2 マコトの領域
「あ?」
名指しのフルネームで呼ばれてシンクは内心ドキリとした。
ルシフェルの声は普段のハイテンションとは違い、怒りを抑えた低い声色だった。
『ああ、そうか。君も裏切り者だったんだね。十分に考えられる話だ。何せ君はあの荏原真夏の息子なんだから。ショウと同じように記憶の封印をこじ開けられてそちら側に回ったんだろうね』
「おい、なんの話をしてやがる!」
嫌な汗が頬を流れる。
それが熱いのか冷たいのかすらわからない。
自分でもよくわかっていない、決して触れられたくないプライベートな部分に無理矢理入り込まれたような不快感があった。
『君にはもう少し使い道があったんだけどね。少し惜しいが、ここで一緒に始末させてもらうよ。君のジョイストーンは別の者に引き継がせるから安心したまえ』
「話を聞けよルシフェル!」
声は届いていないと知りつつも叫ばずにはいられなかった。
よくわからないうちに裏切り者に認定されてはたまらない。
『さて、それじゃ頑張ってくれよ。ちなみに死ねば現実世界に戻れると言ったが、精神の死を体験することで脳に後遺症が残る可能性は排除していない。手っ取り早い脱出方法を試してみるのは自由だが、健康の責任は持てないのであしからず』
ブツッ……
マイクのスイッチを切るような音がして、それっきり静寂が戻った。
マジかよ冗談じゃねえぞ。
「なあ和代さん。あいつ五人って言ったよな」
「言いましたわね」
「それってつまりこの空間のどこかに俺たち以外にも二人いるってことだよな」
「そうですわね」
「周囲を探っててちょっと気になった反応があるんだけど」
「聞きたくありません。あのアホのせいでこんな面倒事に巻き込まれたなんて理解したら、敵より先にそっちを殴ってしまいたくなってしまいますから」
「なあ、いいか?」
なにやら二人はよくわからないことをしゃべっていたが、シンクは強引に会話に割り込んだ。
「改めて確認したいんだけど、お前らは何者なんだ?」
「さっきも言ったでしょう。埼玉の能力者組織の人間ですわ」
「和代さん、さっきは多摩地方って言ったよ」
「うるさいですわね! 言い間違えただけですわ!」
「あんたALCOの人間だろ」
漫才を見物する気はない。
シンクは推測を口にした。
「あんたの能力は班長クラス並だけど、能力者組織の人間っていうのは嘘だ。俺には嘘を吐いてる奴がわかるんだよ。組織以外でそれだけの力を持っている奴なんて限られてるし、神田って名字には聞き覚えがあるぜ」
さっきとは事情が変わった。
悠長に所属不明の人間と行動を共にすることはできない。
あくまでカマをかけている段階だが、反ラバース組織の可能性が大きいと思う。
とはいえまた誤魔化そうとするだろうから『色』で反応を探ろうと思ったのだが、
「……フフフ」
和代は目を伏せて含み笑いを漏らす。
なぜか彼女は右手を大きく振って胸を張った。
「ばれてしまっては仕方ありませんね! ご推察の通り、私は反ラバース組織の神田和代ですわ! それから言っておきますがALCOというのはあなた方が勝手につけた呼称であって、こちらが名乗った名称ではありませんからね!」
「そっちのあんたは?」
認めたならそれでいい。
派手な名乗りや補足説明は別に聞きたくない。
「マコトだ。俺は本当に多摩地方の能力者だよ、今はこっち側の人間だけどな」
「最初期からの能力者って奴か。ラバースを裏切ったっていう五人のうちのひとりだろ」
「あんたらから見たらそうなるのかな。でも裏切ったつもりはないぜ。むしろ俺達の方こそ、ずっとラバースに騙されてたんだからな」
「そこんとこを詳しく聞きたい。どういうわけか俺も一緒に裏切り者認定されちまったからな」
そもそも状況が全く飲み込めていないのだ。
別にルシフェルに対して仲間意識などは持っていない。
だが事実に反して裏切り者と決めつけられるのは不本意である。
「ルシフェルは俺があんたらの味方をしても当然みたいに言っていた。あんたらは俺の何を知っているんだ? うちの母親とはどういう関係なんだ?」
和代は大仰な態度を控えて真面目な顔でシンクの質問に答える。
「私はあなたの存在を知りませんでしたし、真夏さんと直接お会いするのも本当に初めてです。しかし、あなたの叔母に当たる人物はよく知っていました」
「さっき言ってたエルエヌティーってやつと関係があるのか」
「ええ。そこで私とあなたの叔母は同級生でした」
「同級生?」
「友人ではありませんけどね」
シンクは母に姉妹がいたということを知らない。
しかし彼女が嘘を吐いているようにも見えない。
「エルエヌティーってのは何なんだ? 学校か施設みたいなもんなのか?」
ALCOがラバースに敵対する理由。
最初期の能力者たちがラバースを裏切った理由。
そしてルシフェルから裏切って当然だと決めつけられた理由。
すべてがその単語に繋がっている気がした。
「……L.N.T.とは」
「待った」
和代はためらいがちに口を開くが、それをマコトが遮った。
「なんですの」
「話は後だ。囲まれてる」
左右を見渡す。
マンション前の道路に立つシンクたちの両側。
現実世界の動物とはどこか違う、不快な造形の獣の群れが取り囲んでいた。
陳腐な言い方をするならモンスターってところか。
「数が多いですわね……」
「なあに、この程度ならオレが一人で片付けてやるよ」
マコトが前に出る。
「大丈夫なのか?」
「まあ見てろよアミティエの青年。俺のJOYは偵察能力だけじゃないんだぜ」
ここまで自信満々なら任せてみてもいいだろう。
ダメならその時は自分で戦えばいい。
マコトは上着のポケットに手を入れた。
ジョイストーンを取り出すのかと思ったが、彼の手にあったのは五枚のコイン。
「視界すべてが俺の≪絶対領域≫の射程圏内だ」
マコトは無造作にそのコインを宙に放り投げる。
それらは重力を無視して加速し、獣たちの頭部に正確に命中する。
「まだまだ行くぜ!」
さらに数枚のコインを取り出し、両手の指の隙間から次々と射出していく。
まるで敵の額に強力な磁石でも付いているような正確さである。
散弾銃のようなコインは両サイドの敵に次々と命中した。
しかし……すべてのモンスターは倒せなかった。
「あ、あれ?」
大型の蜂や鎌を持ったリスはそのまま消滅した。
だが、鹿角の馬や紫色の狼などはわずかに怯んだだけ。
どうやら攻撃の威力が低すぎて倒すに至らなかったようである。
紫の狼がうなり声をあげる。
直後、マコトめがけて飛びかかる。
「うわっ……」
「伏せなさい!」
和代の声に反応してマコトはその場でしゃがんだ。
彼の頭上を有線式の振動球が過ぎ、間近に迫っていた紫狼を押し返す。
抉るように振動球が喉元にめり込み続け、三秒ほどかけてモンスターの体は消失した。
「角付き馬を倒した時に感じましたが、こいつらかなり耐久力がありますわ。まるでDリングに守られているようです」
「マジかよ……何発も撃ち込みゃ倒せるだろうけど、コインが持たねえな」
「私でも囲まれたら危ないですわね。新九郎さん、あなたは?」
和代がシンクに意見を求める。
自分の能力ならどうかと聞いているのだろう。
「戦えないことはないけど、数が多いんじゃ体力が持たないな」
先ほどの話では五〇〇〇匹ものモンスターがこの空間内にいるという話だ。
とてもじゃないが全部を倒すだけの余力はない。
「ならば最短距離で切り抜けましょう。ついていらっしゃい!」
言うが早いか、和代はモンスターの数が少ない方角に振動球を飛び込ませた。
直撃を受けた敵の体が消失する前に駆け出し、それにシンクとマコトも続いて走る。




