36 頂上決戦
戦闘開始の合図はなかった。
始まりを意識した瞬間、双方が同時に動く。
赤い闇と紅の光が激突する。
強烈な熱風と破壊音が周囲に轟く。
それは衝撃波となって眼下の大地を揺らす。
両者は一度大きく離れ、一瞬後にはまた重なり合う。
魔王の名を持つ漆黒の剣が。
龍神の気を纏った小さな拳が。
何度も。
何度も。
何度も。
防御を意識することはない。
足を止めて考えることもない。
距離を取って機を計ることもない。
奇をてらった技を繰り出すこともない。
ただひたすら高威力の一撃のみをひたすらぶつけ合う戦い。
そうしなければ次の瞬間には相手の力に飲み込まれてしまうだろう。
力の限界を極めた者による頂上決戦。
それはもう人間同士の闘いとは呼べないものだ。
ビシャスワルトで神器所有者と龍神が最強の座を競い合う。
止める第三者はもう存在しない。
どちらかが消滅するまで戦いは続く。
ルシフェルが死んだ今、本来なら彼らに争う理由などは何もない。
それでも死を賭して戦うのは自分が最強だと認めさせるため。
最後に残った馬鹿二人の死闘は四十時間以上にも及んだ。
「はぁっ……」
「……ちっ」
ある瞬間、二人の動きが同時に止まる。
互いに体力の限界を感じてのやむを得ない停止だった。
同じ行動を取るタイミングがわずかでも遅れていたら勝敗は決していただろう。
しばし二人は無言で視線を交わす。
彼我の距離はおよそ一〇〇メートル。
空気すら振るわせるような緊張が走る。
どちらも次の一撃が最後になると悟った。
レンの右手に気が収束する。
深い紅色の龍が伏臥して獲物を待つ。
ショウの≪魔王風神剣≫がぐらりと歪む。
昏く沈む漆黒の闇が嵐の到来を予感させる。
双方、ゆっくりと前進。
どちらも表情は狂気に満たされている。
ただ相手を屠り喰らうことのみを望む二匹の獣。
距離が五十メートルを切った時、彼らは同時に最強の技を繰り出した。
「竜撃波ァ!」
「唸れ、暗黒闘気!」
龍の形をしたエネルギーがレンの拳から放たれる。
漆黒のエネルギーが暴風となってショウを中心に渦を巻く。
激突の瞬間、これまでにない衝撃が周囲一帯の空気を振るわせた。
「はぁぁぁぁぁ……っ!」
「うおおおおお……っ!」
龍神と神器所有者の最強の一撃。
それは遙か足元の大地にも凄まじい大破壊をもたらした。
当人たちは互いの攻撃の余波に耐え、相手を飲み込むべく残る力を振り絞る。
ビシャスワルト中を震撼させるエネルギーのぶつかり合いは五分を超えた辺りで限界に達した。
「うぉっ――」
「わっ――」
圧力に耐えられなくなった暗黒の暴風と龍の闘気が同時に爆ぜた。
ショウの≪神鏡翼≫は自動防御を発動。
しかし直後にバリアは消失し、衝撃のままに吹き飛ばされる。
レンは残った力を防御に回すが死なない程度に身を守ることに精一杯。
こちらも大きく後方へと投げ出された。
龍神と神器所有者の死闘は双方共に反対側の地平線の彼方へ消えるいう形で終幕を迎えた。
※
次元の裂け目を潜り抜け、異界へと侵入した香織は、まずその光景に目を奪われた。
「すごい、本当に別世界なんだ……」
マーブル模様の空、幾筋も走る雷光。
下にはどこまでも広がる漆黒の森。
どうみても地球上の風景とは思えない。
まさしくファンタジーな魔界そのものである。
香織は≪透明なる支配者≫で空気を操り、高度を調整しながらゆっくりと滑空していく。
突如、強烈な風が吹いた。
「きゃ――」
暴風のような衝撃に身体は容易く飛ばされる。
平衡感覚を失い、自分がどちらを向いているのかもわからない。
このままでは地面に激突してしまう、と恐怖を感じた直後。
「香織さん!」
自分の名前を呼ぶ誰かに抱き止められた。
逞しい腕が香織の身体をしっかり受け止める。
「え、あっ……」
Kだった。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。おかげで。あなたもここに来ていたの?」
「軍基地に潜んでいましたが、貴女の姿を見かけたので追ってきました」
Kのすぐ後ろには大きな岩山があった。
もし彼が支えてくれなければ激突していただろう。
「この世界で迂闊に動き回るのは危険です。俺の傍から離れないでください」
「わ、わかった……」
さっきのは自然現象だろうか?
異世界事情はまだよくわからない。
一瞬も気を抜けない場所なのである。
「ところで、なぜ貴女はこの世界に来たのですか?」
「ここにラバースの精神制御を外す方法があるって聞いたからだよ。貴方もここで洗脳を解いたんでしょう?」
「ああ、そういえば詳しい説明をしていませんでしたね。それは……む?」
香織の質問に答えようとしたKが、とある方向を見ながら短い声を発する。
彼の視線の先を追うと、ものすごい速度で飛んでいる何かを発見した。
飛んでいるというよりは吹っ飛ばされていると言うべきか。
緩やかな弧を描きながら夜闇のような真っ暗な樹海の中に落ちていった。
「なんだろう?」
「あれはおそらく……いえ、行ってみましょう。話は移動中にさせてもらいます」




