美人家政婦と未来から来た子供
『謎に包まれた家政婦が当たりました』
早朝、ピンポーンと玄関のベルが響く。
今日から家政婦がやってくる。
なんと驚くな! テレビ番組で当選したのだ。
1年間、家政婦が毎日来てくれるという権利をゲットした。
「掃除洗濯料理なんでもお申しつけください」というキャッチフレーズだった。
俺は家事が大嫌いだ。
そして、懸賞が大好きだ。無料が大好きだ。
そんな社会人1年目のどうしようもない男だ。
どうせなら美人がいいな。どこかで期待していた。
とうとうその人とご対面だ。
1年間限定の俺の嫁。マイハニー、カモン。
調子をぶっこいた俺は陽気にマンションの扉を開けた。
美人だとは思うが、ぱっと見は地味で服装も地味だ。
眼鏡がやぼったいのだろうか? 服装のせいだろうか?
なんとなくはずれをひいたような残念な気持ちになっていた。
どこかでメイド喫茶のかわいい子を期待していたのかもしれない。
明るいテンションの高い「ご主人様~」という声を期待していた俺は馬鹿だ。
冷めた表情の若い女性は
「お邪魔いたします。家政婦の新城めぐりと申します」
品の良さを醸し出す地味な女はどこか少し不気味なオーラを出していた。
一言でいうと暗い。無口だ。若いのだと思うが、歳はわからない。
しかし、毎朝1時間という時間の契約の中で、実に見事に家事をこなした。
家政婦としては有能なのかもしれない。
しかし、これが恋人だったら話が続きそうもない……。
家政婦をこんな風にしか見られない独身男なのだが。
俺自身ずっと恋人もいないし、結婚の予定もない。
家事が嫌いな俺としてはこんな人が嫁だったら実に幸せなのかもしれない。
実はこう見えて俺の実家は金持ちだ。
俺の親は有名企業の社長をしている。
子会社の社員をやっているのだが、
親父から記念パーティーに女性を連れて来いと言われている。
恋人でも友達でもとりあえず女性と来るように、昨日も電話があった。
親としては未来の嫁を見たいのだろう。
俺に女友達はいない。誘える人もいない、やはりここは
あの女しかいないのか……。
家事するだけの家政婦だけど、ジャージっていうのはいかがかと思う。
俺にマニアックな趣味はないし、かわいいかっこうをしたらあの女は
かなり変わるような気がする。ふりふりのエプロンをこの人に提案したい。
いつも、規則正しく俺の家にきてくれる新城さん。
朝の一時間は俺だけの嫁だ。
正確な包丁さばきで朝食を作り、完璧な掃除は部屋が見違える。
彼女の髪は長い。
一つに結んでいて、上下ダサいジャージというのも不思議な空気しかない。
なぜそのような格好をしているのか、少し気になる。
もしかしたら観察対象の若い女性が他にいないからかもしれない。
俺は少し、緊張した。
ろくに話したこともないが、彼女と知り合いになって1週間程度。
「今度の日曜日バイトしませんか?」
彼女は無言で振り向いた。
「もしよかったら、会社のパーティーの付き添いで来てほしいのです。もちろんお金は払います」
すぐに家政婦は答えた。
「大丈夫です。何時から何時でしょうか? わたくし、他のお宅でも仕事をしておりますので」
「夕方5時からの立食パーティーです」
「もしよろしければ美容院代、衣装代はこちらが支払いますので、当日昼に一緒に来ていただけませんか?」
「承知しました」
俺は詳しくもないが美容室を予約し、そこの紹介でパーティードレスをレンタルすることにした。
日曜日、デートのように二人で出かける。
まさかの街中でも上下ジャージの彼女だが、顔立ちはきれいだ。
「ご結婚されていたりするのですか?」一応聞いてみた。
「独身です」
その一言に 何となくほっとした。
美容室で髪をセットしてもらい、衣装をチェンジする。
彼女の変貌が楽しみだった。
育てているような感覚だろうか?
「お待たせしました」
何時間も待った甲斐があった。
目の前の女性は もはや別人で モデル並みのスタイルの良さに目を奪われた。
彼女にはコンタクトをしてもらうことにして、今日は眼鏡は封印だ。
美容師さんの腕の見せ所だろうか?
髪がいつもよりも艶やかで妖艶だった。
目はぱっちりしていて、体は細い。色白のお姫様だ。
俺はこんな逸材を目の前にして好きになってしまった。
このようなことををひとめぼれというのか?
こんな極上の美人を目の前にしてひとめぼれをしない男のほうが珍しい。
俺の心の中で、俺の嫁にしたいという欲望が沸いていた。
美人の彼女と街を歩く。通り過ぎる人が振り向くのだ。
彼女が女優級の美しさを持ち合わせているせいだと思われる。
少し鼻が高いような気分だ。
本当は1時間だけの俺の家政婦なのだが
今日はお金を出してパーティーに同伴してもらう契約だ。
つまり、契約彼女みたいなものだ。
パーティー会場では俺の母親がすぐにやってきた。
会社の重役の役員をしているキャリアウーマンだ。
「いつもお世話になっています。アワセの母親です」
アワセというのは俺の名前だ。
「いつもお世話になっております。新城です」
彼女の声はきれいだ。美しいと感じるのは惚れているからなのか?
実際きれいな声をしている。今まで気にも留めていなかったのに
人は見た目でこちらの印象もがらりと変わるのものだ。
外国人の客もいて、国際色豊かなパーティーだ。
新城さんに突然英語で話しかけてきた。この客、何様だよ。
美しいからってジャパニーズガールに話しかけるな。
だいたいそんなに早い英語がわかるはずないだろ。
その突っ込みは 杞憂に終わった。
えぇええ?
流暢な英語が彼女の口から飛び出した。発音はきれいだし、外国に住んでいたのだろうか?
新城さん、英語も美しすぎる。彼女の語学力に脱帽した。
教養豊か。この人、英語教室の先生やっていたほうがいいのではないだろうか?
家政婦やっている場合じゃないでしょ。
英語で専門的な話しているし……。
外国人の客は愉快な顔をしてご機嫌で去っていった。
「美しいお嬢さんではないか」
親父が来た。俺の彼女ではないし、不似合いですが、何か。
俺は心の中で反抗した。
「今後とも息子と仲良くしてやってくれ」笑いながら父親は去った。
俺は親父が嫌いだった。
実は、子会社にコネ入社はしたけれど、親のすねをかじらず自立しているつもりだ。
マンションだって自分のお金で借りているし、もちろん自立して一人暮らしをはじめた。
学歴や教養で人間を計る人間は苦手だ。
そして、このパーティーをきっかけに彼女のことをもっと知りたいと思った。
『未来から娘がやってきた』
彼女とパーティー会場を後にして帰宅したときだった。
マンションに戻り 新城さんに謝礼を渡そうとしたときに知らない子供が玄関の前にいた。
女の子だ。幼稚園児くらいだろうか?
迷子か? でもなんで俺の家の前にいるのだろう?
「パパ、おかえり」
パパだと?
俺はパパじゃない。彼女もいないし、結婚もしていない。
当然、子供を作る機会すら今までの人生の中でなかったのだ。
きっと迷子に違いない。警察に届けるか。
「わたし ほのかっていうの。6歳のねんちょーさん。未来からやってきまちた」
たどたどしい日本語が 幼稚園児らしさを物語っていた。
「パパじゃないから、本当のパパを探すために警察に行こうか?」
俺は冷静に 女児をたしなめた。
「ほのか、パパの写真持っているよぉ」
これは 撮った覚えのない写真だが、たしかに俺自身が歳を取ったら
このようになるであろう姿が映っていた。多分十年後ならば、こんな感じだろう。
しかも日付は十年後である。しかし誰がこんないたずらをしたのだろう?
こんないたずらをしても誰も得をするとは思えないし、メリットもないだろう。
そして、この写真の驚くべき点だが、妻となる女性が映っている。
それは、ここにいる美女の十年後の姿だった。
「ママもいてよかった」
その女の子は、隣に立っている新城さんをママと呼んだ。
この子の主張が正しいのならば、新城さんが俺の嫁になるのか?
このまま俺たちは両思いになって結婚するというサクセスストーリーになるのだな?
そうなのだな? 心の中で確認してみた。
よしっ。心の中で根拠のないガッツポーズを決める俺って……。
一人で突っ込みを入れつつ、この子をどうしようかあれやこれやと悩んでいた。
「どうやってここに来たの?」
新城さんが優しく問いかけた。
「気づいたらここにいたの」
普通に考えたら 誘拐犯が置き去りにしたとか、迷子だとか虐待の末、放置されたとか。
放置子か? ネグレクトか? 悪い話しか思い浮かばなかった。
「私たちがこの子を保護して、帰宅できるまで育てましょう」
新城さんが冷静に提案した。
やはり肝が据わっているというか、しっかりしている。
児童相談所に通報しないといけないとばかり思っていた俺だったが
新城さんが育てるという意思を見せたことに驚いた。
子供好きには見えなかったから、それも意外だったのかもしれない。
子供に見せる表情は、普段の無表情な彼女からは想像できないほどの優しい表情だった。
「この子の話が本当ならば、警察に届けても親はいないし……。
施設で育てられるというのも、かわいそうだし。
だったら、親である私たちが育ててあげたほうがいいのではないかしら?」
新城さんは、俺たちの子だと認識したのだろうか?
親である私たち――というフレーズにこっちがドキッとした。
普通、映画やドラマでもないのに こんな不思議な話を信じるなんて
彼女の脳を疑ってしまったが、俺は独身で彼女もいない。
だったら、育ててもいいかもしれないという気持ちになっていた。
共有できる子供がいれば、新城さんと仲良くなれるということだ。
「でも 俺は昼間 仕事で家にいないし……」
「私が面倒見ます。家政婦の仕事はかけもちをしていますが短時間なので、育児との両立は可能です」
「もし よかったら 俺の家に使っていない部屋があるので、そこに寝泊まりしてもかまいませんよ。一緒に育てましょう。僕たちの子供なのですから」
思い切って 提案してみた。
女性と子作りするような経験もない男が、僕たちの子供というワードを発する時点で
恥ずかしくて むずがゆくなる……。しかも俺たちは恋人でもない。
ましてや夫婦でもないのだが――ほのかのおかげで距離が縮まった。
はじめての責任ある共同作業がはじまったからなのかもしれない。
新城さんは、俺の発言に突っ込むこともなく
「この子が帰るまで、少しの間お邪魔させてください」と俺の意見を受け入れた。
さっそく――日曜ということもあり仕事が休みだったので、
俺は、ほのかと遊びつつ未来の俺の姿を聞き出そうと思った。
その間、新城さんは自宅に戻り、自分の着替えや洗面セットなどを取りに行った。
ほのかの持ち物は、小さなポシェット一つだった。
そこには、写真と見たことのない形の携帯電話のようなものが入っていた。
「これ、なんだ?」携帯電話のような見たこともない機器について聞いてみた。
「これは電話だよ」
やっぱり電話だ。今あるものとは形が違う。
「これでパパと話すことができるよ」
「未来のパパに電話をかけてみろ」
「いいよ」
慣れた手つきで携帯電話を触るほのか。
「もちもち?」
もしもし、じゃないのか? 相変わらず舌足らずだ。
「パパ? 今、昔に来たよお。こっちに 若いパパいるよお」
つながるのか?本当のお父さんに迎えに来てもらうチャンスじゃないか。
俺は急いで、ほのかの電話を奪い取った。そして、事情を説明しようと思ったのだ。
「うちに娘さんがいるのですが、迎えに来てもらえないでしょうか?」
「昔の俺か?」
聞きなれた声が返ってきた。
自分自身の声が少し年齢を重ねた声になっていた。
けれどもちゃんと会話が成立していて、自分の声がそのままこだまのように
反響しているわけではなかった。
本当に不思議なのだが、未来から来たことが本当ならば、
未来の自分と対話しているのだ。
聞きたいことがたくさんあった。新城さんと結婚したのか?
十年後はどんな仕事をしてどんな生活を送っているのか?
なぜ、この娘がおれのうちにいるのか?
「実は、俺の妻がタイムマシーンを開発中でな。
娘が勝手に妻のラボでいたずらしたらしく、過去に戻ったみたいなのだ」
妻がタイムマシーンを作っている? ラボ?
新城さんが研究開発をしているというのか?
「未来に戻るにはどうしたらいいのですか?」
「携帯電話がタイムマシーンの機能を備えているのだが、
まだこちらは調整中だ。すぐに未来に戻る方法はない。
完成したらすぐ対処するから、それまで自分の娘の面倒を見てくれ。
その携帯電話は充電なくてもずっと使える使用になっている。
何かあったら連絡をしてくれ」
「色々聞きたいことがあるのですが」
「未来の姿を教えることは本来は、ダメなことだ。
細かいことは教えられないが、その娘が自分の娘だということは本当だ」
「新城さんがこの子の母親なのですか?」
「あぁそうだ。しかしこれ以上は教えられない」
真実を中途半端に知ってしまうと色々気になることが出てくるもので。
未来を中途半端に知ってしまった俺は、育児を恋人でもない女性としばらく行うことになった。デートも結婚も恋愛すらもしないまま 育児をすることになってしまうとは。
前菜を食べずに 主食が来たような気分だ。
子作り経験も育児経験もない俺が、タイムマシーンとやらがあちらで完成するまで―――
この舌足らずの娘と寡黙な新城さんと3人で生活をするのが不安よりも楽しみになっていた。
どこかへ通報とか保護や連絡しようとしたことは、もう頭から離れ、
この女の子を一時的に育てることしか考えていなかった。
「これ、なぁに?」
それは俺が以前、購入したグラビア雑誌だった。
「この絵本、おもしろい?」
無邪気なほのかに父として、申し訳なく思ってしまった。
「これはもう捨てるものだから。片づけないとな。そのかわり、テレビでも見るか?」
急いでグラビア雑誌を隠した。
この時間は子供番組をやっていて、この時代の子供なら多分誰でも知っている、メジャーな子供番組だった。
「見たことあるだろ?」
俺は、新手の詐欺に合ってないか急に不安になり、聞いてみた。
「しらないよ」
今の時代、テレビがない家はあまりないだろう。
やはり本物の未来人なのか……。
「お邪魔します」新城さんが戻ってきた。
派手な洋服から着替えて、またもやジャージになっていた。
美人なのにもったいない……と思いながら――
コンタクトと化粧はそのままだったので、見とれてしまっていた。
気が利く彼女は絵本やおもちゃを買ってきた。
そして、夕食の食材を買って、作ってくれるようだ。
「今日のバイト代、渡すの忘れていました」
俺は財布をあわてて取り出した。
「夕食の食料代だけで結構です。美容室代も出していただいたし」
無償でごはんを作ってくれるというのか?
新手の詐欺じゃないよな? 話しがうまく転びすぎて、少し不安になった。
晩御飯を食べてテレビを観て、風呂に入って―――
そんなあたりまえの日常が俺にとっては新鮮で……
詐欺だとしても、こんなに楽しいなら騙されてもいいや、というような気持ちになっていた。
新城さんが先にほのかと一緒に風呂に入った。
歌声が聞こえてくる……。
メインはほのかが歌っているが、新城さんの歌声も混じっていた。
俺の部屋の風呂を使う女性が現れるとは、正直はじめての経験で少々戸惑う。
何かが二人の間に起こるはずもないのだが――どこかで恋の予感を期待している自分がいた。
新城さんは料理は上手で家事も手際がいい。
子供に接する様子はとても優しく、普段見られないような表情をしていた。
風呂上がりの彼女は、美容院でやってもらったばっちりメイクを落とし、
すっぴんだったが、肌のきめが細かく、そのままでも充分な美人であった。
顔立ちがきれいなのだ。服がダサいだけで……。
ほのかと新城さんは、本当の親子のように仲が良く、
絵本を読み聞かせする姿は、おかあさんそのものだった。
ほのかが寝てしまい、新城さんと今後のことを話そうとしたのだが、
彼女はパジャマに着替えている途中であった。
今のところ赤の他人の俺は……「すいません」と速攻謝る。
同居というのは思わぬところにドキドキな落とし穴があるものだ。
パジャマ姿の彼女は思ったよりかわいい柄のパジャマを選んでおり、
正直これはかわいい! と目をうばわれてしまった。
新城さんにしてはピンクの水玉のレースの付いたパジャマはナイスチョイスだと思った。
あまり洋服に気を遣わない彼女だが、洋服次第で化けるということを痛感した。
パジャマ姿の彼女に聞いてみる。
「本当に僕とあなたの子供という話を信じているのですか?」
「わかりませんが……あの子を放っておけないのです」
風呂上がりの新城さんは、普段とは違い、シャンプーの香りなのか
石鹸の香りなのかわからないのだが――いい香りがした。
俺は、彼女に対して異性としての魅力を感じていた。
でも、そんなことを悟られないように気のないそぶりを見せた。
彼女からは俺に対する警戒心もなく、
家族のように接しているようにしか感じられなかったが……。
「もしよかったら風呂上がりに、一杯どうですか?」
買ってあった 缶ビールを差し出した。
少しでも一緒にいたい。この人と話をしたいという気持ちから
とりあえず、口下手な男だからこそ、酒を飲みながら、ならば――
という精一杯の彼女への気持ちだった。
彼女は缶ビールを受け取り、一口飲んだ。
「新城さんは、恋人とか……いないのですか?」
いきなりの直球だったが、一番聞きたいことを聞いた。
いたらこんなことしてないよな、という気持ちでいたのだが。
「えぇ……いません。以前……ストーカー被害にあって今は名前を変えて、別人として生活しているのです」
じゃあ俺はこの人の本名も何も知らないということなのか?
何も――目の前にいる人のことを俺は何も知らない。
もう少し新城さんに近づきたいと思い
ソファーに並んで座っていたのだが、さりげなく座り直して近づく。
もうすこしで手と手が触れそうなところまできた。
あと少しだ。
―――と思ったら
「ほのか トイレに行きたいのら」――と寝ぼけ眼の娘が起きてきた。
あと少しだったのだが、新城さんはほのかのところに行ってしまい……。
チャンスを逃した。だいたい付き合ってもいないし、手も握ってないのに子供って……。
飛躍しすぎるのもいいところだ。今まで恋人がいたこともない俺だからこそ非現実的で、
同じ部屋に女性がいること自体、不慣れなのに……。
でも、こんな幸せな時間がずっと続けばいいと、俺は心から願っていた。
当たり前の日常に、家族がいる風景。
帰ってくると、一人ではないほっとする時間が永遠に続いたらいいのに……。
窓の外の夜景を見ながら、缶ビールを片手に、
俺は、ささやかな幸せの大切さに気付いたのだった。
昨日と同じ景色を見ていても今日は全く別物である。
そう、あの少女が来てから、新城さんとの距離は確実に近づいたのだ。
「明日、早いので就寝します」
あっさりと隣の部屋に行ってしまった 未来の嫁。
この人は俺のことどう思っているのだろう?
恋愛感情はないのかもしれない。俺は自分に自信がなかった。
魅力ある男だと自負できる自信は皆無だったし、愛されるような要素を持ち合わせているかと聞かれたら―――正直自分自身、持ち合わせていないと思った。
次の日はインターホンこそ鳴らなかったが、早朝から彼女の仕事は始まった。
朝ごはんの支度から部屋の掃除まで完璧な仕上がりを見せた。
彼女の仕事には妥協がない。
少し手を抜いてもいいのに、絶対に手を抜かない。
几帳面な真面目な性格は時として生きづらいのではないかという気持ちにすらなっていた。
「いつも完璧なあなたの家事には感心します。もう少し、手を抜いてもいいのですよ」
「私はプロです。手を抜くことは自分自身に嘘をつくことになります」
「おはよぉ」
あの子は幻だったのではないか? と朝起きた後に思ったのだが……違う。
幻ではない。実在する俺たちの子供が目の前にいる。
猫っ毛でやわらかい茶色がかった髪に寝ぐせがついている。
やっぱりひいき目に見なくてもかわいい。
俺に似ているのだろうか? なんて冷静に観察するが、自分で似ているところを探すことは
意外と困難だ。
「パパは仕事に行くから、ママの言うことを聞いて、いい子にしているんだぞ」と言いながら
ほのかの頭を撫でる。頭も小さい。
他人のお子様に触ったこともない大人だから、全てが新鮮だった。
即席パパの割には、自分でもうまく台詞が言えたように思う。
自分をパパと呼ぶことや新城さんをママと呼ぶこと自体、胸のあたりがくすぐったい。
少し照れている自分がいた。
家族のために仕事を頑張るぞという気持ちで、俺は会社に向かった。
誰かのためになんて、今まで思ったこともなかったくせに。
一生結婚できないかもしれないと心のどこかで思っていたので、
正直この状況はおいしい出来事だった。
ほのかはいつも鼻歌を歌う癖がある。かわいい声が部屋に響く。
帰ると鼻歌が聞こえ、灯がともった暖かい部屋が存在している。
今まで帰宅後は、寒くて暗い部屋だったにもかかわらず
正反対の暖かで明るい部屋がここにあった。
俺の生活は、百八十度変わった。ほのかのおかげだ。
そして、恋愛すら何もはじまっていない新城さんのおかげだ。
俺たちの奇妙だけれどもあたたかい同居生活はこうしてはじまった。
反面、ほのかが未来へ帰るかもしれないという不透明な事実が、不安を掻き立てた。
幸せの裏側には不安がある。幸せと不安は表裏一体なのだ。
一日に一度、未来の俺と連絡をとる。ほのかのことを報告するためだ。
もうすこしでタイムマシーンが整備されるらしく、帰宅できるという話だ。
短い話の中で、未来の俺の生活を聞き出そうとしても、未来の俺は口が堅い。
ほのかに聞いてみるか。
「パパは未来ではママと仲良しなの?」
「うん。お仕事いそがしいけど、なかよしだよお」
甘くて溶けそうな笑顔をふりまく、ほのか。
「ママはタイムマシーンを作っているの?」
「じいじの会社で働いているよお」
じいじって俺の親父のことか……。
そういえば、幅広く事業を展開しているからな。
見込みのある分野ではお金の出し惜しみをしない、親父らしい企業戦略だと思うが。
新城さんって何者なのだろう? 語学が堪能な科学者ということか?
でも、そんなすごい人が俺の嫁になるなんて、普通ありえないよな……。
そんなことを考えていると、ほのかが言った。
「若いパパとママに会えて、ほのか、しあわせだよお」
瞳がくりくりしていて顔の面積に対して瞳の比率が高い。
思わずほっぺをすりすりしてみた。
目には曇りも汚れもない。
ほっぺはもちのように柔らかく弾力があり、甘い香りがした。
夕食を食べて、俺はほのかと家にあるおもちゃで遊んでいた。
意外と自分がイクメンだということに驚きを隠せないでいた。
人には意外な一面があるものなのだ。
『疑似家族3人の想い出』
「明日、休み取ったからでかけませんか?」
俺は彼女に提案した。
3人の想い出を作っておきたかったのだ。
今しかできないことをやっておかなければ、いつ終わるのかもわからない疑似家族。
仕事よりプライベートをとった。
車で1時間ほど走らせると海の見える広い公園がある。
そこで自然と戯れて、思い出を作りたいと思っていた。
「了解しました」
彼女の返事は堅い。いつも一定の距離を感じる。
業務連絡という感じの言葉が少し寂しくもあった。
新城さんは最近、かわいいエプロンをつけている。
少しは女性らしい服装を意識してくれているのかな?
もしかしたら 俺のことを気にしてくれているのかな?
淡い恋心を抱く男としては、少しくらい自意識過剰になってもいいよな?
目の前にいる子供が二人の子供ならば、どんな占いよりも正確だ。
俺は、少し家族というものに対して焦っていたのかもしれない。
今、ほのかがいなくなれば、僕たちの関係が進展するとも思えない空気の中、
少しでもポイントを稼いでおきたいという気持ちになっていた。
こんなにいい父親になるのだから、ここにいる男を逃したら損ですよ。
そのようなメッセージを送るためという計画もあったが、
純粋に子供のいる風景を楽しみたいという気持ちがそこにはあったのだ。
毎日、夕食を食べて、テレビを観て、風呂に入って眠る。
そんな生活の繰り返しだったが、家族がいる風景はどんな夜景よりも美しく楽しいものだった。
たしかに子供の声はうるさいし、テレビを集中して視聴することも困難だ。
自分の時間も趣味も、持つ暇はなかったりする。
けれどもその代償と引き換えに、ささやかな幸せが存在していた。
翌朝、新城さんは珍しく自主的に化粧をしていた。
薄化粧だったが、元々美人な彼女にはアイメイクもマスカラも必要はない。
化粧でごまかす必要がない顔立ちだ。
コンタクトにロングスカートといういでたちでジャージを着ていた時とは別人だ。
流行を意識した格好をしてはいないが、彼女はどんな服でも着こなせる。
そのスタイルと美貌のせいだろう。多少流行おくれの服だろうと趣味が悪い服だろうと
彼女が着ると割と馴染むのだ。新城さん効果は絶大だ。
春の海は人気もなく、肌寒い。
もう少し経って夏が来れば、騒がしくなるのだろうが。
「うみ、おっきいね。ざぶーんだね」
波の音がすごく響く。今日はわりと 波が荒い。
「海、いったことあるの?」新城さんが聞いた。
「ないのよぉ。はじめてだよ。あおいね」
子供は正直で事実を言う。舌足らずの笑顔ちゃんにここでも癒される。
「笑顔ちゃん」思わず声に出して呼んでしまった。
「えがおちゃんじゃなくて、ほのかだよ」
ほのかが見上げながら抗議する。そんなまったりとした時間。
潮風に吹かれながら砂浜を歩く
俺たち三人は、他人から見たら若夫婦に見えるだろうか? 家族に見えるのだろうか?
砂浜の砂に足を取られながら、公園の広場に向かって歩く。
お昼ごはんは手作り弁当だ。幸せな時間がここにある。
広場では、平日ということもあって人はまばらだったが、
天気が良く小さな子供を連れた夫婦や犬の散歩をしている人がいた。
散歩やジョギングを楽しんでいるおひとりさまが多い中
普段おひとりさまのプロの俺が他の誰かと公園にいること自体、
信じられないような事実である。美人の妻とかわいい娘。
これは夢なのかもしれない。俺の願望の幻かもしれない。
そんなことを考えていると、ボールが肩にぶつかった。
「パパ、ボールとってよお」
やわらかいキャンディーみたいなボールが落ちた。
レジャーシートを敷きながら、ボールをやさしく頬り投げた。
青空をちゃんと見たのは、いつぶりだろうか?
新城さんがお弁当を出して、ペットボトルのお茶を置いた。
レジャーシートの下には芝生が広がり、緑のじゅうたんが広がっていた。
土のにおいを感じたのはいつぶりだっただろうか?
毎日、空を見ないでスマホばかり見ていた毎日。
何かに追われるかのように、毎日忙しい時間を過ごしていた。
仕事も忙しいのだが、寝ている時間以外は自宅にいてもテレビやパソコンや
様々なメディアの情報がたくさん氾濫していた。
時代に取り残されないよう、情報をまめにチェックしていたし、
SNSという二十四時間休まらないツールへのアップだとかフォローだとか――
とにかく忙しく生きてきたように思った。
ここにいる間はスマホを忘れようと思った。
むしろ世間の情報から取り残されてもいいや――そんな気持ちになっていた。
新城さんのおにぎりはおいしい。おふくろの味のようだ。
とは言っても、俺の母親はあまり料理をする人ではなく仕事で忙しい人だった。
おふくろの味ではなく、家政婦さんの味とでも言ったほうが正確かもしれない。
塩加減が絶妙で味付けもバラエティーにとんでいる。
おにぎりの見た目も美しい。
まるでインスタにあげた一枚のようにおにぎりが並べられていた。
食べやすい心づかいのあるおかずもポイントが高い。
全てにおいてクオリティーが高いのだ。
「いただきまーす」
「おいしいな、さすが新城さんだ」
「パパはなんでママをしんじょうさんって呼ぶの?」
「え……? まだ結婚していないから……」なんだか照れ臭くなる。
彼女のほうを見ると、目をさりげなくそらされた。
結婚すると言われても同居していても下の名前呼びは……さすがに呼びづらい。
「めぐりさん、なんて急には呼びづらいなぁ」
「わたくしはかまいませんよ」
「そうですか? じゃあ、めぐりさんって呼んでみようかな」
ぎこちなく下の名前で呼ぶ理由づけをしてみる。
「森下さん……」
はじめて名字を呼ばれた。
「俺のことも、アワセって下の名前で呼んでください」
下の名前で呼ぶことで、距離が縮まるような気がする。
そんな錯覚が、下の名前で呼んでもいいですよ、という道を作る。
彼女も少し照れたように「アワセさん……」と言った。
お互い下の名前で呼ぶだけで、どぎまぎするなんて――
恋愛に不慣れだという状況を明確に示していた。
そのことを本当は悟られたくなかったのだが、ぎこちなさをごまかすことはできなかった。
そんな微妙な二人の距離を映し出すかのように、レジャーシートの上に座る距離も微妙に離れていた。もしかして、迷惑ではないか? そのような不安がよぎるのだ。
相手が、表情が読めない人というのも、これまたやりづらい。
しかし、ほのかの表情は正直でわかりやすい。
ほのかは何にでも興味を示す。アリが歩いているとじっくり観察をはじめるし、
どんなものに対しても 好奇心の塊だった。
そんな無邪気な少女が たまらなく愛しい。
用もないのに「めぐりさん」などと呼んでみる。
さん付けというだけでも、よそよそしいのだが、ちゃんづけや呼び捨ては今の二人には
ハードルが高すぎた。
ほのかがいなかったら下の名前呼びすらもできなかっただろう。
もしかして、意気地なしの俺のためにほのかが来てくれたのかもしれない。
ほのかがいなかったら、恋愛すらはじまりそうもない空気だったから。
俺が色々考えていると、将来の妻と娘はすぐ横でシロツメクサのかんむりを作る。
新城さんは手先が器用だ。
あっ……つい癖で、心の中でも名字呼びになってしまった。
お昼も食べてお昼寝の時間になったので、眠くなってきた。
『おわかれだよ またね』
そんなまったりとした昼下がり―――
携帯電話が鳴り響いた。俺が最も恐れていた事態が起きたのだ。
未来の自分が自分に指示する。
「ほのかが未来へ帰ることができるように準備ができた。帰るときは 右側の赤いボタンを長押ししてくれ」
未来の自分は、今の自分と違って冷静で大人っぽい。
実際未来の自分は歳を取った立派な大人なのだが。
俺は渋々、ほのかに伝える。
「ほのか、未来のパパの所に帰るぞ」
「ほんと? 若いパパとママにはもう会えないの?」
「すぐ会えるよ。そのときまで、バイバイ」
めぐりさんも悲しそうな表情をしたが、無理に笑顔を作る。
「未来のパパとママによろしくね」
ふりかえりながら 笑顔ちゃんが言った。
「またね」
それがほのかの最後の言葉となった。
言われた通りに、ほのかに荷物を持たせてボタンを押した。
それは一瞬の出来事で、ほのかが目の前から光と共に消えたのだ。
ほのかは未来へ帰ってしまったのだ。
誰も広い広場にはいなかったし、二人以外は知らない事実だ。
ぬくもりと想い出だけを残して。
ほのかが未来へ帰ってしまい、もうこの世界にはいない。
あまりこちらに長くいると、デメリットが生じるという話を未来の自分から聞いていた。
こちらで、ほのかがケガや病気をしても戸籍がない。
未来を変える出来事が起こるとまずい。
未来に早く帰らないと、ほのか自体が消滅することもありうるのだ。
日本、いや世界の何かを大きく変えてしまう可能性もあるのだ。
だからなるべく未来に早く返さなければいけないと説明されていたのだが、
本当はもっと娘と過ごしてみたかった。
「さて、これからどうしますか?」
俺はめぐりさんに問いかけた。
広場に残された二人。自然と涙が流れていた。
無表情な彼女も涙を流していた。そして俺たちは抱き合って泣いていた。
こんなに泣いたのはいつぶりだったのだろう?
俺はどうすればいいのかわからなくなっていた。
未来は結婚しているのだから、恋人になってもいいのだけれど。
でも、現在の彼女が全く俺に対してその気がないのに、彼氏面、ましてや旦那面するのも気が引けた。
「また家政婦として毎朝伺います」
やっぱりそうだよな。彼女は、ほのかのためにここにいただけだ。
俺に対する特別な感情が芽生えたわけではないことくらいわかっている。
「今までお世話になりました。これからもよろしくおねがいします」
彼女は深々と頭を下げた。
家政婦と雇い主としてよろしくということか。
わかってはいたが、少し彼女の淡白な振る舞いに寂しさを感じていた。
「ほのかちゃんにまた会いたいですね」
広がる景色を眺めながら、普段表情の変わらない新城さんが珍しく寂しそうな顔をした。
きっと子供好きなのだろう。
まて――ほのかが俺たち二人の子供ならば、俺たちが子作りしなければ
存在しないということだよな……?
「もしよければ、恋人からはじめませんか?」
勢いで言葉を発してしまった。
考えた末の言葉ではないので自分自身が戸惑ってしまった。
一瞬、めぐりさんは動きが止まったが
「私でよければよろしくお願いします」相変わらず返事も礼儀正しい人だった。
あまりにも表情に出ないので、本当に俺のことをいいと思っているのかもわからず。
「俺のこと好きですか?」
不安に思って 彼女に問いただした。
もしかして、ほのかに会いたいと思っているだけなのではないかと思ったからだ。
最近の彼女は、以前べた褒めしたせいか、コンタクトを使用している。
瞳はほのかにそっくりな大きさである。顔と瞳の比率が普通の人より大きいのだ。
少し考えた後、新城さんは声を発した。
「好きですよ」
こんなにきれいな女性に好きだと言われるとは、想像もしていなかった。
「あなたの本当の名前を教えてください」
「愛沢みさきです。大学の研究室で働いていたのですが、ストーカー被害に遭い、人間不信になり、見た目も名前も変えて、家政婦の仕事をしながらしばらく身を潜めていました」
「みさきさんは……やっぱり 科学者ですか?」
はじめて彼女の本名を呼んでみた。
「はい。時間の移動について研究していました」
だから英語も堪能だったのか。理系の研究室では英語ができて当たり前と聞いたことがある。
知的な彼女ができた。はじめての彼女だった。
帰り道は勇気を出して手を握ってみた。
本当はほのかにえない寂しさから誰かのぬくもりがほしかっただけなのかもしれない。
お互い泣いたことで、得たものがあった。二人の距離が縮まったのだ。
同じ喪失感を味わった二人。
滅多に見せることのない泣き顔。
それをきっかけに座った時の距離が縮まった。
極めて近い位置に座っても、違和感は感じられなくなっていたのだ。
休日に俺もジャージやスウェットのまま彼女と過ごす。
着飾らない付き合いをしている。
最近敬語を使わない自然な会話もできるようになった。
しかしながら、最近彼女は女性らしい洋服を選ぶようになった。
以前とは別人のように、ひらひらしたスカートやヒールのある靴を履いてくる。
少しずつだが、彼女に表情が現れるようになってきた。
完璧に見える女性だが、嫉妬深い一面があったり、
愛情表現が苦手な彼女から、愛情を感じる。
昼下がりのあたたかな日差しの時間を彼女と共に過ごす。
そんなまったりとした時間が俺は心地いいのだ。
これから嫁になる女性なのだから……。
二人は恋愛初心者で結婚しても結婚初心者だ。子供ができたとしても、父親、母親初心者だ。
初心者ながら一生懸命生きていく。
そしていつかは……もう一度、笑顔がかわいい娘に会いたい。