セナ:悪意と夜明けと少年
風が青く透き通り、街を突き抜ける
ふっとなびく髪、それは朝陽に染まるように
黄金色に輝いている
少年は空を見上げ、そしてそこに渦巻く影に
胸騒ぎと悲しみ、それから深い瞳の色を持って
静かに手を伸ばす、そう、静かに、静かに──
だが染まっていく大気、それは言葉の息する奏
少しずつずれていく、音とその調和が
世界にまたひとつ、付け加えられて
それを受け入れ、萎むようにうつむく少年──だが
大切なもののために、立ち向かおうとする
諦めることはありえない──だから
伸ばした手を下ろしはせず、祈りを込める
彼の色が音となり、言葉となり
大気のなかで新たな世界となっていく
それは影を斬り裂くひとつの剣閃──しかし
影は身をひるがえし、嘲笑い、降り立った
少年のすぐ後ろ、そこには街の多くの人たち
「お前の思いは潰えるだろうな
我らがいる限り、そして我らは求められ
誰かを傷付け続けるのだから」
「お前たちが闇の褥で
どれだけ邪悪に未来を喰もうと
僕が折れることはない──けっして」
振り返る少年、だが影は揚々と
その身を伸ばし、広げ、風を汚染し
人々の肺を狂わせていく──それを
悪魔の所業と呼ぶのは正しい
だから、少年は心臓を重ねようとする
そこに流れる金の輪で癒し
狂わされた肺に翼を授ける
しかし、影の跳躍に追いつかない──そして
一人、また一人と悪意に堕ちていく
それでも少年は癒しの祈りを続けて
一人残らず、そう、誰一人見捨てようとしない
少年は真剣に──だが影は彼を笑って
金の輪の尽きる時をゆっくり待つ──いや、しかし
その時、影の顔色が変わった
それは楽しみを奪われた悪魔の怒り
憎悪であり、妬みであり、淀んだ執念だった
「お前の絶望する顔を
俺がどれだけ望んでいたか
だが今は逃げなければならないことの
なんと憎たらしい──俺は許さない
俺の愉悦を邪魔する者を
必ずこの手で絶望させる──絶対に」
影は軽々身を動かし、少年を飛び越えていく
遠くに、真っ直ぐな音が光り
少年は少しだけほっとする──
いやだが、全てが解決したわけではない──だから
まだ気を抜くことはできず
汚染した人々の音を調律しながら
やってくる者を呼び止めるため、手を伸ばし
影を追うなと熱を滲ます──だが
「野放しになんてできない
影がいる限り、誰かが悲しむ」
「影は君を憎んでる──もし
君が追うなら僕も行く
だから少しだけそこで待ってて」
「その間に奴はもっと悪意をばらまく
それとも君は影の肩を持って
あいつの汚い笑い顔でも見たいのか」
真っ直ぐな音──その彼女の言葉へ
少年は冷たい意志を送る──それは
彼女の思いが分かるから──痛いほど、そう
本当に痛いほど彼女の焦りが伝わり、少年は
今すぐ祈りを送りたいと思う──でも
一人で追うのは危ない、彼女を危険に晒せない
だから大気の熱を少し奪って、彼女の足と
その勇みすぎる意志を止める──汗のように滲む焦り
「どうして邪魔をするんだ
誰か知らないが、私は、止まりたくない」
「これで、傷付いた人たちを癒やし終えた──
あの影の狙いは君だから、ひとりじゃ危ない
僕も一緒に行くよ、だから──」
大気が、澄んでいく──そこに交わる香りは
彼女がこれまで感じたことのない
不思議な柔らかさと強さをもった香り──
それまであった反発が、嘘のように消えていく
気付けば彼女の意志は、少年を待って立っている
風のように水のようにやってくる彼
まるで、自分の音と光が凪いで
おとなしく受け入れようとしているような
そんな気がした──
「ありがとう、止まってくれて
聞いてもいいかな、君の名前」
「私はセナ、ずっと影の狩りをしている
君は、あそこで何をしていたの
影に侵食されることなく、その──」
「もっと話をしたいんだけど
影が戻ってくる──
やっぱり、セナをめがけてやってきてる
影狩りなんて危険なことをしてるの
間違いなくセナの強さだよ──でもね
それは、まだ、君の仕事じゃないかもしれない」
「それはどういう意味──」
また、歪んで黒ずむ大気の渦が
昇りかける陽の光を隠していく──だが
それとの対峙がセナの仕事で
今さら、怖いと思うことはない──そして
強い執念と赤黒い音がやってきて
セナは真っ直ぐそれを見つめる
今日も、いつもと同じようにやる
ただ、それだけ──何も心配することはない
今まで危険がなかったわけじゃない──でも、それでも
セナは悪意に染まることなく、もう何体もの影を
その手で浄化させてきた、だから
今、目の前に迫り来る怒り狂う影も
同じようにすればいい、すればいいが──だけど
初めて、今、影との対峙を、怖いと思った
「あれは随分肥大した影だから
ちょっと手強いと思うよ
怖いと思うけど、セナを狙ってる以上
囮になってもらえるかな
すぐに僕が、捕えるから」
少年の声は、澄んだ瑠璃のように響き
しかし、何を言われたのか、よく、分からなかった
それでも影はやってくる──速度を落とすことなく
一直線に暗い欲望をぶつけようと
穢れた涎を飛ばしながら、セナに向かい、轟々と──
「セナ、しっかり
影に当たらないように
真っ直ぐ音と光を伸ばし続けて」
「君も、影を狩っているのか
それも、とても慣れた感じだ」
「セナ、集中して──音が
君の音がずれてる
影はそんなずれを狙ってくる、ほら──」
少年の声が掻き消されていく──ただ
影の肥大した不協和で不気味な音が
セナの、セナ自身の音も光も、熱量も
どこまでも暗い奈落に軽く飲み込もうと
どんどん、どんどん──近付いてくる
──だが
「いや、セナ──
やっぱりそのままでいい」
音もなく強い光が膨らむ──それはすぐ隣
少年が放つ光が冷たく、一瞬──
世界そのものが、止まった気がした
「なんだとこいつ、邪魔をするのか
うう、酷い、痛い、消えていく──
俺の体が消えてなくなり、だがそれでいったい
お前に何の得がある、ああそうだ、お前は
人のことなど放っておけばいいのに!」
次の瞬間──影は
セナの前に力無く伸び
泣きべそをかいて呻いていた
あとは、とどめを刺すだけ
強烈な音の調和で、影を消すだけ
セナは感覚を伸ばす
集中して、一番純度の高い大気の世界を探す
だが──
「セナ、影を消さないであげて」
止められた──どこまでも綺麗な目で
馬鹿げてるくらい純粋な思いで──
「どうして影を始末しない
君はとても優しい
だからって影に同情したのか
あれだけ人を傷付けたこいつが
この期に及んでかわいそうとか?
それはいくらなんでも馬鹿げてる」
「そう思うよ、馬鹿だって思う
だけど、世界はね、影が存在することも
認めてあげたんだ──あの時、そう
僕や人間たちが生まれた、あの時──」
それは、世界で一番深いまなざし──
セナは──はっと息を呑む
すっと熱が伝わってくる、そこに
少年の穢れることない、悲しいくらいの思いがあった
深く深く、セナの言葉が
いろんな気持ちに満たされていく
これまでいったい、少年はどれだけこうやって
傷付き、傷付けられ、悲しみ、苦しみ
でもそれでも、ただ──赦し続けてきたのか
それは、セナには計り知れない思いの総計だった
だから、我慢できずに──彼女は、涙をこぼした
少年がふっと、セナを見つめて静かに笑う
「馬鹿だよね、ほんと──そう思う」
いや違う──そうじゃない、馬鹿なんかじゃない
ずっとこんな生き方ができるのは、優しいからじゃない
少年が、そう、彼が──
「こいつめ!
俺を逃そうっていうのか
だったら俺は、お前を後悔させてやる
どこまでも重い後悔で
手足をきつく縛り付けて、そして
泣き叫ぶほどの辛さを味わわせてやる」
影は力無く立ち上がり
背を向け呪詛を身にまとい
そして真っ黒な涎を滴らせる
「お前の翼が、いつか光の内に馴染みますように」
それは祈りの言葉──少年の、嘘偽りない思い
影は泣き叫びながら去っていく
それはセナにとって、初めての神々しい光景
その体は、思うよりも感じるよりも速く
少年の前に、深々と跪く──
「私をあなたのそばに置かせてください
この身の思い上がりを、改めさせてください」
そっと、少年が手を伸ばし、そして
生きることの力強さを、セナは感じる──しかし
「セナ、もう夜明けがやってきた
君はこれから眠りについて
また別のひとつの目覚めを迎え
そして、その真っ直ぐな力で生きていく」
「待って、待ってください
どうか私を、あなたのそばに──」
セナの、冷たくなっていく体──
これまで軽々感じていた自分が
今、とても重たく硬いもののように
瞼が下がり、夜明けの光が遠くなり
どこか、ここではないところへと、落ちていくようだった
「目を覚まして立ち上がって、そこで
君が僕を守り切ることができたら、その時は
また、こうして出会うことができるから
だから、セナ、今は──おやすみ」
「守るよ、私はあなたを絶対に守る、絶対に──」
腕を伸ばす──でも掴めるものはなく
少年の姿も暗い視界に消えていく
それでも、セナの内は力強く脈打っている
最後に、伝えたい言葉があった──でもセナは飲み込む
またいつか、ここで少年と出会えた時に
セナの全てでその言葉を伝えたい
だから──今はただ
「ありがとうございました──」
そう、音を発した
「あなたの名前が、その光のなかで輝きますように」
祈りの言葉がセナを貫き
自分という全てから涙が溢れた──それは
次に目覚める時の、セナにとって最も大切な
たったひとつ彼女だけの、真っ直ぐな愛だった