第0話 新大陸から届いた合格通知
世界は白く、どこまでも凍てついていた。
目に映るものはもちろん、手に触れるもの、身にまとうもの、そして――雪融龍が吐き出す吐息も。
少年は降り積もる雪の中、じっと息を潜めながら鉛筆を走らせていた。
(七歳級、色は白、サイズは――だいぶ大きいのが目覚めたなぁ……あとで、クリスノア叔母さん呼んでこなきゃ)
かれこれ一時間ほどになろうか。長い冬眠から目を覚ました雪融龍は、体内に溜まっていた雪を吐き出し続けていた。
尋常な量ではない。小山ほどもあろうかという巨躯の中には、そこらの村がまるごと埋め立てられそうなほどの雪が残っていた。
それを滝のように放出している。
つまり寝起きの雪融龍に近づくのは、雪崩に飛び込むのと同じだ。死体は春まで見つからない。
(……でも、そろそろ終わる)
雪を排出し終えたドラゴンが、次はどうするか?
熱線を吐くのだ。
見惚れるほどに眩く、強烈な虹色の光。
(その熱で辺りの雪を全部溶かして、雪の下に芽吹いていた植物や虫、目覚めた動物を食べる。この習性が雪融龍という名前の由来)
とても危険な魔物。
今、少年がいるような平地ならまだ良いが、山肌で同じことをされたら凄まじい勢いで雪崩が起きる。このドラゴンが寝起きにあくびをしただけで、麓の集落は壊滅してしまうかもしれない。
(だから――ここで、仕留めなきゃ)
排雪の勢いが収まってきた。
行動を起こすタイミングだ。
少年は防水紙と鉛筆を懐にしまうと、使い慣れた複合弓に矢を番えた。
龍鱗を貫く為に拵えた霊銀製の鏃。
狙うは、雪融龍の喉元。
純白の肌の中で一枚だけ僅かにくすんでいる逆鱗。
(――集中。意識を研ぎ澄まして)
寒さに震える手が、ほんの一息だけ静止する。
その刹那。
解き放った矢は、僅かに放物線を描きながら標的に突き立った。
「――――」
木立を揺らす絶叫。
悶絶する雪融龍の巨体が、周囲の積雪を吹き上げる。
(――浅かったッ)
一矢で仕留めきれなかった。
ならば。
少年は身を潜めていた雪溜まりから、すぐさま跳び出した。
雪融龍が苛立ち紛れに放った虹色の光線が、木々を焼き払い雪を蒸発させる。もうもうと立ち込めた蒸気は一瞬にして凍結、ダイヤモンドダストに変わっていく。
舞い散る光の中で、巨龍は次の吐息を放つべく胸腔を膨らませる。
だがその頃には、もう少年はドラゴンの前脚に足をかけていた。
「遅いッ」
背負っていた長剣鉈を抜き放ちながら、柱のような剛腕を駆け上り――逆鱗に、刃をねじ込む!
――雪融龍は断末魔を上げなかった。
置き土産のような吐息の残滓が、少年の白い耳あて帽を焦がしただけで。
「……ふぅ。危なかったぁ」
粉雪を巻き上げながら崩折れるドラゴンの巨体。
少年はひょいと飛び降り、念の為に眼球の動きを確認する。
今度こそ仕留めた。間違いない。
「よし。とりあえず血抜きしたら、クリスノア叔母さん呼びに行こう。あ、アルダミーニャさんにも声かけといたほうが良いかな? 龍肝のストックが無いって言ってたし、荷運びぐらいなら手伝ってくれるかも」
少年は独りごちながら、背嚢から瓶を取り出した。長剣鉈をドラゴンの腹に差し込むと、いつもどおりの手順で血抜き作業をこなす。
「よしよし、大量だね」
たっぷり八本分、人のものより鮮やかな赤い血。
ドラゴンの血液には薬効があり、卸屋は高く買ってくれる。他にも鱗や爪、牙、角、肉……価値のない部位は一つもない。これだけのサイズを仕留めれば、半年は楽に暮らせるはずだ。
念の為、瓶に入り切らなかった血は土と混ぜて雪に埋めておく。匂いに惹かれて、他の魔物が寄ってきては困るから。
一人でやる作業はここまで。
「よっこらしょ……っと」
少年はずっしり重くなった背嚢を担ぎ上げると、ベースキャンプを目指す――
「――セシュナ! どこだ、セシュナ!」
白く染まった針葉樹林に響く呼び声。
「叔母さーん! こっちー! ダイヤモンドダスト、見えるー!?」
「その光――雪融龍か! 仕留めたんだろうな!?」
「ちょうど呼びに行こうと思ってたとこー! 一人じゃ解体できないよー!」
ザク、ザク、と雪を踏みしめる音がして。
木立の間から現れたのは、もこもこの防寒着で膨れ上がった人影だった。
「ふむ……いいな。若いしサイズも大きい。余計な傷もない。高く売れるぞ」
「まだまだだよ。やっぱりクリスノア叔母さんみたいには行かないね」
「あのな、私もお前ぐらいの頃は……いや、いい。謙遜も行き過ぎると嫌味だぞ、セシュナ。雪融龍は、普通なら十人単位の狩猟団の獲物だ」
「え……そっか。ごめん、気をつける」
人影――叔母のクリスノアは溜め息をつきながら、少年――セシュナの元へと歩いてくる。
耳あて帽と防寒ゴーグルのせいで顔立ちははっきりとしないが、整った顎の線と隙のない足運びで彼女だと分かる。
(多分、うちに来る行商の何人かは叔母さん目当てなんだろうな……”二射要らずの女傑”なんて派手な渾名までつけてさ)
いつもはあまり笑わないクリスノアだが、今日は機嫌がいいようだった。薄く形の良い唇がわずかに弧を描いている。
「どうしたのクリスノア叔母さん、ご機嫌みたいだけど。ベースキャンプ、空けてきて大丈夫なの?」
「これを見ろ。お前もご機嫌になれるぞ」
クリスノアが懐から取り出したのは、一通の封筒。
「……それ! もしかして!」
「今日の補給便に、お前宛ての手紙が混ざってた。ユリーカ婆さんが入れてくれたらしい」
セシュナはひったくるようにして封筒を受け取ると、分厚い手袋を外すのももどかしく、封印を解いた。
雪に濡れるのも構わず、書面を広げる――
「新大陸からだな。お前が先日書類を送っていた学校か?」
「――や」
そこに書かれていたのは。
「やったぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
セシュナにとって福音とも言うべき一文だった。
――我々ティンクルバニア学園は、貴殿を特別待遇生として歓迎する。