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第九話 貴方は誰?




「ちょっとアリス!」


 授業が終わり、学業から解放される放課後。教室を出ようとするエリザベスの背中を、呼び止める声があった。

 振り返ればもはや見知った顔。同級生のエイダである。


「何か?」

「『何か?』……じゃないよ。あんた忘れてないよね、今日はブラウンの婆ちゃんの店を手伝うって」

「…………ああ」


 エリザベスは僅かに思案して思い至る。

 どこかで朧気に聞いた気がする。『アリス・ハート』が小遣い稼ぎをするために手伝いをする予定の店。間違いなく目の前のエイダからだが、そういえば今日だった。

 本音を言えば、それどころではない。今すぐに寮に帰って一人でジェイクへの対策を考えたいし、『アリス・ハート』への伝言の文面を詰めたいところだ。


「今日は……」

「あの婆ちゃん気が早いんだから、ほら、行くよ! もう時間遅れそうなんだってば!」


 断ろうとするエリザベスの手をエイダが引く。

 有無を言わせぬ態度はエイダの今までの妹分に向けてきた態度と同じもので、エリザベスも断る間もなく引きずられるようにして廊下を歩いていく。

 面倒だ、と思いつつもエリザベスはその手を振り払うことが出来なかった。




(まったくもう、何で私がこんなことを)


 何故こんなことをしなければいけないのか。それは、アリス・ハートの身体に入ったエリザベスがもう何度も思い浮かべた文章だ。


 『ブラウン婆ちゃんの店』に到着したエリザベスの目の前には今、所狭しと大きな棚が並んでいる。

 今にも照明が切れそうでちらつく店内は薄暗く、湿ったカビの臭いがどこか漂う。


 その埃の被った棚に並んだ商品、片手で持てる程度の大きさの壺や時計を手に取り、エリザベスはその商品のどこかに必ずある宝石のような石に筒状の魔道具を押し当てていった。


 『ブラウン婆ちゃんの店』は魔道具を売る店だ。それも骨董品のような古くさいものが多く、今時それを買う客すらも来ないような。

 喉を湿らせるような程度の水を生成する壺や、変わらぬ時を刻む時計。今現在であればもっと高性能で、もっと効率がいいものがあるにもかかわらず、それに手を出さない店だ。


 魔道具とは、単純にいえば魔力を込めて使う道具である。

 道具のどこかに魔力回路が刻まれており、その回路の示すとおりに何かしらの機能を示す。動力としては、その魔力回路に付随して備えられた魔石、またその魔石に込められた魔力だ。

 発明したのは百年以上前の東国の魔術師。限られた人間にしか与えられていなかった魔術の恩恵を、あまねく人間に広めたことから画期的な発明だとされた。

 術者の能力、属性に依存せず、魔力を込めさえすれば特定の機能が動作する。小さな火を点し、また風を送り、温度を上下させる。

 魔術を学ばずとも魔術を使える。それは誰かの儚い希望だった。



 魔道具は、備えられた魔石に魔力を充填して使う。

 だが充填された魔力というのは、何もせずとも周囲に発散して消費されていく。更に、魔石自体の劣化もその際に起きてしまう。


 今日エリザベスが行うのは、その手入れの一環である。


 脚立の上に座り、高い位置にあった一つの置き時計を手に取る。その中央の緑の石に筒状の魔道具を押し当てれば、筒状の魔道具に、緑の魔石の劣化具合や魔力残量が表示される。

 その表示を見てエリザベスは眉を顰めた。


「これもなくなりそうですわ」

「そうかいそうかい。ふぇふぇふぇ」


 皺しかないくしゃくしゃの顔で、傍らにいたブラウン婆は笑う。

「じゃあ補充しておいてくれね。私はもう魔力が上手く練れなくてね」

「……わかりました」

 何で私がこんなことを。そう内心苦々しく思いつつ、エリザベスは魔力チェッカーの魔道具に魔力を通す。補充の効果を持つ魔術回路が働き、エリザベスの炎の魔力を純粋な魔力に転化、その先から注ぎ込まれた魔力が、魔石の輝きを取り戻す。


 魔石は魔力を放出しきった状態が続くと、途端に劣化してゆく性質がある。

 それを防ぐため、定期的に補充するのが魔道具の手入れとして必要だった。

 

(こんなもの使用人の仕事じゃありませんか。この私にこんなことを)


 大抵の場合、魔道具の手入れは持ち主本人が行う。しかし、照明や時計、その他家中に大量の魔道具を置く貴族の場合、補充は大抵の場合使用人が行うことである。エリザベスはもちろん知識としては知っていても経験はない。

 

「上手いじゃないか。お嬢ちゃん、家でもやっているのかえ?」

「いいえ。こんな古くさい魔道具は使ったのも初めてですわ」


 エリザベスは手元の魔道具を見てそう思う。

 昔の魔道具はこのように補充と魔力残量確認のための回路を持つ魔道具と本体が別だったが、大抵の場合今は違う。

 どの魔道具にも補充の回路が仕込まれており、それ単品で魔力残量を示して補充を行えるよう完結している。


 古くさい、と商品を貶され、それでも楽しそうにブラウン婆は笑った。

「そうかいね。お嬢ちゃんたちから見れば確かに古くさいわな」

 前歯の抜けた口から息を漏らすような笑い声を立てて、それでも気を悪くせず。


「でもね、古いものには古いものの価値があるのさ。まあ、面倒でも、年寄りの道楽とでも思って、その調子であとのものを頼んだよ」


 節くれ立った手で杖をつき、ブラウン婆は奥へと歩いていく。

 同じように働くエイダの様子を見るために。

 それを見送り、また手元の魔石の魔力がなくなっていることをエリザベスは確認した。





「ああ、やっぱり。アリスだ」


「……!?」

 埃がついた手を払いつつも、仕事を進めていたエリザベスに、店先から声が掛かる。

 心臓が跳ねた気がした。いつの間にか仕事に熱中していたエリザベスも気がつかなかった。

「これは、レオ……ナルドさんに、エリザベス様、ジェイクさん」

 三人が興味深げに中を覗く。一瞬目が合ったジェイクは、エリザベスを見ても反応をしなかった。

「色々なところで会うね」

「ええ、本当に……」

 運命を感じてしまいます、というようなことを続けてしまいそうになり、エリザベスは一瞬ぎくりと動きを止めた。

 レオナルドの背後。ジェイクがエリザベスの反応を窺っているのだ、と気付いてしまい。

「偶然ですね」


 ほんの一瞬、間を開けた違和感のないよう、一歩だけ引いた言葉を述べて、エリザベスは頷く。

「今日も仕事?」

「はい。ここで商品の整理とか手入れをさせてもらえることになってますから……レオナルドさんたちは?」


 失礼のないよう、エリザベスは『エリザベス・ヴァレンタイン』やジェイクにも目を向けて尋ねる。

 だがこれもエリザベスにとって本音の疑問だ。

 エリザベスの記憶の中で、ここを自分が訪れたことはないはずだった。『アリス・ハート』はここにいたのかもしれないが、しかし。


「ジェイクに誘われてね。この先にあるウィルソン商会の新規出店した菓子屋に」

「もう既に美味しいと評判らしいのよ。アリスさんは知りませんの?」


 レオナルドとの会話を遮るように、『エリザベス・ヴァレンタイン』が口を挟む。

「はい。私はまだ……」

「後で差し入れしようか? もちろんその分のお代は頂くけどね」

 ジェイクも加わる。ただその雰囲気は、以前のエリザベスが知っているジェイクの姿そのものだった。


 しかし、目の奥にエリザベスを観察している気配がする。その気がするだけ、という希望的観測は、エリザベスの中には今のところ存在しない。

(……どうしましょう。この場では、やはりアリス・ハートらしく……)

「いえっ、そんな、悪いです」

「うん。じゃあそうしようか。俺が奢るよ」

「お前にそんなこと言われたら俺が出すしかなくなるじゃん」

「それが狙いだが?」


 表情薄く、それでもジェイクの軽口に笑ってレオナルドが応える。

 ちぇー、と言葉で舌打ちをするように不満さを露わにしたジェイクが、エリザベスから視線を切る。

 ふと安心しそうになり、だがその消えた視線の代わりに、もう一つ視線があることに気がついた。

 ひやりとどこか喉元に刃を突きつけられたようにエリザベスは感じた。実際にはそのような殺気でもなく、形にすらもならない小さな敵意のようなもの。だが、エリザベスには確かに。

 その敵意を発していたのが過去の自分だということに気がついているからこそ。


(……まず……)


 まずい。そう判断したエリザベスは、出来るだけにこやかに笑顔を浮かべて頭を軽く下げる。

「あの、私次奥のところやらなくちゃいけないので……」

「あ、そうか。邪魔をしてごめん」

「いえ、……あ、その、差し入れも大丈夫ですので」

 もう一つ、ぺこぺことエリザベスは頭を下げた。本当は喉から手が出るほど欲しい。レオナルドからの贈り物。それが単なる誰かの作った菓子としても。

 だがそれを受け取るのは、今彼の隣にいる『エリザベス』だけだ。『アリス・ハート』ではない。

 過去の自分の視線を振り切るように、エリザベスは踵を返す。


(でも、……いつか貰うのは私よ。そこに立つのも)


 今はこの状況が安定してからだ。

 『アリス・ハート』の動向と、ジェイクの秘密が落ち着いてから。

 そう決意し、エリザベスは奥歯を噛みしめつつ仕事に戻った。







(今日も大変だったわ)


 粗末な夕食を補給し、自室に戻ったエリザベスは日記を仕上げ、ベッドに倒れ伏してそう思う。

 単純な作業が続き、神経性の疲れがある。歩き回ったことによる足の疲れも。

 元々膨大な量を持つエリザベスの魔力も目減りしている気がする。魔力を消費することによる瞼の裏の痺れに似た疲れが、エリザベスを更に苛んだ。


(あとは日記を枕元に置いて……)


 今日会った人、話したこと、聞いたこと、出来事。まさしく今日の出来事を綴った日記を仕上げた頃には、時間は既に夜中に足を掛けていた。

(予習や復習の必要がないのはありがたいことかもしれないわね)

 日記を仕上げただけでこれだ。本来のアリス・ハートならばその代わりに勉強の時間が入ったのだろうが、それを必要ないのはたしかにエリザベスにとっての利点だった。


 これでまた明日起きたら、寮の仕事を手伝い、学校へ行き、放課後は小遣いを稼ぎ、寮へと戻り学校の復習と予習をする。

 そのルーチンがエリザベスには容易に予想できた。

 そしてある程度納得する。


(成績が悪いのも納得ですわ)


 アリス・ハートには、余暇の時間がない。

 もしこの毎日のうち、余暇を作るとするならば、放課後の小遣い稼ぎをなくすか、小遣い稼ぎを夜へと回して勉強の時間をなくさなければならないだろう。

 頻繁にレオナルドと会っていた前回の『アリス・ハート』は、おそらく後者だったのだろうとエリザベスは予想する。


(どちらにせよ……今日やるべきことはやりましたし、あとはなるように……)


 なれ、と言葉を考える前に、エリザベスは目を閉じて暗い闇の中に落ちていく。

 その夜エリザベスが見た夢は、子供の頃のレオナルドとの思い出。


 レオナルドが花冠を作り、エリザベスに被せてくれた懐かしい思い出だった。







 次に目を覚ましたエリザベスは、呆然と周囲を見渡し頭を掻いた。

 一瞬自分が寝ている場所が理解できず、しかしそこがアリス・ハートの部屋だと改めて気がつく。

 粗末な部屋だ。ヴァレンタイン家にある『エリザベス・ヴァレンタイン』の部屋などとは比べようもなく。

 大口を開けてあくびをしても、はしたない、と止める侍従はいない。着替えを用意する侍女もいないのだ。


 しかし、数日でも人は慣れる。

 エリザベスは裸足に冷たい床の感触を覚えながら、机へと歩み寄る。

 そこにはきちんと、エリザベスが寝る前に置いておいた日記帳が、ぽつんと存在していた。


 ぺらりぺらりと頁をめくり、最も新しい日付を探す。

 一番最初に目に入ったもの。細かく書かれたその文字はアリス・ハートの文字に似せたエリザベスの筆跡。

 

 そしてその後に続くよう、エリザベスの書いた文字よりもやや丸く、そして小さく書かれた文章。



『ありがとう。混乱していたけれど、貴方のお陰でなんとか話についていけた』


 まずお礼を述べたのは、育ちの良さか。

 そう嫌みのような言葉を思い浮かべて、エリザベスは鼻で笑った。


『でも私は何が起きたのかわからない。何が起きているのかわからないの』


 だろう、とエリザベスも思う。自分とてそうで、そして彼女よりも情報の多い今もその通りだ。


『貴方は誰?』



 そして最後に書かれた怯えるような震えた文字に、エリザベスは『成功した』とほくそ笑んだ。




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