真夜中と夜明けをつなぐ缶コーヒー
ジャンル:純文学
「おう、おはよう」
「あ、こんばんは」
新聞配達のバイクだけが音を立てている午前4時。
いつも通りにベンチに座った爺さんと挨拶をする。
そして無言で缶コーヒーを買う。
それが爺さんと俺の日課。
「このくそ寒いのに、来なくてもいいんですよ」
「寒くたって目が覚めたらどうにも暇なんだよ」
"しょうちゃん帽"を目深にかぶり、登山用の上着を着てそう応える爺さんの名前を俺は知らない。
秋に転勤をして、こっちに来てからの知り合いだ。
「お前も走りに来なくてもいいんじゃねぇか?」
「軽く運動してからの方がよく眠れるんですよ」
ショートスリーパーの俺は、これから眠って、朝9時に会社へ出勤するサイクルが体に合っている。
もちろん、残業は嫌いだから、この事は誰にも言っていない。
そんな早起きの爺さんと、俺の交流は缶コーヒーを媒にして成立している。
「どれでもいいわけじゃねぇんだよ」
「その通り。無糖で美味しくなければ、いらない」
両者納得の缶コーヒーがある自販機が、ここだけ、というわけだ。
仕事納めの翌日。
いつも通りのベンチで、爺さんと缶コーヒーを飲む。
なんとなく2人揃ってから、買って飲むのが暗黙の了解になってる。
「明日、っていうか、今日の昼に実家に帰省するんで、年明けの3日まで来ません」
「そうか」
家族構成も互いに知らない。そして、尋ねることもしない。それも暗黙の了解。
「……昔なぁ、寒い時に火鉢で餅を焼いたりしたもんだよ」
唐突に爺さんが話し出した。
「へえ」
「その後、鉄瓶で湯を沸かしてな。それで淹れたコーヒーは、美味いんだよ」
「へえ?」
「湯が丸いっていうか、な。まろやかなお湯になる。五右衛門風呂とか、薪で炊いたお湯はそりゃあよかった」
穏やかに笑う爺さんは、ここではない過去に想いを馳せていた。
今までに見たことのない、柔らかい顔で笑うと、
「まぁ…家帰ってのんびりしてこい」
と、言った。
年明けの4日の午前4時。
いつも通りに、爺さんと会う。
「あけましておめでとう」
「あけましておめでとうございます」
俺はベンチに座る爺さんに、水筒を差し出した。
「なんだこれ」
「炭火で沸かしたお湯で淹れたコーヒー」
真夜中の出発前。
車につめこむ荷物に追加した水筒が2本。
1本は、運転中のお供に。
もう1本は、爺さんと飲むために。
「実家で淹れてきた。一緒に飲もうよ」
爺さんは、白々しい街灯の光を受けて、眩しそうに目を細めて俺の顔を見ると、くしゃり、と笑った。