日陰を探して
投稿するなら今日、自己満厭戦小説です。
「平和について講じていただけませんか」
形ばかりの墓参りを終えたところをこう呼び止められた。
葬式帰りみたいな黒いズボンと白いワイシャツを着て、黒いネクタイを締めて、七三分けにした壮年の男性である。
「どちら様でしょう」
突然の切り出しに私は間抜けっぽく相手の出自を問う。
ちょっとろれつが回らなかったので恥ずかしかったが、男性が少しも気にとめた様子でないのをいいことにして、この尋常でない暑さのせいにしておくと決めた。
「そこの小学校の校長をしております」
そう言って蓮華の花を差し出されたとき、それとなく納得がいった。
ああ、この人は観音様だな。
もしくは観音様の勅命を受けた使者か。
八月なので帰郷してみます──暑中見舞いを送るぐらいには親しい知人らに葉書を出した翌日、私はたぶん十五年か十六年ぶりに郷里の土を踏んでいた。
だが困ったことに肝心のお墓の場所を忘れている。
「もう他人だと言ったはずだよ」
すっかり老けた親戚は私の不孝ぶりを詰るだけで質問には答えてくれなかった。
「また来たら警察を呼ぶからね」
結霜ガラスの小窓をぴしゃりと閉めてしまった。
服役経験があるのがそんなに悪いかね。
開き直って毒づいてみても始まらないので、やむなく拙い記憶だけを頼りに、かなり様変わりした町をひとりうろうろ歩く。
いや暑い。屋内で過ごすべしと外出を控える警報が出ているだけあって、往来で人と行き合う心配も少ないと判断して来たのだから自業自得ではある。
だが暑いものは暑い。クレームの持って行き場は自分だけだとわかっていても愚痴は出る。
交番で聞くという確実な手段を思いつかなかったのも皆異常な気温が悪い。
何か冷たいものでも腹に仕込まないと保たない。自販機でもないかと商店街へ続く通りへ出ると、氷の暖簾がかかった店が視界に飛び込んできた。
迷わず格子戸を開けた。店内には先客が一人いるのみ。
この店は覚えている。何度も学校帰りに涼を貪った場所だ。まだ営業していたことを確認できたのは帰郷のささやかな収穫である。
麦茶を運んできたのは案外若い奥さんで、代替わりしたらしい。
金時氷を注文。ついでに墓地へ行くにはどちらへ進めばいいかも聞く。
氷屋の親切で小一時間後には墓所へ辿り着けた。
水をかけ、花と線香を供え、合唱する。
意外なぐらい私の心は素直だった。仏間で昼寝でもする気分である。蚊が首筋を刺してもかゆみ止めは常備なので問題ない。
遠い日の愛憎にも心乱されることなく冥福を祈り終えた。
さて帰ろうかと腰を浮かすと校長を名乗る男性に遭遇したのだった。墓所の入り口の側で私の墓参りが終わるのを待つように彼はいた。
「子供たちへ平和へのお話をひとつ」
「特にこれといった思想もないですから」
「平和は大事だと語っていただけるだけでいいんです」
「僕の柄じゃありません。人前で話すなんて」
「あなたがいいんです」
壮年の校長は物静かなようで粘り強く交渉を続けてくる。
結局、私が折れた。どうせ夜行が出るまで他にやることもない身である。この男について行くことが今日の運命に組み込まれているような気もした。
「気の利いたことは言えませんが僕でお役に立てるなら」
私にしては珍しく見知らぬ人間と流暢に話せたのは、相手の人柄に好感を持ったせいだろう。どこか懐かしくもあった。
小学校は墓地から徒歩でニ十分ばかりの芝地に建っていた。
施錠されたフェンスを校長が鍵で開ける。
「よく空調が効いているんですね」
昭和の木造建築だというのに、とても涼しい。
「ここぐらいは熱さから逃れるようにしてあげたいですから」
初対面ではない。板張りの廊下を行く校長の後ろ姿には見覚えがある。
「ところで、あなたお煙草は喫われますか」
「さっぱりですね」
酒は身を持ち崩すぐらい飲んだが。
「アルコールで道を踏み外したことを反省して、今じゃすっかり甘党です。さっきも氷汁粉をひっかけてきました」
「そう思ったので声をおかけしたのですよ」
どこで彼を見かけたのだろう。一向に思い出せない。
ヒントを探すつもりで窓を見て肝を潰した。
体中の皮膚が焼け落ちて真っ赤に染まった男が並走している。
ここは二階だぞ。もう外の景色は見るまいと決めた。
「お入りください」
おとなになってから初めて入る教室の独特さに息を呑んだ。
私の子供時代より古めかしいようで未来的にも見える。
三年生から六年生ぐらいの生徒たちは、全員が白いシャツに紺の吊りズボンないし吊りスカートの制服を着用している。
無言で起立し一礼する。みんな目が真っ黒だ。
「どうしてみんなサングラスをかけているんですか」
「光が怖い子たちなのです。だからカーテンも閉めています」
机の並びも墓標みたいで、ことごとくに空の花瓶を乗せてある。
「慰霊の季節にだけ集まる生徒たちです」
校長は馬鹿な質問にも嫌な顔をせず隣で答えてくれる。
そこで私は彼の右の頬から顎に亀裂が走っていることに気が付いた。
「古傷です」
和顔で答えるが裂傷からは赤い光が漏れている。
あと何回も話さぬうちに彼の顔から溶岩が噴出するに違いない。
「すみません。やっぱり僕なんかでは」
「お話だけで十分です」
おそるおそる辞退を申し出た瞬間、校長は炎に包まれ崩れた。
肩を掴んだ指の隙間から、さらさらと灰がこぼれ落ちる。
この人にはとっくに時間がなくなっていたのだ。
(校長先生……)
着席していた生徒たちがすっくと立ちあがる。
「僕がやったんじゃないぞ」
真っ白な指がサングラスをはずす。私は黒板で背を打った。
子供たちの目は焼けただれ地獄が広がっていた。
眼窩の奥が赤く煮えたぎっている。今にも炎があふれ出しそうだ。
「僕は墓参りに来ただけなんだ」
情けない言い訳をして私は逃げ出す。
(お花を、お花を)
足音をたてず廊下を児童の群れが走る。手に手に花瓶を持って。
出口はまだか。とっくに一階へ下りる階段まで来てもいい頃なのに。
(お話を、お話を)
恐怖に駆り立てられて心ない言葉が口をつく。
「嫌だ来るな!」
なぜ私なんかに救いを求める。観音は校長の方だ。
しかし持物を渡された時点で役割が交代していたのだろう。生徒を守り続けてきた校長は成仏する前に花を託す人間を探す必要があった。
光と熱を恐れる子供たちが頼れる相手、氷屋で体を冷やしてきた私に。
果てしない廊下を走りながら必死に考えた。安請け合いしてしまう私の如きであってもできる慰霊。考えなければ永遠にここから出られない。
彼らを救う言葉。光と熱から隔ててあげる言葉。
花と平和のお話──お花詞で。
「観音様の後を追って行きなさい」
振り向いて生徒たちと対峙する。
「彼岸には君たちの家族や友達もいる。とても美しい花が舞い降りてくるんだ。悦香花と呼ばれて何でも欲しいものに変わる」
(何でも?)
「何にでもだよ。一貫ぐらいある氷を丸ごと齧れるし、甘い汁のしたたる梨や西瓜や葡萄にだって変わるし、冷やし飴だって好きなだけ飲める」
そこで渡された蓮華を投下した。
涼風が廊下を吹き抜けて、子供の影が消えた。
おもてへ出ると校舎の古さに唖然とした。
とりあえず一息つきたい。廂の下にちょうと良い日陰を見つけたので、積まれた瓦礫をどかして座り心地の良い場所を作る。
煤けた瓦の下から虫が這い出してきた。
「暑いよな」
小さく詫びて、ふと校長の正体に思い当たった。
昔見た終戦直後の町の記録写真。全焼した校舎の前で、虚しく立ち尽くす男性の後ろ姿が写っていた。
「今夜はどこで何を食おうか」
故郷への義理を果たし終え、多少は身軽になれた。
私も旅立たなければ。成仏とは別に。




