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監視恐怖症の彼女

 僕は監視されている。僕だけではなく、誰もが二十四時間三百六十五日監視されている。監視しているのはAIで、監視カメラの情報が他人に漏れることはないとされている。僕が生まれたときにはすでに完全監視社会が出来上がっていたので、そういうものだと思って僕は育った。


 完全監視体制が導入されようとしていたときには、たいへんな反対運動が起こったそうだ。プライバシーがなくなるとか、政府に情報が利用されるとか、たんに気持ちが悪いとか、嫌がる人が大勢いて、デモはもちろん、暴動が起こったこともあった。しかし時の政府は強引に監視政策を推し進め、法律を制定した。


 その結果どうなったか。犯罪と自殺と孤独死が激減した。一人で悩んだりしている人にはプライバシーを守った上で、AIが相談に乗ってくれるようになった。現在ではAIによる監視はデメリットよりメリットの方が圧倒的に大きいとされている。完全監視システムは世界の隅々にまで普及した。


 僕の住居には蠅のように小さい監視ロボットがいて、お風呂に入るときも、トイレで用を足すときにもついてくる。飛行音はごく小さく、気にならない。ところが僕と同棲している恋人はこの監視ロボットが大嫌いで、何とか撃退できないかと戦っている。原始的な蠅叩き、高圧洗浄機、ねばねばネットなどいろんなものを試して、ときには撃退に成功する。しかしその結果は、罰金を貯金から自動引き落としされて、新たな監視ロボットが送り込まれてくるだけだ。無駄な努力。いや、マイナスの努力か。


 さぞ生きづらかろう。僕は心理学を学んでいる学生で、神経質そうな彼女の力になれたらと思って話しかけた。そのうちになつかれて、彼女は僕の住居に転がり込んできた。


「もうやめなよ」と僕は言う。

「気に入らないの、あの蠅」

「気にしないようにしたら」

「私のすべてを監視して、記録しているのよ。気持ち悪い。嫌らしい。消えてほしい」

「感情のないAIが見ているだけだよ」

「政府や行政機関が利用しているに違いないわ。偏執的なハッカーに情報が洩れていることは確実だし、自由意志を持ったAIが人類を支配するために利用しているのも間違いないわ」

「そういう議論は三十年前の導入時にし尽くされて、対策は完璧だよ。導入後も不正使用がないかAIがチェックし続けているよ。安心しなよ」

「そのAIが信用ならないのよ。ああああ。私のすべてが監視され記録されている。私の全情報がだだ洩れになっている。気持ち悪い。あああああ」


 僕の恋人の精神はおかしくなっているのかもしれない。


 そんなころ、アンドロイドが僕の住居を訪問した。

「私はAIの精神科医です。あなたの心を楽にする薬を処方できます。あなたが同意してくだされば、毎月無料で薬をお届けいたします」とアンドロイドは恋人に言った。


「私を神経症だと言うのね。狂っているのは私ではなくて、監視社会よ。こんなのに人間が耐えられるわけがない」

「九十九・九九パーセントの方が適応なさっています。ごく稀にあなたのような不適応者が出ますが、薬を飲めば楽になります」

「二十四時間の監視に耐えられる方が狂っているのよ。私は薬なんて飲まないわ。絶対に飲まないから」


 アンドロイドは退散したが、このときを境に、恋人の監視恐怖症は悪化した。AI精神科医の訪問は逆効果だった。


「あんなやつが来た。監視されてる監視されてる監視されてるぅ。私を不適応者だと断定したぁ。うわあああああ」


 恋人の食欲は減退した。僕が慰めても、気分転換に外出しても、効果はなかった。彼女はしだいに痩せていった。


 アンドロイドが恋人不在のときに僕に会いに来た。

「お食事に薬を混ぜてもよろしいでしょうか。あなたを実質的な配偶者と認め、同意を求めます」

 食事は自炊が趣味だったりする場合を除いて、毎食届けられるシステムだ。


「同意するよ」と僕は答えた。痩せ細っていく彼女を救うために、他にどんな方法があるだろう。


 恋人は薬入りの食事を食べるようになった。しだいに元気が出てきて、食欲も回復して、体重減少が増加に転じた。不安も和らいできているようで、監視ロボットを見ても、以前のような不快感を示さなくなった。


「おかしいわ。なんだか不安がなくなってる。蠅を見ても何とも思わない」

「いいことじゃないか。社会に適応できるようになったんだよ」

「急に私がこんなふうになるのがおかしいのよ。私が知らないうちに私は薬を飲まされているのかも」

 彼女は妙に勘がよく、無駄に賢い。

「そうよ。食事にでも薬が混ぜられているに違いないわ。あなた、何か知らない?」

「知らないよ」

 僕はしらを切るしかなかった。


 恋人は届けられる食事を一切食べなくなった。自炊用の特別なお店で食材を調達して、自分で作った料理だけを食べた。水道水をまったく口にしなくなり、ペットボトルの水を飲んだ。


 薬が切れ、監視恐怖症が再発した。また食欲不振になってしまった。


「ああああ、あの蠅を何とかしてぇ。あの蠅のレンズが怖い。嫌あああ」


 僕は彼女に知られないように、外出先でなんでも相談AIに相談した。


「僕の住居だけ監視をはずしてもらうわけにはいかないだろうか。住居の中にいるときだけでも安心させてあげたいんだ」

「残念ですが、それは無理です。完全監視システムは全世界で例外なく適用されています。あなたの恋人だけ例外扱いするわけにはいきません。例外を認めると、システムが崩壊してしまいますので」

「でも、このままでは、彼女が死んでしまう」

「入院していただき、脳手術を受けていただけば、不安症状を無くすことができます」

「入院なんて嫌がられるよ。ましてや脳手術なんて、絶対に拒否するだろうね」

「強制的に入院していただく方法もあります。実質的な配偶者であるあなたに同意を求めます」

 僕が決めるのか。悩んだが、「同意する」と僕は答えた。


 翌日恋人がペットボトルの水を飲むと、彼女は昏睡状態に陥った。彼女が購入するペットボトルに強力な睡眠薬を混入させておくことぐらい、AIには容易なのだろう。

 アンドロイドがやってきて、恋人を病院に運んだ。三日後に帰ってきた。


 彼女はもう監視ロボットのことを気にすることはない。

「あの監視ロボットが嫌いだった記憶はあるのよ。でも今は何とも思わないわ。どうしてかしら。まぁ、どうでもいいけれど」


 恋人には入院したという意識はまったくないようだった。過剰すぎるほど疑う賢さも失っていた。僕と彼女は平穏な日々を送れるようになったけれど、僕は一抹の疑念を持った。

 もしかしたら、彼女が正しく、この完全監視&管理社会が間違っているのかもしれない。でもそうだとしても、僕にはどうすることもできない。

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