5 マナ、暴走
おそらくはターゲットのマナだろう。
悲しみと怒りと苦しさが混ぜ合わさった悲痛な叫びだ。
絶叫と同時に見えない手が四方八方に伸びる。
「いたい、いたいいたいいたいっ! よくもよくもよくもっ! うわああああああっ!」
見えない手は宙を叩くように暴れ回る。
瓦礫の山に突っ込んでコンクリート片を見境なしに投げる。
「ちっ、マジかよ!」
標的は完全に正気を失っている。
どうやら相当なダメージを与えたようだが、これでは自分の身が危ない。
狙っているつもりがなくてもまぐれ当たりで殺される可能性は十分にある。
瀬戸は短機関銃を抱えて一目散に走り出した。
瓦礫の山から抜け出しビル倒壊の衝撃でひび割れた車道に降りる。
直後、見えない手の一つがこちらに迫ってくるのを見た。
こちらの存在に気づいているのか?
いや、そんなはずはない。
「うおおおっ!」
正気を失って暴れるだけの攻撃だ。
巻き込まれて事故死なんてなったらたまらない。
万が一の場合も考えながら、瀬戸は狙撃手を信じて全速力で駆けた。
ちらりと後ろを振り返る。
見えない手が伸びてくる。
指先が僅かにぶれる。
狙撃手が放った弾丸が軌道を逸らしてくれた。
横からの攻撃を受けた見えない手は、その軌道を変え――なかった。
「おいおい、嘘だろっ! ふざけんじゃ……」
見えない手は一直線に瀬戸に向かってくる。
チャフを塗っていれば気づかれないはずなのに。
これまでとは明らかに違う敵の動きに対してか。
はたまた無謀な作戦を命じた上官に対しての恨みか。
そんな悪態を最後に、瀬戸の首は力任せにねじ切られた。
※
「プランBに移行!」
大道はお飾りオペレーターを通さず手元の無線で全隊員に命令を発した。
指揮車内の緊張感が増す。
ゲストのお守りに気を取られて気が緩んでいた。
そんな自分に対して憎悪に近い感情が湧き上がってくる。
大失態だ。
こんな作戦で部下を死に追いやるとは。
いいや、わかっている。
あれは事故のようなものだった。
液状チャフの塗り漏らしでもない限り、敵に瀬戸の居場所がわかるはずがない。
怒り任せに適当に伸ばした手に偶然触れてしまっただけだ。
とは言え油断をしていたのも事実。
見えない手に向かって銃撃すれば軌道は逸れる。
そうやって敵の動きを誘導し、こちらに有利な方向へと操って来た。
ただし、本体が我を忘れている状況でも同じようにできると思ったのが間違いだった。
爆破によって標的に浅くはないダメージを与えたのだろう。
未熟な少女が耐えきれないほどの痛みを受けて正気でいられるわけがない。
そんな精神状況の変化が行動にどんな影響を与えるかまでは完全に読み切れていなかった。
悔やむのは後。
まずは速やかに手負いの獣を始末する。
『目標、移動開始!』
「狙撃手は距離を取りつつ狙撃を続けろ! 監視班は五秒おきに状況を報告!」
お飾りオペレーターを飛び越し、大道は現場の隊員に指示を出す。
「だ、大道中佐……」
「しばらく黙っていろ」
不安そうな声を出すゲストを静かな声で一喝する。
もはや彼らに気遣っている余裕などない。
帰還後の始末も今は意識の外だ。
今は全力を持って標的を駆逐する。
それだけが現場指揮官としての使命である。
※
「うああああああああああああああああああああああああっ!」
聞くに堪えない叫び声を上げながら標的が跳ぶ。
見えない手を地面に叩きつけながらカエルのように跳ねる。
サーモグラフィを通さなければ宙に浮いているようにしか見えない。
マナという名の少女はすでに正気を失っていた。
左足は根元から千切れ飛び、右足も膝から下がすべて消失。
腹部には鉄片が突き刺さったまま傷の隙間から内臓の一部がはみ出ている。
とっさに庇おうとしたのか右手の指はほとんどが折れるか吹き飛んで無くなっている。
きつく閉じた左目からは血の涙が止めどなく溢れていた。
毎日のように死と隣り合わせの訓練を行っている対能力者部隊の隊員たちですら、生きて動いているのが信じられないほどの重症である。
だが、その姿が逆に標的を人間ではないと認識させた。
彼らは年若い少女へのトドメを刺すことへの躊躇いを消し去る。
仲間を殺された怒りを内に飲み込んで狙撃手はスナイパーライフルの引き金を引く。
「命中」
やや狙いがズレたが、弾丸はマナの腹に吸い込まれた。
錯乱のためか先ほどまでのような鉄壁の守りが消失している。
命中した7.62mm弾は少女の体の一部を吹き飛ばし血の花を咲かせた。
『目標、未だ健在』
監視班から報告が入る。
どうやら一発当てたくらいじゃ死んではくれないらしい。
さらに別の狙撃手からの攻撃によってマナの体は容赦なく破壊されていく。
続けざまに左右に揺すぶられ、傷口から赤黒い中身をまき散らす。
能力者とはいえ相手は女子高生だ。
ボロボロになっていく少女を撃つことに気が引けそうになる。
しかし標的の犯してきた悪行を思い出せば、そんな気持ちも一瞬で吹き飛んだ。
自分の快楽のためだけに幼い子どもを何人も惨殺してきた女。
同情の余地などまるでない。
この狙撃手の男も娘を持つ身である。
作戦上良くないことだと知っても、怒りが湧いてくる気持ちを止められない。
「一体どこに向かってるんだ、奴は?」
狙撃が当たるようになった代わりに、見えない手を撃って動きを誘導することはできなくなった。
すぐにターゲットは彼の有効射程範囲から抜け出してしまう。
とは言え周辺には広く他の狙撃手が配置されている。
逃げ切る前に誰かが仕留めてくれるだろう。
現に今も逃げるマナの体のあちこちから血飛沫が噴き出しては射撃の命中を知らせている。
頭への命中だけは最低限防いでいるようだが、あと数発も当てれば出血多量で死に至るはずだ。
だから問題はない。
そのはず、なのに。
『おい、まだ仕留められないのか!?』
無線からヒステリー気味な上官の声が聞こえてくる。
狙撃手たちからすればそんな風に文句を言われる筋合いなどない。
こちらは不規則に跳ね回る目標に命中させ続けるという神業を成し遂げているのだ。
きっちり仕事はしている。
それでも敵が倒れないのは武器の威力が足りないか……
もしくは敵が異常すぎるかのどちらかだ。
近くの狙撃手がまた狙撃を命中させた。
標的の右腕の肘から先が吹き飛ぶ。
それでも動きは止まらない。
「なんなんだあいつ、信じられねえ……」
それは超能力者を相手にするという任務を担っている兵士にとっては禁句である。
理解できない状況に対する思考停止は即座に死に繋がるからだ。
それでも彼は呟かずには居られなかった。
自らの体の一部をトカゲの尻尾のように切り落としながら、少女は見えない手で地面を叩き続け、前へ前へと進んでいく。
進む先には、学校があった。




