タナベ・バトラーズ レフィエリ編 (完成版はタナベ・バトラーズシリーズへ移動)
【タナベ・バトラーズ】フィオーネの記憶 ~雨の日、おじさんの昔話~
その日は雨降りだった。
じっとしていても肌と服がひっついてしまいそうな湿気。
こんな日は、屋根のないところへ出られないこともあいまって、不快なことは何もなくてももやもやしてしまうものだ。
そんな朝、自室を出て通路を歩いていたフィオーネは、向こうからこちらに向かって歩いてきたアウピロスと遭遇する。
フィオーネが明るく挨拶をすれば、アウピロスもまた穏やかそのものの表情で一礼した。
「今日は雨ですね」
フィオーネは特にどうということのない話を振る。万が一振るべきでない話題を振ってしまったら大変だからだ。ややこしいことにならないように、そう考えた時、彼女が思いつけたのは天気の話題だけだったのだ。幸い今日は雨、それを話題にしてもそれほど不自然ではない。
「そうですね」
アウピロスは立ち止まり短く返す。
話が発展しない……とフィオーネが困っていると。
「フィオーネさん、これから何かご予定ありますか?」
アウピロスは片手の指先できのこのような形の頭を軽く掻く。
「特にはないですけど……」
「よければ少しお話しませんか?」
少しばかり頭を横に傾けつつ誘いの言葉を吐くアウピロス。
フィオーネは正直そこまで乗り気でなかった。というのも、彼についてはほぼ何も知らないからだ。彼と二人で過ごすとなると話題選びが難しい。それゆえ、誘われても、彼に楽しんでもらえる気がせず。そのためどうしても積極的にはなれないのだ。
とはいえ、誘いを心なく拒否することもできず。
「そう、ですね。はい、分かりました。そうしましょう」
フィオーネはアウピロスと食堂へ行くこととなった。
◆
今日はトマト系のメニューはなかった。なのでフィオーネは水だけ貰った。そんな彼女に気を遣ってか否かは定かでないが、アウピロスもまた、水だけを貰っていた。食事の時間でない食堂は空いている、それゆえ、水だけで話をすることも可能だ。これがもし混雑している時間帯だったとしたら迷惑がられた可能性もあるが。
「この時間は空いていますね」
席に着くや否やアウピロスは周囲を見渡してこぼす。
「そうですね、朝食の時間はちょっと過ぎていますし」
食堂内の席、その多くが、今は空席となっている。もちろん誰もいないわけではないのだが。それでも、ほぼ空席と言ってもおかしくはないくらいの空き具合だ。
「フィオーネさんは雨はお好きですか?」
アウピロスがぽつりと問いをこぼす。
「じめじめするので少し苦手です」
彼女は水を一口飲んでから「水の匂いは好きなんですけどね」と続けた。
「アウピロスさんは?」
「おじさんは雨に思い出があります」
もしかしてその話をしたくて誘ってきたのかな、と思いつつ、フィオーネは目の前の平凡な男性へ視線を向ける。
「リベルくんと初めて会った日も雨だったんです」
アウピロスは柔らかな目つきで過去を大事に抱くように語り出す。
それは、縁も何もなかったはずの二人の出会い。
「その日おじさんは買い物のために出掛けていたのです。その帰り道でした、いつも通っていた山道に倒れているリベルくんを発見したのです。その時の彼は左半身を失っているかのような状態でした。一度は見なかったことにしようと思ったのですが、どうしても放っておけなくて、結局、その場所へ戻って自宅へ連れて帰ったのです」
アウピロスは淡々とした調子ながら優しげに語る。
「それから知り合いの医師を呼びました。で、お金はおじさんもちで取り敢えず対応してもらうことにしたのです。そのまま放っておいたら命が危なそうな状態でしたから……」
人の少ない食堂にも良さはある。それは、大声で話せないようなことも話せるということだ。大勢に聞かれたら困る、というようなことでも、空いている食堂でならそこまで気にせずに話せるのだ。
「それで師匠は助かったのですね」
「そうです。ただ……左腕と左目だけは治せませんでしたが」
話を聞いたフィオーネは言葉を発する。
「アウピロスさんがいてくださったから今の師匠があるようなものですね」
リベルについてまた一つ知ったフィオーネ。
少しだけ得した気分になれた。
「あ、ちなみに、リベルくんは後で治療費を払ってくれました。まぁ、その分は料理代に使うことになりましたけどね。リベルくん、日頃はあのような掴みどころのない振る舞いをしてはいるのですが、本当は意外と真面目なんですよ」
そう言ってアウピロスは嬉しそうに笑った。
◆終わり◆