三品目 アメノウオ
いつものよう山海亭で食事をしていると、常連が話し掛けてくる。
「ランドルさん、天気予報じゃ、明日から三日間、雨だってさ。アメノウオの時季が来たね」
アメノウオは春先に湖でしか釣れない魚である。体長は三十㎝ほど。姿は鰻に似ており、青い色をしている。照り焼きで食べると、たいそう美味しい。
アメノウオは麻酔ガスを放つ。成分は麻酔薬として知られる亜酸化窒素が主成分だった。
ただ、ガスに混入する他の微量成分により一般的な笑気ガスより威力は強い。アメノウオのガスに当てられると、意識を奪われる。また、髭にも麻痺性の強い毒がある。こちらも、迂闊に触れれば体の自由を奪われる。
下手をすれば、そのまま水中に落ちて溺死する。なので、一般人は釣らず、ハンターが釣ってくる。
「アメノウオかあ、もう、そんな時季なんやな。よっしゃ、明日にでも釣ってきたろう」
キャシーが、にこにこ顔で期待する。
「なら、明日は特別メニューを用意しなきゃ」
翌日、朝から雨が、しとしと降っていた。風はなくアメノウオを釣るには絶好の釣り日和だった。
水温はまだ冷たい。水に落ちても死なないように防寒仕様のダイバー・スーツを着る。ズボンを穿き、釣りジャンパーを羽織った。
クーラー・ボックスに竿と餌を持ち、ランドルは飛竜に乗って湖を目指した。
知っている穴場の近くで、飛竜を降りて歩いて行く。
穴場の近くで赤い毛を発見した。
(これは大猿火のものやね。何や、せっかくの穴場やと思ったのに、今年は大猿火が出るんか。なら、別の場所を探さな、あかんな)
大猿火とは、体長が五mにもなる、大きな赤毛の猿である。知能は高く、筋力も強い。また、炎を吐き、爪に毒がある、厄介な魔獣だった。
穴場その二に向けて移動しようとすると、若いハンターと会った。
「こんにちは、釣れますか?」
ハンターは機嫌よく応じる。
「ここは釣れるね。いい場所だよ」
ハンターが装備の下に防寒仕様のダイバー・スーツを着ていないのが見えた。
(何や。アメノウオ釣りは素人のようやな。これは、ちょいと注意したろう)
「さっき、ここで大猿火の体毛を見つけたで。残念やけど、ここは危険や。移動したほうがいいと思いますよ」
男は笑って拒絶した。
「心配ないさ。俺はここで釣るよ」
「そうですか、なら、わいはもっと奥で釣るわ。あと、大猿火に襲われたら、水の中に逃げるのも手やで。大猿火は水を嫌うからのう」
男は振り返ることなく、手短に返事をした。
「忠告、ありがとう」
(注意は一応した。無理に勧めて、喧嘩になるのも阿呆らしい。それに、まだ襲われると決まったわけやない)
穴場から三十分ほど離れた場所まで歩く。
辺りに大猿火の痕跡がない状況を確認してから、釣りを開始した。
春先の寒い曇り空の下、雨に打たれながらアメノウオ釣りをする。
しばらくして、当たりがあったので竿を上げる。アメノウオが釣れた。
(アメノウオが釣れたのう。去年、見つけた穴場より外れるが、ここでも問題ないのかもしれんな)
アメノウオを針から外した。アメノウオが持つ麻酔ガスを少し吸った。頭が少しくらっとする。
(アメノウオには麻酔ガスと痺れ毒があるから油断できん。さっさと釣って、まだ明るいうちに帰ろう)
その後も、アメノウオは釣れた。だがやはり、針から外す時に、うっかり触れると、力が抜ける感じがする。
それどころか、大きいアメノウオになると、竿に掛かっている時ですら、力を奪われる感覚がする。
竿を通して力を奪われる感覚は気のせいであり、寒い雨のせいだとわかっている。だが、何にせよ、欲張って釣り続けると、水中に落ちて溺死する魚なので注意が必要だった。
途中、覚醒作用があるハッスル・ナッツを食べながら釣った。
ハッスル・ナッツはアメノウオ釣りには欠かせない木の実だった。
ランドルは十尾を釣り上げたところで、休息を摂る。
(昼前に十尾も釣れたのう。雨は激しくないから、まだ行けそうや。せやけど、天気が変わって風が強くなったら、危険や。一人やし、ここは引き上げるか)
休憩の終わりにもハッスル・ナッツを食べておく。
頭をはっきりさせてから引き揚げ準備に懸かった。
帰り際に、気になったので、大猿火が出ると警告した場所に寄る。
焼け焦げた竿と、壊れたクーラー・ボックスだけが残っていた。
辺りを警戒するが、大猿火の気配は、しなかった。
焼け焦げた痕跡を調べると、襲撃から一時間は経っていた。
(ほら、言わんこっちゃない。ここは危険やと教えたやろうに)
忠告に従わなかったハンターは自己責任だ。だが、それでもいい気分はしなかった。
ランドルは飛竜に乗ってブレイブ村に帰還する。翌日は霧雨が降る天気だった。
(霧雨かあ、アメノウオが水面に上がってくるかは、微妙なところやな)
迷ったが、春先の風物詩なのでまた、アメノウオを釣りに行った。
湖の岸辺に沿って歩いて行く。
棒に刺したアメノウオが地面に刺さっている場所に出くわした。
辺りを見回すと、茂みに気配を感じたので、声を懸ける。
「お宅ら、何? 大猿火を狩ろうと思うているん?」
茂みから三人のハンターが姿を現す。ハンターたちは二十代前半のハンターだった。
リーダーの男が真面目な顔をして肯定した。
「俺の名はアルディ。そうだ。俺たちの目的は大猿火の狩りだ」
「あのなあ、こんな、これ見よがしに、アメノウオを棒に刺しておいても、大猿火は引っかからんよ。やるなら、もっと上手くやらんと、駄目やで」
アルディは素直に教えを請うた。
「なら、どうしたらいいんだ? いい手があったら、教えてくれ」
「せやなあ。タダでは教えられん。報酬を四分の一くれるのなら、わいが囮役になってもええで」
パーティの他のメンバーが抗議の声を上げる。
「そんな釣り装備ではろくに戦えないだろう。戦わないのに報酬の四分の一は、高すぎるぜ」
「高いなんてことはないよ。囮役は囮役で、危険やからね。それに、大猿火の活動範囲は広い。せやから、闇雲に樹海を探しても見つからんよ」
アルディは一唸りしてから決断した。
「わかった、獲物が見つからないと狩りは始まらない。ここは囮役を頼もう」
他の二人は顔を見合わせる。だが、リーダーのアルディが決めた方針ならと従った。
ランドルは昨日、男が襲われた場所に移動して指示を出す。
「わいはここで釣る。アルディはんらは向こうの木陰に隠れてや。大猿火が現れても、すぐに攻撃したらあかんよ。逃げられるからね。大猿火がわいに充分に近づいてから囲んでや」
アルディは険しい顔で指摘した。
「いいのか? 大猿火は危険な獣だぞ。近すぎると危険だぞ」
「そこは、上手くやるわ。わいの心配は、ええから。アルディはんたちは大猿火を倒すことだけに注力してや」
「わかった」とアルディは隠れたので、アメノウオを釣り始めた。
霧雨だがアメノウオは竿に掛かった。短時間のうちに五尾が釣れた。
(さすが、穴場や。よく釣れる。せやけど、よく釣れるのが逆に仇になったんやなあ)
ランドルは、こまめにハッスル・ナッツを齧った。
(集中力が低下すれば注意力も下がる。これから恐ろしい大猿火と一戦をえるかもしれ。コンディションの維持は注意せんといかん)
六尾目が竿に掛かった時だった。背後から何かが、そろそろと近づいてくる気配を感じた。
ランドルは振り返らない。アメノウオも、すぐには釣り上げず、アメノウオと格闘を演じる。
「お、ついに、掛かったで、初めての獲物や」
無邪気に喜んだ体を装った。隠れているアルティたちに合図を送った。
アメノウオを豪快に釣り上げると同時に、ランドルは湖に飛び込んだ。
背後で水面の上を火の玉が通り過ぎる。そのまま冷たい水中で、息が切れるまで泳ぐ。水面に顔を出す。湖岸では大猿火を囲んでの戦いが始まっていた。
ランドルも湖岸に上がって加勢しようとした。だが、ベルトポーチについた餌袋から餌が漏れていた。
水中にいたアメノウオがランドル目掛けて寄ってきた。
アメノウオがランドルの体を突く。
「あ、あかん」危険を察知した時には十尾以上のアメノウオに体に突つかれていた。
麻酔ガスの効果と痺れ毒のある髭のせいで、途端に体から力が抜ける。
手足が鉛のように重くなる。消えそうになる意識を堪えて、何とかベルトポーチを外す。
アメノウオは沈んでいくベルトポーチを追って湖底に消えて行く。
ランドルは肩で、はあはあと息をしながら、ゆっくりと湖岸に向かって泳いでゆく。
百mにも満たない距離がとても長く感じた。
気を抜くと、意識ごとすぐに湖底に引き込まれそうになる。
それでも、手足をゆっくりでも動かし続けた。
どうにか湖岸に着いた時には、死にそうになっていた。
顔を上げる。ここで、大猿火がハンターに勝っていれば、ランドルの命も危なかった。
だが、ランドルが水との死闘を繰り広げている間に、ハンターも大猿火もどこかに移動していた。
(どうやら、逃げた大猿火を追ってハンターが移動したようやな)
霧雨の降る中、ランドルは大の時になっては大きく息をしながら休んだ。
体は全力疾走で体力を使い切って時のように辛い。
「アメノウオを釣りに来て死ぬかと思うた。これだからどんなハントも気が抜けん」