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第六話 誰にも話せるわけないじゃない




 まただ、とエリザベスは朝の食堂で頭を抱えることになった。

 きっかけは級友たちの、そしてエイダたちの言葉。

 食堂に現れたエリザベスを見た皆の心配そうな顔。そして、彼女たちから聞いた『今日は大丈夫なの?』という確認の言葉。


 ええ、と曖昧に頷き、エリザベスは事情を探ろうと会話を続けた。

 その結果わかったことだった。


(やはりまた日付が飛んでますわ。昨日、私は入学式を終えてあの無様な仕事をやり遂げたはず、なのに……)

 病み上がりを心配した寮母が作ったコンソメのスープ。そこには小分けにしたパンと卵黄が浮かべてある。スープで熱せられて半生になった卵黄をとろりと崩し、浸したパンを匙で口に運びつつ、エリザベスは考える。

 異常な事態だった。今すぐ混乱に叫びだしてもおかしくないほどの。


 エイダたちの話では、昨日の自分の様子は少しおかしなものだったという。

 朝食のためにここへ現れた自分は、入学式が楽しみだと語り、今日からの学校生活に気合いを入れていたのだという。……今の自分よりも機嫌よさげに。


 もちろん、エリザベスにはそのような記憶はない。学校が楽しみだというのならばレオナルドの顔を見られることだし、入学式などなんとも思ってはいなかった。

 そして、エイダたちが入学式は昨日だと指摘すると、混乱し、部屋に籠もり、体調が悪いのだとそれきり出てこなくなった。


 明らかに自分ではない。

 そう思い、エリザベスは考え、そしてすぐにその理由に思い至る。

 思い至るというよりも、推測。それはこの不可思議な状況にこの場にいる誰よりも慣れているからこその推論。


(私以外の誰かが、この身体を使っている……)


 だろうな、というどこか納得の思いがエリザベスの唇を歪める。その端からパン屑が零れそうになり、慌てて収めた。


「大丈夫……なの?」

 エイダが不思議そうに、上目遣いにおずおずと声を掛けてくる。

「大丈夫ですわ。ごめんなさい、慣れない学校生活にまだ戸惑っているみたいで」


 その程度で済む話ではない。しかし、それを押し通すようにそれ以上の反論をさせないよう、エリザベスは急いで口の中にパンを押し込んでいく。不作法にならない程度に丁寧に。

 エリザベスの纏う気品は、『アリス・ハート』の身体の中であっても醸し出され、一種近付きがたいものとなる。エイダはそれ以上追及できず、言葉を飲み込んだ。




(使っている私ではない誰か。誰であってもおかしくないとはいえ、やはり第一候補は)


 馬の足音を聞いたら縞馬と思うな、という言葉がある。ありふれた馬と幻のごとくに希少な縞馬。足音を聞いた際、そのどちらが現れたのかと思うだろうという話。

 物事はその時に疑える最も可能性の高いものから疑うべきだ、というものだ。

 侍女が片付けるべきだろう、と思いつつも自分の手で食器を片付けたエリザベスは、一目散に自室へと戻る。

 

 この身体を使っているのがもしも『彼女』であるならば。

 もしも『彼女』が事態を確かめるべく探るであろう私物があるのならば。


 机の上。この身体を使い始めて最初の日に一日掛けてほとんど暗記したその本は。

 エリザベスは日記を開く。二年ほど前からほとんど毎日記されていた徒然なるままの日々。

 『アリス・ハート』の日記、その最新の日付の欄は。


『今日は■■、、おかし■■■私の身に何が起きているのだろう。だって、今日入学式で■■■■■■違う』


 書き損じ、または書き途中で止めて塗りつぶされた記載。

 その筆跡は間違いなくアリス・ハートのもので、そしてその混乱ぶりに、確信する。


(ここにいたのね、アリス・ハート……)


 エリザベスの唇が綺麗に歪む。二つの感情に。

 一つは安心。『アリス・ハートはエリザベスの身体を使ってはいないのだろう』という推測への更なる根拠に。


 そしてもう一つは。







(また面倒なことを。やはりこの不可思議な状況を、早急にどうにかすべきですわ)


 固いパンを上品に囓りとりながらエリザベスは内心ごちる。

 今は午前の授業を終えた昼。パンは朝寮母から貰った昼飯で、場所は校舎裏の一角である。

 クロウリー学園の敷地内の森に接する位置、ぽつんと置かれた長椅子。森と壁に囲まれているため外部からの目は届かず、生徒もあまり寄りつかず一人になれる場所だ。

 以前の『アリス・ハート』もここをよく使っていた。というのはエリザベスが手下扱いしていた者たちに調べさせたことだが、その成果がここで生きるとは思わなかった、というのもエリザベスの素直な感想だった。


 情報を整理する、とエリザベスは自分に言い聞かせる。

 面倒でも、難しくても、例え認めたくなくても現実から目を逸らすわけにはいかない。それはエリザベスの心がけていることだ。


(私と『アリス・ハート』はこの身体を共有している。どちらかが使っているときには、もう一人の行動した記憶はない)


 おそらくそうだろう、とエリザベスは当たりをつけた。

 少なくともエリザベス側には『アリス・ハート』の記憶はない。そして『アリス・ハート』側にもないだろう。もしあれば、そこまでの混乱はしないはずだ。


(今のところ交代は一日おきに起きている。交代のスイッチは時間かしら。それとも、行動?)


 ふむ、と固いパンを唾液と混ぜて飲み込むと、胸の辺りから派手な音がする。堅いものを強引に飲み込んだ経験は、人生初だろうと思った。

(真夜中のある時間を過ぎると交代する。もしくは……眠ると、かしら)

 今のところ、交代に気付いたのは朝だ。一日をエリザベスはこの身体で過ごす間、違和感が生じたことはなかった。

 昼寝をしたことはない。また、交代に気がついたことがない以上、どこかしらの時間に境界線があっても、それは今まで起床していた時間ではないのだろう。


(睡眠が鍵ならば、ここで寝て試してもいいのだけれども……もしも目覚めた『アリス・ハート』が騒ぎを起こしたらまた面倒なことになる)

 

 そして、懸念事項のうち一つはそれだ。

 今までのペースならば、明日にもまたそれは起きる。明日の朝起きた時、このアリス・ハートの身体を使うのは『アリス・ハート』だ。一日の記憶がないと気がついた彼女は混乱し、何かしらの騒ぎを起こす。

 それがまた部屋に閉じこもる程度ならば良い。しかし、たとえば何かしらの医療を受けるなどということに繋がるのであれば。


(さすがに私もそれは嫌ですわね。腫れ物扱いなんて、ほんと嫌だわ)


 『アリス・ハート』が奇異の視線を浴びる程度であれば構わない。しかし身体を共有している以上、その視線はやがて自分を向く。

 故に、どうにかして彼女の動きを封じなければならない。交代しない手段があるならばどうにかしてそうしたい。……もしくは。


(私ではない時には、私は動けない。……なら、誰かの協力を仰ぐ? おかしなことを言い出した私を抑えておけ、なんて?)


 水筒の水をほんの僅かに含んで口中を湿らせる。

 その湿り気を吹き飛ばすように、エリザベスは笑うように息を一つ吐いた。


(冗談ではありませんわ。それこそ腫れ物扱いじゃない。こんなこと、誰にも話せるわけないじゃない)


 気が狂ったと思われるだろう。

 エリザベスはそう思い、その考えを取り下げる。信用できる人間などそうそうおらず、そして今、信用できる人間であるからこそそんなことはいえないのだ。


(ゲイリーおじさん、ヘドウィック、フラウチ、カリウス……彼女の日記から信頼できるのはそれくらいかしら)

 それは『アリス・ハート』が貧民街で暮らしていたときに世話になっていた者たち。彼女のような貧民が、往々にして作り上げる擬似的な家族と言ってもいい者たちだ。

 彼らにこの状況を知らせてはいけない、とエリザベスは自らを戒める。

 もしも彼らが『アリス・ハート』とエリザベスの両方を見たら、自分たちが知っている『アリス・ハート』はどちらか、とすぐに見抜くだろう。


(だから、彼らには知られないようにして、……やっぱり、一番穏便な手でいくしかないか。大きな賭けにはなりますけれど)


 エリザベスには、この悩みが発生した次の瞬間には解決の手段が浮かんでいた。

 しかし、その解決法は対処できるか不確定だ。全くの効果がないかもしれないし、効果が出てもその結果が予測できない。

 故にどうにかして他の方法を、と思って考えてはいたが、それも無駄だったらしい。他に方法はないのだ。エリザベスはそう感じ、味のない水をまた一口含んだ。



 そのとき、ザ、と足音がした。


 反射的にエリザベスはその音の出所を向く。生徒はなかなか来ないとはいえ、来ないわけではない。席を譲る気もないし、昼ご飯の場所を探しているのであれば追い出そうと思った……のだが。


「ジェイク……さんでしたっけ?」


 実際にはその顔も名前も知っている。しかし、距離感をつかめずにエリザベスは辿々しく目の前にいた男子の名を呼んだ。

 茶色い瞳は揺るぐことなく、エリザベスを見つめていた。


「…………?」

 ジェイクは答えずにゆっくりと歩を進める。

 ひたりひたりと揺るがず静かに。そしてエリザベスの前で立ち止まり、見下ろすようにして暗い目を見せた。

「何かご用ですか?」


 尋ねたエリザベスは息を飲んだ。

 次の瞬間。ほとんど軌跡も見せずに、ただ銀色の光がちらりと見えただけで。


 眉間に突きつけられたのは短剣。

 それも、エリザベスはその剣から魔力を感じる。今の今まで気付かなかったのは、隠されていたからだろうと思う。その剣が帯びて構築している魔術の性質は、毒。


「何者だ、お前は」



(え? 何? なんですの? この状況は!?)


 じりじりと眉間に感じるのは触れてもいない刃の圧力。

 そして三年間を近くで過ごし、見慣れていたはずの明るい男が見せる鋭い殺気と暗い目。

 

 放り込まれたような不可思議な状態に、エリザベスは目を見開き、唇を震わせたまま動けなかった。



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