第33話 ただ、彼女を助けるために
「……本当に、やるつもりなの」
いつの間にか、傍らにはミロウがいた。
戦いの中心を油断なく見据えながら、セシュナが立ち上がるのを待っている。
「……“開花”する前なら、間に合うはずなんだ」
“禁忌”が全身を変質させるまで、変質霊素は頭部に滞留して『核』を形成している。その『核』を奪い去れば、肉体への影響を最小限に食い止められると。
ケーテが見つけ出したレポートには、そう記されていた。
「でも、危ない。イザベラ・デステは理性を無くしてる」
信じられない程の労力を振り絞って膝をつく。前を向いた視界に飛び込んできたのは激しく打ち合うアシュとヒルデの姿だった。
「邪魔をするな、『子供達』っ!!」
「邪魔なのはそっちだから! 大人しくしてろっつの!」
ヒルデが二振りの短剣で斬り掛かるのを、アシュは黒塗りのガントレットで弾く。そのまま腕を取って肘を砕こうとするアシュにヒルデが容赦の無い膝蹴りを決める。鳩尾を打ち抜かれながら、それでもアシュは相手の肘に自らの肘を重ねるようにして体重をかけた。ヒルデの顔が苦痛に歪む。
組み合う二人の向こうで、アレクサンドラとニザナキはイザベラへ攻撃を仕掛けていた。飛び交う散弾と魔法は、しかし命中の寸前で全て消滅する。
イザベラはただ、聖女じみて微笑みながら、ゆっくりと歩き出すだけで。
「……イザベラ・デステの体内にいる“禁忌”は、もうかなり進んでる。あの人が持っていた”静寂の言葉”の素質を吸収してる」
「“禁忌”の能力は、感染者によって左右される、だったっけ」
仮面の覗き穴から、ミロウの瞳がこちらに注がれる。
「イザベラ・デステは妖精族の混血。わたしと同じ。なら、可能性はある」
セシュナは震える脚に鞭打って、ようやく立ち上がった。
「……『核』を取り出しても、もう元には戻れない、かな」
ミロウは首を振る。
「分からない」
ミロウは腕を前に突き出すようにして、錫杖を構え直した。
片手で杖を握り、逆の手で印を切る。
「……もしもまだ、あの人を助けられると。セシュナ君が信じるなら、わたしも諦めない」
吹き付けてきた衝撃の余波が、黒いフードから零れる銀糸の髪を弄んだ。
セシュナはまだ自分の身体が動くことを確認すると、頷く。
「ありがとう。ミロウさん」
ミロウは小さく頷いてくれた。
セシュナは思考を形にした。声を発さずに、ただ意思だけを思い浮かべる。
(こうなったら力ずくだ。強引にでも、イザベラさんから『核』を摘出する)
転送器は意志さえも転送してくれる。それを利用することで、デバイスを身につけた全員と無言の会話ができる。
『……セシュナ先輩、それ本気なんですか?』
訝るケーテの声に、彼は頷き返し。
それから駆け出した。戦いを繰り広げるアレクサンドラ達の元へ。
「防げ、龍鱗の盾っ!」
ニザナキの叫び。
光輪をいくつも組み合わせたような障壁が、襲い来る空気弾と衝突した瞬間に、激しくぶれた。解けた幾つかの円が、光を散らしながら消えていく。
舞い踊る燐光の中、歩むイザベラはいっそ神々しい。
その顔を蝕む漆黒さえなければ。
反撃にアレクサンドラが放った散弾は、やはり効果がない。標的に命中する寸前で静止しては、圧縮消滅してしまう。かつてニザナキの魔法が弾き返されたように。
(“開花”する前に、止めないとッ)
セシュナは強く床を蹴って跳んだ。
更に礼拝席を蹴りつけ、会堂に並ぶ柱をも足掛かりにして、手を伸ばす。
先程吹き飛ばされた際に手放し、高窓近くに突き刺さってしまったワールウィンドへと。
『永劫。痺れ。無言。十七』
ミロウが唱え始めた”静寂の言葉”を背に受け。
セシュナは引き抜いた剣を、空中で振り下ろした――歩みを止めないイザベラに。
「――――」
落下の勢いと速度の全てを籠めた一閃は、彼女がかざした掌に掠ろうかというところで静止する。
『愚かな子ね』
生じた無形の斥力は、猛烈に膨れ上がり。
切っ先どころか、セシュナ自身をも弾き飛ばした。
またしても空転する視界の中で、セシュナはかろうじて足からの着地に成功する。
『沈黙。享楽のように。足して三千』
銃声。イザベラに命中しながった鉛球が礼拝席を削り取る。
銃身を振り回すようにしてレバーを引きながら、アレクサンドラは視線を投げてきた。
「作戦に変更はありませんわ、第七子? イザベラは既に“隠滅”対象ですのよ」
転送器を伝わる声は冷静で、なおかつ決然としている。
しかしセシュナは首を振った。
「よく見てください。イザベラさんはまだ人間です。チャンスはあるんだ」
「ねえ、愛しい弟。長女のお願い――どうしても聞いていただけないのかしら?」
答えるより先に、セシュナは長剣を腰溜めにして、再度挑みかかろうとするが。
「――届け、光明の剣!」
空間を斬り裂いた光熱波が、一足先にイザベラへ突き刺さった。渦巻く熱が激しく火花を上げ、彼女を包む不可視の力場を引き裂こうと吠え猛る。
セシュナは爆風から顔を庇いながら、
「……『ミリアの子供達』は真に学園と平和を守る騎士だとしたら。学園っていうのは――そこに集う人々のことじゃないんですか。例えば、今そこにいるイザベラさんのような!」
前を向いたまま、アレクサンドラに問いかける。
「違いますか、お姉様ッ!」
イザベラの手が指揮者さながらに振り上げられた。
導かれるように、ニザナキが放った光条が上空へと伸び上がり石造りの天井で爆裂する。
「うわ――ッ」
降り注ぐ天井の欠片は、ただ石片と呼ぶには余りに大き過ぎた。磨り減った岩は落雷のように――更には、その上にあったはずの鐘楼までもが。
『百八。それは刻む。制約。相剋』
「うっとおしいッ――防げ龍鱗の盾!」
やけくそ気味に、ニザナキの呪文が響く。
振りかざした右手から広がる障壁が人の頭ほどもある岩石を、細かな石片を、そして何よりも巨大な鐘楼そのものを受け止めた。
あまりの重量に光が撓み、激しい火花を上げる。
「ぐ――こ、の……っ!!」
絞りだすようなニザナキの気合。
だが。
イザベラはニザナキにそっと近づくと、その手で――顔から広がった闇を帯びた左手で、彼の頬を優しく撫でた。それこそ聖女の慈悲深い御手のように。
「が――ぁっ」
白く輝く光の輪が、宙を打つ縄のように柔らかく歪み、解けて消える。
「サードっ!!」
アレクサンドラが叫ぶ。
ニザナキは黒く穢れた顔を抑えながら、もんどり打って倒れた。
その上に降り注ぐ鐘楼。落下の衝撃で崩れ落ちながら、断末魔のように鐘が鳴る。
その最中、一人無傷のままイザベラが笑みを深くする。
かろうじて微笑みと呼べるような狂喜を浮かべて。
「苦しいのは最初だけですから。すぐに分かりますよ。見えてくるんです。世界の本当の姿が。あの大きな樹が。私達の罪が。彼が何を創り、何を創らなかったのか」
激しい雨が降り込み始めた。
数百年の微睡みから目覚めたかのように、聖堂に音が満ちていく。
雷鳴が響くまでもなく、嵐が全ての音を引き裂き混ぜ合わせる。
セシュナは叫びたかった。これ以上イザベラの声を聞くことに、耐えられない気がして。
イザベラは静かに、こちらへ目を向ける。
あの美しかった碧眼と、もう眼窩すら失った黒い無貌を。
「――早く! シックス!!」
アレクサンドラの声は懇願に近く。
『底の釣鐘。浸染。二千八夜の慟哭』
ミロウの応えは冷酷で――それ故に優しい。
『起きて。ノーミード』
またしても岩が砕ける激しい音がした。
ただし今度は足元から。
「――よしっ」
セシュナの快哉は、口の中だけで響く。
まるで童話の一シーンだった。
広がる石畳の全てが生き物のようにうねり、割れながら繋がり、躍動する肉体に似た速さでイザベラへと伸びていく。
彼女はたおやかな手つきで石の腕を振り払うが、蠢く腕は歪む度に再生を繰り返し、数を増しながら襲いかかる。
やがては不可侵の領域をもその手中に収め、イザベラを磔にしていく。
「これは――一体、なんです? まるで生き物のような」
数えきれない岩石の腕に縛り上げられて、イザベラが初めて戸惑いを口にする。
「精霊。万象に眠る意志の目醒め。命の答え」
ミロウは言った。
今までになく、強く、はっきりと。
銀の錫杖を振り翳して、イザベラを指し示す。
「あなたが縋る、それとは違うもの」
鳴子が揺れる澄んだ音。
イザベラの顔が初めて怒りに歪んだ。
「……ああ、そうですか。あなたは――”冷酷女王”だったんですね。くだらない。いい加減にしてください、原住民! こんな奇術を精霊だなんて――ッ!!」
眉間に皺を寄せ、歯を剥き出すようにして吐き捨てる。
憎悪でも軽蔑でもない――どちらかといえば自虐に近いような、痛々しい叫び。
だが。
『ああ!! ああ――そう、なるほど。“女王”! あなたがそうなのね――けだもの達の長。地を這う君臨者――傲慢で冷酷な、奴隷達の主!』
「……? どう――したんですか?」
届いた”静寂の言葉”に、イザベラは不安を呟く。
彼女の精霊は、独り笑うように。
『“虚ろい往く者達の女王”! あなたの置き土産なのね?』
高まる精霊の敵意に伴って、ミロウが操る精霊――ノーミードが、悲鳴じみた音を立て始める。
「……セブンス《セシュナ君》、早く。『核』を奪って」
「いえ。お待ちなさい――セブンス、いけませんわ!」
アレクサンドラはセシュナの肩を掴む。
「あなたまで死なせる訳にはいかないんですのよッ」
セシュナは制止を振り切って。
岩石の掌に乗り、高く磔にされたイザベラの元に辿り着くと。
「お願いだ――戻ってくれ。イザベラさん」
震える指で貫手を作り。
イザベラの顔――広がり続ける闇の中に突き入れた。
「――――」
魂を削るような悲鳴は、イザベラのものか、精霊のものか、あるいはセシュナ自身のものか。
(二度目だ――僕は絶望に触れてる)
意識の奥底に残った理性が呟く。
それ以外の意思という意思は、根こそぎ怯え慄き、痛みと腐臭にもがき苦しんでいた。変異霊素が染み入る身体を他人の物のように感じるのは魂を手放しかけているからか。
本来ならとっくに彼女の頭蓋を貫くほど――肘の辺りまで、闇の中へ捻り込み。
(――見つけた)
手応えを感じ取ると。
セシュナは最後の力で拳を作り、一気に腕を引き抜いた。
「――あああぁぁぁああぁっ」
同時、世界に音が戻る。
自分があげていた声の悲惨さに背筋が寒くなった。
溢れ出る血涙で汚れた視界には、二の腕の辺りまで黒く穢れた自分の腕と、その手が掴んだ漆黒の球体が映る。
それが、恐らくは“禁忌”の『核』なのだろう。
全身を貫く激痛の雨に、意識が遠のいていく。
「――セシュナ君!」
誰かが呼ぶ声。
(ああ――ミロウさんだ。きっと)
答えようと、セシュナは振り向いたが。
眼に写ったのは矢羽のように鋭く翻った長い赤毛と。
凍えるほどに恐ろしい、双剣の閃きだった。




