29 ラバース総帥、死す
「ひゃーっ!」
ラバース総帥、新生浩満は情けない声を上げて逃げ惑う。
すでに≪絶零玉≫による時間停止も解除されていた。
「あぶっ!?」
鷹川が差し出した足に引っかかって床を転がる。
「不様ですわね」
「力に縋るだけのガキだとは思っていたが、ここまで醜いとは思ってはおらなんだ」
「ひいっ、ひいっ……」
和代と鷹川の二人から馬鹿にされても浩満は言い返すこともしない。
這いつくばって少しでも遠くへ逃げようと必死であった。
時間停止を実質無効化されただけで≪絶零玉≫自体の停止能力を封じられたわけではないが、それを使って戦おうなどとは微塵も考えられないらしい。
「た、助け……ひあぅっ!」
浩満の眼前に≪楼燐回天鞭≫の振動球が降ってくる。
床が抉れて小さなクレーターを作ったのを見た浩満は腰を抜かして失禁した。
「こんな惨めな人間に良いように遊ばれていかたと思うと、怒りを通り越した呆れを通り越してまた怒りが沸いてきますわね。生きたまま八つ裂きにしてやりたい気分ですわ」
「くっくっく。存分に痛めつけてから殺してやると良い」
満足そうに笑う鷹川。
和代は肩をすくめた。
「自分で言っておいてなんですが、まるで私たちが悪役のようですわね」
「悪役結構。他人からどう見られようが己の本懐を遂げるまで。貴様もそうであろう?」
「香織さんたちを裏切った私も同じ穴の狢であることは認めます。それにしても……」
和代は掌に載せた≪七色の皇帝≫のジョイストーンを眺めながら思う。
「こんなモノのために、随分と振り回されてきたものですわ。結局、あの男が生み出した歪みがすべての――」
その時、不思議なことが起こった。
和代の手の上にあった≪七色の皇帝≫が勝手に浮かび上がる。
強力な磁石に引っ張られるかのように、それは船室の壁を突き抜けてどこかへ飛んで行ってしまった。
「な……」
浩満の≪絶零玉≫による時間停止に干渉できる力を持った≪七色の皇帝≫が失われた。
這いつくばりながらこちらを振り向いた新生浩満の顔がみるみると変化する。
恐怖から歓喜、愉悦へと。
「く、くはは、くははは……! なんだかわからんが、これで形勢逆てんこきゅぎょびっ!?」
大笑いする浩満が行動を起こす前に≪楼燐回天鞭≫の振動球がその顔面にめり込む。
肉をズタズタに引き裂き頭部を貫通し、後頭部から脳漿をぶちまけて浩満は絶命した。
「……ちっ」
予想外の事態に対する反応は和代の方が圧倒的に早かった。
修羅場をくぐった経験の差からくる当然の結末である。
ただ、こんな風に奴をあっさり殺してしまったことが悔やまれる。
顔面ドーナッツになった浩満の亡骸が力なく倒れる様を睨みつけ、和代は思わず≪楼燐回天鞭≫を足下に叩きつけた。
「何が起こった?」
「≪七色の皇帝≫が何者かに奪われましたわ。恐らくは遠距離操作系の能力でしょうか」
「だからとっさに殺したのか。危ういところだったな」
殺さなければ時を止めた浩満に一方的に反撃を許していただろう。
仕方がなかったとは言え、予想外の横やりに和代の怒りは収まらない。
「悔しいですわ……ちーちゃんが受けた苦痛の、せめて万分の一だけでも与えてやりたかったのに」
「過ぎたことを悔やんでも仕方がない。それで貴様はこれからどうするつもりだ?」
鷹川の問いかけに和代は視線を宙にさまよわせながら答えた。
「もう反ラバース組織には戻れませんし、これからは単独で行動します。殺すべき相手はまだ残っていますので」
「身を隠すつもりなら便宜を図ろう」
「結構ですわ。貴方との関係は新生浩満を始末した今日の時点で終わりです」
「くっくっく……せわしないことで」
鷹川は満足そうに浩満の遺体を眺め降ろす。
それから疑似艦橋の窓へと視線を向けた。
「まもなく人類最後の大戦が始まる。我々日本人の復讐の狼煙が上がるのだ。どうだね神田和代君、先を急ぐ気持ちを抑え、今はこの歴史的な瞬間を共に鑑賞しないかね」
「興味ありませんわ。それより少し休みたいので、ベッドルームが空いていたらお貸しいただけますか?」
悦に入っているところ申し訳ないが、老人の語る日本人の復讐云々など和代にはまったく興味のないことである。
彼女の頭の中はすでに次の目標をどうやって追い詰めるかでいっぱいだった。




