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私は帰らなくては…

作者: エモトトモエ

 修学旅行から帰った姉は、その時から様子がおかしかった。

 夕方にバスで帰宅した姉は家に入るなり、持ち帰った荷物の片付けは自分でする、と、スーツケースのまま自室に運び入れていた。

 晩御飯に現れた姉は、少し顔色がよくない気がした。それに、椅子の座り方だとかお箸の持ち方だとか、おかずの摘み方だとかが、いつもの姉とは違う気がした。

 洗濯物を早く出してほしい母に、ぼそりと「あとで」と言い、土産話が沢山聞けるだろうという私の期待に反して、旅行中のことは殆ど話さずに、食事を終えるとすぐ自室に戻ってしまった。

 疲れているのだろう。

 家族はそう思うばかりだった。



 翌日は土曜で、姉は学校が休みだった。

 私の学校は授業のある日だった。だからその日は夜まで顔を合わせることもなかったけれど、姉は一日じゅう、部屋から出なかったらしい。

 晩御飯のあと、私は家族のために林檎を剥いた。姉も誘ってみようと、部屋まで行ってドアを開けようとした。が、内から鍵が掛かっているようで、開かなかった。

 鍵なんて掛けたことないのに。

 私は少しうろたえ、でも、気を取り直して「林檎を食べよう」と声を掛けた。

 が、返事はなかった。

 何度か言ってみたけれど、部屋の向こうからは物音ひとつ聞こえなかった。私は諦めてリビングに戻った。母と父がこちらを見ていたのに気付いた。きっと二人も姉が心配だったのだろう。

「お姉ちゃん、何か言っていた?」

 母が訊ねてきた。私は首を横に振った。

「変ねえ。旅行中に何かあったのかな」

「お姉ちゃん、ずっと部屋から出てないの?」

 私が訊いた。

「…ゆうべ遅くに、お風呂には入ったみたいなんだけれど…音が聞こえたから」

「見てはいないのか」

 父が言った。

「そこまですることないかと思って」

「様子ぐらい見ておけばよかったのに」

「だってこんなに長く部屋に籠りきりになるなんて、思わなかったもの!」

 母が叫ぶように言ったので、父と私は驚いて黙ってしまった。重い空気が家族にのしかかるのを感じた。



 次の日、姉は普通に起きてきた。私たち家族はひとまずほっとした。口数は少なかったけれど、普通に動いて、朝食も食べた。

 具合を聞く家族に、少し笑って「大丈夫」と答えた。

 その後私たちは、家族で買い物に出掛けた。私はなんだかとても嬉しくてはしゃいだ。もう高校生なのに、もっと小さい子のようだったかもしれない。みんなも笑ってばかりいた。こんなことは久しぶりだった。

 …でも。姉の様子はやっぱり、私の知っている姉ではなく、まるで別人のように見えた。

 その日の晩御飯は、母の希望で、家で食べた。

 姉の姿は、よく見れば見る程に違和感が増していった。お姉ちゃんはそんな猫背ではなかった。歩くときに足を引きずったりしない。髪がボサボサのままではいない。そんなお碗の持ち方しない。

まるで。目の前の姉が、まるで知らない人のように見えた。父も母も何も言わなかったけれど、私がしているように、姉のことを黙って見つめていた。

 姉は食事を終え、立ち上がって食器をまとめ、台所に向かった。

 そしてまだダイニングテーブルについた私たち家族に言ったのだ。

「私は帰らなければなりません」

 言うと、玄関の方へと歩き出した。

「待て」

 父が急いで後を追った。「ここがお前の家だろう?」

 母と私も父に続いた。

「いいえ。私の家は☓☓☓町☓☓…」

 姉の口から出たのは、今住んでいるこの市が合併する前の、30年くらい前までの地名だった。

「この人に連れてきてもらったのです。すみませんでした」

頭を下げ、上げたのは…姉だ。違うの?

「でももう離れます、お邪魔いたしました」

「何を言っているの、お姉ちゃん!」

 私は叫んでいた。「お姉ちゃんでしょ、私のお姉ちゃんが帰ってきたんじゃないの?」

「本当にすみません。でも私は、80年も望郷の念を抱いてまいりました」

 姉が話す口調は姉のそれではなかった。

「私は、昭和19年に召集され、始めはセブ島へ、その後レイテ島へ送られました。我が国は圧倒的優勢、すぐにアメリカを殲滅(せんめつ)させてしまうだろうと思っていたものの、結果は全く反対のものでした。いないはずの米兵が突然現れ、私のいた師団は密林へと逃げるしかなく

…ほとんどが飢えと病で死にました。私も高熱と下痢とでついて行けなくなり、置いて行かれ…何日かして死にました。本当に苦しかった。そんな中脳裏に浮かぶのは、討ち死に出来なかった悔しさではなく、故郷の風景や家族の姿ばかり。帰りたいとの念から魂は成仏できず、しかしどうすることもできずに島を彷徨っていました。

そしてやっと、このお嬢さんをみつけたのです。

 敗戦の後しばらくして、多くの日本の若者たちがレイテ島を訪れるようになっていました。世の中はずいぶんと変わったのですね。私たちの戦いに思いを馳せて、弔い合戦をしようではなく、戦争をなくそうというのですから。

 こちらのお嬢さんもそのひとりでした。…が、ほかの女子学生とは違うということがすぐわかりました。

お嬢さんの力はすごいです。学友たちについて行けるなんて。私にその力があれば、すぐにでも帰ってくることができたのに…そこで私が、お嬢さんにお願いしたのです。日本まで、私を連れてきてほしい、と。その代わり、私の力…姿を見せる力をお貸ししました。

そろそろ私は行きます。

すみません。

ありがとうございました」

 その人はまたお辞儀をすると、家を出て行った。

 私はすぐに追いかけた。両親が私を呼んだけれど、止まれなかった。

 玄関を飛び出して門にぶつかるようにして通りに出ると、遠くに、TVやネットで見たことのある、昔の軍服のような恰好をした人が去ってゆくのが見えた。

 死んだときの姿ではないのだろう。真新しいのがよくわかる服。ぴんと張った帽子。颯爽とした後ろ姿。それは見知らぬあの人の、故郷を出た時の姿なのかもしれないと思った。

 私が家に戻ると、両親は廊下にいなかった。

 私は上がろうとして…気が付いた、裸足のまま外へ出てしまったことに。上がるのを躊躇していたら、母の呼ぶ声がした。結局そのまま上がり、リビングへ向かう。ふたりはリビングの壁際に置かれた仏壇の前にいた。お線香の煙が細く棚引いている。その先には、一昨年亡くなった姉の写真が置かれている。

 姉が死んだことを今まで忘れていた。

 きっと両親も。

 大事なことなのに。姉は半年ほど前、突然の病気で死んだのだ。だから修学旅行なんて行っていないし、家に帰ってくるはずもない。

 あの人の言ったことが本当なら。姉の魂は、通っていた学校の修学旅行について行き、あの人の魂をここまで連れてきたのだろう。その代わりに、生きていた時の姿で私たちのところに帰ってきた…

 


 おかえり、お姉ちゃん。

 私もお線香を取り、火を点けた。



おわり


読んで頂きありがとうございました。

同じような長さのホラーをほぼ月一で投稿しています。よかったら。

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