8 異常者
アオイは久しぶりに上機嫌だった。
一週間にも渡る長い移動をようやく終えたからだ。
久しぶりに柔らかいベッドで眠ることができた気分は本当に最高だった。
ここはトルコ共和国イスタンブール。
アナトリア側にあるホテルのロビーである。
窓の外の景色を眺めながらアオイは優雅に紅茶を啜る。
まさかこんな遠くまで足を運ぶ羽目になるとは思わなかった。
普段の仕事から離れて小旅行気分を味わえると浮かれていたのは最初だけ。
ドイツから始まりポーランド、ウクライナ、ブルガリアとひたすら陸路で移動する日々。
そんなのが続けばゆっくり観光を楽しもうなんて気分はなくなってくる。
寝台車の硬くて狭いベッドはもう飽き飽きだ。
ルシフェルによるモンスター事件からすでに半年が経っていた。
すでに日本では当時の噂は完全に立ち消えている。
能力者の存在もあやふやになったままだ。
興味を持った若者たちのスカウトは着実と進み、今では『魔王城』に千人ほどの新生アミティエメンバーの能力者候補が集まっている。
後進の育成が出来そうな後輩も何人か育成済み。
ある程度余裕ができたアオイは今回の任務に就くことになった。
とはいえ、長距離移動の寝台車以外にも嫌な事はある。
その際たるものと言えば――
「おっはよー、アオイちゃん!」
その声を聞いてアオイは一発で不機嫌になる。
優雅な朝のティータイムはこの時点で終了になった。
甲高い声を上げながらロビーにやってきたのは今回の相棒。
マナである。
「……ずいぶんとご機嫌な様子ね」
「うんっ、久しぶりにいい夢を見ちゃった!」
「そう。別に聞きたくないから詳しく喋らないでいいわよ」
「あのねっ、私が初めて人をころした日のことっ!」
どうやらマナには喋るなという言葉が通じないらしい。
幸いにも周囲には日本語がわかる人間はいない。
過激な発言が注目を集めることはなかった。
「妹の美奈をねっ、こうナイフでズサッと切ってグチャッとやって、それから素手でいろいろ中身を取り出して、お肉を切ってフライパンで焼いてお醤油をつけて美味しくいただいちゃって、その時の感触と歯ごたえはもう鮮明に……」
「氷漬けにされたくなかったら今すぐその口を閉じなさい」
「思い出したら朝からひとりで捗っちゃった。てへ」
紅茶が不味くなるどころでない。
朝っぱらからこの狂人と会話すること自体が拷問に近い。
別のパートナーか、せめて一人きりならばここまで辛い旅にはならなかったのに。
周りにアミティエの仲間がいない今、こいつは本性をさらけ出すことを躊躇しない。
この状態のマナとはもう一緒にいるだけで気分が滅入ってくる。
中座愛は異常者である。
快楽殺人、それも若い少女を猟奇的に殺すことを好む。
殺人の過程で性的行為を求めるわけではなく、殺人そのものに快楽を感じる女だ。
行きずりの人を狙った衝動的な犯行はあまり行わない。
殺害対象のことを調べ抜いて、ゆっくりと時間をかけて絶望を楽しむ。
これまでの人生を知り、これから続くはずだった未来を想像し、相手の人生すべてを貪る。
彼女の本性を知っているのはアオイの他にはルシフェルと極一部のフレンズスタッフだけ。
アミティエ第三班の仲間や学校の友人には狂気の欠片すら決して見せない。
その方が楽しみを味わえることを彼女は知っているから。
もちろん、適度に発散はしている。
彼女の楽しみはフレンズ社の専用スタッフが完全にサポートして証拠一つ残さない。
さもないと彼女の牙が仲間に向く可能性があるからだ。
現に一か月も近く我慢させた結果、第四班の女を殺してしまった。
半年前にアオイが紗雪のジョイストーンを奪おうとしていた時のことである。
しかも犯行はシンクやツヨシの前で行われ、彼女の中で彼らは『用済み』になってしまった。
アオイが必死に擁護してシンクたちの処刑は免れたが、重犯罪者として暴人窟に送り込まれることになった。
今頃はあの街で魂の抜けたような生活を送っていることだろう。
「どうしたの、アオイちゃん?」
正面に座ったマナが両手でティーカップを握り締めて小首をかしげる。
「あー、わかった。シンクくんのこと考えてたんでしょー」
図星だったので反応が一瞬遅れてしまった。
その隙にマナは好き勝手にしゃべり出す。
「アオイちゃん、アレのことすっごいお気に入りだったもんねー。でもわかんないな? アオイちゃんみたいな美人があんなのに執着するなんて」
「勝手な事を言わないでちょうだい。別に新九郎のことなんて考えてないわ」
「えー、またまた。どうせ今朝もシンクくんとぱこんぱこんするところを想像しながらひとりで空しく自分を慰めてたんでしょ? 朝っぱらから……アオイちゃんの、え、っ、ち」
「貴女みたいな異常性癖の変態と一緒にしないでちょうだい。目の前のキチガイ女をどうやったら後腐れなく始末できるかを考えてただけよ」
「わあ、アオイちゃんうっざーい。ころしたーい」
「やれるものならやってみなさい」
マナは唇を尖らせたが、すぐに笑顔に戻って朝食を食べ始めた。
ヨーグルトソースをたっぷりとかけたシシカバブ。
朝からよく肉なんか食べれるものだ。
マナを制御できるのはアミティエの中ではアオイしかいない。
彼女の≪不可視縛手≫は超強力なテレキネシス能力である。
その気になれば即座にこのロビーにいる宿泊客全員の首を胴体から切り離すこともできるほどのJOYだ。
不可視の攻撃は避けることも防ぐことも困難。
だが寒さに弱く、氷点下ではまったく動かせないという弱点がある。
そのため冷気を操るアオイは天敵であり、彼女の監視役にはうってつけの人物なのだ。
まったく、嫌なお守り任務もあったものである。
時々どさくさに紛れて始末しようかと本気で考える。
ポケットの中で携帯端末が振動した。
「はい」
電話をかけてきたのはフレンズ社のスタッフであった。
豪快な食べっぷりを見せるマナから目を背けて通話ボタンを押す。
会話の内容は準備が終わり次第に指定の場所に集合してくれとの連絡だった。
「マナ、食べ終わったらすぐに出発よ」
「えーっ。やっとゆっくりできると思ったのに。せっかくだから観光とかしてみたいよ」
「文句を言わないの。遊びで来ているわけじゃないのよ」
「もう、普段は役立たずのくせにこういう時だけは仕事が早いんだから、うちのスタッフは!」
口には出さないが、アオイもそれは同意見であった。




