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第五話 皆これから身の程を知っていきますもの




 寮に戻ったエリザベスは、アリス・ハートの部屋で一息吐く。

 今日は疲れた。初めての学校が、というわけではないが、慣れぬ学校が。

 一組と五組。筆頭組と底辺組。その差はほとんどないようにも見えてあまりにも大きい。


 一組の貴族たちは、皆子供の時から自家で教育を受けている。

 しかし、底辺組はそうではない。

 学園を目指すに当たり大抵は何かしらのきっかけはあるものの、生まれたときから『教育』を受けるということは決まっていない。

 お勉強はそのきっかけの後、一年か二年が精々となる。

 故に、皆全体的に落ち着きがない。机に座り、一方的に話を聞くということに慣れていないのだ。

 勉強のやる気がないわけではない。むしろそれは上位二組よりも熱心ではある。郷里の誇り、故郷の期待、背負うものは様々で、その必死さは箔をつけるためだけにこの学園に来た上位二組とは違う。


 落ち着きなく、そしてぴりぴりとした雰囲気。

 それは四組よりも険しい五組特有の雰囲気で、それだけで一組の雰囲気に慣れたエリザベスに疲労を強いた。


(まあ、もう少しの辛抱でしょう。皆これから身の程を知っていきますもの)


 ベッドに俯せに倒れてエリザベスはせめてもの強がりに唇を歪める。

 それは経験則だ。無論、五組の中で体験したことはないが、傍から見ていて、そして一組でも体験した事実。


 程度の差こそあるものの、向上心があるのは五組だけではない。新入生は誰しもが上を目指すものだし、一組とてその傾向はある。

 けれどもいずれ人は知る。自分の器というものを。


 この学園に集められた新入生、およそ二百人。彼らはこのゴルド王国二百万人のうち、同年代の中で()()もっとも優秀に近い二百人といっても過言ではない。

 幼い日から教育を受けてきた貴族や商家の子女。もしくは、それぞれの村や町でもっとも優秀と謳われた秀才たち。

 王が保証した厳正なる入学審査の結果、この学園に入れない貴族たちもいる。そんな入学審査を勝ち抜いた者たちだ。


 そんな彼らは皆、幼い日からその頭角を現していることが多い。

 一緒に遊んでいる子供たちの中で、もっとも自分が賢かった。大人たちも舌を巻く魔力があった。父母に、祖父母に、教会の司祭に、村長に、『お前には素晴らしい才能がある』といわれて育ってくるのだ。


 しかし、そんな素晴らしい才能も、この学園に入って唯一無二のものではないと知る。


 村一番の賢者は、国一番の賢者と等号では結ばれない。

 今までは己がもっとも優秀だったという環境から、己と同格の者たちが集まる環境に身を置くことになる。


 その結果、その才を研磨できると喜ぶものがいる。

 競い合い話し合い、より深く己を磨く喜びを覚える者たちもいる。

 けれどそんな者たちは少数派だ。


 大抵の皆は最初の数ヶ月で学ぶ。

 『これが自分の限界なのだ』と。

 教師の語る数学が理解できずに。古の文法が読み解けずに。隣にいる者の剣や魔術の精密さに驚嘆し、いつしか自分の立ち位置を知っていく。


 目指しても、努力しても追いつけない上がいることを知る。


 そうなれば、入学当初の情熱は消え去るものだ。

 己の力で身を立てることを諦め、人脈の構築や派閥争いに夢中になってゆく。都会の服飾や文化にかぶれ、己の『見栄え』を飾ることに熱中してゆく。


 無論、そこそこの学力は重要だ。しかし、卒業できればそれも充分。

 出来ないことを無理にする必要はない。貴族たちは家の恥にならぬよう退学しないことにだけ気をつけ、家に戻ったときのための領地経営について学ぶ。

 貧民とて、無理に良い職場を得るために殊更に成績を上げる必要はない。そんなものより、同学年、もしくは同科の貴族に顔を覚えてもらえばいいのだから。


 授業中の落ち着きのなさは、慣れればいずれ落ち着いていく。

 学業の必死さは、諦めいずれ落ち着いていく。


 だから、もうしばらくの辛抱なのだ。


(出来ない勉強を必死に続けてたとしたらそれこそアリス・ハートくらいね。三年になってもレオとよく勉強会を開いていたっけ)


 もちろん、二人きりになどさせなかった。勉強会といってもわからないところを聞く程度だったし、レオも心得たもので、そもそも彼女と二人きりで会うことは避けていたようだったが。


 しかし。

(今思えば、あの頃もうレオの心は私から離れていたのね)


 嫌みを言ったことがある。

 エリザベスと同じく経国科だったレオナルドに、魔術理論に関して聞きに来た魔術科のアリス・ハート。魔術理論の中で扱う計算が複雑だからという理由をつけていたが、エリザベスにはそうは思えなかった。

 どうせレオナルド目当てだろう、とエリザベスが嫌みを言ったところ、珍しくレオナルドが苦言を呈したのでよく覚えている。『君は、そんな風にしか人を見られないのか』と。



 ふふ、とエリザベスは笑う。

 もうそんなことは起こらない。起こさせない。自分がここにいる限り、三年後の顛末を知っている自分がいる限り、アリス・ハートがレオナルドと結ばれることはない。


(ざまあみろだわ。そういえば貴方もそう言っていたっけね、アリス・ハート)


 たしか、自分を殺すときにそう口走っていたはずだ。

 エリザベスはそれを思い出し、また笑った。


 そのとき、部屋の扉からノックの音が響いた。







「まずはここを箒で掃いて、その後水拭きして、最後に乾拭き」

「……ここを……?」

「道具はあっち、水は井戸から横の桶を使ってその度汲んで」


 部屋を訪れたエイダに、ろくな説明もなく訳もわからないままにエリザベスは連れられて学園近くの街へと来ていた。

 街へ来た、といっても遊びに来たわけではないらしい。

 訪れたのは小さな喫茶店だった。小さな店で、店主は細身の年配男性一人。かろうじて通りに面しているものの、通りの端でほとんど客足もないような。


 店主から箒を手渡され、店の前のデッキに案内されてエリザベスは戸惑う。

 箒で、掃く? つまり掃除をする? この私が?


 エイダの要領を得ない説明では、どうやら自分は小遣い稼ぎの仕事を紹介するように頼んだらしい。そしてエイダはそれを引き受け、学園が終わった後に行うだけの仕事を見つけてきたのだと。

 らしい、というのはエリザベスにはその記憶が無いからだ。

 どうやら自分は昨日、エイダにそれを頼んだのだという。

 昨日。つまりそれは、自分が『アリス・ハート』の身体を乗っ取った後の話ということになる。その前ではないかと何度も確認したが、エイダは昨日だと言い切った。そしてその記憶は、エリザベスにはなかった。

(記憶が飛んでる……? そういえば、今日の朝起きたときの違和感もありましたわ……)


 箒を手にし、エリザベスは木の床を見つめる。まだまだ明るく、通りを歩く人の話し声も響く中静かに。


(私が三年前に戻ってきた日。つまり昨日。たしかにエイダは『二日後が入学式だ』と言ったはず。なのに、昨日は入学前最後の日で、ここの紹介を私がエイダに頼んだのだって)


 今朝は、聞き間違えたのだろうと思った。

 明日が入学式だ、という言葉を、明後日が入学式だと自分が勘違いをしたのだと。


 しかし二度もおかしな事が起きればそれも勘違いではない。

(記憶が飛んでる、にしてはそれもおかしな話ね。こんな事私がやりたいなんていうはずがありませんもの)


 考えつつ箒を手にし、とりあえず言われたとおりに塵を端に掃き寄せていく。もともと誰かが丁寧に仕事をしていたのだろう、そこには殆どゴミもなかったが。


「ああ、違う。こういうところはね、板の目に沿って掃いてくんだよ」


 そして様子を見に出てきた店主が、エリザベスの手際に目を留めた。不慣れな手際はお世辞にもいいとはいえず、目にはまだ埃が僅かに残っている。

 箒を一時エリザベスから預かり、手本を見せるようにして店主がそれを箒で掻き出す。店の前、デッキや扉は店の顔だ。一番に綺麗にしておかなければいけないのだというのは店主の誇りだった。


「…………」

「ごめんね、水拭き前にやりなおして」


 礼の言葉もなく、謝罪もないエリザベスの様子に引っかかりを覚えながらも、指示を出し直して店主は店の中に入っていく。

 エイダは中で皿洗いの真っ最中だ。彼女はそれなりに使えそうなのに、と店主は溜め息を一つついた。



(別に! 綺麗になってるんだからいいじゃありませんの!!)


 憤懣やるかたなく、それでも声を上げずにエリザベスは掃き掃除を続けていく。

 掃き掃除。それは彼女にとって、初めての経験と言っても過言ではないことだ。

(大体何でこんなことを私がやらなければいけないの! こんな誰がやってもいい仕事、下女に任せて……)

 そしてそう思い浮かべて、エリザベスはその言葉の続きを思い浮かべられないことに気がつく。思い浮かべられないのではない。そう言う権利が今の自分にはないのだ。

(……! 絶対、元の身体に戻りますわ! そうじゃなくても下女を使える身分にならないと!!)


 端までを終えたエリザベスは、これでいいだろう、と思いながらも、念のためもう一度掃き掃除を繰り返す。そうしてようやく、『以前見た』この喫茶店のデッキに近づいたように感じた。


 ちょうどその時、気配がした。

 魔力を感じた。とても強い炎の魔力。それと、やや強めの氷の魔力。さらに微弱ながらも土の魔力を……。


「今までは仰々しかったからこういうのも新鮮だなぁ」

「私たちもそれだけ大人に近づいたということですわね」

 


 近づいてきたのはレオナルドと『エリザベス』。それに、そのお供のように同じ新入生のジェイク・ウィルソンだった。

 エリザベスは気付く。そうだ、ここは。


(そういえば、ここでアリス・ハートと私たちは会ったはず!!)


 まずい、とエリザベスはその顔を隠すが、もう遅かった。

「あれ、君はアリス・ハート? 奇遇だね、こんなところで」

「レオ……レオナルド様、それにエリザベス様も」

 

 レオナルドに気さくに話しかけられ、エリザベスは焦りながら頭を下げる。どういう受け答えだっただろうか。アリス・ハートはどういう言葉を発し、どういう仕草だっただろうか。

 ここにいたかすらも覚えていなかった。もはや三年前の朧気な記憶。故に殆ど再現出来た気もしないが、こういう風だったと思う、とどうにかして自分を宥め賺しつつ。


「様はいらないって。同じ学園の同じ新入生なんだから」

「ですが……!」

「いいって。呼び捨てでもいいし、君でもなんでも。でも様付けはやめてくれ。俺は君のことアリスと呼ぶから、さ」


 言ってから、レオナルドは今気がついて近くの少年を指さす。

「そうだ、こっちは俺たちと同じ新入生のジェイク・ウィルソン。三組。ジェイク、こっちがさっき言った五組のアリス・ハート」

「ア、アリス・ハートです。よろしくお願いします」

 ペコ、と頭を下げてエリザベスはジェイクに挨拶をする。ジェイクも、パーマの掛かったような茶色の髪を揺らし、その頬の雀斑の上にある目をへにゃりと曲げて頭を下げる。

「どうも、ジェイク・ウィルソンです」


 ジェイク・ウィルソン。もちろんエリザベスは知っていた。

 三組にいる商人の息子。彼の父親のウィルソン商会は、大商会とはいえないまでも老舗であり、レオナルドの実家アシュフォード家の御用商人でもある。

 そう仲良くはならなかったが、エリザベスもそれなりに付き合いがあった。


 二人の挨拶が終わり、レオナルドは満足げに頷く。

「ここで手伝い?」

「はい……じゃなくて、うん」

 様はつけるな。ならば敬語もおかしな話だろう。そう考えてエリザベスは言い直す。どこの時点かはわからないが、たしかにアリス・ハートも敬語を使わなかったはずだ。

「ここ来たことないんだけど、美味しいのかい?」

「え、あ、……実は、私もここに来たのは今日初めてなんです。だから味はわかりません」

「そうか」

「でもレオナルド様なら、ポピーテラ……」

「?」

 言いかけて、エリザベスは口を噤む。貴方はあそこの紅茶が気に入っていたわね、と口にしそうになり、慌てて。

 『アリス・ハート』は知らないこと。それも、整理しておかなければと自戒した。

「いいえ。焼き菓子に力を入れているみたいです」

「へえ。ちょうどいいし、ここで休もう。エリザベス、いいかな?」

「ええ」


 レオナルドの問いに『エリザベス』が頷いて応え、レオナルドの肘にそっと手を這わせる。レオナルドはエリザベスの手を嫌がることもなくそのまま迎え、まるでエスコートをするように喫茶店の扉を開いた。




 喫茶店の中に三人が消えていく。見送ったエリザベスは溜め息をついた。

 中で何を話したかは覚えていない。けれども、確かにこの喫茶店は一度使ったことがある。レオナルドの気まぐれで、そして縁のある『アリス・ハート』と顔を合わせたことで。


(ここでのバイトはいつまで続いていましたっけ。……いえ、……あれ……?)


 もしかしたら、ここも数度は使うかもしれない。その度に接触しては、『エリザベス・ヴァレンタイン』の邪魔になるかもしれない。そうエリザベスは考えて、そして新たな事実に気がつく。

 

 『アリス・ハート』とは、いくつもの場所で顔を合わせたと思う。

 もちろんレオナルドと一緒に、だが。

 だがならば、いくつもの場所ということは……。


「うっひゃー、貴族様来たよー」


 裏の使用口からエイダが顔を見せる。抱えているバケツには紅茶の出し殻がいっぱいになっており、ゴミのはずが良い香りすら漂った気がした。

「ねえ、エイダ」

「ん?」

「もしかして、今日この後も仕事があるのかしら?」

「あるよー。ここ日が暮れてからは酒場になるんだよね。そこまでは学園の規則で手伝えないから、そこから夕食の時間ぎりぎりまで違う場所で」

「そう」

 納得の言葉を吐きつつ、エリザベスの顔が歪む。

 まだここから仕事があるのか。それも、貧民の。


 レオナルドたちを見送った後、予定通りエリザベスたちは別の仕立屋の床掃除を請け負うことになる

 寮へと戻り、夕食を食べてベッドに倒れ込んだエリザベスは、「庶民は大変だわ」と意味なく何度も呟き続けた。





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