れると、確かな木の板の感触があった。
体を引き寄せるようにそこから上半身を出して、箱の縁に足をかけて飛び降りる。
そこはジャングルの中。
見覚えがある。
私の記憶が途絶えた場所。最後の試練で盃を受けた場所だ。
反射的に周囲の気配を探るが、平穏な密林そのものだった。
「お疲れさまでした。ここがどこかはお分かりの様子ですね。北に向かえばあなたの故郷にたどり着きます。
短い間でしたが、ここでお別れとなります。
おそらくもうお会いすることはないでしょう……いえ、一度くらいはあるかもしれませんね。
それでは、また」
『岩を砕く者』は、そう言って丁寧な一礼をすると南に向かって歩き始めた。
二人のスコーロウも箱を竿につるして去ってゆく。
私は無言で、その後ろ姿を見送った。
ようやくすべてが終わった。
私は北に向けて歩き始める。
私のいるべき場所に帰るのだ。