第四話 貴方はこの女を選んだのよね
入学式に出なかったからといって、その後の行事に影響があるわけではない。
服が乾いたエリザベスは五組に合流し、その後の話を聞くことになる。この学校がどのような制度となっているのか、また、その学校生活での様々な注意事項をそれぞれの教室で聞くことになっている。
教師が喋る講壇に向け、すり鉢状に下がる段になっている教室。その中で後ろの方の席を選んで座ったエリザベスは、教師の言葉を聞き流しながらこれまでのことを考えていた。
(ひとつ、浮かんでしまったことがある)
先ほどの出来事を思い出し、エリザベスは思考を巡らせた。『自分は戻れないかもしれない』という考えから目を逸らすように。
(先ほど私は三年前のアリス・ハートのように水をかけられる嫌がらせを受けた)
思い返せば怒りが募る。相手は三年間、同じ科で学んだ男子学生だった。それもたしかに三年前と同じだったはずだ。当時は彼に対し怒りも湧かず、『困った方ね』と思っただけではあったが。
確か彼は男爵家の子息だったはずだ。
そしてアリス・ハートは貧民の生まれ。それが貧民奨学生という学校からの一種特別扱いを受けていることに対する嫉妬。貴族と貧民の争い故に、学校側も大きな扱いに出来なかったどころか問題にもしなかったのだと思う。
『アリス・ハート』の身では彼に対抗する手段は持たない。仮に彼に同じことをやり返せば、即刻退学になることだろう。
それでも。
(この私にあんなこと……いつか痛い目見せて上げるわ……いや、じゃなくて……)
エリザベスの瞳に暗い光が宿ったが、それを瞬きをしてかき消す。
今考えたいのはそのことではない。首を僅かに横に振って己を戒めた。
(同じことが起きた。全く同じシチュエーションで)
エリザベスが着目しているのはそこだ。たしか、同じだったはずだ。アリス・ハートが水をかけられたところも、そしてその時に自分たちがそこを通りがかっていたのも。
それら全てが同じようになっている。自分はそこに、『エリザベス・ヴァレンタイン』の姿を確認しにいっただけなのに。
(どういうこと? アリス・ハートは、何であそこを歩いていたのかしら)
同じ理由などあるはずがない。しかし彼女も何かしらの意図を持って歩いていたはずだ。
何せあそこは一組の前の廊下。五組の彼女が偶然通りかかるところではない。
新入生という身分から考えれば、理由を考えられないわけではない。新入生というものは、兎に角『仲間』を探すものだ。同郷の者、顔見知り、その他近しい者を訪ねるように廊下を歩き、出会い世間話をするもの。
だが彼女の知り合いなど一組にはいないはずだ。別の理由を考えるとするならば……。
(同じ理由? 誰かを探してあそこにいた……と考えると、最悪の想定が浮かびますわね)
『そのこと』をエリザベスは何度も思い浮かべ、そしてその度に否定するように考えなかった。何度も考えた末に、ついに辿り着いてしまった最悪の想定。もちろん、最悪故にその考えが一番尋常ではないのだが……。
(三年前のアリス・ハートが、今の私だったということは)
時間を巻き戻った。それが尋常ではない事態ということで、これが初回だと思っていた。というよりも、それが『以前は起きていない』と考えていた。
だが、これがもしかして『既に起きていたこと』だと考えれば。
(私は私の邪魔をしていたということになる……けれど、これはやっぱり荒唐無稽ね)
『アリス・ハート』の仕草は、不本意ながらこの三年間嫌になるほど見ていた。
そしてそこから『エリザベスらしさ』を感じることは皆無だったし、演技している様子を感じることはなかったはず。
(私の演技力が出来過ぎていた……というのもさすがにない、か)
そこまでの自惚れはエリザベスにはない。ならば確かに『アリス・ハート』はいたのだ。この学校に入るまでの十五年間も、その後の三年間も。
しかし、ならばこれからどうする。
レオナルドの横にいる『エリザベス・ヴァレンタイン』はエリザベス・ヴァレンタインだ。そして『三年後のエリザベス・ヴァレンタイン』がここにいる。その『三年後の私』は。
(やっぱりまずは元の身体に戻ることが先決かしら。……元の身体、というよりも時間軸……だったら私は多分死んでいるのよね)
考えて、考えたくなかったことだとまたエリザベスは愕然とする。
元の身体、もしくは戻るべき場所。そのどちらも存在しないということに気付いた。
もしかしたら死んでいないのかもしれない。しかし、大魔法に匹敵する出力を使って作った火球が至近距離で破裂し、そして身を守る魔力もなかったあのとき。火の魔力を持ち、更に自身が作った火球とはいえ、その火力を受けてただで済むとは思えない。更に、時計の針によって腹を貫かれたのも、素人から考えても致命傷だ。
(最悪は、この世界の私の身体ね。乗っ取るとかそういうことって出来るのかしら)
方法は見当もつかないが、出来ないとは思えない。何せ自分が今ここにいるのだ。アリス・ハートの身体を乗っ取り、ここに。
◇
入学後の説明は、取り立ててもたつくことはなかった。
何せ一度経験済みのこと。一組と五組の差も、教師の回りくどい口調での『貴族には逆らうな』という注意事項が増えただけのものだ。
そうして今日の学業が終わり、エリザベスは学園の玄関前の並木道を歩く。
偶然にも、レオナルドと『エリザベス・ヴァレンタイン』の後ろ姿を遠目に見つつ。
やはり美しい、とエリザベスは思う。
三年後よりも少しだけ背が低いレオナルド。それでもその身体に纏う雰囲気は他の男子と一線を画す。
後ろ姿でも見間違えるわけがない。見とれるほどの輝きが、目に見えるようで。
美しい。その横で、金の髪を背中で揺らしながら歩く自分も。
(あの中にいるのが本当に私なら、協力を仰ぐ、ということも視野に入れていきたいところ……入れたところで素直に全て話すわけにはいきませんわね)
何せ、最終的には乗っ取るかもしれない相手。その意図を隠したとして、『誰かの身体を乗っ取る技術』を探していることすらも知られては疑義を招く。
彼女が今の自分を害したとして、何も問題にはならない。貧民の身と侯爵家の令嬢の身分はそれほどまでに違う。
(どうしましょうか。ああ、もう、考えることばかり。もしくはアリス・ハートの身体で生きていくならば、その土台も考えなければなりませんし)
学業は問題ない。曲がりなりにもこの学園を最優秀に近い成績で卒業した身。ならばこのまま順調に卒業すれば、将来のことは大まかに何とかなるだろう。
魔術師を目指してもいい。前回の三年間、魔術科ではなかったにも関わらずエリザベスは、王宮魔術師に招きたいと勧誘されたほどだ。貴族でなければ、と勧誘した王宮魔術師も悔しがっていたが。
(そうよ、私はあの愚鈍なアリス・ハートとは違うの。学業もそこそこ、魔術の腕はからっきし、取り立てて良いところもないあの女とは……)
エリザベスが目を向ける。その先には、三年前の自分と愛する婚約者。
馬車が彼らの前に止まる。一人で先に乗り込んだレオナルドは、『エリザベス』の手を取り馬車の中へと引き上げる。そんな一連の仕草は、三年前の普通だった。
(……でも、貴方はこの女を選んだのよね……)
エリザベスの胸に羨望と嫉妬が入り交じる。
それが今思い浮かべた言葉になのか、それとも別の何かになのか。それがわからず、悶々としながらただ歩を進めた。