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パンとか止めるアレの名前がわからない。ついでにいつの間にか俺の部屋に居座っているJKの名前もわからない。

作者: 墨江夢

「……「あれ」、どこにやったかな」


 朝食の最中、俺は食卓の上を見ながら呟く。

 皿の下やコップの裏を確認してみるも、やはり「あれ」は見当たらない。予備をストックしているわけでもないから、失くすと多少なりとも困るのだが……。

 俺は椅子を引くと、テーブルの下を探す。……「あれ」は落ちていない。


 さっきから探している「あれ」とは何かって? 「あれ」といえば、「あれ」だ。パンとか止めるアレだ。

 名前はわからない。前に教えて貰ったことがある気がするけど、小難しい名前だったし、ぶっちゃけパンとか止めるアレと言った方が通じるので、今更覚えるつもりもない。


 パンとか止めるアレに限らず、その存在は知っているけど名前がわからないものって、意外と沢山あるものだ。

 そう、例えばーー


「いや〜。やっぱり焼いた食パンには、塩を振りかけるのが一番ですね。程良いしょっぱさが、食欲を一層そそります」


 いつの間にか我が家に居座っている、このJKの名前とか。

 

 先週突然俺の家を訪ねて来たこのJKは、無防備にも男が一人で暮らしている部屋に押し入り、挙句の果てに生活し始めている。

 迷子や家出というわけではないようなのだが、本人たっての希望とはいえ見知らぬJKを住まわせるのには抵抗があった。

 まぁ帰れと言って帰るようなら、こんな生活が一週間も続いていないんだけど。


 パンとか止めるアレを見つけるのを諦めて一息付いていると、JKが「あっ」と声を上げた。


「バッククロージャーでしたら、袖に付いてますよ」

「バック……何だって? 新しい戦隊ヒーローか何かか?」

「違いますよ。パンとか止めるアレのことです。……仕方ないので、取ってあげます」


 JKは俺の袖に手を伸ばす。おぉ! そこにいたのか、パンとか止めるアレ。

 俺はようやく、食パンの袋に封をすることが出来た。


「まったく。バッククロージャーも知らないなんて、常識がないですよ」

「いや。人の家に勝手に居座っているお前に常識を諭されたくねーよ」


 しかも素性を一才明かさないなんて、常識がないのはどっちだよ。

 こっちの気など知らずに、JKは二枚目の食パンに手を伸ばそうとしている。そんな彼女を見て、俺は溜息を吐いた。


 日下部士郎(くさかべしろう)、大学生。どういうわけか、ワンルームのアパートで見ず知らずのJKと暮らしています。





 このJKが俺の家に転がり込んできたのは、先週の水曜日のことだった。


 夕食のカップ麺を食べながら、何気なくお笑い番組を視聴していると、ピーンポーンと玄関のチャイムが鳴った。


 実家の母親が、また何か送ってきたのだろうか? 食糧とかだとありがたい。

「はーい」と言いながら、玄関のドアを開けると……そこには、制服姿のJKがいた。


「ピッチピチの女子高生、おひとついかがですか?」


 自身の魅力をアピールするように、JKはウインクする。

 何つー訪問販売だよ。おひとつもおふたつも要らないわ。

 

「あっ、そういうの間に合ってるんで」


 この世に生を受けて21年、彼女がいた経験なんて一度もない。だから何にも間に合っていないし、それどころか友人たちと比べると寧ろ出遅れているんだけど……JK相手とか、犯罪臭しかしないからな。俺は早々に、ドアを閉めようとした。


 しかしドアが閉まる直前で、JKは自らの足を玄関の中にねじ込んでくる。


「まぁまぁ、そう言わずに。お話くらいしましょうよ」

「嫌だよ。指一本触れてなくても、部屋に入れた時点でとんでもない料金請求されそうじゃん」

「そんなぼったくりしませんよ。ていうか、お金を取るつもりなんてありません」

「金をふんだくる気がないんなら、何しに来たんだよ? JKがウチに来る理由なんて何もないぞ?」

「理由なら、さっき言ったじゃないですか。お話しましょうって」


 話がしたいだけ、か。俄かに信じがたい話だな。

 だって俺みたいに冴えない男と話したい奴なんて、いるわけがないだろう? 

 しかも相手は初対面のJKときた。間違っても、俺は一目惚れされるようなタイプじゃない。


 だけどこの状況をご近所さんに目撃されたら、変な噂が立つのは間違いないし……さて、どうしたものか。

 思考を巡らす俺だったが、それらは全て続くJKの一言で真っ白になる。


「難しいことは考えないで、中に入れて下さいよ、士郎さん!」


 ……え? 何でこのJKは、俺の名前を知っているんだ?

 俺は名乗っていないし、表札には名字しか書かれていないから、士郎という俺の下の名前を彼女が知っている筈がない。


「あれ? 日下部士郎さんで、あってますよね?」

「あっているけど……何で俺の名前知ってんの?」

「さあ? どうしてでしょう? 中に入れてくれたら、教えるかもしれませんよ」


「じゃあ、教えて貰わなくて良いです」と門前払いにすることも出来たが、それはそれでなんとなく気持ち悪い。

 お金は取らないって宣言しているし……仕方ない。

 俺は渋々ドアを開けて、JKを家の中へ歓迎することにした。


「狭い部屋で悪いな。好きなところに座ってくれ」


 社交辞令でそう言ったが、だからってベッドの上に座るか、普通?

 一人暮らしの男の家に入り、速攻ベッドの上に座るとか、一体どういう教育を受けたらこんな痴女になるんだよ?

 

 俺はJKの前に、マグカップを置く。

 中身はティーパックの紅茶。改めてお湯を沸かすのは癪だったので、カップ麺を作る時に使ったお湯の残りを注いだ。だから結構ぬるかったりする。


「ご丁寧に、どうも」


 お礼を言った後、JKはマグカップを手に取り、紅茶を啜る。


「結構なお手前で」


 そんなわけあるか。量産型のティーパックだぞ。

 第一そのセリフは、紅茶ではなく抹茶を飲んだ時に言うものだ。


 自分の前にも紅茶入りのマグカップを置き、床に腰を下ろした俺は、早速本題に入ることにした。

 

「それで、結局のところお前は何者なんだ? どこから来たんだ?」

「私ですか? 私は異世界から転生してきた勇者です!」

「制服着た勇者がいるか。つくならもっとマシな嘘をつけ」


 とはいえJKも、嘘だと見抜かれることは当然わかっている。その上でこんなふざけた回答をしたということは……俺の質問に、真面目に答えるつもりがないということだ。


「質問を変える。お前、名前は?」

「吾輩はJKである。名前はまだない」

「名前がなくてどうやって高校に入ったんだよ?」

「じゃあ、花子でお願いします」


 百パーセント偽名じゃねーか。

 しかも「じゃあ」って何だ、「じゃあ」って? せめて誤魔化そうとする努力くらい見せろよ。


 その後も質問を続けるが、どの質問に対してもJKは真面目に答えようとしない。

 とうとうこのJKの正体は、わからずじまいだった。

 でも、この子はなぜか俺のことを知っている。本当に……一体何者なんだろうか?





「「あれ」、買い替えなきゃな」


 土曜の昼下がり。この日は大学の講義もバイトもなかったので、部屋で漫画を読みながらゴロゴロしていた。

 本当はベッドに寝転がりたかったんだけど、現在ベッドはJKに占領されている。代替案として、俺はカーペットの上に寝転がっていた。


 漫画を一冊読み終わったところでふと窓の方に目を向けると、そろそろ「あれ」の買い替えの時期だということを思い出す。


 ……え? 「あれ」とは何かって?

「あれ」っていうのは、カーテンレールのシャーのことだよ。


 名前はわからない。前に教えて貰ったような気がするけど、カーテンレールのシャーで十分意味が通じるから覚えようとしなかった。

 このように、その存在は知っているけど名前がわからないものって、意外と沢山ある。


 そして名前の知らないJKは、依然俺の部屋に居座っている。


「士郎さん。この漫画の四巻って、そっちにありますか?」

「あるぞ。ていうか今、読んでる」

「わかりました。でしたら終わったら貸して下さい」

「了解〜」


 あと10ページ足らずで読み終わりそうだったので、俺は少しペースを上げて読み進める。

 2、3分で読み終わり、俺は四巻をJKに渡した。


「ほい」

「ありがとうございます」


 …………。

 なんか、このやり取りにも違和感がなくなってきたな。


 JKが住み着き始めて、一週間とちょっと。最初の二日間は疎ましく思っていたけれど、一週間も経つと不思議とJKと一つ屋根の下の生活にも慣れてくる。人間の順応性とは、まったく恐ろしいものだ。


 しかしJKが望み、俺が慣れたからといって、この現状を看過することは世間が許さない。

 俺は漫画の続きに手を伸ばしながら、JKに尋ねる。


「お前さ、いつまでウチにいるつもりなんだよ?」

「特に期限を決めているわけではありませんが……迷惑でしたか?」

「今更迷惑もクソもあるかよ。……そうじゃなくて、一週間も家に帰っていないんじゃ、親御さんが心配するんじゃないのか?」

「あぁ、そういう。それなら心配無用です。両親には士郎さんの家で暫く過ごすと言ってありますから」

「え? 親御さんも、俺のこと知ってんの?」

「知ってますよ。「士郎くんは真面目な子だし、間違いも起こらないだろう。安心して娘を任せられる」って言ってました」


 名前も知らないJKの両親に、どんだけ信頼されているんだよ? 嬉しさよりも、気味悪さの方が強かった。


 そうなると、このJKは俺の中学か高校の頃の同級生の妹とかになるのか? だったら彼女が親御さんがこれのことを知っていても、なんら不思議はない。


 俺は一週間ぶりに、改めてJKに名前を尋ねた。


「この家に来た時も一回聞いているけど、お前は何て名前なんだ?」

「だから花子ですって」

「どう考えても偽名としか思えないが、この際下の名前はどうでも良い。苗字は?」

「……佐藤です」

「成る程。佐藤花子、ね」


 絶対嘘じゃねーか!

 佐藤も花子も、よくいる苗字とよくいる名前だ。それらを組み合わせとなると、本名だとは到底思えない。

 やはりJKは自身の名前を教える気がないようだ。


 名前を聞き出すことは諦めて、漫画に集中し直そうと思っていると、突然スマホにメッセージが届いた。


「彼女さんですか?」

「彼女がいたら、JKを住まわせたりなんかしねーよ。……姉だよ、姉」

「あぁ、お姉さんですか」


 納得したように、JKは頷く。

「お姉さんがいたんですか?」と聞いてこないことから察するに、多分姉のことも知ってるな。

 このJKの謎が益々深まるばかりだった。





 日中姉から届いたメッセージ、その用件は「今夜久し振りに飲まないか?」というものだった。

 JKを住まわせている手前、夜家を空けるのはどうかと思った俺だったが、彼女から「折角のお誘いなんだし、行って来なよ」と言われたものだから、お言葉に甘えることにした。


 姉の仕事が終わる時間に合わせて、近所の居酒屋で合流する。

 互いに最近実家に帰っていなかったので、こうして顔を合わせるのは久し振りだった。

 一杯目は生ビールで乾杯し、その後近況報告に移る。


「最近どう? 特に変わったことはない?」


 そんなわけがあるか。つい先週、大きな変化があった。


「なんか部屋に女子高生が住み着いた」

「……」

「おい、待て。無言でスマホを取り出すな。そして110しようとするな」


 ジョッキを置いてスマホを操作し始める姉を、俺は慌てて制止した。


「だって、未成年の女性を部屋に連れ込んでいるとか言い出すから……」

「言い方! 俺が連れ込んだんじゃなくて、あいつが勝手に住み着いているだけだから! ……それにどういうわけか、俺のことを知ってるみたいだし」

「士郎のことを知ってる? だったら、前に会ったことあるんじゃないの? 写真とかある?」

「ツーショットでよければ」


 俺はJKに無理矢理撮影&保存させられたツーショット写真を姉に見せる。

 写真を見た姉はというと、


「これ、美奈ちゃんじゃない」

「美奈ちゃん?」

「えぇ。再従姉妹にあたるわよ。高校生の時に、曾祖父ちゃんの葬式で一回だけ会ったことがあるわ」

「あー、あの時の。随分大きくなったものだな」


 姉に言われて、そんな親戚もいたなと思い出す。当時の彼女は影の薄い印象だったので、まるで記憶に残っていなかった。

 それに成長した彼女は、信じられないくらい可愛くなっていて。だから気が付かないのにも、無理はないだろう。


「美奈ちゃんはすごく人見知りで、あんた以外と喋ろうとしなかったからね。ていうか、あんたにだけ妙に懐いてた」

「だったな。……でもどうして美奈は俺の家を訪ねて、その上住み着いてりしているんだ?」

「あら? 年頃の女の子が男の家に住み着く理由なんて、一つしかないと思うけど?」


 好きだからーー。姉にそう言われて、俺の顔は赤くなる。

 決して酒に酔ったからとか、そういうわけではなかった。


 俺はパンとか止めるアレの名前を知らない。カーテンレールのシャーの名前を知らない。

 だけどいつの間にか俺の家に居座っているJKが、美奈という名前なのは知っている。

 そしてきっと、俺はその名前を一生呼び続けるのだろう。

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