6 最悪な結末
体の破損と共にマナの精神もますます壊れていった。
理性や感情すら吹き飛び、今の彼女を動かすのはたった一つの衝動だけ。
この苦しみを癒すだけの快楽を求めたい。
それはほとんど本能のようなものだ。
マナは≪不可視縛手≫のレーダー機能を使わず、本能的な嗅覚で獲物の場所を察知していた。
自分の欲を満たしてくれるモノを。
快楽という栄養を得るための食料を。
そこにはマナの求めている人間がたくさんいた。
若くて瑞々しくて、とっても美味しそうな子どもたちが。
「きゃーっ!」
封鎖された都道、その向こうにある学校の校舎。
近隣の住人たちを一か所に集めた避難所である。
マナは小銃を向ける迷彩色の男たちを軽く飛び越えた。
グラウンドに避難する人々の中に飛び込んだマナは、彼女の最も好きな処刑方法を行った。
「あはははっ、あははははははははっ!」
見えない手を最大限に伸ばす。
視界に移るすべての人物を根こそぎ持ち上げる。
「たすけ、たすけてっ!」
「おろしてーっ!」
「きゃああああーっ!」
その数はおよそ一〇〇人以上。
ここにはもっとたくさんの人間がいたが、今はこれが限界だ。
そのうち半数以上がまだ幼い少年少女であることがマナに最後の晩餐を思う存分楽しませた。
何もわからないまま数十メートルの高さまで放り投げられた子どもたち。
彼ら彼女らは最期の数秒間、何を考え、何を思うのだろう。
それを想像するだけで心が十分に満たされた。
あの日、なんの脈絡もなく自分を襲った悲劇が、何もかもを破壊したように。
みんなみーんな、壊れちゃえばいいんだ。
「撃てーっ!」
どこかで悲鳴とは違う敵意のある声がした。
直後にマナの体は無数の弾丸によって千々に引き裂かれる。
発砲の轟音をかき消すように人間の雨が降り注ぎ、肉と血がすべてを埋め尽くす。
※
「くそっ!」
最悪の結果になってしまった。
大道盛定は思わず軍帽を目深に被って顔を伏せた。
推定される死者数は軽く五十人を超える。
近年のテロ行為としては最悪の部類に入るだろう。
つい先日発布されたばかり新法の中に、このような条文がある。
『特別の命令が無い限り、戦闘行為に従事する軍人はより多くの国民の生命と財産を守るため、事態の根本的解決を優先し、多少の犠牲は厭わず任務を遂行する義務を有する』
新法は軍にかつては考えられなかった権限を与えた。
しかし今度の鎖は以前とはまた別の意味で彼らを縛った。
マナが市民を宙に放り投げたとき、近くに居た隊員の行動次第では救える命もあっただろう。
近くにはワゴンも待機させてあったし、緊急用の大型マットも積んであった。
だが大道は隊員たちに目標の排除を優先させ、『撃て』と命令を下した。
徹底的に訓練された特殊部隊の隊員たちは頭で考えるよりも先に引き金を引いた。
結果として見えない手をすべて使用中だったマナは銃弾を防ぐことなく集中砲火を浴びた。
悪魔は今度こそ疑うべくもなく息絶えた。
その代償が避難民たちの犠牲である。
警察の協力を得たとはいえ近隣の人々すべてを遠くに避難できたわけではない。
付近の人々はとりあえず近くの広場に収容するのが精一杯だった。
マナを撃つ際に流れ弾に当たった避難民たちもいたはずだ。
目の前のショッキングな光景を見てパニックに陥り、我先にと逃げ出した人々に押しつぶされて圧死した者もいるだろう。
目標排除のためには仕方がなかった。
放っておけば倍する被害が出た。
……と、言い訳はできる。
だが、この瞬間に我らが胸に秘めていた『弱気民を守る者』としての矜持は失われたのだ。
「あの、基地からの通信です」
お飾りオペレーターが怖ず怖ずとこちらを見上げながら報告する。
自分としたことが無線の呼び出し音にも気づかないほどに気を遣っていたとは。
「通してくれ」
動揺を隠すためにあえて言う必要もない命令を出す。
手元のボタンでイヤホンへ直接音声が転送される。
『大道二佐……失礼、大道中佐ですか?』
「ああ」
通信の相手は基地オペレーターの女性の声だった。
『作戦行動中に申し訳ありません。今回の標的の弱点が判明しました。ターゲット名『マナ』の特器≪不可視縛手≫は極端な低温下で行動に制限が掛かるそうです。現在、地下経路で冷凍放射器を輸送中ですので地点Pで受け取ってください』
特器とはJOYと呼ばれる超能力のことである。
その報告を受けた大道はため息を吐いた。
基地オペレーターの怪訝そうな呟きに被せるよう彼は作戦が終了したことを告げる。
「その必要はない。目標はたったいま沈黙した」
『え、あ……』
あと三十分、いや、十分でも早く連絡が入っていたのなら。
こんな大きすぎる犠牲は出さずに済んだのかも知れない。
無駄だと知りつつ恨まずには居られない大道であった。
「狙撃手と監視員に撤収命令を。避難誘導班は事態の始末にあたれ」
苛立ちを紛らわせるように現場の部下たちに指示を出す。
ともあれ、あとは警察に引き継ぎをすれば作戦は終了だ。
「いやあ、それにしてもさすがは対能力者班の精鋭たちですねえ。あの化け物みたいな能力者をこんな簡単に始末しちゃうなんて」
「作戦行動中だ。私語は慎め」
お飾りオペレーターの嬉々とした声色が勘に障ったので静かに窘める。
別にこいつらがいたせいで不備が生じたなどと言うつもりはない。
だが、こんな気楽な態度で客観的に物を言われれば腹も立つ。
しかし彼は喋ることを辞めなかった。
「個々の技術も高い。現場の連携も完璧。ある程度の犠牲は気にしないで良いと思いますよ? 相手があの≪不可視縛手≫なら、この程度で済んだだけでも大勝利ですって」
「おい、いい加減に――」
「でも如何せん、トップがこれじゃ台無しっすよね」
男は急に立ち上がったかと思うと、懐から拳銃を取り出した。
大道は反射的に胸の内ポケットに手を入れる。
それより早く銃口が火を噴いた。
撃たれたのはもう一人のオペレーターだった。
「な、何を……」
あまりの事に呆然とする大道。
銃を持った相手を前に致命的な油断であった。
同じラバース本社からのからのゲストを撃った男は、肩をすくめて息絶えた男の側にしゃがみ込む。
「本当に気づきませんでした?」
「なにがだ」
「俺がやってなかったら、あなた本当に殺されてましたよ」
彼は倒れた男の懐から拳銃を奪う。
それは新日本陸軍で採用されているものではなかった。
グリップ部分に赤字に三つ星のエムブレムがついた、掌にすっぽりと収まるサイズの銃。
「十五式手槍……?」
清華民国軍に所属する者が携帯する拳銃だ。
「彼、清国のスパイです。いやあ、さすがにびっくりですよ。軍が誇る特殊部隊が指揮車両に堂々と潜在的敵国の工作員の潜入を許すなんてね。本社からの出向だって言われてほとんどノーチェックでしたよね? ダメですよ。それでなくても日本は昔から諜報に弱いって言われてるんだから」
「貴様の同僚ではないのか」
「違います。こんな三流と一緒にしないで下さい」
男は無線機を手に取ると、大道の許可も得ずに部下へ命令を下した。
「避難誘導班へ。ターゲットの死体の処理は不要だ。引き継ぎを済ませたら即座に帰投せよ」
「おい、何を勝手なことを!」
ターゲットは凶悪な特器、ジョイストーンを所有していた。
あれが万が一にも警察や一般市民、ましてや他国の手に渡ることはあってはならない。
我々対能力者連隊にはあれを回収する義務があるはずだ。
「≪不可視縛手≫はうちがもらいます。下手に動いたり、命令を撤回しようとしないでくださいね。撃ちますから。僕の相方の仕事が終わるまで大人しくしていてください」
拳銃の銃口は真っ直ぐに大道の額を向いていた。
「まさか、貴様もスパイなのか……?」
「だから気づくのが遅すぎますって。あ、そうそう。本来やってくる予定だったラバース本社からの出向人さんなら、今ごろ東京湾の底で眠っていると思いますよ?」
「くっ!」
「おっと」
大道が動いた瞬間、激しい破裂音が響いた。
撃ちぬかれた右肩に激痛が走る。
「がっ……」
「動くなっていったでしょ? 舐めてんの? 心配しなくても俺たちの目的はマナのジョイストーンで、あなたや部下の命を奪う気はありません。邪魔すればその限りではありませんがね。部下が標的の死体に近づく不審人物を見逃す無能であることを祈っていてください」
基地の人間はノーチェックで不審人物を指揮車に乗せるほど愚かではない。
現場の目を騙し心理的死角を突いてまんまと指揮権を乗っ取った男。
高度な技量を持つスパイであることは疑いもないだろう。
そんな男の相方が近くにいる。
撤退命令を出したとは言え現場には多くの隊員が残っている。
もし誰かに見咎められたとしても障害を排除して目的を達成する自信があるのだろう。
ここは部下を信じるしかない。
外国の工作員に劣るような優しい訓練はしていないはずだ。
たとえ偽りの撤退命令が出された後の無防備な状態であっても……




