六品目 竜炎袋(前編)
夏、ヒッソス樹海に火竜がやって来る季節になった。
火竜は狩るのも一苦労する魔獣だが、肉も内臓も食べられる。
火竜には炎を吐き出すための、竜炎袋と呼ばれる器官があった。この竜炎袋は旨味の油が詰まっている。火竜の中で一番美味いと評される部分が竜炎袋だった。
ただ、この竜炎袋、火竜が火を吐く度に、中の旨味成分の油が抜けて行き、味が落ちて行く。最高に美味い竜炎袋を手に入れたいなら、火竜に火を吐かせずに倒さなければならない。
ただでさえ強い火竜に、火を一度も吐かせず倒すなんて、並のハンターに無理に近い。
されど、どこの世界にも職人はいるもの。火竜に気付かれずに近づき、大きな剣の一撃で首を刎ねる。俗に言う、火竜の首斬りができるハンターはいた。
ランドルが山菜を手に山海亭に行こうとすると、飛行船が火竜を運んでくる光景が見えた。気になったので解体場に行く。
首と胴が別れた、全長十mの火竜が解体場に降ろされる。
火竜は首を斬られている以外には、目立った外傷がなかった。
(これは、見事な切断面や。まさしく、火竜の首斬りやな)
ランドルが感心していると、飛行船からエイドリアンと一人の若いハンターが降りてきた。
若いハンターの名はマックス。筋肉質な体形の黒髪のハンターだった。年齢は二十代の後半だが、顔つきは歴戦の戦士を思わせる風格があった。防具は倒した魔獣素材のものを黒く染めて使っていた。
マックスは有望なハンターなので、ランドルも知っていた。マックスはランドルがエイドリアンと パーティを組まなくなってから、エイドリアンに弟子入りしていた。
なので、マックスとランドルは一緒に狩りに出かけた経験はなかった。
(マックスがやったにしては仕事が丁寧や。おおかた、エイドリアン先輩が手本を見せたっちゅうところかのう)
その日は、そっと心の中でエイドリアンに拍手を送って解体場を後にした。
エイドリアンが火竜の首切りを成し遂げた日から、解体場に火竜がよく運ばれてくる場面を目にした。
(誰かが火竜に何度も挑戦しとるようやな。何ぞ、目当てのレア素材でもあるんかのう)
山海亭のメニューにも、火竜の食材を使ったメニューが並ぶ。
常連たちが顔を綻ばせて鍋を突く。
「いやあ、やっぱり夏と言えば、火竜鍋だな。この、ちょっぴり辛い味噌で食うのが美味い」
「俺は火竜のローストだな。あの、力強い味。何度でも食べたくなる」
キャシーが常連たちに笑顔で勧める。
「でも、何といっても、美味しい部分は竜炎袋ですよね」
常連たちは半笑いで顔を見合わせる。
「竜炎袋の焼き物なんて、一切れでも高いから、俺たち庶民には手が出ないよ」
店にいた常連がランドルに声を懸ける。
「なあ、ランドルさん。竜炎袋を獲ってきて、安値で大将に卸してよ」
キャシーが和らかな表情で窘める。
「無茶をお願いしちゃ駄目ですって。ランドルさんが本気にしたら、どうするんですか」
ランドルも酒を飲みつつ、笑い話に加わる。
「もう、皆には敵わんな。こんな、おっさん火竜の首斬りなんて、できるわけないやろう」
和気藹々とした会話が山海亭に流れた。
その日は酒が美味く、料理も美味しかった。
つい深酒をして店で眠った。気が付いたらキャシーは帰っていた。
「ごめんな、大将。つい眠ってしもうた。もう、帰るわ」
顔を上げると、隣にまだ客がいた。客はエイドリアンだった。
「あれ、エイドリアン先輩。珍しいところで会いましたな」
エイドリアンが微笑んで答える。
「俺だって、たまには双竜亭以外で飲むさ。ところで、今日は一つ頼みがあって来た」
ランドルは何を頼まれるのか、見当が付かなかった。
「頼みって、何でっしゃろう? できる仕事なら、やりますけど」
エイドリアンが気負うことなく気軽に発言する。
「俺の弟子のマックスのことだ。奴には最終試験として火竜の首斬りを命じた」
(何か、まだ、酒が残っとるのう、ふらふらするのう)
「なかなか、厳しい試練を出しましたな」
エイドリアンが少しばかり渋い顔をする。
「だが、試練が上手くいっていない。マックスの実力なら火竜を倒すことができる。だが、火を吐かせずに首を斬る仕上げができない」
「殺気を上手く、消せないんですな」
エイドリアンが難しい顔で解説する。
「殺気を消せないから、火竜に気付かれる。また、火竜もマックスの実力に気付くから、激しい戦闘になる」
「それは、火竜の首切りを行おうとする者にしては最悪の展開ですな」
エイドリアンは真剣な顔で頼んだ。
「そこでだ。お前が火竜の首切りを教えてやってくれ」
慌てて、店内を見渡す。だが、客はエイドリアンとランドルだけだった。
エイドリアンの申し出に驚いた。
「え、わいが、でっか? そんな、わいが火竜の首斬りを成功させた実績なんて、たったの一回こっきりでっせ」
「火竜の首斬りは単純な技じゃない。偶然にできるものでもない。心技体の全てが揃って完成する技術だ。一度でも覚えればハンターの魂が覚える」
「そんなの言われたかて、無茶やわあ。エイドリアン先輩が教えられんのなら、わいかて無理や」
エイドリアンは悔しそうな顔で意見する。
「俺は狩りの天才だ。だが、指導者としては一流ではない。だから、上手くマックスには、教えてやれない。その点、ランドルは違う。お前は努力してきた人間だ」
エイドリアンが狩りの天才なのは自慢ではない。驕りでもない。実績が証明していた。
でも、ランドルはエイドリアンからの依頼に、二の足を踏んだ。
「先輩が狩りの天才なのはわかります。でも、わいかて、指導者として一流ではないですよ」
「そんな冷たい言葉で断わらないでくれ、頼む。マックスは見込みのある奴なんだ」
ハンター時代の仲間であり、世話になったエイドリアンにここまで言われて断るのは、難しかった。また、酒の勢いもあり、ランドルは了承した。
「もう、そんなエイドリアン先輩に見込まれたマックスは、幸せなやっちゃな。ええですわ、エイドリアン先輩の頼みです。引き受けますわ」
「そうか、引き受けてくれるか、頼むぞ」
エイドリアンは景気よく酒を注いでくれたので飲んだ。挙げ句、べろべろになって部屋に帰って寝た。
翌日、マックスが部屋を訪ねてきた時に、とんでもない約束をしたと思い出した。だが、もう、引き返せないところに来ていた。