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魔族が育てる箱入り娘

作者: なかの豹吏

ご閲覧ありがとうございます。

 


 世界最先端の設備と、最新の情報が飛び交う都会の街『ロンドリカ』。 ここは様々な職種が入り乱れる商業都市だ。 その中心に大きく陣取り、どこか威圧感を感じさせる三階建ての建物がある。


 それは大手宝石商、『ハルバート商会』の本社である。



「先週言った筈のデザインが上がってこないな」


 美しい木目の机を前にし、格調高いアンティークの椅子に座する男。 黒いシャツに赤いネクタイ、そのシャツより深い黒のスーツを着たこの人物こそ、ハルバート商会の社名を名にする商会の主、ハルバートその人だ。


「はっ、その件に関しては副社長のメイス様から報告がありまして、途中変更をハルバート様から承った為、完成にあと二日頂きたいと」


 秘書らしき男が事情を伝えると、ハルバートは情熱的な深紅の瞳を、温度の無い真逆な色に見せて秘書に向けた。


「そうか」


「はっ、はい……何かメイス様にお伝えする事があれば、そ、早急に対処致します」


 ハルバートの冷えた視線に、文字通り冷や汗を掻き取り繕うが、


「その必要は無い、メイスはクビだ」


「――は?」


 無駄だったようだ。


「メ、メイス様は、副社長ですが……?」


「それがどうした。 それで、奴からの連絡はいつあったのだ」


 恐らくは長年会社に貢献しただろう副社長を、解雇した途端 “奴” と突き放す。 もうハルバートの中では無関係な他人という事だ。


「それは、昨晩遅くでした」


「そうか、お前もクビだ。 出ていけ」


 まだ三十にも満たないだろうと見受けられる美青年は、眉一つ動かさずに言い放った。


「――は……そっ、そんな! 私は――」


 当然言い分のあった秘書は申し開こうとするが、言葉はそれ以上続かなかった。 聞いても無駄、何も変わりはしないとハルバートの目が言っていたからだ。


 それどころか、



(こ、殺される……)



 これ以上この場に留まっては命は無い、数秒前まで秘書だった男は、そう直感する程の危機感を感じた。


 逃げるように秘書が部屋を飛び出した後、一人になった部屋でハルバートは双眸を伏せる。


「まったく……」


 人間と魔族の凄惨な戦争が終わって二十年余り、最も発展した都市の一つであるロンドリカでこれだけの店を構えるのは容易ではない。

 それも、彼は二世や三世ではなく、誰の援助も無くゼロから起業したというのだから、その手腕は驚嘆に値するだろう。


「くだらん時を過ごした、今日はもう戻ろう」


 まだ正午にもならないというのに、ハルバートは仕事を切り上げ会社を後にした。


 馬車に乗り街外れへと向かう途中、ロンドリカに知れ渡った名と端正な顔は、車内の窓越しに人々の注目を集める。


 そして、人気(ひとけ)の無くなった郊外まで出ると、


「ここでいい、止めろ」


 御者に馬を止めさせ、馬車を降りた。


「今日の仕事は終わりだ、帰って休め」


「はっ」


 こんな場所で降りてどうするのかと思うが、馬車はハルバートの指示でもう声の届かない所まで遠ざかっている。


「無能で、卑屈で、おこがましい、必ず滅ぼしてくれる……!」


 尋常ではない拒絶の声音で、それに狂気と思える程の殺意を乗せ吐き出す。 だが疑問なのは、その対象は何なのか。 今しがた解雇した副社長メイスにか、それともハルバートの威圧感に逃げ出した秘書か。



「皆殺しだ……――――人間共めッ!!」



 人間と魔族の戦争が終わり二十年余り。 人は地上に、闇を好む魔族は地下ダンジョンへと生活の場を取り決め、和睦を成立させた。


 それでも、未だ小規模の小競り合いは起こり、遺恨は消え去っていない。


 人間界に潜伏し、いつしか根絶やしにと切望する武闘派幹部、大手宝石商ハルバート商会の主にして、魔王軍三指の実力者、ミラドールのように。




 ◆




 ロンドリカからどれくらい離れただろうか、密林の中をミラドールは走っていた。


 風が追いつけずに後に居るような速度で密林の中を駆けても、その衣服は魔力に守られ汚れ一つ無い。 足場の悪さを全く感じさせず、障害物となる筈の木々達は、まるで自ら避けてくれているかのように邪魔をしない。


「――っ……なんだ」


 異変を感じたミラドールは足を止め、その原因に神経を集中させた。


「……人間の反応が一つ、かなり微弱だが」


 こんな場所に人間が一人、それもどうやら弱っているらしい。 となると、


「遭難者か」


 辿り着いた答えを念の為確かめようと、反応のあった場所に向かってみる。 それと理由はもう一つあった。


「私の通り道だ、今後人が寄り付かないように――――殺すか」


 人間社会に潜伏するための仮の姿、その爪が人ならざる物へと変わっていく。 装備も無いただの一般人ならば、小バエを払うつもりで輪切りにしてしまうだろう。


 音を微塵も聴かせずに反応に接近し、そしてミラドールが見た物は、


「……なんだこれは」


 微弱な反応、それは遭難者ではなく、毛布に包まれた赤ん坊だった。


「捨てられたのか、まったく人間という奴は」


 密林に捨てられ眠る赤子、だからと言ってどうする訳でもない。 こんな場所ならば獣達に襲われ、夜までには骸になっているだろう。 いずれ自分が滅ぼす種族、それが一人死ぬだけだ。

 同じ魔族であっても、失敗した部下を何の躊躇も無く塵にするミラドールにとって、人間に対しての慈悲などあろう筈が無い。


 早々に立ち去り、自らが魔王に任されたダンジョンへと戻ろうと思った、その時―――


「む」


 その赤ん坊の瞼が微かに動いた。

 そして、ゆっくりと開いていき、薄茶色の宝石のような瞳が露わになる。


 まだ視力があるとは思えないが、見下ろす冷血な魔族、人類の驚異である武闘派幹部に向けて赤ん坊は、



 ――――にっこりと微笑んだ。



「……よく、わからんな」


 ミラドールはその場を離れ、間もなく到着するダンジョンの入口へと向かった。


「よくわからん」


 もう一度、同じ言葉を呟いて。


「……わからん」


 三度目を言った時には、魔王軍三魔傑の一人、ミラドールとして自らのダンジョンに戻っていた。



 ――――赤ん坊を抱いて。





 ◆





 午前中の訓練を終え、昼食を摂ろうとした時だった。 ミラドール様が戻られていたようで、私を呼んでいると伝えられたのは。


 戦争が終わってから、他のダンジョンでは厳しい訓練をしている所は少ないらしい。 だが、ここミラドール様が治めるダンジョンでは今も、いや、以前より厳しい訓練が日々行われている。


 ミラドール様の中では戦争は終わっていない。 必ず雌雄を決し、人間共を滅ぼすおつもりだ。

 私は必死に訓練に取り組んだ。 少しでもミラドール様に認められ、お役に立つ為に。 中級魔族の私など相手にもされないだろうが、それでも……ミラドール様は私の、―――憧れだから。


 でも、それも叶わぬ夢。

 今日で私は死ぬのだから。


 私が呼ばれた部屋は、別名処刑部屋。 ここに呼ばれて生きて出てきた者はいない。 どんな失態を犯したのか身に覚えはないが、私ごときがミラドール様のお考えを知ろうなどとおこがましい事だ。


「………」


 扉の前に立つ私は、もう数分ノックを出来ないでいる。 ミラドール様をお待たせしてはいけないというのに。


「情けない」


 寧ろ望んでいたではないか。 人間と戦って死ぬのは戦士の誉れだが、どうせ死ぬのなら貴方様に殺されたいと。


「……よし」


 意を決し、扉を二つ叩いた。


「入れ」


「はっ!」


 部屋に入ると、私ごときがお会いした事はないが、魔王様の玉座のような禍々しい椅子があり、それに腰掛ける神々しささえ感じる憧れの人が目に映った。


 ……魔族が神々しいなどと、こんな事だから処分されるのだ。


「ポワリエ、だったな」


「はっ!」


 私なぞの名を覚えてくださっているとは……冥土ノ土産にも勿体無い……。


 ああ、これで思い残す事は無い。

 ミラドール様、ポワリエは幸せでした……。


「貴様、乳は出るのか」


「……………は?」


 今、ミラドール様は何とおっしゃった? 私の聞き間違い……だろう。


「答えよ、乳は出るのか」


 これは……聞き間違い……



 ――――じゃないッ!!



 確かに聴こえた、ミラドール様は私に『乳が出るのか』と訊いている……!


「ち、乳……でございますか……」


「事は一刻を争う。 私が把握している中で、貴様がこのダンジョンの雌で最も乳が大きい筈だ」



 なっ、なな……――――何なんだこの状況は!?



 た、確かに乳は……そうかもしれないが……。 というか、こんな事をミラドール様に言われるなんて嬉しいやら恥ずかしいやら……ッ!


 ――いや、ちゃんと考えろ。 私は今処分部屋に居るんだぞ? ミラドール様は一刻を争う事態だとおっしゃった。 ということは、返答次第で私の生死が決まるのではないか!?


 ……どっちだ。 出る? 出ないが正解か? いや、そもそも……



 ――――出る、訳がない。



 腹に子も居ないのに乳が出る筈ないだろう!? ―――はっ! まっ、まさか、ミラドール様は私に……つ、(つがい)になれ、と?


 中級魔族の私が、ミラドール様の子を孕む……なんて……



「――よっ、喜んでお出ししますッ!!」



 ああ、もう殺されてもいい……。

 父さん、母さん、ポワリエは幸せになります……。



「ふむ、そうか」


「もちろんです! 今すぐにでもこの身を……」



 捧げようとした時、ミラドール様は胸元から何かを取り出した。 それは……



「こ、これは……」


「赤子だ、人間のな」



 ―――訳が、わからなかった。


 我々魔族が憎むべき人間。 その赤ん坊を、最も人間を憎む人が持っていたのだから……。




 ◆




 結局ミラドールは人間界にまた戻り、情報を集めて赤ん坊に与えるミルクの材料、その作り方、その他必要な諸々を部下に揃えさせダンジョンへと戻って来た。


「こんなに手間のかかるものか。 ポワリエ、貴様も中級魔族ならば、人に化ける事は出来るな?」


「はっ」


「ならば、明日からは私と共に人間界へ着いて来い」


「わ、私がミラドール様と……―――はいっ! 必ずお役に立ってみせます!」


 ハルバートとして商会の管理、更にダンジョンの主としての管理を考えると、赤ん坊の世話まではとても手が回らないという判断だろう。


「では、お前の人間界でのコードネームは『ナージュ』だ。 今までは正体の露見を恐れて一人でやってきたが、そうも言ってられん」


「はっ、ご迷惑はお掛けしません」


「この赤子は人間を知る為に育ててみる。 いずれは密偵や暗殺者として駒にするのもよかろう」


「はっ」


 大義名分は出来たが、どこか腑に落ちない所がある。 それがまだ、ミラドールにはわからなかった。


「……決して死なせるなよ」


「はっ」


 こんな事を、自分が言っている理由も。




 ◆




 翌日、コードネーム『ナージュ』を連れロンドリカに着いたミラドールは、広場で一人の女性と待ち合わせていた。


「ハルバート様っ」


 弾んだ声でやって来たのは、家柄の良さそうな、若く美しい女性。 長身のミラドールを見上げ、頬を赤らめて微笑んでいる。


「今日はお時間を頂きありがとうございます、キャロリン」


「いえ、そんな……」


 挨拶を交わすミラドールに、ポワリエのテレパシーが届く。



(ミラドール様、このような雌に何故……)


(ポワリエ、人間界での生き方だ。 貴様も見て学べ)


(はっ……)



「あの、そちらの方―――わっ……」


 思わず口に手をやるキャロリンが驚いたのは、ブラウスのボタンを弾かんばかりの豊満なポワリエの胸だった。


「彼女はナージュと言いまして、私の部下です」


「そ、そうですか、よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願い致します」


 事前にミラドールから愛想良くと言われていたが、どうしても冷たい声になってしまうのは仕方が無い。 相手は宿敵である人間なのだから。


「――え」


 あまりに衝撃だったポワリエの胸で気づかなかったキャロリンは、紹介されたナージュが抱きかかえている物にやっと気づく。


「あの、その赤ん坊は……」


「まあ、詳しい事は馬車の中で。 どうぞ」


 ミラドールに促され、直ぐにでも事情を聞きたい顔をしたキャロリンは渋々馬車に乗り込む。 そして二体の魔族と赤ん坊が続き、行き先を言われていない馬車は広場に留まる。


「キャロリン、貴女は慈善活動で子供や赤ん坊の世話をする施設を手伝っていると聞いた」


「はあ」


「そこで、このナージュにそれらが手に入る場所や、赤子を育てる為に必要な能力を身につけられる場所を教えて欲しいのだ」


「の、能力……ですか」


 言葉に違和感は感じたが、言われている内容はどうにか把握出来た。 キャロリンは訝しんだ顔をしながらも、


「それでは、ビュロニア通りの方へ向かってください」


 それらが手に入る場所へと目的地を告げる。


「感謝する。 おい、ビュロニア通りへ向かえ」


「はっ」


 御者が主の指示に応え、馬車はゆっくりと動き出した。 そうしてやっと、キャロリンが知りたかった事情を聞ける体制が整うと、ミラドールがそれを察して口を開く。


「実は親友に不幸があって、この赤ん坊はその忘れ形見なのです」


「そんな……それは、お悔やみ申し上げます……」


「ですが私は独り身で多忙な毎日、そこで部下のナージュに世話を頼もうと」


 事情を語り出したミラドールだったが、その説明ではキャロリンの頭に疑問符が浮かんでしまったようだ。


「そう、ですか……。 ですが、それなら専門の乳母を雇った方が――」


「そうはいきません」


 常識的な意見を提案したキャロリンの言葉は鋭く遮られる。


「私は短い年月で成り上がった人間です、正直敵は多い。 信頼する部下にしか大事な親友の子を任せられない。 このナージュは、護衛としても十分な力を持っている」


「な、なるほど」


 異論を挟ませない、威圧的すら感じる諸事情、頭を押さえつけられたキャロリンはただ頷くしかない。 そしてポワリエは、


(わ、私を信頼……十分な力と……!)


 憧れのミラドールに褒められ、喜びに打ち震えていた。 だが、その余韻にキャロリンが水を差してしまう。


「あの、もしよろしければ、私がその子の世話を致しましょうか?」


「「――は?」」


 同じ台詞であったが、ミラドールのそれは疑問で、ポワリエのそれは違った。


(ミラドール様、この雌を殺す許可を……!)


(ならん、こやつにはまだ利用価値がある)


(この人間めは私の仕事を奪おうとし、私より有能だとほざいております! その上あろう事かミラドール様に色目を――)


(私に二度、同じ事を言わせるのか)


(もっ、申し訳ありません……)


 いきり立つポワリエを制したミラドールにより、キャロリンの命は救われた。 だが、ミラドールとしてもその申し出を受けるつもりは無い。


「いや、そのようなご迷惑はかけられない」


「そんな、何も迷惑など……」


 言い縋るキャロリンが言葉を終える前に、馬車が目的地に着き揺れが止まった。


「さ、行きましょう」


 先に馬車を降り手を差し出すミラドール。 キャロリンは乗り込んだ時と同様の渋い顔で、それに続くポワリエは未だに殺気立っている。


 全員が馬車から降りた時、馬を引いていた御者の姿は無く、降り立った場所も、どう見てもキャロリンが言った目的地とは思えなかった。


「……なるほど、御者が買収されていたか」


 ミラドールはもう事態を把握したようだ。 それもその筈、人気(ひとけ)の無い港に、武器を持った男が五人。 そして、一番奥に居るスーツの人間を見た事がある。


「どうも、ハルバート様」


 そのスーツが、ミラドールを人間界の名で呼んだ。


「貴様は………誰だ」


 見た事はあるが、覚えてはいなかったようだ。 スーツの男は忌々しそうに鼻を鳴らし、


「そう言うと思いましたよ、貴方ならね。 それでは自己紹介しましょう、私は先日まで貴方の会社の副社長をしていたメイスです。 こうして名乗るのは十年以上振りですね」


 恨み節のように自己紹介を済ます。


「は、ハルバート様……」


 事情のわからないキャロリンは怯えるばかり。

 しかし、当の本人は当然と言えば当然だが、涼しい顔でメイスに応える。


「何のつもりとは聞くまでもないが、お前も私をそれなりに見てきただろうに。 やはり、無能は切り捨てて正解だったな」


 辛辣な言葉を受けたメイスだったが、それに傷つく必要はもう無かった。 何故なら自分はもう、ハルバートの部下ではないからだ。


「知ってますよ、貴方は力任せにこの街で台頭した男だ。 今まで何度となく命を狙われ、それをまた力で跳ね除けてきた。 だから、こうして大金を払って腕利きを集めたんですよ」


 伊達に副社長を務めていた訳ではない。 ハルバートの力は熟知しているし、それに見合う人間を用意したとメイスは豪語する。


「貴方のやり方には多くの幹部が不満を抱いている。 つまりここで貴方が消えれば、喜ぶ人間は少なくないって事です。 その後はご安心を、この私がしっかり商会を盛り立ててみせますから」


 用件は予想通り、ミラドールはポワリエの傍に行き、


「赤ん坊は私が抱いていよう。 お前の力を見せてみろ」


 実力を示せと命じた。


 それは、今後世話役として任せられる人材かを試す試験。 ポワリエは紫紺の瞳を潤ませ、いつか見てもらおうと鍛錬した日々を思い出す。


「機会を与えて頂き、この上ない喜びです」


「当然解っていると思うが、()()()()()、だ」


 キャロリンには何の事かという話だが、ポワリエには理解出来ている。 つまり、本当の姿を晒さずに倒せ、という事だ。


「御意」


 ポワリエは赤ん坊をミラドールに預け、瞳の色と同じ長い髪を掻き上げて、武装する男達の前に立った。


「だ、大丈夫なのですか?」


「なに、この程度を払えないようでは親友の子は任せられない。 それに先程言いましたが―――あれには十分な力があります」


 キャロリンの不安を払拭する台詞ではあるが、部下と紹介されたナージュは丸腰の上に女性。 相手は男で、武器を持った高額の手練だと言われている。 どう言われようと安心出来るものではない。


「おいおい、こりゃどういう事だ? 男が引っ込んでいやらしい身体の女が前に出たぞ?」


「はは、いいじゃねえか。 仕事の後の楽しみが増えたって事だろ?」


 舌なめずりをしながら近づいてきた二人の男は、武器も構えずに不用意に歩いてくる。 ()()()()、ポワリエは居た。 男達は、まだ彼女が数メートル先に居る目線のままなのにだ。


「アレだ、小賢しい魔法使いは居ないのか」


 その声は、男達の耳元で聴こえた。

 次の瞬間、細白い手は男達の顔面を掴み、それを地面に埋まる程めり込ませた。


「お前らは、アレが居ないとやり易いな」


「――なっ、なんだ!? くそっ、ただの女だと思ったが、ハルバートが雇った護衛かッ!」


 間違ってはいないが少し違う。 護衛ではあるが、ポワリエはミラドールの護衛ではなく赤ん坊の護衛だ。 守られる必要が無いのだから、魔王軍の三魔傑には。


「おっ、おいお前ら! 高い金を払ってるんだから仕事をしろッ!」


 戦況が読めなくなったメイスが慌てて発破をかける。 もう男達に油断はなく、相手は自分達と同じ手練だと認識し、残りの三人で全力を持って仕留めにかかった。


 だが、――――結果は無惨なものだ。


 油断していた二人とそう変わらず、三人も瞬く間に地に倒れた。


 認識違い、()()()()ではなかったのだ。 平和呆けが始まっていた人間界の手練と、再戦に備え、戦時中以上に鍛え抜かれた手練とでは次元が違う。


「どうなってる……いくら何でも、これは……」


 メイスの準備は十分ではなかったようだ。 用意した男達は倒れ、もれなく商会の乗っ取りという野望も崩れ去った。


 そして敗者の元へ、ゆっくりと勝者が歩を進める。


「あ……ああ……」


 港の風に揺れる銀髪が、メイスには鋭い刃物のように見えた。 震えが止まらないのは、すぐ先の未来、その刃が自分を切り裂くと確信しているからだ。


 見逃してなどくれる筈がない。 どういう訳か赤子を抱いているが、相手は自分が良く知るハルバート。 表情は一つしか持っていないのだから。


 メイスは腰砕け、目の前の処刑執行人を見上げるだけ。 命乞いをしないのは無駄だからではなく、恐怖に声が出なかった。


「命を狙われたのだ。 お前一人殺しても構わんだろう」


 長い足が振り上がる。

 それが振り下ろされた時も、深紅の瞳は何も変わらず、ただ赤を足すだけだろう。


「くたばれ、人間」


 それはハルバートではなく、ミラドールとしての言葉だった。 無慈悲に革靴の踵が振り下ろされ、港に――――砕けた音が響き渡る。



「……ハルバート様?」



 ナージュが不思議そうな声を出す。

 それと、


「緊急事態だ、こちらを優先する」


 赤ん坊の泣き声だ。


 ミラドールはポワリエ、キャロリンを連れ馬車に戻り、汚れたオムツを替えた。 するとまた、赤ん坊はにっこりと笑ったのだった。


 その後、キャロリンへの用事は日を改め、彼女を送ってダンジョンへと帰路についた。


 港には、武器を持った五人の男と、恐怖に気を失ったメイスが転がっている。 そのメイスの傍らには、大きく抉られた地面があった。

 メイスの脳天に足が振り下ろされる直前、ミラドールの耳には赤ん坊の泣き声が届いていたのだろう。


 あの冷血漢が、その声で狙いを外した事の方が、『よくわからん』が。





 ◆





 ダンジョンへ戻った二体は、処刑部屋から子育て部屋となった部屋で赤子を寝かしつけていた。


「まったく、人間という生き物は理解出来んな。 あんな魔力も秘めていない石ころを、何故有り難そうにするのか」


 呆れた台詞は、巻き込んでしまった詫びとしてキャロリンに贈ったサファイアブルーのネックレスだ。 本来は用事が済んだ後の礼の筈だったが。


「仰る通りですが、ミラドール様から与えられれば、石ころとて私には家宝となります」


 そう言ったポワリエの語気が強かったのは、キャロリンに対する嫉妬の念だろう。


「……お前も、よくわからん。 あんな物、このダンジョンにいくらでも落ちているではないか」


 そう、それがハルバート商会の秘密。 それを部下達に採らせてくるだけで、商会は無限の利益を生むという無敵の企業なのだ。


「ミラドール様、そういえばこの赤子の名称は何でしょうか」


「そうか、決めていなかったな。 こやつの名は……そうだな、ミリアンだ」


「っ……」


 そう名付けた時、ミラドールの表情が微かに崩れたのがポワリエには衝撃的だった。 何故なら、ミラドールの顔は、柔らかく崩れていたからだ。


 初めて見た主の表情、その理由をどうしても知りたくなったポワリエは、機嫌を損ねる危険性をねじ伏せて口を開く。


「もっ、もしよろしければ、その名の由来をお教え願えませんでしょうか……!」


 何が琴線に触れるかわからない、最悪の場合、この子育て部屋がまた処刑部屋になる事だって考えられるが、ポワリエは言い切った。

 だが予想外にも、ミラドールは緊張に震えるポワリエを他所に、眠る赤子を見つめながら語り出す。


「まだ、若く未熟な頃、共にしのぎを削った奴がいてな」


 声の調子はいつもと変わらなかったが、何かが違った。 とにかく、命懸けの質問は綱渡りを渡りきれそうだ。


「先の戦争で人間に殺されたが、生きていれば私の番になる筈だった」


「――なっ、ミラドール様の番に……」


 つまり、生きていれば強大な力を持った魔族に成長していたという事。 三魔傑と呼ばれるミラドールが認める程なのだから、そうなのだろう。


「魔族のくせに、よく笑い、よく泣く雌だった。 どうだ、お前の名に相応しいだろう。 なあ、ミリアン」


 眠るミリアンに呼びかけ、無防備に眠る赤ん坊を見つめ、ミラドールはその柔らかな頬をつついてた。




 そして、一年半の月日が経った――――





 ◆





「くっ……も、もう少しだ……私は諦めんぞっ!」


「は、はいミラドール様っ! 今日こそ必ずや!」


 苦悶の表情を浮かべるミラドールとポワリエ。 この武闘派ダンジョンの一室で、今何が行われているのか、というと―――



「た……立った……」


「あぁ……本当に、なんて素晴らしい……」



「は、ははは………――――どうだポワリエッ! 立ったぞ! ミリアンが立ったぁあああッ!!」


「はいっ! 見事にお立ちになりました!」



 壁に手をついて、危なげに立つ小さな女の子。 ミラドールはその子を抱えると、人間を滅ぼし、本懐を遂げたとばかりに咆哮した。


「この子は天才だっ! そうであろうポワリエっ!」


「間違いごさいません! いずれ人間界はミリアン様に統べて頂きましょう!」


「――なにっ!? それはいい案だな! そうだ、ミリアンが王になれば良いッ! でかしたぞポワリエ!」



 一年半の月日のうちに、魔族軍の武闘派幹部はすっかり親バカになってしまったようだ。



「今夜は宴を開く! 皆に伝え準備せよ!」


「はっ!」


「それからポワリエよ、これからミリアンは言葉を覚えていく。 今後ミリアンの前では私は『パパ』、貴様のコードネームは『ママ』だ」


「――は? ママ、でございますか?」


「うむ、これは人間界で言う番を表す言葉だ。 今後もミリアンの為に命懸けで働け」


「番……ミラドール様と……」



 武闘派魔族に拾われた赤ん坊は『ミリアン』と名付けられ、人間の生態を調べる為に育てる事にした。 そしていずれは人間界への密偵、暗殺者として送り込む――――筈だった。


 だが、この親バカがミリアンにそんな危ない事をさせるとはとても思えない。


「――はっ、オムツを替えるぞ! 早くしなければお尻が被れてしまうっ! まったく、まめにやれと言っただろう愚か者がッ!!」


「もっ、申し訳ごさいませんッ!」



 その晩、何の息抜きも無かった地獄のダンジョンで、初めての宴が開かれた。 部下達は何の宴かわからなかったが、久しぶりに笑い合い、肩を組んで酒を飲み明かした。


 その光景を眺めるミラドールは、滅多に見せないご満悦の表情で、ポワリエが注ぐ酒を感慨深く煽る。


 その膝ですやすやと眠る、柔らかなミリアンの、淡いピンクの髪を撫でながら。



 だが、この数年後、学校へ行きたいと言い出した娘のひと言で、ミラドールのもう一つの戦争が始まる事を、『パパ』はまだ知らない――――。



 ◇



 余談だが、初めての宴の三日後、ミリアンが『パパ』と言ったと勘違いした親バカがまた宴を開いた為、部下達は更に宴が開かれるタイミングがわからなくなったらしい。




最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短編投稿ありがとうございます*\(^o^)/* 一年半で見事な親バカに成り果てたミラドールさんがステキ(笑)
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