第19話 “萌芽”と“開花”と“結実”
振り向く。そこにはミロウの顔。
眉一つ動かさず、こちらを見る黒い瞳。
彼女の肩を抱き寄せたままの、セシュナの右腕。
彼は熱いものに触れてしまったかのように――いや、燃え盛る炎に突っ込んでしまったかのように、手を離した。無意味にばたばたと振り回しながら。
「ごっ、ごごごごごごご、ごめん、ごめんっ! あの! さっき! そう、さっき! 空から落ちるんじゃないかと思って! せめて! クッションになれたら、とか! 思って! ごめん!」
「……別にいい」
彼女は小さく頷いただけで。
とにかく謝罪しようと思うが、単なる事故といえば事故な訳で、とはいえ平然と居直ることも出来ず、取り急ぎ動揺を鎮めようと、セシュナは己の頭を掻いた。
「照れ過ぎですよ、セシュナ先輩。なんか、かわいい」
ケーテに冷やかされる。顔が火を吹きそうだ。
「ごめんなさいね。でも、誰も言わないんですもの」
「いや、あたしも、いつツッコもうかとは思ってたんだけどさー、なんかお似合いだし? 別にいいかなって」
しゃあしゃあとアシュにも言われ。
「ヘタレてんなヘタレ。質問があるんならはよ言え。急いどるんや、こっちは」
不機嫌に呟くニザナキに、逆に救われたような心地になる。
何とか気を取り直して、セシュナは口を開いた。
「……そもそも、“禁忌”が発生する原因って何なんですか?」
あの夜、聞きそびれた質問。
「そういやアレクサンドラはん、そこんとこの説明省きよったな。演説に夢中になっとったもんなぁ」
ニザナキが鼻で笑う。
「……あら。それなら、代わりにニザナキさんがご説明いただけます?」
「はあ? なんでワイが、めんどくさい」
「わたくし拝見しましたわ、『漆黒変異症における霊素干渉の歪曲現象』。公表できないのが勿体無い出来でしたわね。あの論文を書き上げたあなたなら、こんな説明は造作も無いことでしょう? 流石、アケノ教授のご子息は違いますわ」
「んなっ、おま、おっ、オヤジは関係ないやろが!」
流石は長女、見事な仕返し。
しばらく口の中で何事か毒づき、盛大に舌打ちした後でニザナキは身体を起こした。
「……ケーテ。とりあえずアレ、見せたれ」
「えー。いきなり大丈夫ですか? 環境再現ごしでも、結構ショック大きいですよ?」
頬を膨らませたケーテに、ニザナキは面倒臭そうに手を振る。
「それでヘタるようなら、そもそも奴らと戦えんわ」
セシュナは傍らのミロウに目で問いかけるが、やはりというべきか、彼女は表情らしい表情も見せず、近くを舞う蝶々の幻影を眺め続けていた。
薔薇の香りに惹かれたのだろうか、黄色い蝶はゆらゆらと宙を泳ぎ。
不意に、消えた。
「――――!!」
またしても景色が変わる。
今度は、広大な白亜の空洞だった。地下墓地と似ているが、やや面積は狭く縦方向に広い。
その中心に、何かがある。
「あれは……?」
それが一体何なのか。
セシュナには判断が出来なかった。眼は確かに捉えているというのに。
一見して、黒い球体のように思えた。
(でも、違う。丸いけど……球じゃない)
球体のように、というのはその通りで、それは球体ではなかった。
空間に満ちる青白い光を受けても、全く反射せず、影の一つも落とさない。宙に浮いているのに釣糸もなく、仮に魔法で浮いているのだとしても、揺れもしない。
まるで、空間に開いた大穴だった。
「あれが女王株や」
片手で黒い球体を示しながら、ニザナキが続ける。
「“禁忌”の親玉――感染源やな。この塔の最上階に浮かんどる」
説明を聞きながらも、セシュナは女王株から目が離せなかった。
「塔に残ってた当時の記録によれば、アレは古代魔導文明が生み出した魔法らしい。お得意の自律型やな。もとは世界に穴を開けて、新しい”霊素”を獲得するための実験をしとったそうやが……結果は散々。周囲にどエラい被害を出した挙げ句、なんとか封印したらしい」
夜よりもなお暗く、海よりもなお深く。
世界を穿つ虚空には果てなど無いように思えた。
周囲を歩いて見る角度を変えても、反対側は僅かも見通せない。光どころか影さえも飲み込まれてしまったかのように。
「でも、古代人の努力も虚しく”感染”は今も続いとる。幸い、範囲はこの学園で収まっとるけどな」
重い頭痛。
こめかみのあたりを殴りつけられたような。
「ケーテ、そろそろ切り替えていただけます? これ以上は少し辛いですわ」
返答は、景色の切り替えで行われた。
虚空は瞬く間に消えて、薔薇に囲まれた平穏な風景が帰ってくる。
それと同時に、頭痛がぴたりと止んだ。
「……“禁忌”に感染すると、すぐ怪物になるの?」
荒波に揺さぶられた精神を抑えつけて、セシュナは問いを投げる。
ニザナキは眼鏡を持ち上げながら、
「症例の研究は最近の方が詳しいな。百年前のレポートやけど、初代エルダーであるロイゼル・アダムスフォード博士の報告によれば、人間から“禁忌”への変化は大きく三段階や。感染したら、まずは“萌芽”が始まる。性格や行動の変化、幻覚や幻聴。身体能力が向上したり、いきなり魔法の素養を発揮したりするらしい。俗に“悪魔憑き”と呼ばれとるような症状が出るのがこの段階やな」
他のメンバーが皆表情を曇らせている中で、ニザナキは一人、平然と人差し指を立てていた。二本目の指を起こしながら語る。
「次に“開花”。ワレが見た通り――人間だったはずのものが、バケモンに変わる。形も様々、性格も様々、能力も様々やが、その辺は生前に抱えとったもんが大きく影響する。とにかく小狡くてしぶとい、クソ厄介な怪物や」
そして最後に三本目を立てて。
「最後が“結実”。二体以上の“開花”が融合した形やな。ロイゼル自身はコイツとやり合って死んだらしい。“開花”状態の数倍から数十倍の規模で、最低でも七日間は破壊と殺戮を振り撒くんやと。ま、そんなんがポンポン生まれたら、新大陸が滅ぶわ」
あくまで冷静に。あるいは冷酷に、ニザナキは推察した。
セシュナも異論はない。
(“開花”状態でも、あれだけ強かったんだ。しかも感染して増えるなんて……街の一つや二つ、簡単に滅ぼせるぞ)
「……さて。いかがだったかしら? セシュナさん」
「分かりやすかったろ、ワイの説明」
セシュナは顎に手を当て、少し考えた。空いている手で髪をくしゃくしゃにしながら。
「……おい。ワレ、どないやねんコラ」
ふと、顔を上げる。
「あの。変化が途中で止まるとか、年単位で時間がかかる、っていうことはあり得ますか?」
ニザナキとアレクサンドラは、面食らったような表情でこちらを見ていた。
答えてくれたのは、ケーテ。
「うーん、過去の記録には無いですね。感染から“開花”までは最短で五分、最長でも七日間だって。途中で死亡した場合、あるいは、ええと、か、解剖? された場合も、その範疇を出ないそうです。解剖した場合は、逆に数が増えて危険だったとか」
過去の『子供達』が遺した記録の一部を、空中に描いてくれる。
「感染が起こる条件は? 例えば“開花”状態にならないと伝染しないとか」
「ええっと、“萌芽”状態でも感染は起こりえるそうです。でも、その状態での観察数が少ないみたいなので、確実とは言えませんけど」
重なる質問に、彼女は戸惑ったような様子を見せる。
「なんや。何が言いたいんや、ワレ」
「考えてるんです。どうして今年に限って、“禁忌”の発生件数が増えているのか」
割り込んだニザナキの声には苛立ちが混じっていたが、不思議と今は気にならなかった。
「例えばですけど。“萌芽”したけれど、“開花”していない――誰にも気付かれないまま、“禁忌”の運び手、というか、第二の感染源になっている人が、いるとしたら」
ケーテが引き出してくれたデータをじっと見つめる。
どこかに根拠があるだろうか。
「……なるほど」
アレクサンドラが笑い声を漏らす。こちらを見据えて、満足気に。
「素晴らしい着想だと思いますわ。確かにわたくし達は、“開花”した数を観測してきました。逆に言えば、“開花”していないものは観測出来ていない、ということですものね」
彼女はゆっくりと立ち上がり、居並ぶメンバーに宣言した。
「ちょうど調査班を提案しようと思っていたところでしたの。セシュナさんには、ぜひそちらで活躍していただきましょう」




