47 天使の祝福
「うわああああああっ!」
見えない手に振り回され絶叫するマーク。
その体が激しく地面に叩きつけられる。
「が……っ」
彼はうつ伏せに倒れたまま頭から血を流して動かなくなった。
愚かなるナイト気取りの青年をアオイは見下し嘲笑する。
「無様ね」
この程度の人間がで紗雪を守るなんてよく言えたものだ。
マーク=シグーはラバースのJOYとは別系統の能力者である。
電気を操るその力は能力者組織で言えば班長クラス程度に値するだろう。
仮にアオイが自身の能力である≪氷雪の女神≫しか持っていなければ苦戦は免れなかったはずだ。
だが今は違う。
マナの≪不可視縛手≫
内藤清次の≪自由自在の夢心地≫
二つの準神器クラスの能力を得たアオイにとって、単なる電気使いなど敵にもならない。
Dリングの守りを破壊した手ごたえはあった。
まだ息はあるようだが、後は首を狩って終わりである。
哀れな抵抗者にとどめを刺すべく見えない手を伸ばすアオイだったが、
「……痛っ」
強烈な頭の痛みに思わず意識が乱れて能力の手を止めてしまう。
前々からその兆候はあったが、最近よくこの原因不明の頭痛に悩まされる。
特にマナの≪不可視縛手≫を手に入れてからはますます頻度は高くなっていた。
ふと、先ほどマークに言われたことを思い出す。
強力なJOYを手にした者の代償としての精神の混乱?
確かにそう言った症例があることも知識として知っているが……
「ふん」
アオイは思考を強引に打ち切った。
この私に限ってそんなわけがないじゃない。
普段のように物事を冷静に精査する必要すらない。
不愉快な気分にさせてくれた礼は命で支払ってもらおう。
「待って! もうやめて竜崎先輩!」
アオイ声に足を止めて肩越しに後ろを見る。
そこでは紗雪が両手を広げた十字の姿勢で固まっていた。
紗雪は当然のように乱入して来ようとしたので、現在は≪不可視縛手≫で両腕を固定してある。
いくら剛力のSHIP能力者であってもこの拘束を解くのは絶対に不可能だ。
「おとなしくしていなさい。今この邪魔者を始末するから」
「なんでよ! マークさんを殺す必要なんてないじゃない!」
「私の幼馴染である貴女をたぶらかせた悪人よ」
「だから私は竜崎先輩の幼馴染じゃないって言ってんでしょ!?」
わからない子だ。
まあ、きっと昔過ぎて覚えていないのだろう。
大丈夫よ、私たちの記憶はちゃんと消えないで私の中にあるからね。
「心配しないで紗雪。幼いころの思い出なんてなくっても、これからもっと仲良くしていきましょう。もちろん新九郎も一緒にね」
「だから違うって言ってんでしょうが! いい加減にして!」
紗雪は必死に力を入れて拘束を振りほどこうとする。
無駄だと言ってるのに。
「暴れないで。無茶なことをしたら骨が折れてしまうかもしれないわ」
「だったら早くマークさんの手当てをしてあげて! あんなに血を流したら死んじゃうよ!」
「……なんでコイツのことがそんなに気になるの?」
「別にマークさんだからとかじゃなくて、目の前で知り合いが死ぬかもしれないんだから、心配するのは当然でしょ!」
そう、紗雪は優しいわね。
でもそれはダメよ。
「貴女と結ばれていい男は新九郎だけ。こんな男の入る余地はないの」
「だーかーらー誰がそんな話をしてるのよ! 頭おかしいんじゃないの!?」
やれやれ……
まあいいわ、とりあえず始末しておきましょう。
アオイは紗雪から視線を逸らすと氷の刃を手に握ってマークの傍に立った。
マークは大企業の御曹司だ。
クリスタのタレントで客観的に見れば容姿も良い。
すでに恵まれている人間なんだから余計な興味なんて持たなければよかったのに。
「死になさい」
「やめろって――」
ぴしり。
ガラスの割れるような音が響いた。
同時に指先にしびれるような痛みを感じる。
JOYがダメージを受けた時の感覚だ。
「言ってんでしょうが!」
なんと紗雪は≪不可視縛手≫の拘束を力づくで振り解いてしまった。
今のは彼女を抑えていた見えない手が強引に破壊された感覚だ。
「馬鹿な……!」
「せいっ!」
紗雪は≪神罰の長刀≫を振り上げて全速力で駆けてくる。
それに対してダメージを受けた≪不可視縛手≫が自動的に反応した。
「やめ……っ」
オートモードの能力発動を止めるには使用者が強く意識をして制御しなければならない。
まさか拘束が破られるとは思っていなかったアオイはとっさの対処が送れた。
「でえええええぃ!」
敵意を持って迫ってくる武器を持った敵。
それに対して術者を守ろうと勝手に能力が作動する。
元の使い手であるマナを思わせる無慈悲なる≪不可視縛手≫の見えない手が、人並外れた力を持っていても肉体的にはただの人間である紗雪の胸部を、いとも簡単に貫いた。
※
「いやああああああ! 紗雪いいいいいい!」
アオイはすべての能力を解除して紗雪に駆け寄った。
受け身もとらずに地面に倒れ伏した少女。
すべてはもう手遅れであった。
「紗雪! 紗雪! 目を覚まして!」
地面に膝をついて紗雪を抱き上げる。
しかし彼女の負った傷はどう見ても致命傷だ。
見えない手は彼女の胸を貫通していた。
溢れる血が絶え間なく地面に流れ落ちる。
目を見開いたまま動かない紗雪。
その瞳はもう光を映すことはない。
たった一つのミス。
ほんの少し判断を誤っただけ。
それだけで人は簡単に死んでしまう。
殺しても死ななそうな少女だって、こんな風にあっさりと。
「紗雪いぃぃぃぃ!」
アオイは紗雪の遺体にしがみついて慟哭した。
これからみんなで幸せな生活を過ごすはずだったのに。
ラバースで偉くなって貴女たちを楽させてあげようと思ってたのに。
それもすべては幼馴染である紗雪と新九郎の……
幼馴染?
「痛……っ」
まただ。
またあの頭痛だ。
こんなものに悩まされてる場合じゃないのに。
紗雪が、アオイが何よりも大切にしていた人の片割れが死んでしまったのに。
私はこれからどうやって……
「大丈夫よ、アオイ」
その声は空から聞こえて来た。
アオイは紗雪の亡骸を抱きしめながら上を見る。
女がいた。
馬鹿みたいに巨大な白い翼を背負った女が。
アオイはその人物を知っている。
しかし、決してここにいるはずのない人物である。
「……アテナ?」
アミティエ第三班の副班長。
アオイが片腕として最も信頼を置いていた女だ。
だが彼女は確かAEGISの内藤清次の襲撃を受けて死んだはずでは?
それに。その背中の翼はなんだ。
エンジェルタイプの能力者のような翼。
「紗雪ちゃんはすぐに生き返るわ。そしてアオイ、あなたの頭の異常も治してあげる」
異様な不快感。
頭が急激にクリアになっていく。
紗雪を失った悲しみも薄れるほどの嫌な感じに塗りつぶされる。
アテナと同じ顔をしたコイツは何者だ?
「この私、第五天使アーティナの力があればね」




