7 母親
「あら、どうしましたの?」
インターフォンの前で突っ立っていると、和代が不思議そうな顔で訪ねてくる。
「お相手が留守でしたのでしょうか。でしたらすみませんが、先に順番を譲ってもらませんか?」
「あんた、うちに用があるのか?」
「え?」
「二○三号室だろ。そこ、俺の母親が住んでるんだけど」
「母親……!?」
和代は目を見開いて驚きの表情を浮かべた。
そう、この部屋に住んでいるのはシンクの実の母親である。
シンクが高校に上がると同時に、仕事の都合で単身こちらに引っ越したのだ。
こんな遠くから平沼まで通うのは辛い。
なのでシンクは無理を言って一人暮らしをさせてもらっている。
今さら親と会えなくて寂しいなんて思うこともないので、会いに来るのは実に半年ぶりだ。
「失礼ですが、お歳は?」
「なんだよ。十五だけど」
シンクは早生まれなのでまだ十六歳になっていない。
「まさか……とすると、あの頃の……」
よくわからないが、いきなり年齢を聞かれた上、目の前でぶつぶつ呟かれては気分のいいものではない。
送ってもらった恩はあるが不愉快だ。
「なんなんだよ。あんた、母さんとどういう関係なんだ?」
近所のママさん友達ではないだろう。
仕事先のパート仲間あたりが訪ねてきたのだろうか。
しかし質問に対して返ってきた答えはずいぶんと不明瞭なものだった。
「古い知り合い……でしょうか。変な質問をして申し訳ありません。あの人に息子さんがいたとは思わなかったものですから」
そんなに驚くことだろうか。
うちの親は若く見えるが、もう四十半ばだ。
息子の一人くらいはいても不自然な年齢ではない。
「重ね重ね申し訳ありませんが、あなたは――」
さらに和代が何かを質問しようとした時、エントランスのドアが開いて人が入ってきた。
「ごめんなさいね、荷物を持ってもらっちゃって」
「いえいえ。ついでですから」
大きなスーパーの買い物袋を両手に持ったマコトと、その横で口元に手を当ててうれしそうに微笑んでいる、若作りのおばさん。
「って、あら……新九郎?」
「よお。男連れで何やってんだよ」
シンクの母親である。
買い物に出かけていたが、タイミング良く帰ってきたようだ。
「人聞き悪いわね。この人が荷物を持ってくださるって言うから、お言葉に甘えただけよ。あなたこそどうしたの急に」
「悪いけど金貸してくれ。財布忘れてガス欠しちまったんだ」
「マヌケさんね。久しぶりに顔を見せたと思ったらそんな理由って……」
「うるせ。あ、あとお客さんだぜ」
「はい?」
シンクに促されて母親が和代を見る。
しかし母は不思議そうな顔で首をかしげた。
「えっと、どちら様でしたっけ」
「お会いするのは初めてでしたわね。初めまして、神田和代と申します」
知り合いという話ではなかったのか?
シンクはますます和代に対して警戒を強める。
だが彼女のフルネームの自己紹介を聞くと、母は何かを思い出したように目を見開いた。
「まさか、美女学の……!?」
「ええ。あなたの妹さんのことはよく存じておりますわ」
母に妹がいたという話は聞いたことがない。
というか、神田?
その名字はつい最近どこかで聞いたことがあるような……
「えっと、あの……」
母がシンクと和代を交互に見る。
いまいち事情は飲み込めないが、息子には聞かれたくない話なのだろうか。
気にならないと言えば嘘だが、親とはいえ、過去のプライベートに口出しするつもりはない。
「俺は気にしなくていいぜ。金さえ借りたらすぐ帰るから」
もとより長話を楽しみに来たわけでもない。
話があるなら邪魔にならないようさっさと出て行くつもりだ。
「いえ、私たちがおいとましますわ。帰りますわよマコト」
「え、ここまで来て?」
「平和な家族の団らんを邪魔する気はありませんもの」
「別に俺はいいんだけどよ……」
「案内してくださって助かりましたわ。新九郎さん」
和代は悠然と微笑んで会釈をする。
そしてくるりと踵を返してマコトの背中を押した。
「真夏さんのお元気な姿を拝見できてうれしく思いますわ。またいずれ、お話をしに参ります」
最後にそう母に告げて、エントランスから出て行く。
いったいやつらは何をしに来たんだ?
恐喝や借金取りの類なら追いかけてぶっとばしてやってもいいんだが、そういう感じでもない。
「えっと、あのね」
母が恐る恐るシンクの顔をのぞき込んでくる。
シンクは黙ってマコトが置いていった荷物を持った。
「あー、別に言いづらかったら説明しなくていいよ」
「……うん」
「仕事は夕方からか?」
「え?」
「夜勤明けで疲れてんだろ。昼飯くらい作ってやるからさ、さっさと家に入ろうぜ」
「えっと……うん。ありがとう」
まあ、たまに会いに来たついでだし、少しくらい親孝行して帰るか。
カギを受け取ってオートロックのガラス扉を開く。
先行して廊下を歩き、エレベーター前で停止して何となく後ろを振り返る。
そこに母の姿はなかった。




