25 追い詰められたラバース総帥
「くそっ!」
浩満は役に立たなくなった携帯端末を床に投げ捨てた。
直通回線で各地の軍事基地に命令を出しても、すべて異物として排除されてしまう。
国内十二箇所、国外三箇所にあるミサイル基地は、もはや総帥権限による機械的な命令を受け付けなくなってしまった。
アリスの役目は目途すら立ってない『アレ』の開発に着手した時点で終わっているはずだった。
まさか鷹川に目をつけられているなんて、こんなことなら殺しておくべきだった。
だが反転ガスを積んだミサイルを使用できなくなったわけではない。
自分が現場に赴いてこの手で作動させればミサイルは発射できる。
そうすればすぐにでも五大州すべてに惨禍をまき散らすだろう。
「クソ面倒なことしやがって……!」
浩満は口汚い言葉で怨嗟の声を上げ神田和代と鷹川総理を交互に睨みつけた。
そして彼は切り札である神器≪絶零玉≫を発動させる。
時が停止する。
人も、動物も、時計の針も。
落下中の物体も、生き物の呼吸も。
この世界にあるすべてのものが動きを止めた。
「……フッ」
甘く見たな、神田和代。
この≪絶零玉≫の存在は知っていても、何の予備動作もなく一瞬で発動できることは知らなかったと見える。
「さて、と」
これから浩満は自分の足で国内十二箇所、国外三箇所のミサイル基地を巡らなければならない。
面倒なことこの上ないが、まあいい。
せっかくなので長い旅行を楽しむとするか。
止まった時の中ならいくら時間をかけても構わない。
自分自身の体感する時間以外には何の変化もないのだから。
鷹川のせいにできないため国民への言い訳は苦しくなるが、自らの手で文明を終わらせるのもまた一興であろう。
勝ち誇った笑みを浮かべる鷹川総理。
拳銃に引き金をかけたまま睨む神田和代。
この二人も浩満が時間停止を解かない限りは決して動くことはない。
今ならば容易くこいつらの心臓を止めることもできるのだが……それは後にしよう。
すべてのミサイルを発射し終えたら、もう一度ここに戻って来る。
こいつらの処刑は作業を終えた後で絶望の顔を見るまで楽しみに取っておく。
なにしろこれから体感時間で数週間に及ぶ孤独な単独旅行をしなければならないのだ。
国内はいいが、海外の基地がネックだな。
まずは船内の小型艇を使って陸に上がろう。
それから適当な車を奪って、各地を回って……
そんな風に今後の予定を考えながら停止した二人の間を通り過ぎようとした浩満は、
「ぶごっ!?」
腹部に強烈な攻撃を受け、もんどり打ってひっくり返った。
不様に転がって壁にぶつかることでようやく体が止まる。
あまりの痛みにすぐ立ち上がることができなかった。
頭が混乱する。
なんで?
何が起こった?
なんで腹が痛いんだ?
ふと、以前にL.N.T.で内藤清次のJOYによる幻覚を受けた時を思い出す。
次の瞬間に浩満はそれを遥か上回るほどの衝撃を受けた。
「行かせませんわよ。言ったでしょう、あなたはこれからここで死ぬのですから」
恐る恐る顔を上げる。
ますます状況がわからない。
どうしてなんだ?
なんで神田和代が見下ろしている?
「まさか貴様、小石川香織の≪天河虹霓≫を……」
必死に考えて、ようやく浩満は一つの可能性を思い至った。
神器≪絶零玉≫を手にした浩満にもたったひとつ恐れるべき存在がある。
それは小石川香織の≪天河虹霓≫である。
あの能力はタイミングさえ合えば≪絶零玉≫による時間停止すら無効化する。
そして使用者自身とその手で触れた者を時の束縛から解放してしまう。
ALCOなどというちっぽけな反企業組織など遅るるに足りないが、あの女だけは危険だ。
神にも等しき力を持つ無敵の自分を唯一、この停止した時の中という聖地から引きずり下ろす可能性がある能力を持つのだから。
あれ、でもおかしいな。
たしか≪天河虹霓≫は極めて特殊な性質を持つJOYだ。
以前に詳しく調査させた結果、小石川香織以外には使いこなせない能力だと結論が出ていたはず。
そうでなければL.N.T.時代に殺してでも奪い取っている。
「残念ですが、見当はずれですわ」
神田和代は笑う。
獲物を前にした獣の表情で。
「私がここにいるのは独断であって、香織さんたちにも秘密だと言ったでしょう?」
その手にはジョイストーンがあった。
左手の指に挟んでこれ見よがしに見せつけてくる。
色は虹色。
浩満が知る限り初めて見る色合いだ。
「これは≪七色の皇帝≫と言うJOYですわ。簡単に説明するのなら他の能力を七つまで劣化コピーする能力です。六つ目まではすでに定まっていて、最後の一つはずっと空いたまま放置されていたのですが……」
浩満は目を見開いた。
能力の複製?
まさか、ということは。
「あなたの≪絶零玉≫をコピーさせて戴きました。劣化の程度がわからないのですでに停止した時間の中に干渉できるかは賭けでしたが……どうやら上手く行ったようですわね」
「う、うわあああっ!」
浩満は起き上がって手を伸ばす。
狙うのは神田和代の胸だ。
心臓を止めてやる!
その右腕を凄まじい衝撃が襲う。
「ぐぎゃあっ!」
有線式の振動球、神田和代のJOY≪楼燐回天鞭≫が浩満の肘を砕いた。
先ほど腹部に食らったのと同じ攻撃。
この能力はDリングの守りすら貫くだけの威力がある。
手加減はしているようだが、それでも浩満の華奢な腕をへし折るには十分な威力があった。
「楽には殺しませんわよ。なにしろ文字通りに時間は無限にあるのですから」
神田和代はもはや笑っていない。
ただ心のうちに強い憎悪を秘めた復讐者が近づいてくる。
「ゆっくりと地獄を見せて差し上げますわ」
ヤバい。
殺される。
「た、助けろ、誰かっ! 警備は何をやっているっ! そこにいないのか内藤清次っ!」
浩満は混乱の極みにあった。
ここは彼自身が停止させた時間の中である。
警備の人間はもちろん、一騎当千のAEGISたちが駆けつけることもありえない。
とにかく逃げようと背を向けて走り出すが、すぐに部屋の壁にぶち当たった。
「ぎゃっ!?」
今度は背中に振動球を受けた。
吹き飛んだ浩満は顔から壁に突っ込んでしまう。
倒れて仰向けになった瞬間、胃の中のものを盛大にぶちまけた。
「お、おげぇ……」
「私たちを弄んだ罪、L.N.T.に関わった者すべての恨みを込めて――」
地の底から響く怨念のように。
神田和代の静かな声が浩満の耳に届く。
「新生浩満、あなたを殺しますわ」




