8 逸脱者よりも恐ろしいもの
「つーか、どうするよ? 逃げるにしてもこのままじゃ下手に動けねえぞ」
地上にいても断続的な空気の震えを感じる。
その度に建物は軋みをあげ、車高の高い車は横転する。
レンとショウの二人がぶつかり合うだけで町に被害を出している。
遠く離れた海上で戦っている余波でこれだ。
もしあいつらが近づいて来たらと思うとゾッとする。
もう少し高度を下げて戦い始めたら津波が押し寄せる可能性だってある。
現在、PF横浜地区は新日本陸軍の仮駐屯地になっている。
隣の関内地区にも退避命令が出されているようで一般人の姿は見かけない。
とは言ってもあの様子なら東京湾周辺の沿岸地帯は軒並み大被害を受けているだろう。
「大丈夫。迎えが来るよう手配したよ」
香織がそう言った直後、やかましいエンジン音が聞こえてきた。
路地から顔を出すとドリフトしながらカーブを曲がってくるスポーツカーが見える。
「あ、噂をすれば。おーい」
わずかな距離だというのにスポーツカーは急加速して二人の前で急停止した。
パワーウィンドウが下がって窓から女が顔を出す。
シンクも知っている人物だ。
「お待たせ香織さん……って、あれ? 新九郎くん?」
元は千葉県の能力者組織のメンバー。
ショウたちと共にALCOに寝返った最初期の能力者の一人。
たしか名前はヒイラギと言ったか。
「説明は後でするから、とりあえず移動しよう」
香織は後部ドアを開けて車内に滑り込む。
シンクは少し迷ったが、一緒に行くことに決めた。
それにしても、どのタイミングで仲間に連絡を取ってたんだ?
「速攻で離れますよ。いくら防弾車両でもビルの下敷きになったら耐えられませんから」
「わかった、お願い。けどできれば安全運転でどわっ」
車が急加速する。
香織は前部座席のシートに顔をぶつけた。
シンクは素早くシートベルトを締めていたため事なきを得る。
相変わらずとんでもなく乱暴な運転をしやがる女である。
シンクたちを乗せた車は人通りのない道路を猛スピードで駆けていく。
「いたた……と、ところで、みんなは無事なの? 襲撃を受けたって聞いたけど」
「ケンセイとタケハが重傷ですけど、死者はいません」
よく見ればこの女、左腕をギブスで固定して首から釣っている。
片手運転でこれかよ。
「気まぐれで見逃されたようなものですけどね。逸脱者ってのがあそこまでのバケモノだとは思いませんでしたよ。力を合わせればそれなりに戦えるものだと思っていました」
「ごめん、私の見通しが甘かった。御曹司の下についてた能力者組織の方は?」
「別の逸脱者によって壊滅したそうです。私の知り合いもみんな殺されました」
「……くっ」
日本中に全部で一〇あった能力者組織のうち、本社直下の二つとすでに壊滅していたポシビリテを除く七つの組織はルシフェルの下で再編され、『ヌーベルアミティエ』を名乗っていた。
本人たちにルシフェルと共に反旗を翻した自覚があったのかどうかはわからない。
だが形としてはラバース本社に敵対したため容赦なく壊滅させられてしまった。
中にはシンクがかつて所属していたアミティエのメンバーたちもいたはずだ。
アオイから聞いていたことだが、改めて思い知らされるとショックは大きい。
友達というほど仲が良かったわけではないが、かつて肩を並べた仲間たちは……アテナさんたちは、もうこの世にはいないんだ。
「私がもっと早く呼びかけていれば余計な犠牲も抑えられたのに……」
「後悔するのは後にしましょう。それよりこれからの事を考えないと」
「なあ、ちょっといいか?」
シンクは我慢できずに二人の会話に割って入った。
もはやシンクに帰る場所はない。
仮にこれから彼女たちと行動を共にするとしたら、ハッキリ聞いておかなければならない事だ。
「お前たちALCOの本当の目的は何なんだ?」
たいして効果もない電波ジャックをしたかと思えば、傘下の能力者組織に嫌がらせのようなちょっかいを出したりもする。
反ラバース組織なんて名前のわりには、やってることはテロというほど大層なものでもない。
「あんなことを続けてラバースを潰せるなんて本気で思っていないだろ。お前たちのやり方じゃ何年経っても何も変わらねえぞ」
「電波ジャックは同調してくれてる協力者への見返りだよ。私たちだって意味があるとは思ってないけど、国内で活動するためにはいろいろしがらみも多いんだ」
反ラバース思想を持ってる人間は日本国内にも多く存在している。
ALCOは単独で行動しているわけでなく、そういった現地の協力者を味方にしているのだ。
「基本は情報収集とラバースに対抗するための人材収集だね。あなたに梱包工場を教えてあげた時みたいに、日本各地のラバース関連施設の施設を調査してるんだ」
「何のために?」
「そりゃもちろん、この世界を滅亡から救うためだよ」
香織は窓の外を眺めながら答える。
シンクは苛立ちを込めて彼女の肩に触れた。
「おい、茶化すなよ」
「本当だって。そのために逸脱者に勝てる能力者を探してたんだから」
逸脱者。
「最初に期待してたのはショウくんだったけど、どうも彼はあまり都合がよくないんだよね。ラバースを裏切ってこっちについてくれたのはいいんだけど、その後がまずかった」
「世界の滅亡云々はひとまず置いておく。その逸脱者ってのは何なんだよ」
その単語はさきほどヒイラギの口からも出た。
なんとなく不気味な響きを持つ言葉である。
「厳密な定義はないけど、一言で言えば一国の軍隊にも匹敵する戦闘力を持つ怪獣的な能力者のこと。上でじゃれ合ってる三人みたいなのがラバース本社にも何人かいるんだ」
「私たちの本拠地を狙ったのもその一人よ。能力者組織の人たちを皆殺しにしたのもね」
ヒイラギの声色には噛みしめるような怒りが滲んでいる。
以前は能力者組織での仲間意識は強くないと言っていたが、やはり知り合いを殺されて心穏やかではないらしい。
「……そうか。そいつらをまずどうにかしなきゃならねえんだな」
「早まったことはしないでね。並の能力者じゃ逸脱者には手も足も出ないんだから」
シンクは返事をしなかったが、きっと彼女の言う通りなのだろうと思う。
ヒイラギたち最初期からの能力者はみな班長クラスのはずだ。
そんな奴らをまとめて倒せる者が弱いはずがない。
「で、その軍隊よりも恐ろしい逸脱者とかいうとんでもない能力者を使って、ラバースコンツェルンは世界を滅ぼそうとしてるってか……ははっ」
シンクは小馬鹿にするよう笑った。
彼女の表情はいたって真面目で、ふざけている様子は見られない。
今のラバースコンツェルンは確かに世界経済の要である。
大げさに言うなら世界征服を成し遂げる目前と言っていいかもしれない。
だが尋常でなく膨れあがったとはいえ、あくまでも単なる超巨大企業連合でしかない。
世界中を相手に戦争を仕掛けるなんて不可能だ。
何よりそんなことをやる意味がない。
「世界を滅ぼすなんて、そんなことできるはずがないって思っているでしょ」
「当たり前だろ。軍隊より強いって言っても世界中を相手に戦争して勝てるわけない」
ラバースが新日本軍を掌握していても、軍事力はクリスタ合酋国軍の方がずっと上だ。
逸脱者|《ステージ1》ってのがどれだけ強くても複数人の個人が世界を滅ぼすこともありえない。
仮に上空で戦ってる三馬鹿のレベルだとしてもだ。
本当に戦争になったら個人ができることなんてたかが知れている。
そりゃ確かにあいつらが暴れたら初期は相手に多大な損害を与えられるだろう。
だが、人間である以上は休まず戦い続けられるわけじゃない。
補給の問題もあるし、例えば核兵器で周辺ごとぶっ飛ばされたらどうにもならない。
国家が本気になって討伐する気になったら怪獣は最後には必ず負ける。
少数の強者による世界の滅亡など物語としてさえ大言壮語だ。
「本当に恐ろしいのは逸脱者じゃないの。『IPG』っていう兵器を使われたら軍事力なんて関係なくすべてが終わる。彼らはそれを滞りなく実行するための兵士なんだよ」
「なんだよ、そのIPGっての、は……」
その単語を口にしたとき、香織の声がわずかに震えているのがわかった。
憎々しげな眼で前方を見る彼女の目はシンクがゾッとするほどの怒りを滲ませていた。
「正式名称は反転粒子ガス。世界中のEEBCの効果を反転させる兵器だよ」




