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カナ:校舎と風とひまわり

「ひまわりが咲いたら、楽園に連れていってあげる」


彼女の約束は果たされることなく

言葉だけが、僕の憧れとなって漂い続ける

囚われ続ける時間は、それでも止まることなく

無慈悲に季節を回していく

彼女のいない夏が来て

そこに空いた大きな穴を、ひとつも気にすることのない

どこまでも遠い青空、それから

楽園の端のように見える入道雲、それらの下の

暑さにむせ返るからっぽの地上──

そこから翳っていく陽射しが

いつの間にか秋の寂しさをあらわにし

喪失を経験した者の奥深くに

ただひらすら無常を詰め込んでいく

涙の流れなかった日はなく

その雫の全ては、彼女の色をしている──

凍てつく冬は無機質で

何も感じられなくて

僕の思考も感覚も、感情も

とうとう止まってしまったと

そんな気がして、涙はまだまだあるはずなのに

雪のなかに閉じ込められてしまったみたいに

目から流れ出ることはなく

ひたすら泣きたいと願うのに、顔は硬く──

それでもゆっくりと、世界は命を流し始める

音のない小川のように、まだ少し、意識は暗く

そこで僕はまた、彼女の喪失に巡り会う

明るい景色の静かな風のなかで

一周し、もとの位置に戻った時間を経て

けっきょく、時は確かに動いていたけど

何も進んではいなかったと

中身の抜け落ちた自分を通り過ぎる

弱々しい風の感触に涙を流す

僕はまだ──この地上からいなくなった彼女のことを

ずっとずっと引きずっている──そう

確かに、僕の時間はまだ、止まっている

そしてそれでもやってきた、二度目の夏

彼女の言葉が嘘となった、ひまわりの季節──


「やっぱり、今日はここに来ると思ってた」


教室の端、風が吹き込む窓のそばの席、その机に

長い髪をなびかせながら、カナが座っている

ここは去年の僕らの教室

彼女とカナと僕が、いつも三人一緒にいた

思い出と悲しみと放心が、あの日のままの場

明日から、夏休み──

生徒たちは勇んで帰り、学校に

取り残されたような僕ら二人

そう、きっと──たぶんカナも

僕と同じように彼女のことを

ずっとずっと抱え続けている──だけど

いつもカナは強そうに笑う──今日も

凛とした顔立ちとはっきり伸びる手足で

止まった僕の心を読んで

ここで、待ってくれていた──そう、カナは待っていた


「一年経っても、あなたはまだ止まったままね」

「カナはどうなの──いつも平気な顔をして

 でも、ずっとずっと傷付いてて」

「そうよ、私だってずっと辛くて

 でもね、思ったの

 また夏が来て、彼女のいない一年を

 同じように繰り返すのは、もうやめようって」

「言いたいこと、分かるよ──でもだからって

 僕ら二人で何ができるの

 楽園には、行けないんだ、もう」


風が流れて、カナの髪とスカートが揺れ

白い腿がかすかに見えて、僕は

彼女の肌も白かったことを思い出す──でも

彼女とカナはぜんぜん違う

まったく違う個性が、それでもぶつかり合うことなく

互いのために自分を立て、色褪せることもなく

むしろどんどん輝いていく──だから

二人の顔も肌も、指も目も口も

そこに表れる何もかも

確かにまったく別の、一人ひとりの彼女とカナだった


「ねえ、今日はね、ひまわりを持ってきたの」

「どうして持ってきたの

 僕はまだ、それを見るのがとても辛いよ」

「分かってる──分かってるよ

 でも、私たちは向かわないといけない」

「彼女が言ってた、楽園に?」


カナは、力強くうなずく──そして

黄色く羽ばたくひまわりを出して

優しく芯の通った、カナの笑い方をする

その、隣は──僕を押し潰す彼女の喪失

羽を片方無くしたような、そんな光景

でも、それでも、カナは傷さえ誇るように

堂々と、僕を見つめて座っている

ああ──と、僕は思う

彼女とカナは違う──違うけれども

カナのなかには彼女もいて、きっと

また、時が正しく動くようにと

その足を、あの夏の次へと踏み出そうとしている

僕らの楽園に向かって、進もうとしている──いやでも

それでも


「僕らには、楽園の場所が分からない

 彼女は、ひとりで持っていってしまったんだ

 だから、僕らには分からない、永遠に」

「そんなことはない──絶対にない

 彼女は私たちを愛してくれた、だから

 私たちなら絶対行けるよ、楽園に」


カナの言葉は、どこまでも突き抜けるようで

それはきっと、世界に認められて

たぶん──いつか必ず、カナなら辿り着けると思う

でも、そこに彼女がいないことが悲しく

僕は夏のどんな日陰よりも暗くうつむく

それに──と、僕はやっぱり、弱気になってしまう

一度失った者は、何かを得られることを信じられない

そう、僕は一年前の夏の始まり以来

何も手にすることなく、ただ流れるまま

僕のもとに来たものを、季節に流し続けてきた

だから、僕はカナの手を掴めない

伸ばすこともできない

それはきっと──


「僕は、怖いんだよ

 また約束が果たされないこと

 いつかどこかで、カナに置いていかれること

 だって僕は、カナみたいに強くないんだよ」


風が吹き抜けて、長い髪がカナの顔を隠す

でも、でもなぜか、そのはっきりした笑顔が分かる

その、後ろに──夏の大気に舞い上がる黄色い花びらが見え

青さのなかに消えていく可憐さと儚さのなかで

たぶん、いやきっと──そう、僕は思う

きっとカナだけは、ずっと、ずっとずっと存在し続けるだろう


「ねえ、私は、私はね

 守ってあげる──二人で

 絶対楽園を見つけてそこに行くって約束」


カナの持つひまわりが揺れる──風にではなく

その言葉の確かさによって

だから、僕は崩れるように泣いた

大粒の雫のひとつひとつにひまわりの花びらが揺れる

机から降りて、カナがそっと僕を抱きしめてくれる

そこにはカナの涙もあって、二人の間で溶け合って

それは、彼女の色をしていて──

静かに、夏の青空から吹いてくる風が聴こえる


──ひまわりが咲いたら、楽園に連れていってあげる

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