8 悠久の時を生きたケモノ
「ところで、一つ聞いて良いかしら」
「なんだい?」
「あれは誰?」
アオイは玉座から少し離れた壁際で腕組みをしている男を指さした。
筋肉質で精悍な顔つきの長身の男である。
見た目は若いが堂々とした佇まいは歴戦の軍人を思わせた。
にも拘わらずほとんど気配を発しないため、ルシフェルですら時々存在を時々忘れそうになる。
「ボディーガードだよ。念のためにね」
ルシフェルが答えると、アオイは少しだけ不機嫌そうになる。
「私たちでは信用ならないのかしら?」
「そういうわけじゃないが、君たちには山ほど仕事があるからね。常に側に置いておくわけにもいかないし、彼にデリケートな作業は無理だから、僕の護衛にはうってつけなんだよ」
事実、本社に反旗を翻すと決めてからルシフェルの周りは非常に忙しい。
世界の構築も急がなきゃいけないし、兵隊の採用、選別、そして訓練も急務だ。
魔王城にいる限り安全だが、現実世界での対策はまだ山ほどすべきことが残っている。
「随分と信頼しているのね。仕事中にまで側に置くなんて、一体どこの誰なの?」
「元々は本社から送られてきた刺客だよ」
「なんですって?」
軽く告げるとアオイは顔色を変えた。
ルシフェルはにやけ顔で彼女を見上げる。
「親父が僕の勝手な行動になんの対策も取らないわけがない。すでに何度もこの世界への進攻を試みているよ。これまで例外なく罠にはめて全滅させているけどね」
ルシフェルはネット空間を通してこの世界へと入るルートにわざと脆弱性部分を残しておいた。
外から技術的、もしくは能力を使った潜入を行った場合、辿り着くのは魔王城の外。
つまり無数のモンスターを放し飼いにしている実験空間である。
魔王城と外の世界は空間的に乖離している。
どんな手段を使っても外からは決して辿り着くことはない。
異物が侵入したとしてもルシフェルは何らかの対策も取る必要すらない。
ただ、時間の進みを早めてやれば良い。
それだけで無粋な侵入者は過去に取り残される。
中にはしぶとく代を重ねることで数百年に渡ってルシフェル打倒の思想を持ち続けたの侵入者の子孫集団が残ったこともあったが、勝手に街を作ったりして実験に邪魔だったので、世界ごと滅ぼしてやったこともある。
この男も哀れな侵入者の一人である。
ただ、彼の場合は生き残った事情が少し違う。
「彼はどうやら特殊な肉体改造を受けていたらしくてね。仲間が全滅した後も一人で必死に生き延び戦い続けていたよ。たしか五〇〇年ほど生き続けたんだっけ?」
老いることのない体を与えられた人間兵器と呼ぶべき本社の能力者。
なまじ強い力と精神力を持っていたために、殺されることも自ら死を選ぶこともなかった。
悠久の時を戦いに明け暮れた者。
ルシフェルにとっては数秒のできごとであった。
しかし、彼の主観では嘘偽りなく気が遠くなるほどの時間を生きたはずだ。
「発見したときにはすでに精神がボロボロで、その世界においてほとんど伝説級の獣も同然だった。そのままじゃあんまりなんで、ちょっと脳を弄って新しい人格を植え付けてあげたんだ。彼の体験はデータとして残してあるからいずれ最強の生命を作り出すときに役立てるつもりだよ」
気の遠くなるような話である。
黙って聞いていたアオイの額にも汗が滲んでいた。
五〇〇年もの長き時を戦ってきた。
そう言われても普通は実感が湧かないものである。
ルシフェルだって同様だったが、しかし深く考えることはない。
結果として伝説級の武力が手元に残ったという事実だけが重要なのだから。
「今の彼は人間らしい感情を持っていない。僕の言うことだけを聞く従順な戦士だよ」
「人格を植え付けるって、そういうこと」
アオイは嫌そうにに表情を歪めた。
彼女は必要とあらばさえゾッとするほど冷酷に振る舞える女性である。
ただし、普段はこういった非人道的な行いをあからさまに嫌がる側面も持っていた。
そういう部分も含めてルシフェルは彼女を気に入っている。
アオイの心の機微には気づかないフリをして、わざと自慢げに説明を続けた。
「もちろん、彼が自我を犠牲にしてまで得た力は失っていない。想像できるかい? 五〇〇年の間ずっと戦い続けてきた男がどんな力を持っているのか。並みの能力者なんて目じゃないよ。いいや、もしかしたら親父のとっておきにだって……」
こいつは偶然手に入った思いがけない収益だ。
時が来たら最先鋒として存分に暴れてもらうつもりである。
「あとはショウへの対策だね」
「そう」
アオイはすでに状況を受け入れて冷静さを取り戻している。
この冷静さがあるから彼女は信用に値するのだ。
「報告は終わりかい? すまないが、作業の続きをしたいんだが」
こうして喋っている間にも魔王城の外は数百年が経過している。
そろそろ結果が目に見えてくることなので暗に退出を促す。
「最後に一つ。レンのことなんだけど」
「ああ、上海の龍童は取り逃がしたんだっけ」
ルシフェルはさほど感心も持たなかった。
立て続けに新しいオモチャを手に入れたので、すでに龍童など興味もない。
「本牧港に逃げ込んだ後に消息が途絶えているわ。もしかしたら海外に逃げたのかも」
「意外だね。てっきり死にものぐるいで新九郎君を取り戻しに来ると思ったんだけど。洗脳はしっかり効いてるんだろう?」
「命が惜しくなったのか、もしくはよほどショックな出来事でもあったのかしらね」
「どちらでもいいさ」
ルシフェルは話を切り上げるつもりでディスプレイに視線を戻す。
数百年が経過した世界はさっきと比べて岩山は大きく削られ、森の一部が伐採されて、何かの巣らしき構造物が作られていた。
「あ、そうそう」
アオイが無言で退出しようとする。
視線を向けることなくルシフェルは言った。
「ついでに彼に名前を決めてあげてくれ。身分を証明するようなものは残ってなかったし、まさか親父に聞くわけにもいかないしね」




