第九話
マツーリィはそのまま刀も抜かずに進んで行き、スクレットの前で立ち止まった。スクレット二体が近付き両腕を振るってマツーリィの体を殴打し始める。動かない、微動だにしない。正気とは思えない行動に私達は声を失った。暫く攻撃を受け続けたと思ったら鈴の音が走った。ガラガラと言う音と共にスクレットが地面に崩れ落ちる。
マツーリィは無言で蛍石を拾い奥に進んで行く。
奥に行けば行くほどスクレットとの遭遇サイクルは短く成り、数も増えていく。
スクレットの中心まで進んで、攻撃を受けながらスクレットを次々に倒していった。
時折、猛々しい咆哮を上げながら。
結局、マツーリィは駆除活動を行って五十体以上のスクレットを単独で駆逐してしまった。
流石に疲れを見せ始めた所で迷宮を出る仕草を見せる。
もう私達は黙って彼の行動を見続ける事しか出来なかった。
三十分程歩き、時折再出現したスクレットをマツーリィが手早く処理して、私達は迷宮を出た。
地上に出て、外気に触れた事を実感して詰まった息を吐き出した。
秋の冷えた空気のせいなのか、それとも彼のせいなのか少し寒気がする。
辺りは暗くなっており、時刻を確認すると夜の七時を回っていた。
石畳と夜空に安堵感を抱く。
マツーリィと言うシーカーの存在感に圧倒されっぱなしだった事を自覚した。
当の本人は職員と話し込んでさっさと車に乗り込んでしまった。
私達に挨拶も無しか、と思ったら職員が戻ってくる。
「彼は、自分が居るとプレッシャーに成るらしいから、結論が出たら連絡をくれと言っていました」
「そう……、分かりました」
どうやらあれでも気を使っていたらしい。
日本人は何を考えているのかが良く分からない所が有る。
「今日はこれで解散しよう……、後で電話するよ」
「ええ、なんだか疲れたわ」
ヨアンが疲れを滲ませた声で解散を提案した。
正直私も色々有り過ぎて頭が回らない。
ヨアンの後ろ姿は悄然としていて、きっと私もそんな背中をしていると思う。
トボトボと石畳を歩き迷宮からすぐ近くのアパルトマンに帰る。
まだ住み慣れ無い一人暮らしの部屋。
壁紙の新しさで誤魔化されてはいるが年季の入った部屋を見回す。
イライラを抱えながら、玄関を通り荷物を置いて真っ直ぐバスルームに向かう。
ネコ足の古めかしいバスタブにお湯を溜めて今日はシャワーではなくお風呂に入る事にする。
装備を外して一度シャワーで汗と埃を流してからお湯に浸かる。
お湯に浸かりながら考えるのはマツーリィの指摘の言葉と戦闘だった。
水晶を削り出して創ったと言う刀を左右の手に握ってスクレットの首を正確に切り落としていく後ろ姿を魅せ付けられた。
スクレットに囲まれても微動だにしない胆力に眩暈すらした。
「悔しい……」
シーカーとしての差を見せ付けられて心の中が掻き乱される。
真剣に向き合っていたつもりが、ただのつもりでしか無かった事を思い知らされた。
膝を抱えて悔し涙を流していた所にデバイスに着信が有った。
ヨアンからの電話に気が重いが出る事にする。
「もしもし、どうしたの?」
我ながら気落ちした声に呆れてしまう。
「落ち込んでいるだろうと思ったけど、底まで落ちてるか」
「嫌味を言いたくて電話してきたの?」
「まさか、君がどう感じているのか、どうしたいのかを聞きたくてさ」
ヨアンの問いにどう答えるか迷ってしまう。
まだ考えも纏まっていないし、感情も昂ったままだと自覚している。
「分からない、頭の中でグルグル回ってるから」
「今日のアレは衝撃的だったしな……」
「私はアドバイザーを招く事すら知らなかったし、シーカーの程度だって少しの違いしか無いと思ってたから……」
あんなにもモンストルを研究する物だとは思わなかった。
殴れば倒せる物としか考えていなかった。
「まさか俺達が教わる事に成るとはな……、傭兵として招いた位にしか考えていなかったんだが……」
ヨアンも予想外だったらしい。
「でも、なんでこの時期に?」
「ああ、在日本大使からの推薦だったらしい。迷宮を休眠化させた中心人物が冷遇されているからスカウトしたと聞いていたんだが」
「その中心人物が想像以上の凄腕だった訳ね」
「しかも有能さは戦闘だけじゃない所が、な……。さっきメールが届いたんだが、武器も更新しろと言ってきてるよ」
「武器の更新? どう言う事?」
「純銀のハンマーの方が効果的だろう、と言いたいらしい。手書きの下手くそなデザイン画も一緒にね」
マツーリィの寄稿した論文に目を通したが確かにモンストルに対して効果が見込める武器が存在する可能性が指摘されていた。
モンストルの考察から弱点の模索、有効武器の提案力、そして純粋に戦闘力まで。
確かにフロントランナーと称されるに足る人物なのだろう。
「デザインって?」
「ああ、俺達が使ってるハンマーみたいな物なんだが、打撃面に十字架の意匠を付けられてるな」
「論文に有った概念武器ってヤツ?」
「そう言う事だろうな、多分この場合銀と十字架の概念を武器に込めるって事に成るとは思う」
ヨアンも自信なさ気に言うが、私もそう解釈した。
デザイン画を見ないでもそう解釈出来る程にはあの論文は筋が通っていたと思う。
と言うよりも、水晶でスクレットを切り刻める時点で根拠としては十分だと思える。
悔しいし口惜しい、それでもここで引き下がればパリはまた氾濫が起きてしまう。
何よりも、私自身が引きたくないと考えている。
冷めてぬるく成ったお湯から体を起こしてヨアンに宣言する。
「ヨアン、私ジャンヌ・ダルクに成るわ……、悔しいし腹立たしいけど立ち向かわなきゃいけないと思うから」
「君が決めたなら止めないよ、でもまさかジャンヌ・ダルクとはね」
ヨアンが笑いを噛み殺した様に苦笑する。
「名前を捨てろって、ジャンヌは本名なんだけれどね」
そう言って私も苦笑する。
本当に申し訳無さそうに頭を下げていたのが滑稽で少しだけ溜飲が下がる思いだ。
しかし問題は私がまだ学生だと言う事だ。
大学を辞める訳にもいかないしどうした物かと考えてしまう。
タオルで体を拭きながらどうした物かと考えているとヨアンの気遣わしげな声が聞こえる。
「どうかしたのかい? 何か引っかかる事でも?」
「いえ、二代目ジャンヌに成るのは良いのだけれど、大学どうしようかなって」
「ああ、そう言う事か……、困ったな専業のシーカーに成っても現に冷遇されてるフロントランナーを見てしまったしな」
「そうなの、ちょっと躊躇いが有るのよ」
「その辺りは要相談、だな」
今後の方針が決めきれないのがもどかしいけれど、職業選択に失敗するのは困る。
特に迷宮を休眠化させても無職に成るリスクは抱えたくない。
「ヨアンはどうするの?」
「どうするとは?」
「だから、私がジャンヌに成るならヨアンはどうするの? って意味」
「ああ、俺も参加するぞ? 正直俺もだって引き下がれない」
あっけらかんと言い切った後、絞り出す様に言葉を続けた。
ヨアンも私と同じなんだと分かる。
別にマツーリィを嫌っている訳では無い。
ただ見返したい、見下され続けるのは我慢ならないだけ。
素肌に直接バスローブを羽織ってリビングに戻る。
「明日も頑張ろう」
「ああ、そうだな、頑張ろう」
合流時間の確認をしてから電話を切る。
正直、思い切り暴れたい位に鬱憤が溜まっている自覚は有る。
取り敢えず装備の汚れを洗って干しておく。
シャワーで洗いながら今日言われた事を思い出した。
「防具の更新、か……。防具を統一しても人目を引く事なんて無いと思うんだけど……」
使い古したタオルでプロテクターに付いた水滴を拭き上げる。
今使用しているのはバイク用のプロテクターをベースに改良した軽量で衝撃吸収をしてくれる物だけれど、そこまで悪い物とは思わない。
確かにマツーリィが身に付けている様な鎧程頑丈でも無いし、隙間も多いとは思うけれど。
「え? まさかジャンヌ・ダルクみたいに本物の鎧で統一とか言わないわよね?」
あんな鉄板で出来た鎧なんか来たら身動き取れなくなってしまう。
それに鉄製だったら今のプロテクターと防御力は大して変わらない気もする。
「え? ならなんでマツーリィは全身鎧を着てあんなに早く動けて、あんなに長時間戦えるの?」