十九品目 薬酒用樹皮
早朝、ランドルは日課にしている体操をしていた。すると、山海亭の大将と遭った。
「おはようさん、めっきり寒くなってきましたな」
大将は温和な顔で挨拶を返す。
「まだ、雪は降りませんが、寒さがぐっと強くなってきました。今日はランドルさんにお願いがあるんですけど、いいですか?」
「何や? 何を採ってきて欲しいんや? 言うてや。採ってくるで」
「来年の年越し用の薬酒を仕込みたいんです」
ブレイブ村の村人は年越しの晩に無病息災を願って薬酒を飲む習慣があった。
大将は丁寧に頼んだ。
「それで、今年も森の悪魔の樹皮を採ってきてもらえませんか?」
「もう、来年の年越し用の酒を仕込む時季か。一年って本当に早いな」
薬酒は洗った森の悪魔の樹皮を一年漬けて作る。
「ええで。採ってきたるわ」
森の悪魔は強い魔樹だが、冬の季節は活動が鈍る。樹海では冬眠状態になる個体が現れる。冬眠に入った森の悪魔の眠りは深く、よほどの事態でないと、目を覚まさない。
こっそりと近づき、外側の薄い樹皮だけを剥いでも、森の悪魔は目を覚まさない。
眠っている森の悪魔の樹皮を剥ぐ技は悪魔の皮剥と呼ばれる。
あまり習得しているハンターはいない。だが、ランドルにはできた。
ランドルは森の悪魔がよく出没する樹海深度三に降り立った。
樹海深度三で森の悪魔がいそうな場所を探索する。だが、森の悪魔が一体もいなかった。
(あれ、おかしいのう。これだけ見ても一体もおらん。それどころか痕跡すらないって、どういうこっちゃ?)
悪魔の皮剥の技術はある。だが、肝心の森の悪魔がいない状況では腕は振るえない。
ランドルはそれから五日間に亘って樹海を探索した。だが、森の悪魔はいなかった。
いくら何でもおかしいので、ハンター・ギルドに行ってブリトニーに訊く。
「ブリトニーはん、樹海の深度三から森の悪魔が消えた。何ぞ、知らんか?」
ブリトニーが弱った顔で教えてくれた。
「実は、森の悪魔のレア素材を欲しがるハンターが根こそぎ狩ってしまったんです」
ランドルは驚いた。
「根こそぎって、森の悪魔の数って、五十や六十やないで。もっと多くいたはずや」
「そのハンターさんは一人で百体以上も狩っていきました」
「そんなにか! そんなの、あかんで。でも、そこまで狩ったのなら、市場に安う森の悪魔の樹皮が出ているはずやな」
ブリトニーが「残念ながら」と教えてくれた。
「市場でも、それほど出品はないですよ。錬金術師のレイさんが研究に使うからと安いうちに買い占めました」
「何と、それは困ったのう。どこかにおらんかな、森の悪魔?」
ブリトニーは他人目がないのを確認すると、こっそり教えてくれた。
「ここだけの話ですけど、クレアさんなら、知っているかもしれませんよ。クレアさんは先日、小さな樹皮ですが、ギルドに納めて行きました」
「そうか、情報ありがとう。なら、訊いてみるわ」
クレアをハンター・ギルドで待つ。戻ってきた時に声を懸ける。
「クレアはん、ちと秘密の相談や」
「何かしら? 面白い話ならいいけど」
「森の悪魔の居場所を知っとるなら、教えて」
クレアは顔を顰め、小声で尋ねる。
「私が森の悪魔の居場所を知っているって、誰から聞いたの?」
「ちょっと小耳に挟んだんよ」
クレアは渋々の態度で話した。
「本当なら他人には教えたくないんだけど、ランドルには以前に隠密飛虎のハントで世話になっているから、教えてもいいわ」
二人でギルドの隅に移動して密談する。
「ありがとう。それで、どこで見たたんや」
「樹海深度三の九番キャンプの南側」
場所がすぐに頭の中に浮かぶ。その場所は底なし沼があちこちにある危険地帯だった。
また、背の高い木々の間を吸血蔦が這っている。下手に上空から降下しようとすると、吸血蔦に絡まって血を吸われて出血で死ぬ。かといって下は底なし沼である。
「あの場所におるんか。それは、見つからんわけや。でも、眠っておるのなら、近づければ樹皮をちょうだいできるな」
クレアは渋い顔で否定的な見解を述べる。
「さあ、どうかしら? 森の悪魔は活動中だったわよ」
「何や? 冬眠に失敗して狂暴化した個体か?」
(眠っているところにお邪魔して樹皮だけ簡単にいただくわけには、いかなくなったのう)
クレアが興味を示して提案した。
「ねえ、ランドル。もし、森の悪魔をハントするなら、協力するわよ」
「ちょっと待って。勝算もなしに出掛けても、死体が二つ増えるだけや。まず、可能かどうか、検討する。その上で、また声を懸けるわ」
ランドルはクレアと別れた。
市場を覗く。森の悪魔の樹皮は去年の同時期と比べ五倍近くの値がしていた。
(買えん値段やない。せやけど、損までして買って大将に渡すと、却って気を遣わせる。ここは、森の悪魔をハントするしかないか)
ランドルは現地に下見に行く。
冬は乾季でもあるので、沼地の地表は乾いている。底なし沼と普通の地面の見分けが付かない。そんな危険な場所を、ランドルは目と勘を頼りに進んで行く。
しばらく進むと、風の音に似た唸り声が聞こえてきた。
木の上に避難して様子を見る。高さが八mもある人型をした魔樹が見えた。魔樹の全身を覆う樹皮は灰色をしていた。葉は全て枯れており、目に当たる部分は真っ赤に光っていた。
(おったで。冬眠に失敗した森の悪魔や)
森の悪魔は傍から見ても気が立っていた。しばらく見ていて、気が付いた。
森の悪魔は大股で無目的に歩いていた。だが、底なし沼に嵌まらない。
明らかに底なし沼だと思える場所を踏んでも、足が踝くらいまでしか沈まない。
(おかしいのう。森の悪魔の重さなら、確実に沈んでも良さそうなものやのに)
森の悪魔が立ち去った後に、森の悪魔が踏んでも沈まなかった場所に近付く。
大きな石を持ってきて投げ込む。すると石は、ずぶずぶと沈んだ。
(石が沈むから、ここが底なし沼なのは間違いない。せやけど、森の悪魔は沈まなかった。森の悪魔の特殊能力やな)
ランドルは市場に出ている森の悪魔の足の裏の樹皮を買う。
森の悪魔の足の裏の樹皮でブーツを作った。
モンスター素材で作った武具には、元になったモンスターの特殊能力が宿る事態がままある。なので、森の悪魔の樹皮で作ったブーツを履けば、底なし沼でも沈まないか確認したかった。
ブーツを持って、底なし沼に行く。手近な木にロープを結んで片方を持つ。
底なし沼の上にそっと足を乗せる。脚は二センチほど沈むが、底なし沼の上に立てた。
(やはり、森の悪魔の樹皮で作ったブーツには、底なし沼でも沈まない力が宿る)
だが、問題もあった。ブーツは浮いている感覚がある。だが、手を突けば手は沼に飲み込まれる。森の悪魔の樹皮で籠手を作れば防げる。だが、使い勝手が悪い。
それに、底なし沼の上では踏ん張りが効かない。太刀を得意とするクレアは死ぬ危険性があった。
(底なし沼での戦いは、わいらが圧倒的不利な状況は、変わらんな。底なし沼の状況は確認できた。あと一つ確認や)
ランドルは持ってきた竹筒に鶏の血を塗った。
竹筒を掲げる。上から血の臭いを惹かれた吸血蔦が降りてくる。
吸血蔦は竹筒に巻き付き、巻き上げる。
「武器は使えんが、こっちは使えるようやな」
ランドルはハンター・ギルドでクレアと会い、隅で密談をする
「森の悪魔をハントする。手を貸してほしい」
クレアが難しい顔で語る。
「手を貸すのは、いいわ。でも、奴を底なし沼から誘き出す策が必要よ」
「いや、底なし沼で森の悪魔を狩る」
クレアは否定的な顔で拒絶した。
「底なし沼で戦うの? こっちが不利よ。止めたほうがいいわ」
「ええから、考えがある」
ランドルは、クレア用の沈まないブーツを作る。ブーツを作っている間に、錬金術師を通じて大量の爆薬を買った。
コボルドたちに手伝ってもらう。小さな竹筒に爆薬を詰めた、五百個の竹筒爆弾を作った。
五百個の竹筒爆弾を底なし沼に運んだ。竹筒に刷毛で鶏や七面鳥の血を塗る。竹筒を掲げると、吸血蔦が下に降りてきて勝手に竹筒爆弾を上に運ぶ。
ランドルは、こうして、五百個の竹筒爆弾が降ってくる罠エリアを設置した。
頭上が竹筒だらけになった罠エリアを、クレアが感心して見上げる。
「よく、こんな仕掛けを考え付くわね」
「正面切って戦えば死ぬかもしれん。でも、これなら楽に狩れる。ハントは死ねば終わり。ぎりぎりの戦いをしたら、あかん」
ランドルとクレアは弩を準備して森の悪魔が巡回してくるのを待つ。
森の悪魔が現れたところで、弩から火炎弾を発射する。
吸血蔦が焼き切れて竹筒爆弾が降ってくる。竹筒爆弾は弩から放たれた火炎弾の貰い火で誘爆する。
爆発が始まる。堰を切ったように次から次へと竹筒爆弾が降る。竹筒爆弾が爆発していく。森の悪魔は降り注ぐ爆弾の雨の前に倒れた。
「ハント終了やな」
クレアが感心した。
「準備がやたら掛かるハントだが、戦いは十分と掛からなかったわね」
「上手く行く時って、そんなもんやで」
クレアが控え目な態度で確認してくる。
「こいつを狩った実績も、要らないの?」
「要らんよ。クレアはん一人のもんにしたらええ。ただ、元手が掛かっているから、こっそり報酬は振り込んでや。あと、わいが必要な素材はここで剥ぎ取っていくで」
「それなら、問題ないわ。じゃあ、私はこいつを狩った信号弾を上げるわ」
クレアは信号弾を上げた。
ランドルは倒れた森の悪魔から、まだ新しい良質な樹皮を剥ぐ。
樹皮を剥いでいると、白い物が見えた。
点を見上げると、ぽっかり空いた空の隙間から雪が降ってきていた。
「雪が降ってきおったなあ。冬の一番寒い時季が来るのう」