第十六話
「お眼鏡に適いましたか? ジャンヌ」
腹が立つ位涼し気な笑顔を見せられて返す言葉も無い。
凄く悔しい事にライバルが増えた、しかもこんなにも身近にいた事に気が付いていなかったのが特に悔しい。
侮っていた訳ではないのに、ヨアンはマツーリィと同じレベルの動きが可能だという事に今まで気が付かないでいた。
「ヨアン、貴方もうマツーリィと同格なんじゃない?」
「どうだろう? 身体能力としては俺の方が上だと思うけどね」
上だと言いながらも、超えたと言い切れないモノが有るらしい。
「ヨアン、貴方がフランスのエースよ、間違いなく」
他に良い言葉が見つからず、現時点ではっきりしている事だけを言葉にした。
「私も負けていられないわ」
決意も新たに前を向いた。
あれから数回、スクレットと遭遇戦をして鎧の使い心地を確かめ、体に馴染ませて迷宮を上がった。
時間も午後八時を回っていた。
地下墳墓から全身鎧を着た二人組が現れたら、メーターを振り切った場違い感を放つ事に成る。
兜を脱いで小脇に抱えて歩いていく。
「ねえ、ヨアン。この鎧って自宅保管なのかしら?」
「まだジャンヌ隊の人数も決まっていないから保管場所も用意されてないんだよ」
「結局、何人位に成りそうなの?」
「取り敢えず、マツーリィの意見だと最低でも十五人、だと」
「なんで十五人なの?」
先駆者の意見は素直に聞くべきだけど、その根拠は知りたいし、根拠が無ければ頷けない。
「先ず、迷宮の最深部に行く必要が有って、その道中が相当に長い事。数日の泊まり込みに成るから野営の装備も持ち込む必要が有る事。装備が増えて移動速度が確実に落ちる事。一番の理由は野営中、見張りと休息とを交代する事も考えたら大人数に成るって事らしい」
根拠として正しいと思った。
理屈も通るし現実的に思える。
「候補は絞れているの?」
「そうだね、大体は決まってるんだけど、後二、三人まだ調査が必要な人間が居る」
ヨアンの言う調査とは多分テロリストかの身元調査の事だろう。
今回集められるメンバーはおそらくパリのシーカーでも駆除実績上位の人間が選定されるはずだ。
そんなメンバーが自爆テロも含めて暗殺でもされたら氾濫と言う大規模テロが可能と成ってしまう。
勿論、軍から信頼出来る人員に戦鎚を持たせれば済むのだけれど、最後の砦の特殊部隊は簡単には出したくないだろうし、何らかのエローを確保・保有と思うのは当然だ。
国民にアピールする目的なら軍人よりも、と言う話に成る。
つまり、ヨアンはその選定の為にシーカーをしている軍所属の諜報員だった訳か。
騙されたとは思わないけれど、随分と長期間任務だと思う。
そして実際紛れ込んだテロリストが居たかは聞きたくない。
もし居たなら既に排除されているという事だから。
知る必要も無い事には触れないでおく。
時折すれ違う住人が驚いた顔をする。
意を決して、顔を上げて堂々と、むしろ誇る様に歩く。
私がジャンヌ隊の顔なのだからやり過ぎる位気取って、格好付けなければならない。
ここは覚悟を示す場面だ――私こそが迷宮からフランスを救うのだ、と全身でアピールする。
アパルトマンに帰り着いた所で盛大に溜息を漏らす。
「早まった、絶対に早まったわ、この覚悟は考えてなかったわ……」
先ほどのすれ違いざまの視線に一つ思う事が有った。
兜をテーブルに置いて、急いで部屋の窓のカーテンを閉めていく。
自室と言う私的空間以外、一切の気が抜けない生活を送らなければならないらしい。
それこそ、パパラッチやスナパラッチに追い回される事に成る。
その現実に今から心折れそうだ。
気を取り直して、部屋の姿見で全身鎧の姿を確認する事にした。
鏡の前に立ち、映し出された姿を改めて見てみる。
鉄よりも少し濃い鈍色で、どっしりとした重厚感がある様に思えた。
ヨアンの鎧よりは光沢もあるため、私を目立たせる為に表面は磨かれているらしい。
背中に流れた自慢の巻き髪が鈍い銀色によってより目立って見える。
「派手過ぎはしないけれど、やっぱり目立つわね」
自分の事は置いておいて、確かに女性がこの鎧を着て隊列の先頭に居たら目立つし、シンボルとして分かりやすい。
偶然とは言え、私のブロンドの髪とチタンの鈍い光沢のコントラストは目を引くと思う。
国は私に目立つ事を求めている。
いや、正確には――ジャンヌ・ダルク・ドゥ役の人間には目立って貰わないと困る、だろうか。
パリ市内でも氾濫を考えたら、次も氾濫が起きれば大統領の支持率も底まで落ちるだろう。
首都ど真ん中に迷宮がある、と言うのがフランスの不幸だと思った。
取り敢えず、明日からの事は鎧を外してから考えよう。
リビングに戻って、テーブルの上に銀戦鎚を置き、それから籠手を外して置く。
胴回りを外してから二の腕、腰、太腿、脛と装甲を外し、全身に掛かっていた重量から解放された。
解放された所で、思った以上に汗を掻いていた事に気が付く。
色々考えるのはお風呂に入ってリフレッシュしてからにした。
とは言え、先に夕食の用意だけはしておかないとまずい。
冷凍庫から冷凍パイシートを取り出して、買っておいたサーモンの切り身と刻んだ野菜を包みオーブンに投入。
これでシャワーを浴び終えた頃には焼けているはず。
オーブンも気に成るし、湯船に浸かるのも面倒に感じたので、今日はシャワーだけに止める。
洗面台で化粧を落としてから熱いシャワーを頭から被った。
シャンプーで汗と埃を洗い落として、コンディショナーを揉み込む様に髪に馴染ませる。
体をスポンジで洗いながら明日からの事を考え始める。
まずカンタンやブノワとの連携の確認。
それからジャンヌ隊に選定されるメンバーの話をヨアンから聞く事に成るだろう。
迷宮の攻略はその先の話になる。
パリの迷宮を沈静化させる方法を私は知らないけど、それはマツーリィが知っている。
迷宮の最深部までの道のりはスクレットの数が増えるとかそう言う違いだろうと思う。
あの鎧を身に着けて戦ってみたから言える事ではあるけれど、恐らく犠牲者は出さないで済むと思う。
「衝撃吸収も悪くなかったし、耐久力も十分にあると思うし」
フランス全土、パリを含めて点在する十二ヵ所の迷宮を氾濫の前に沈静化させる事が可能かは正直分からない。
最深部までの距離や所要日数も私には分からないのが辛い。
泡を流し、髪も濯いで浴室から出る。
ドライヤーで髪を乾かしながら十五人と言う大人数で迷宮を移動する光景を想像してみる。
一時間置きに入れ替わりをして疲労を分散させて、休息もローテーションで組めば何とかなるのだろう。
少なくとも日本では七ヵ所、既にそれが成されているのだから。
今はまずパリの迷宮の沈静化を成功させる。
あれこれ考えたり、悩んだりする前にまずその事に集中しよう。
髪を乾かし終えて、バスローブを羽織ってキッチンに移動する。
オーブンから取り出したパイを皿に移して、マスタードと蜂蜜やビネガーを混ぜたソースをかける。
テーブルワインに白ワインを選んでパイを冷ましながら頬張る。
パイの香ばしい香りとサーモンの旨味、香辛料の刺激、ソースの爽やかさが口一杯に広がる。
ワインを一口含むと少しだけ感じていたストレスが薄くなった気がする。
我ながら現金な物だと苦笑する。
こうなったら気晴らしをキチンとした方が良い、と思い席から立ち上がりデッキにDVDをセットして映画を流す。
時折差し込まれる恋人同士のシーンに困りながら食事を終える。
お腹が落ち着くまでDVDを見て、そのままにしていたツナギの事を思い出し洗浄して干して置く。
胃袋が落ち着いたところでストレッチをしてからベッドに潜り込む。
明かりを落とした部屋でゆっくり意識が沈んでいく感覚に身を委ねる。
意識を手放す瞬間に誰かを連想した気がした。