第一話 初めて会ったときから気にくわなかったわ
ここ数日は寒い日が続いていたが、今日は温かくなって何よりだ。
校舎に続くよう列になった木々は太陽と空気の温かさを一身に受けて、その蕾を綻ばせ始める。
本当ならばここで満開の花が咲いていてくれればもっとよかったのに、とそこを通る卒業生たちの親はため息をついた。
だが親や教師はそう思っても、その下を通る卒業生たち自身はそうは思わない。花を見上げることよりも、この寒暖の混じった涼しげな風を頬に受けても、それよりももっと心に満ちているものがある。
それは開放感、そして恐れ。
今日はこの国ゴルド王国の名門であるクロウリー学園の卒業式の日。
卒業生たちは家が用意した馬車で、また徒歩で、これから家へと帰る。
もはや彼らに『学生』という身分はない。
あるのは既に内定している職場の見習い程度。またはこれから家を継ぐためにまた家へと戻って勉強するということもあるだろう。
どちらにせよ、もう誰かに甘えることなどできはしない。
クロウリー学園は名門だ。国民の大多数が学校になど通えないこの国では、中退してすらそれが庶民の間でも名誉となる程度には。
卒業生となれば、もはや彼らはエリート街道を突き進むことになる。
戦術科の卒業生は王国騎士団も含め各領地の騎士団に編入することが当たり前で、更に入団した時点で叩き上げの騎士よりも一等高くその身が置かれ昇進も早い。
魔術科の卒業生も同様、王国魔術師団からの引く手も数多。庶民ならば羨望の目で見られる各領地の魔術師団への入団も、彼ら卒業生の中では『転落』に例えられるほどだ。
既に彼ら卒業生はエリート。故に誰しもがそう見るものであり、その視線を向けられる彼らも身を引き締める思いだった。
そんな晴れやかで、開放感と恐れを皆が感じ歩いている中、轟音が響き渡る。
「……うえ!?」
「なんだ!?」
晴れやかでめでたい日だ。誰かが祝砲でも上げたのだろうか、と思う者もいた。
しかし、そうではないらしい。誰かが指さし声を上げる。学園の敷地の中。森と呼んでも差し支えない林の中にある一つの建物が、爆炎を上げている。
何があった? と皆は思う。
その中では今、三人の男女がこの三年間の諍いの総決算を行っていると知らず。
◇
「君とはお別れだ! ベッツィー、いや、エリザベス・ヴァレンタイン!!」
ミディアムヘアーの黒髪の青年が、灰色の目で目の前にいる女性を射貫く。
見つめられた女性、エリザベスは顔を強ばらせてその言葉を反芻した。
信じられない。
彼、レオナルド・アシュフォードは彼女の婚約者だ。お互いに十歳の時に婚約した間柄。幾代かに一度行われる侯爵家同士の婚約として、この卒業の後、年内には結婚するという手はずまで整っていたほどの。
エリザベスとしては半分意外だった。彼はこの婚約を破棄してどうしようというのだろうか。十歳の頃から度々同じ時間を過ごし、将来は彼と結婚するのだろうと確信していたというのに。
そして残り半分、納得はあった。実際は、彼女自身納得しているわけではない。しかしそうなるかもしれない、という心配と予想はあり、そして今確かにそれが成就してしまった。
その原因は決まっている。
憎々しげにエリザベスはレオナルドの横に立つ女を見る。傍らにいる茶髪の小柄な女性。名をアリス・ハートという庶民の女。
入学式の日に彼女と二人は出会った。
そして三年間の日々を過ごすうちに、徐々にレオナルドがアリスに惹かれていったのがわかっていた。
エリザベスとて無策で今まで過ごしたわけではない。
度々忠告や嫌がらせをして彼女を追い出そうとしたこともある。その度に彼らの仲が深まっていったのを、悔しく思ってみていた。
それでも、侯爵家の婚約だ。
彼も一時の火遊びとして、卒業と同時にその関係は切れるのだろう、と甘く見ていたのもある。
入学する前に囁かれていた甘い言葉に浮かれていたということもある。
だが裏切られた。そんな驚愕。予想にあった。そんな納得。
二つの思考が溢れ、怒りが彼女の中に満ちた。
「この……泥棒猫……!!」
怒りが身体から溢れ出る。
その気炎をそのまま形に変えたように、周囲の温度が上がる。魔力を持つ全存在が起こしうる暴走状態、その前兆だった。
「やめろ、エリザベス!」
レオナルドもその魔力を放出し、傍らにいるアリスを守ろうとする。
青く薄い光が緩く広がり、空中にいくつもの飾りのような結晶が形作られる。
「アリスを責めるべきじゃない。責められるべきはお前だ。お前は自分が何をしてきたのかわかってるのか?」
「何をしてきた? さて、どのことを仰っているのかわかりかねますわ」
「……お前が覚えていなくとも、俺は知っている」
アリスが何事かを言おうとしたが、それもレオナルドは「いいから」と制した。
「彼女が被害を受けた一年の時の爆発事故。試験で問われた不正行為。盗難。……他にも、二年に上がってからも……!」
アリスはこの学園で過ごした三年間、度々問題を起こしていた。実際には彼女が起こしたわけではない、が、そうと疑われ、また彼女が関わっているとされ実際に処罰を受けることもあった。
レオナルドとしても言いづらいことだった。全てはアリスの不注意か、もしくは第三者の悪意によるものだと思っていたのに。
エリザベスのことを信じていた。仮にそこでエリザベスが関わっていたという証拠があっても、彼女が否定すれば全てそうなのだと自身を落ち着けてきた。アリスがいくらそのことを口にしようとも、エリザベスを庇ってきた、というのに。
「彼女の実家……貧民区の区画焼失事件。あれがお前の炎だと魔力残渣鑑定で判明した」
「あれは……」
エリザベスとしても言葉を淀ませる。
嫌がらせは真実だ。実験に使う彼女の薬品をすり替えて、爆発事故を起こした。その他取り巻きに命じて嫌がらせをさせた事実もある。
そして、確かに火をつけた。遠隔、更に時限式の魔力発火。その魔術を込めた水晶玉を作ったのは彼女だ。
「あ、あそこまで大きくなるとは……!」
事実、エリザベスとしても小火で済ませる気だった。自主退学しろと脅迫をし、その脅しのためにすぐに消える火だけで済ませようと。
貧民街の建物に木造が多いということを失念して。
「幸い死者は出なかったものの、焼け出された人たちがどんな目に遭ったと思う? 雪の日に屋根の下に入れない苦しさは、お前にはわからないのか?」
「そんなもの、わかるわけがありませんわ!!」
エリザベスはアリスを見る。
レオナルドの横で、何かを噛みしめるように震えている彼女を。
「大体、貧民の家が焼けたからって何なんですの? そのうちまたせせこましい住処を作ってその中で暮らし始めるでしょう。私たちには関係ありませんわ」
「彼らだって国民だ! 人間だ! 俺たちの領地にだって、どれだけの貧民がいると思う!?」
「…………」
「……少しは、彼らの苦しみにも目を向けてやってくれ……もう遅いけれど」
レオナルドの顔が悲しみに染まる。
どこでどう間違ったのかはわからない。けれど、彼女がそれをした理由もわかっていて彼は強くいえなかった。
「今回の鑑定は俺が私的にやったものだが、もちろん衛兵もやっていることだろう。お前の家の権力で握り潰したんだろうが」
「お父様からは叱られましたわ」
さらりと金の長い髪を払い、やけくそのようにエリザベスは言う。もっともその叱責は、『面倒をかけるな』という軽い苦言で終わっていたが。
「今回は握り潰させない。俺が、アシュフォード家の俺が告発する。それならもうお前は逃げられない」
「……そこまで、ですか?」
「何?」
苦渋の決断、という風なレオナルドに、エリザベスは何故だか可笑しくなる。
そこまで私の罪を公にしたいのだろうか。そこまで私の罪を公にして、婚約を破棄する名目を作りたいのだろうか。
「私は貴方の婚約者です。婚約者の私を捨てるために、わざわざそんなことまで? そんなにその小汚い女は魅力的なのですか?」
「彼女は何も関係ない」
「この期に及んでレオの後ろに隠れて!! 何とか言いなさいよ!!」
エリザベスの気炎が炎へと変わる。
彼女が浮かべた涙が熱気で蒸発して消えていった。
「アリス・ハート! 初めて会ったときから気にくわなかったわ!! 私の方がレオを愛しているのに!!」
掲げた手の先に火の玉が浮かぶ。既に彼らの身長よりも大きくなった爆炎の玉は、太陽のように彼らを炙る。
『太陽の魔女』と呼ばれたエリザベス。この国では珍しい純粋な炎の魔力は、学生ながらも既に国家有数だった。貴族なかりせば、と王国魔術師からも溜め息をつかれるほどの。
そんな太陽に炙られながらも、アリスは怯まない。
逆に今の言葉に腹が立った。小柄な身体をレオナルドの後ろから引っ張り出すように、エリザベスに張り合うよう小さな胸を張る。
「私の方が、彼のことを好きよ!!」
「三年間、貴方がずっと邪魔だった! ここで貴方を殺して、レオの目を覚まさせてあげる!!」
二人の視線がぶつかり合う。
ぎ、とアリスはエリザベスを見つめながら、魔力を展開しない。
彼女の魔力属性はエリザベスと同様に珍しいもので、そのこともありこの学園に入学できたのだが、その実用は芳しくなかった。
ただレオナルドの魔力が彼らに迫る熱気を阻む。
「待て! ベッツィー!!」
「うるさい!!」
今にも破裂する太陽。
レオナルドに、それを防ぐ術はない。彼の氷の魔力を全てつぎ込んだとしても、エリザベスに対抗できるほどの力はなかった。
しかし、このままでは魔力を使って自分の身体を守れないアリスは死ぬ。
レオナルドは決意する。
このまま太陽をぶつけられるわけにはいかない。氷の魔力を貫通して、じりじりと肌を炙る熱気。その本体がぶつけられては、絶対に。
ならば、その前にその太陽を壊すしかない。
エリザベスの使っている魔法は、炎の魔術の初歩の初歩、《ファイヤーボール》。その魔術は、待機状態の炎の球を刺激するだけで破裂するという欠点がある。
簡単なことだ。
氷の魔力は炎の魔力には弱い。けれども、その炎を刺激するだけならば。
だが、破裂してしまえば、いくら自分の炎だからとエリザベスの身も……。
決意が躊躇に足止めされ、レオナルドが振るおうとした魔術の腕が止まる。
今まさに、自分の最愛の女性を殺そうとしているエリザベス。しかし、彼女だって婚約者だ。彼女も今の今までは、レオナルドにとって大事な人の一人だったのに。
それでも。
「《アイ……」
「《ライトショット》!!」
歯を食いしばり、魔術を使おうとした刹那。
レオナルドが魔術を扱うよりも先に、光が太陽を打ち抜く。一瞬膨らんだように太陽が軋んだ。
「ざまあみろ! うさちゃんの敵!!」
涙目でアリスが叫ぶ。
それを横目にレオナルドは見ていたが、すぐに気を取り直した。
「爆発するぞ!!」
「……っ!!」
エリザベスも、正気に戻り焦る。炎の魔力は慣れ親しんだもの。彼女にとって、炎の魔術はそう効果を及ぼさない。
しかし、今回は込めた魔力が尋常ではない。怒りに任せて込められた魔力は、上級魔術に匹敵するほどのもの。
自身のための障壁を練るための魔力の確保すらも忘れていた彼女には、それを防ぐ術がなかった。
良くて重傷、悪ければ死。
それを悟った彼女は、レオナルドに手を伸ばす。
しかし、その先では。
「あ……」
レオナルドがアリスを抱える。庇うように。
彼はもう、自分の元に駆けてきてはくれないのだ。
"ねえ、私が困ってたら、どうする?"
"もちろん、どこまでも助けにいく"
幼い日の彼との約束。他愛のない言葉が、何故だかその姿に思い出される。
その思い出も全ても、破裂した太陽の衝撃が覆い隠していく。
部屋の上に飾られた大きな時計が衝撃に軋んで弾ける。
時計の針が外れて宙を舞う。
その短針に腹を貫かれ、エリザベスは倒れ伏す。
遅れて巻き起こる爆炎に焼かれる様を如実に感じながら、彼が無事だと良いなと願う。
それからまた目の前が白くなり、エリザベスの身体は死を迎えた。