サナ:暖炉と火とポートレート
暖炉の火が揺れている
そして筆を動かすサナがいる
静かに、静かに──物言わぬ時が過ぎていく
集中した意志と、希薄になる空間
言葉はない──それでも存在の実感
むしろ強められる僕という質感
そこに──はぜる音が入り
サナはわずかに強張り
一瞬、呼吸を止めて、ひとつ溜め息
筆が、止まった──
立ち上がる彼女を目で追う
徐々に緩む筋肉を感じながら、僕は
ゆっくりと、閉じた喉を開いていく
きっとサナも、そうしている
この無言は、僕らの言葉のための時間
かたりと、筆が置かれる音がして
控え目な背伸びと真っ直ぐ伸びる腕──そして
素早い深呼吸が、部屋を地上へ連れ戻す
「少し休憩しましょう
温かいものでも飲む?」
「助かるよ
できれば紅茶を」
「少し待ってて──それと
まだ途中だけど
よかったら絵を見て、そうね
何か気付くことがあったら教えて」
「僕には絵のことは分からないよ
だけど、せっかくだから、見せてもらうよ」
薄暗い部屋の真ん中に浮かぶ
僕の自画像──そう
暖炉の火に照らされる、ひとつの、意志
それは僕自身よりも凛々しい
いや──そうじゃない
たぶん、そうじゃなくて、これは──
サナはいったい何を描いているのか
カンヴァスのなかにあるのは
燃える光を受ける僕ではなく、まるで
内から燃えあがろうとする僕で
何かに打たれたような眩暈に
一歩、そしてもう一歩、僕は後ずさり
「どう?
ここまではうまく描けたと思う
もう少し、もう少しで完成」
「サナ、僕は、その──分からない
どう言えばいいか
ただ、この絵は
どうして燃えているんだろう」
ゆっくりサナが近付いてくる
そばの机にコップをふたつ
揺らめく火の影を映して、それは
今にも飛び上がりそうな、そんな
聴こえない音がして──
「私はずっと、人のなかの火が描きたくて
あなたは初めて会った時から
とても綺麗な火をしていたから」
「火──僕のなかの?
それは、そんなに綺麗なの?」
「火は人間しか持てないの
いろんな火を、みんな抱いてて
強かったり、痛かったり、暗かったりして
あなたの火は、優しくて明るい──」
「僕には、分からない
でもサナには、とても大切なものなんだね」
「蝶は火に憧れるだけ
獣は火を畏れるだけ
でも人間は、その火から生まれて
誰もがこう口にするの──そうね
きっと──永遠、って」
ぱちんと、暖炉ではぜる薪
サナはまた、少しだけ萎縮して──でもすぐに
いつもの彼女に戻り、形のない火を見つめた
僕は、何も言わずに紅茶を飲む──今は
これ以上、言葉を重ねる必要がなくて
サナもコップに口をつけて、まるで
僕らの間に、何かが満ちているようで──
カンヴァスの前に、サナが座る
僕も暖炉のそばに戻る
静かに取られる筆とパレット、それから
僕を射抜き、僕の火を視るという目が
暗がりに伸びる暖炉の熱に揺れる
そこにサナの意志が浸透していく──まるで
この空間いっぱいが彼女であるかのようで
固定された時間の内に、剥がれていく自分を感じ
今、ここにいるのは、僕の知らない
サナだけが見つめることのできる自分──ああ
サナは、これを描いているのか──と、僕は
この部屋とは違う、別の世界の住人となる
止まることなく筆が動き、そこに込められた意志に
宇宙の全てが集中していく
彼女の力強い意志以外に世界はなく
そこに僕という永遠が現れゆく──
だが、はぜる音
突然戻りゆく地上
僕は自分の体を意識し
サナは固まった瞳で見つめる──それは毛先
何もかも、有限で小さなもののように
密かな落胆が、灰のように積もっていく
「今日はよくはぜるのね
ごめんなさい、少し休んで──
私も、落ち着かせるから」
「この音、サナは苦手なんだ
さっきから、怖がってるように見えるよ」
「そうね、私は、音が怖いの
動物が火を畏れるように──
でもね、もっと怖いのは命
その行為は全て貴いって思うのに
でも私はまだ、命が荒れて向かってくるのが怖いの」
「それは──僕の命も?」
サナの目が、柔らかく揺れる──それは
敵意のない温かな火のように
僕の問いを優しく否定していく──そして
世界が、弛緩していく
音もなく広がって、緩んだ隙間から、また
あの世界が視えた──
「あなたの火は、命の主だから──でも
それでも、あなたが生きていくなら
火は悪意あるいろんなものに脅かされる」
「だったらいつか、サナが僕に怯える時がくる
それは、とても寂しくて悔しい──」
透けて視える世界が、突然の夕暮れのように
闇に飲まれて消えていく──いや
でも、サナだけはそこに
光源のように存在し、僕のなかの火に
その本来の色を示してくれているような、そんな
力強く世界と対峙する、ひとつの確かな言葉があった
「私に、あなたの火を守らせて──」
サナは、どこまでも純粋に、どこまでも本気で
自分の指のように筆を構える
僕は何を言うこともできず──
いや、たぶん、そうじゃなくて──
そうじゃなくて、僕はサナの言葉を聴き
サナも今、僕の火が発するものを聴き
そして、筆を動かすその行為で、思いを紡ぎ続ける
だから──
大丈夫だと、思えた
僕はきっと、彼女の意志と描かれた絵を見て
何度も何度も思い出す
自分とサナを繋ぐ、光としてのひとつの火を──
それは、どこにいても、どんな時でも
僕らの名前を、優しく照らして──