32 内藤清次VSアオイ
「頼むぜ、小石川……」
マンションの屋上から地上に降りた清次は万感の思いを込めて呟いた。
彼の中でラバースへの憎しみは一時たりとも消えたことはない。
なのに面と向かって反抗するような行動は起こせない。
これが脳を弄られるということ。
このもどかしさは筆舌に尽くしがたい。
従順な兵士のフリをしつつやりたくない罪も犯して耐えてきた。
歯向ってくる敵を命令に背かない程度にさりげなく援護しながら、内心の苦痛に耐えてラバース中枢に近い地位を保ってきた。
根が臆病な新生浩満を心から案じるフリをしながら奴の傍に居続けた。
理屈をこねくり回して自分をごまかしALCOの計画をサポートをしたこともある。
そしてついに清次は神田和代に新生浩満を殺させることに成功した。
浩満を倒した今、神器の二つまでもが彼女たちの手に渡ったことになる。
それらを駆使すれば次はヘルサードを追い詰めることもできるだろう。
残念ながら浩満が死んでも清次の心を縛っている精神制御は解けていない。
だが『K』はすでにそれを解く術を発見した。
いつかは香織たちを通じてその方法を知ることもできるだろう。
その時こそ、ようやく彼も平穏を取り戻せる。
「はっくしょん!」
それにしても、さっきまでは気づかなかったが今夜はヤケに冷え込む。
ひとつの山場を越えた安堵から緊張が解けているのかもしれない。
「うふふ、いけないんだあ」
「っ!?」
女の声が聞こえた。
清次は足を止めて≪七星霊珠≫を発動。
七つの光球を周囲に展開し、即座に戦闘モードへと入った。
「裏切り者はダメよねえ」
また同じ声。
女の声だ。
以前に会ったAEGIS候補の女。
たしか名前はアオイとか言ったか。
こいつはALCOを襲撃する任務を受けていたはずだ。
「どこにいる。姿を見せろ」
気が抜けていたにも程がある。
夏場にこの寒さは明らかに不自然だ。
恐らくは偶然だろうが、香織と親しげに喋っていた所を見られたらしい。
会話の内容も聞かれたと思った方がいいかもしれない。
不信感を持たれたのは間違いないだろう。
「交渉には応じる。AEGISに推薦して欲しいってんなら口をきいてやるぜ」
ALCOと内通していたなんて空人や速海に報告されたら、ラバースに対して敵対行動を取ったと見なされ抹殺対象になりかねない。
あいつらの受けた洗脳は清次と違って完璧に近く、人格にも大きな影響を及ぼしている。
清次が自身を騙してきたような言い訳は通じないだろう。
口を封じるしかない。
油断させて、隙を伺いつつ……
「推薦なんていらないわ」
アオイの声に嘲りの色が混じる。
「だって裏切り者を始末した功績を持ち帰った方が早いし楽でしょう。これから席もひとつ空く予定だし」
「単なる氷使いごときが、まさかオレとやる気か?」
舐められたものだが、かえって好都合だ。
調子に乗ったことを後悔する暇すら与えず返り討ちにしてやる。
周囲にはいくつかの建物がある。
声の出所はわからないが、隠れられる死角はそれほど多くない。
清次は何カ所かの目星をつけた上でゆっくりと光球を四方に散らばらせた……が。
「ん、なんだ、おい。どうした?」
光球が急に動かなくなった。
コントロールを失ったわけではない。
何か強い力に押さえ付けられたような感じである。
「嫌ねえ、その程度の能力で私をどうにかできると思っているのかしら」
直径二十センチ程の≪七星霊珠≫の光球は、一つ一つが大型トラックすら破壊できるくらいの出力を持っている。
かつてL.N.T.第一期で暴威を振るった女帝が使っていたJOYを再利用したものだ。
並大抵の敵ならば歯牙にもかけぬほど強力な能力ではある。
だが現代の最上位クラスの能力と比べるとやはり見劣りする感は否めない。
「≪七星霊珠≫なんて所詮はL.N.T.初期世代のJOY。内藤清次、あなたはAEGISの中で最も弱く、恐れるに足りない。裏切り者の汚名を被ったまま死になさい」
「ちっ、空人や速海と比べるんじゃねえよ。いいからさっさと出てきやがれ!」
それでも清次がAEGISに名を列しているのは、もう一つの能力が非常に強力だからだ。
空人や速海のように大勢の敵を相手に戦えるような能力ではない。
しかし、こと一対一となれば問答無用に相手を従わせることができる。
姿を見せたときが奴の最期だ。
「≪自由自在の夢心地≫は使わせないわよ」
「何?」
「あなたは私の姿を見ることなく死ぬの」
周囲が急に暗くなる。
マンションの灯りが消えたのだ。
それと同時に気温がガクンと下がった。
寒いなんてものじゃない。
風も吹いていないのに凍り付くようだ。
まるで全身を氷の塊で覆われているようである。
「おい、おい……」
姿も現さず一方的にこれほどの冷気エネルギーを送ってくるだと?
まるで空人の闇のようだ。
とにかく急いでここから待避するしかない。
足下もおぼつかない中、清次は身を隠せる場所を探して歩く。
近くにあった建物の金属製ドアに手をつく。
触れた瞬間、手のひらが凍り付いてしまった。
「冗談だろ、こんなことで……」
思考が鈍る。
猛烈な眠気が襲ってくる。
もはや寒さどころか痛みも感じない。
清次の最期は後悔も未練もなかった。
摂氏マイナス二七〇度の獄間の中、彼の人生は雪が解けるように幕を下ろした。
※
使い手を失った≪七星霊珠≫の光球が消えるのを待って、アオイは攻撃の手を止めた。
「ふうっ、ふうっ……はあ、はっ、はぁ……」
肩で息を吐く。
その場で膝を付きそうになるのを必死で堪える。
彼女の≪氷雪の女神≫の影響で地面は冷たく凍り付いたままだ。
下手に素肌で触れたら凍り付いてしまうかもしれない。
氷像と化した内藤清次のすぐ真横にアオイはいた。
真っ黒なバトルドレスに大きな丸帽子を被ったいつもの戦闘衣装である。
流石にこれだけの力を放出するのはとてつもない体力を消耗した。
ましてや有視界外から送り込めような力があるはずもない。
実はアオイはずっと清次の傍にいたのである。
氷の粒を纏って視界を歪めていたとはいえ、明かりの下ではすぐに気づかれていただろう。
≪不可視縛手≫で手当たり次第に電線を切って、周囲は一時的な停電状態になっている。
あらかじめ弱めの冷気を放出して思考力を鈍らせておいたのも功を奏した。
「うっ……はぁッ……!」
気力を振り絞って≪不可視縛手≫で氷像を破壊する。
凍り付いた破片の中から二つのジョイストーンが出てきた。
≪七星霊珠≫と≪自由自在の夢心地≫である。
これでアオイが持つ能力は四つ。
どれも班長クラスから準神器クラスの能力だ。
アオイは押しも押されぬAEGISと同等の力を手に入れた。
「ふぅっ、ふふ、ふふふふっ。もうすぐだから、はぁっ、待っていてね。新九郎、紗雪」
絶大な力を手にした氷の女王は砕けた死体を放置してマンションの屋上を後にする。
そしてアオイは愛する者たちを求めて灯りのない夜へと消えていった。




