第七話 追い詰められっぱなしは癪ですわね
「その……何の話ですか?」
「惚けないで欲しいね。この剣を見て、即座に防御の陣を構築出来るともなれば相当な手練れだろう」
笑みを浮かべたような明るい声。だがその顔は空気と同じく張り詰めており、言葉の後に静けさが残る。
たしかに、とエリザベスは己の失態を恥じた。
「それに感じたのは……炎の魔力。アリス・ハート、お前は光の魔力を見込まれこの学園に入ったはずなのに」
「光を使うのは不得意でして」
それは本当だった。
『アリス・ハート』は、その光の魔力の希少さ故にこの学園の奨学生としての入学を許されている。だがその魔力を扱うことは上手くなく、学園卒業の際も初級魔術を使うくらいが精々だった。
「しかし属性を変えることまでは出来はしないはずだ」
「…………」
そしてエリザベスの魔力は炎の魔力。それも純粋な炎。
炎の魔力を持つものは大勢いる。しかし、純粋な炎の魔力を持つものは少ない。
生来持つ魔力の質は生涯変わらず、感じ取れる属性も変化はない。なのに。
「もう一度聞くぞ、アリス・ハート。お前は何者だ」
「わ、私は……」
「一昨日お前は言ったな。『ポピーテラス』と。それはうちの商会が二ヶ月後に営業を始めるべく企画中の店の名だ。何故お前が知っている?」
声なく息を吸い、エリザベスは戸惑うようにしてまた自分の失態を悟る。
そうだった。まだ、その店は出されていないのだ。レオがその店の菓子を気に入り、自分が茶を気に入り、二人で足繁く通ったその店は。
エリザベスの額に向けられた刃が鋭く光る。
毒の術が構築された魔道具であるその刃を無防備のまま受ければ、掠るだけで命を失うだろう。
それ故に自分は無意識にそれに対抗する術を行使してしまった。
「…………」
「考えるな。即答しろ」
急かすようにジェイクが言う。
だが、エリザベスとしても考えないわけにはいかない。
そもそもに、どう事情を話せというのだろう。
自分は三年後から来たエリザベスだ、と名乗ればいいのだろうか。しかし、そうしたところでジェイクが信じるとは思えない。
対して、まだ存在しない店の名を知っていたのは事実だ。
時間を遡行した事実を証明する術はない。未来の話をいくらしたとして、それは存在しない名を知っていたことの補強をするだけに過ぎない。
「何故昨日寮から出てこなかった。体調不良と嘘をついたのは何故だ」
「…………」
「お前の背後を調べても、誰にも繋がることはなかった、が、しかしその手並みは誰かの狗だろう。誰の手の者だ」
「私が、何をしたと……」
そもそもに、それを知っていたからなんだというのだろうか。
たしかに怪しいだろう。ウィルソン商会の秘密裏の企画を知っていたともなれば、商売敵の密偵を疑ってもおかしくはない。
だが、それもおかしな話だ、とエリザベスは思う。
ポピーテラスは、特段変わったことのない普通の喫茶店だった。
貴族相手の商売をする都合上、少々品揃えは高価で上等なものだったが、それだけ。その程度と言っては何だが、同じ種類の店は街に多く存在するし、ウィルソン商会とて他にもいくつか持っている。
なのにこの過剰反応。
(理由として考えられるのは二つか三つ……)
「お前ほどの女を雇えるほど、と考えれば大物だろうね? お前など木っ端の狗に過ぎない。お前の雇い主を明かせば、お前の失敗には目を瞑ってやる。どうだ?」
焦れたようにジェイクの口数は増えていく。
なるほど、一般的に有効な手だろう、とエリザベスは思った。
矢継ぎ早の質問。考える暇もなく浴びせるのは、思考力を薄くするため。そのために刃を向けてプレッシャーを与えた。
そしてその後、優しげな言葉を掛ける。逃げ道のような甘い言葉に乗ってしまうのは、それで追い詰められた弱者。
だが。
(追い詰められっぱなしは癪ですわね)
焦れたような口調。
エリザベスは、そこに活路を見た。
目を伏せて、悲しげにエリザベスは口を開く。
「……誰が私を雇ったか。本当に知りたいんですか?」
「喋る気になったか?」
「御免ですわね。もしも喋れば、貴方は私を殺すでしょう。私の雇い主に、私からの報が行かないように」
あくまで悲しげに、ぽつりとエリザベスが呟く。
ジェイクは内心舌打ちをする。
「今私が叫べばどうなると思いますか? ここは昼の学校。耳目なんていくらでもあります。女性の叫び声は特に殿方の気を引きますわよ」
「……それが? お前を殺してすぐに逃げればいい」
口調が変わった。エリザベスのその様子にジェイクは内心たじろいだが、その弱みを見せないように足に力を入れる。
そしてその様子に、エリザベスの口元は緩んだ。
「そう、殺すというのは間違いではないのね」
ジェイクの言葉に確信をする。エリザベスが推測していた要素の一つは、彼も密偵だということ。
確定はしていないがその可能性は強まった。少なくとも彼は、『人を殺す』という任を請け負える類いの人間なのだ。
「お前は……」
「そう何度も淑女に質問を投げかけるものではなくてよ。せっかちさんは嫌われますわ」
ちっ、とジェイクは音を鳴らして舌打ちをする。
その手の先の刃。人を殺せる刃が、ぽたぽたと滴るように崩れていく。
原因はエリザベスの魔術。詠唱なしに金属すらも溶かせる強さの彼女の魔力は、国家有数のもの。
「貴方こそ、どういう方ですの? ウィルソン商会のご子息ではないのですか?」
エリザベスの疑問は本当だった。
ジェイク・ウィルソン。彼のことは知っている。レオナルドの腰巾着として動いていた彼のことは。
雀斑の上にある目は軽薄で、口から吐かれる言葉も軽薄そのもの。だがレオナルドは一定の信頼を置いていたし、だから自分も信用していた。
その彼は、決して、刃物を持ちだして女性を脅すような男性ではなかったはず。
(前回と一緒。前回とは違う。……ああ、もう、面倒くさいですわ。可能性が無限に出てきてしまう)
不敵な表情を崩さずにエリザベスは内心嘆く。
これも自分が時を遡ってここにきた影響なのだろうか。それとも、もとから『そう』だったのか。どちらの可能性も捨てきれないのが困る。
(時間を遡ったところで、それ以前の過去は変わらない、……と決めてかかりましょうか。それ以上は無意味ですもの)
だがエリザベスはくじけない。
彼女にとって、対処するべきは今、そして未来だ。過去のことは置いておいても。
そしてこの場を乗り切るためには。
静かにエリザベスが立ち上がる。それに合わせるように、一歩ジェイクが下がった。ジェイクが警戒するのは、エリザベスが纏う魔力。
「取引をしませんか?」
「取引?」
「ええ。私たちはお互いに失敗した。私は迂闊なことを口に出してしまったし、貴方は私に雇い主について吐かせることが出来なかった」
「……まだ出来ないと決まったわけじゃないだろ」
ぴく、とこめかみを反応させ、ジェイクが反論する。
しかしその様子をエリザベスは笑い飛ばす。
「あら、口で勝てない。なら暴力でしょうが、それで私に勝てると思っているの?」
威圧するようにエリザベスは魔力を放出する。
瞬時にジェイクは悟る。その束となった魔力の暴力に恐れおののく。じりじりと炙られるような炎の魔力は、ひとたび魔術が構築されてしまえば、ジェイクの人並みの魔力で防げるものではない。
また舌打ちをして、ジェイクは不承不承と柄だけになったナイフを懐にしまう。
「取引の内容は?」
「お互いに黙っているの。私も貴方も、ここは休戦。忘れましょう?」
「忘れるにはだいぶ刺激的だけどね」
「もう少し簡単にいうなら、ここは休戦というだけよ。怪しいと思うなら、貴方は私のことを存分に探る。私もこのまま任務を続行する。どこかでまたかち合うこともあるかもしれませんわね」
「…………」
ひゅ、と風を切る音がした。
それと同時に、エリザベスの視界を占めるのはジェイクの靴の裏。綺麗な蹴りが迫り、その風でエリザベスの前髪が揺れた。
「わかった。その正体、暴いてあげるよ」
「……どうせ、誰に聞いたところで私など知らないと言うわ。期待しないことね」
無言でジェイクは身を正す。流麗なその蹴り技は、やはり学生の域ではない、とエリザベスは思った。
教養科で習う初歩的な徒手の格闘技術の上をゆくのは勿論、戦術科で鍛えられる本格的な格闘技術よりも更に上。それも騎士団のような綺麗な技術ではなく、傭兵のような汚い技術。
エリザベスの目からしてもそうなのだ。おそらく本職が見れば、それ以上のものなのだろう。
(以前はそんな仕草見せませんでしたけど)
そしてやはり、気付かなかったもの。
「貴方のいうとおり、木っ端の狗だもの」
「……よく言う……」
普段の軽薄さもなくなり、鼻を鳴らす仕草は不遜そのもの。
だが振り返れば、その背中はいつも見ていた女好き、遊び好きの放蕩息子、ジェイク・ウィルソン。
エリザベスはそのギャップに、何故だか目眩を覚えた。