8 まっすぐに歪んだ一途なきもち
シンクが能力者組織アミティエに所属して起こった最初の大きな事件。
それは上海から密入国したレンを捕まえることだった。
最初は捕獲対象と知らず行き倒れていたレンと出会った。
彼を守るため、シンクはアミティエの他の班の班長と拳を交えた。
しかしその後、力を取り戻したレンは暴走してシンクの仲間を傷つけた。
最後は敵対することなり、シンクは彼と戦い、勝って捕縛することに成功した。
捕まったレンは『強者を倒して自分の強さを証明する』というかつてのシンク自身を思わせる危険な思想を矯正するため、ラバースの施設に送られた。
そこで刷り込まれたのが『シンクのことが好き』という疑似恋愛感情である。
保護者役であるシンクに好意を向けることで彼の中の凶暴性を抑え扱しやすくするという、歪んだコントロール方法だった。
そんな彼の行為をさりげなく受け流し、シンクはレンと長いこと一緒に過ごしてきた。
なんだかんだ言っても好意を向けられるのは心地よかったことも事実だ。
だが、それは過ちだった。
他でもないシンク自身が思い知ったのだ。
感情というモノがとても簡単に操れるということを。
シンクをアミティエに勧誘した中座愛。
面倒くさがりなシンクが能力者たちの世界に足を踏み入れたのは彼女への恋心からだった。
だが、それは偽りの感情だった。
実際にはシンクはマナのことなどよく知りもしなかった。
昔からずっと好きだったような想いを、彼女の能力によって植え付けられていたのだ。
シンクはずっと彼女にとって都合の良い行動をするよう操られてきた。
全く疑うことなく、自発的な感情でそうしていたと思っていた。
洗脳が解けた今、残ったのはただ憎悪だけ。
レンの気持ちも彼が望んで得た感情ではないはずだ。
実際、そのせいでたった一人でこんな危険な場所に乗り込んでくるという行動を起こしている。
本当ならアミティエから解き放たれた時点で清国に帰ってそのまま暮らせばよかった。
故郷にいるばあちゃんと平穏に生きることだってできたはずなのに。
こんなことを言うのはシンクも辛い。
だがレンのことを大事に思うなら言わなくてダメだ。
いつまでも偽りの感情に流されたままにしておくわけにはいかないのだ。
「だからな、レン。もう俺のことはすっぱり忘れて……」
「シンくんのばか!」
突き飛ばされた。
「痛え!」
勢いあまって壁に叩きつけられた。
「こ、この野郎……何しやがる」
別に暴力を振るうつもりはなかったのだろう。
ただ、彼の力で叩かれれば当然こうなる。
一秒くらい体が完全に浮いてたぞ。
「ごめん! でもシンくんはばか!」
「誰が馬鹿だ!?」
「ばかだよ! だって、ぼくはこんなにシンくんが好きなのに!」
「だからそれは洗脳だって言ってんだろ! お前の意志じゃねえんだ!」
「関係ないよ! ぼくがシンくんを好きなんだから!」
「すっ、好き好き連呼するんじゃねえよ! だいたいよく考えろ、お前は男だろうが!」
「関係ないよ!」
「関係ないわけあるか!」
「あーもう、わからないシンくんだなあ。ぼくがシンくんを好きだからそれでいいです。それがすべてです」
「わかんねーのはテメーだ! そのせいで実際に危険な目にあってるんだろうが!」
「危険なんかじゃぜんぜんないです。むしろ敵が弱すぎて物足りないくらいです。もっと強いやつかかってこい!」
「だからそういうことじゃなくて……」
激しく口論した後、シンクはどっと疲れて肩で息をする。
レンの瞳には一点の迷いもなく、まっすぐで、眩しくって……
思わずこっちが間違ってるんじゃないかと思ってしまいそうになる。
「ったく……」
顔が熱い。
その原因はきっと大声を出したからじゃない。
レンから視線を逸らしたまま、シンクは喉の奥から声を絞り出すように呟く。
「俺は……お前のその好意を利用するかもしれないんだぜ」
苦し紛れの一言だった。
どうせ否定されるのはわかっている。
レンはこう言うだろう、「そんなことするわけない」って。
返ってきた言葉は想像と少し違っていた。
「いいよ、それでも」
思わず彼の方をもう一度見た。
レンは変わらぬまっすぐな瞳でシンクを見ている。
「シンくんがぼくを騙しても大丈夫です。だってぼくはシンくんが大好きなんだから。シンくんが望むならなんでもします。どうぞ好きなだけぼくをもてあそんでください」
「こ、子どもがそんな事を言うんじゃない」
マジかこいつ。
マナに感情をコントロールされていた時の自分でもここまで一途じゃなかったぞ。
果たしてこれは本当に洗脳なのか?
もしかしたら……いや、しかし……
「あーっ、クソッ! じゃあこれならどうだ!」
シンクはレンの腰と頭に手を回す。
驚いたような表情をするレン。
そのまま力を込めて……
抱きしめた。
二人の頬が触れ合う。
そのまま五秒。
さらに十秒。
「あ……」
レンの体から力が抜けていく。
さすがにヤバいと思い、シンクは顔を離した。
「どうだ、気持ち悪かっただろ!」
大声で叫びながらシンクは心の中で自分に突っ込みを入れる。
いや、何やってるんだ俺は!?
どうだじゃねえよ、俺こそどうしたんだよ!
ああだめだ、完全にテンパってる。
内心パニックに陥っているシンクの前で、レンは唇に人差し指を当て、こう問い返してきた。
「シンくんは、きもちわるかったですか?」
信じられないような笑顔。
本当に、本当に幸せそうな表情で。
こんな顔、恋愛ドラマでも見たことがない。
ちくしょう。
もう駄目だ。
「気持ち悪くねえよ、ちくしょう」
レンの身体は温かくて、柔らかくて、ほんのりと甘い桃の香りがした。
知らなきゃ男だなんてまったく思えないほどに心地がよかった。
それは、凍てついたシンクの心を溶かしてしまうほどに。
「本っ当にいいんだな!? お前、俺なんかを好きで後悔しないんだな!?」
「するわけないよ!」
「こうなったら俺も腹を決めたからな! 今さら気が変わったとか許さないからな! 後でやっぱり洗脳が解けて気持ち悪くなったとか言っても遅いからな!」
「もちろんだよ」
見た目だけなら女子小学生のような少年は、屈託のない笑みを浮かべ、彼自身の決意を告げる。
「もしレンがシンくんを好きじゃなくなったらそんなレンは偽物です。シンくんを好きじゃないレンは偽物です。敵です。それこそ悪いせんのうです。その時はえんりょなくレンをころしてください」
「い、いや、そこまで思い詰めなくてもいいんだぞ?」
少しだけ頭が冷えた。
どうしよう、この子、怖い。
あの馬鹿女の洗脳はことのほか凶悪にねじ曲がっていたようだ。




