1 仮想現実空間
「くくく……あはは……」
ルシフェルはこみ上げる笑いを堪えなかった。
目元はヘッドマウントディスプレイで隠されても口元は愉悦に歪んでいる。
まさか、こうも上手くいくとはな。
第一目標であるショウに加え、偶然だが神田和代まで術中に嵌めるという大成果である。
まだ閉じ込めただけに過ぎないが、この時点でやつらを捕獲するのも時間の問題だ。
予想外の異物がひとつ混じっていることは気になったが、別に目を瞑っても構わない。
肉体の回収は第一班のやつらに任せてあとはゆっくりゲームを楽しもう。
「LUSU2はやられたが、想定の範囲内だ。むしろこの程度で倒れてもらっては困る。僕をコケにした償いのためにも、せいぜい楽しませてくれよ!」
現実最強の能力者を、仮想世界の絶対的な力で狩るという、最高のゲームを。
※
「とにかく、この空間を構築している術者を探さなければなりませんわね。それらしい反応はありませんか?」
「異物の数が多くて……いくつか強力な反応があるんだけど、位置はわかっても性質まではわかんねーっす」
「怪しい者がいる場所だけで十分ですわ。片っ端から探していきましょう……で、あなたは何をやってるんですか?」
シンクは二人の会話を聞きながら崩れた建物の壁面を調べていた。
軽く叩いたり、下に落ちた破片を拾おうとしたり。
その結果、ある結論に達した。
「多分だけどよ。ここ、ゲームの中だぜ」
「は?」
和代は意味がわからないようで、これ見よがしに批判の目を向けてくる。
マコトは思うところがあったらしく同意をしてくれた。
「ゲームというか、仮想世界か」
「ああ。おかしいと思わないか? このエントランス、中から爆風でぶっ壊したのに破片が内側に飛び散ってるんだ。しかも落ちてる石は地面に固定されたみたいに動かない」
さらに言えば、視界も微妙に不自然なのである。
運良く破壊を免れたボードに貼られた掲示物を見てみる。
本物そっくりだが、よく見ると文字がしっかり書かれていない。
遠目には解り辛いが太さが変化しているだけの黒い線の集合体である。
「フレンズ社が開発してる体感型VRゲームによく似てるんだ。中学時代に都内のアミューズメントパークで一度だけやったことあるけど、大体こんな感じだった」
その時に体験したゲームはここまで精巧じゃなかったし、あれから二年経った現在も未だ市販はされていない。
だが、あの感覚は一度味わえば忘れることはできない。
まるで夢の中を自由自在に動き回っているような奇妙な感覚だった。
「私はゲーム機なんか持ち歩いてません。カセットを入れた覚えもないんですが」
「カセットってあんた……ま、それは俺もおかしいと思うんだけどよ」
問題はいつ、どうやってこの空間に入り込んでしまったのかということだ。
シンクはかつてアミューズメントパークでVRゲームを体験したときのことを思い出す。
まずは頭を覆う大きな機械を装着。
体を巨大な椅子に横たえ、四肢は完全に固定された状態になった。
真っ暗な視界の中で明滅する光の文字に従い、長い切り替え作業を経て、意識が落ちたと思ったらゲームの世界に入っていた。
当然、今回は機械を装着してもいなければ、煩わしい手順を踏んでもいない。
気が付いたら一瞬のうちにこの世界の中に入っていたのだ。
「ゲームに似てるって言っても状況が不自然すぎるぜ。やっぱり誰かの能力なんじゃねえか?」
「どっちでもいいですわ。どうやって脱出するのかをを考えるのが先でしょう」
二人の言うことはもっともだ。
しかし、それ以前に気になることがある。
「……で、お前らはいったい何者なんだよ」
見えない敵もだが、目の前の謎の二人組の正体を知っておく必要がある。
こいつらは能力者のことを知っているだけでなく実際にJOYを使用している。
そんなやつらが自分の母親に会いに来て意味ありげな発言を残したのだ。
シンクにとっては見えない敵よりも先にこいつらの素性をハッキリさせておきたい。
「あー、えっと……」
「私たちは多摩地方の能力者組織の人間ですわ」
歯切れの悪いマコトに代わって和代があっさり答えた。
「……おい、和代さん何を……」
「……ここは仕方ないですわ……」
マコトが彼女に耳打ちし、二人は小声でなにか言い合う。
多摩地方の能力者というのはたぶん嘘だ。
態度でバレバレだが、こっそり探った彼女の『色』は明らかに嘘をついていた。
とはいえ多摩地方の能力者組織とやらに関する知識など持っていないため、突っ込んでもはぐらかされるだけに違いない。
「とりあえず、敵じゃねえんだな?」
「もちろんですわ」
最低限安心できる要素として、彼女の『色』はシンクに対して害意を持っていない。
なら警戒しつつもここは信用するしかないだろう。
奇妙な生物に周りを取り囲まれた現状、謎の能力者まで敵に回すのは得策ではない。
「では、次はあなたの番ですわよ」
「は?」
「とぼけないでください。あなたはL.N.T.のことをどこまで知っているんですか?」
「エルエヌティー? なんだそりゃ。俺はアミティエの人間だよ」
シンクは正直に身分を明かした。
こちらは別に嘘をつく必要もない。
「アミティエですって?」
「おいおい和代さん、こりゃヤバイんじゃねーの。もしかして真夏さんって人はすでに……」
しかし二人は予想外の反応を見せた。
シンクが能力者であることはすでに明かしている。
アミティエに所属しているということで驚くのは何故なのか。
いや、この場合は『真夏の息子が能力者組織に所属している』ということに対してだろうか。
認めたくはないが、シンクの母親は何らかの能力者組織と関わりがあると……
『あ、あー。聞こえますか?』
その時、空全体を音源にしたような大音声が響いた。
思わず三人そろって耳を塞ぐ。
「な、なんですの!?」
『おっとボリュームが大きすぎたか……あ、あー、これで大丈夫かね?』
音量は少し絞られたが、それでもまだ腹の奥に響くような感じがする。
シンクはこの声の主を知っていた。
『世界初の本格VRWのクローズドテストのモニターに選ばれた幸運な皆さん、初めまして……ではない方の方が多いみたいだけどね。この世界の管理責任者にして、フレンズ社代表取締役堕天社長、ルシフェルです』
「ルシフェル……!」
子どもが無理矢理大人ぶったような大仰なしゃべり方。
聖書の堕天使の名を借りたふざけた名前。
フレンズお飾り社長にして、アミティエの司令官の厨二野郎。
シンクの上役であるルシフェル本人で間違いなかった。
『いろいろ疑問もあるだろうが、残念ながら質問には答えてあげられない。君たちにはここで私の用意したモンスターと戦ってもらう。なおJOYは使えるようになっているから安心してくれ』
「ちょっと! わけのわからないことを言ってないで姿を見せなさい!」
『その空間の中には五〇〇〇匹の雑魚モンスターと七体のボスモンスターが存在している』
和代が頭上に向かって大声で叫ぶが、ルシフェルの声は一方的に言葉を続けるだけ。
ひょっとしたら、こちらの声は向こうに届いていないのかもしれない。
『君たちの体と精神は強制的に分離させてもらったが、その世界で死んだとしても元の身体で意識が戻るだけだから安心して欲しい。現実の肉体はスタッフであるアミティエ第一班に回収させてあるので、心配せずにゲームを楽しんでくれ』
「マジかよ……」
意味がわからないうえに不愉快極まりない。
しかしこの現象を起こしたのがルシフェルなら、アミティエの関係者であるシンクは悪く扱うことはないだろうという安心感もあった、が。
『で、一つだけ疑問がある』
その楽観は間違いであったとすぐに知ることになる。
『反逆者の二人と裏切り者の二人はいい。だが、なぜ君がそこにいるのかね? 荏原新九郎くん』




