4 老師と少年と竜
「なあレン、お前は年齢を考えれば今でも十分強い。時間さえかけりゃあんな力に頼らなくても、もっともっと強くなれる。いつかは多少の不条理くらい撥ね退ける力を持てる」
「でもっ」
「いいから聞けよ。お前は日本で多少の痛い目を見ただろうが、調子に乗ったお前の目を覚ますには丁度良かっただろう。万が一のために同情を引くようなデマを流しておいたしな。メイリンのババアも少しは役に立ったわ」
レンがシンクに負けてラバースの矯正施設に入れられた後のことである。
見覚えのない老婆が急に連れて来られて、彼の育ての親を名乗った。
それがリーメイが送り込んだスパイであることはすぐにわかった。
適当に話を合わせたが、その後にその老婆がどうなったかは知らない。
たぶん、そこそこの報酬を得て日本にそのまま不法移民でもしたんだろう。
「あんな力は個人が持つようなモノじゃないんだ」
決して大きくはないが、地の底から響くような迫力ある声で、彼女はレンに言い聞かせる。
「ラバースって企業はキチガイ共の集まりだ。特にここでのあいつらはぶっ潰されて当然のクズ共だったが、それは本来お前の手で行われるべき事じゃなかった」
「でも、ぼくより強いやつが日本にはいた!」
苦痛を堪えてレンは叫んだ。
シンクではない、ショウのことである。
手も足も出なかった相手には憧憬の念すら浮かんでこない。
かつての自分を思わせる圧倒的なその姿は、まるで――
「そいつはもはや人間じゃない。兵器だ」
その言葉はレンに強く刺さった。
能力者なんて現代科学で説明できない力を持っただけの個人に過ぎない。
目的が単なる戦闘なら、軍事訓練を受けた兵士が銃火器を手にした方がよっぽど強い。
レンは警察の特殊部隊相手に紗雪を守れず、みすみすやられてしまった。
だがショウは違う。
たとえ軍隊や大群が相手でも関係ない。
たった一人で万の兵士を壊滅させられるだけの力を持った戦略兵器。
能力者の極致。
一騎当千の化け物である。
かつてラバース上海支社を滅ぼした時の自分もそうだった。
だが、あれは自分であって、自分ではなかった。
格闘家としての根本を揺るがすような圧倒的な力。
それはもはや個人が持つべき『力』とは呼べないものであった。
だからレンは制限を受けた。
そして格闘家としての力を取り戻すために日本に渡った。
少なくとも第三段階までなら≪龍童の力≫を問題なく扱うことができるから。
それでは足りなくなったから、ここに戻ってきた。
「なあ、レン」
「なに」
「お前、大切な人ができたのか」
「べ、べつにどうでもいいだろ」
「真面目に答えろ」
そっぽを向いたレンをリーメイは強くたしなめる。
「それは決して悪いことじゃない。むしろ喜ぶべきこと事だ。地獄のようなここでの暮らしを生き抜いたお前には、新しい土地で平穏を手にする資格がある」
「……」
「制限は解いてやっても良い。だが、大切なものを捨てる覚悟をしろ」
兵器にできることは破壊だけ。
平穏で幸せな生活を送る資格は持たない。
「かつてギリギリのラインで取り戻した人間らしさをもう一度捨てるんだ。でなければ破壊のための力を使いこなすことなんてできやしない。今一度、兵器として生まれ変わる覚悟はあるか?」
拳法の師匠として……
そしてレンにその力を与えてしまった研究者の一人として、リーメイは告げる。
しかし。
「え、やだし。っていうかさっさと『せいげん』とけよばばあ」
老婆の額にビキリと青筋が浮かんだ。
「このクソガキ、人の話を真面目に聞いてやがったのか……!?」
「きいてたけど、おことわりです。おことわりします。ぼくはシンくんも学校のともだちも捨てないし、でもラバースはやっつける。みんな幸せになるようにしてみせる」
「だからそりゃ無理だっつってんだろクソガキ!」
「むりじゃない!」
「無理だ!」
「だまれ、ばばあ!」
そしてまた始まるどつきあい。
師弟の戦いは口げんかを交えながら日が暮れるまで続いた。
※
「はぁ、はぁ……」
「ぜぇ、ぜぇ……」
すでに夜盗のうろつく時間だというのに、二人の周囲だけはやけに静かだった。
というか周辺の住人は巻き込まれるのを恐れてどこかに待避してしまっている。
「……ちっ」
地面に背をつけながら夜空を見上げていたレンは、呼吸を整えつつ師匠の舌打ちを聞いた。
「本当にどうしようもないクソガキだ。日本に渡って理想と現実の区別もつかなくなったかよ」
「理想とか言って逃げてばかりじゃなにもつかめないし」
「ナマイキ言ってんじゃねえよ。なんだそりゃ、マンガの台詞か」
その通りだったのでレンは何も答えなかった。
あの国で触れた様々なことによって、かつての自分とは大きく変わったことは自覚している。
だが、この地で経験した地獄の日々を忘れたわけではない。
あの頃はとにかく強くなければ生き延びられなかった。
そこに人間性などを求める余裕は存在しなかった。
だから遠慮なく兵器に徹することができたし、破壊のための力を振るう事もできた。
あの頃とは違う。
レンには好きな人や守るべき友だちができた。
大切な仲間を守るため、今度は自らの意思で悪魔を飼い慣らす決意を持って戻ってきた。
リーメイが起き上がる。
レンは倒れている自分を見下ろす老婆の大きな目を睨み返した。
「どうした、疲れて立ち上がれないか」
「うるさい」
事実、レンはほとんど体力が残っていない。
一撃の破壊力は勝っていても、拳法家としての地力はリーメイの方が上だ。
長時間のケンカになればレンの方が先にスタミナが尽きてしまう。
奇しくもショウに指摘された弱点を再認識することになった。
「やっぱりお前は全然ダメだ。危なっかしくて制限を解くことなんてできやしない」
「……」
痛いところを突かれて反論できないレンに女老師は告げる。
「しばらくここであたしと暮らせ。一からみっちり稽古をつけてやる」
「え……」
「今のまま制限を解いたってまた力に振り回されるだけだよ。腐った性根を叩き直してやるから覚悟するんだね」
「えっと、それじゃ」
「勘違いするんじゃないよ、制限を解いてやるかはあたしの気分次第だからね。丁度この暮らしにも飽きてきたところだ。いい運動相手になってもらうよ」
背を向ける師匠を追いかけるため、レンは勢いをつけて立ち上がった。
「ふふ」
レンは彼女の隣に並んで口元を押さえて笑う。
彼の女師匠はそれを訝しげに見下ろした。
「ぼく知ってるよ。ばばあみたいな人のこと『つんでれ』って言うんだって」
「は? なんだそりゃ」
「いいから帰ろ。今日はぼくがごはんつくってあげるよ」
「つっても、もあたしのねぐらはあんたが破壊しちまったしね……あ」
「どしたの?」
「アイツのことを忘れてた。ほら」
リーメイが指さす方向、見上げた空の向こうから何かが飛んでくる。
それを目ざとく見つけたレンは駆け寄って手を伸ばした。
「あ、ドン!」
「キュイィ!」
見た目の印象はまるまる太った小型犬くらいのサイズのトカゲ。
しかし、その背中には二枚の大きな翼が生えている。
よく言えば小型のドラゴンか。
レンが付けた名前は冬蓮。
かつてラバース上海支社が作った人工生物である。
コントロールが効かずに処分寸前だったところをレンが偶然助け、それ以来ずっと懐かれていたのだが、さすがに日本へ密航するのには連れて行けずにリーメイに預かってもらっていた。
「わあ。おまえ、元気だったか?」
「キュィィィ!」
子ドラゴンはレンの手の中に飛び込み、長い舌でぺろぺろと頬を舐める。
「お前が家をぶっ壊したから地下室から抜け出したんだな。生き埋めにならないで良かったよ」
「そっか。ごめんな、ドン」
「キュイ!」
気にしてないよ、と言いたげに子ドラゴンは高い声で鳴く。
「さて、そんじゃ今夜は適当に悪そうなやつを狩って郊外のホテルにでも泊まるか」
「うんっ」
リーメイの提案にレンは元気よく返事をする。
陸夏蓮。
かつて上海の龍童と恐れられた幼き修羅。
今の少年は親やペットの前では年相応に無邪気な表情を浮かべていた。




