堕天
「やってしまいましたね。奈都芭」
グランシアがやれやれと呆れ顔でため息を吐く。
「やったって、何を?」
一方の奈都芭は混乱していた。邪魔されるのも面倒なので言葉で縛ったが、 別に仲間にしようという気など毛頭無かった。
「なんで此奴、こんなにチョロいのよ」
あまりにも直球にぶつけられる情愛の籠もった好意に奈都芭は唯々戸惑っていた。
「上位者の書き換えですよ」
天使や女神は使途である。彼等の存在しているのには相応の目的があり使命を帯びている。それはより上位による存在からの命令があるからだ。
彼女達の行動原理は基本それである。上位者の書き換えは、存在理由を自身に置き換える行為にあたる。
「はぁ?あれって、結構面倒くさい手順を踏まないといけないんじゃなかったけ?正式に契約した訳でもないのに?」
「それは上級個体の場合ですよ。こんな辺境に送られてる事からもお察しという奴です」
「ああ…そういう事…」
身も蓋もない言い方をすれば、裏切ろうがたいした痛手でも無い人材という訳だ。
納得はしたが、これからどうするか奈都芭は頭を悩ませた。
エミリアなど、エイルのあまりにもの豹変ぶりに言葉を失っていた。
「なんなりとお申し付け下さい。我が主」
「とりあえずそれやめて。私の事は奈都芭でいいから」
「了解しました。奈都芭様」
キラキラとした瞳を向けてくるエイル。そこには一切の敵意も作為も感じられない。
自分の不始末である事から知らん振りする訳にもいかない。
「いいの?私につくって事は仲間と敵対する事になるのよ」
「お気遣い痛み入ります。しかし、もとより私達に仲間意識などありません。与えられた目的が同じだった。ただそれだけです。私は――」
「黙りなさい」
奈都芭はエイルがやろうとしていくとを察し、それを制した。
「そこから先は言わなくていい」
「固有領域を失った事で私には殆ど女神としての権能は失ってしまいました。今更ですよ」
エイルの瞳には迷いは無かった。すべてを捨てる覚悟。揺るぎない意思がそこには宿っていた。
「なら…勝手しなさい。どうなっても、私は知らないからね」
「御意に。私の心は決まっています。私はあなたの為にありたい――」
エイルは自らの望みを口にする。そして――
「――それがたとえ創造主に逆らう事になろうとも」
天の被造物にとって、最大の禁句を口にした。
その瞬間、エイルの中で何かが弾けた。
女神という取って付けられた肩書きが崩れ去る。レゾンデートルの崩壊。
エイルは体に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちる。
「ぐっ…がっ…」
もがくような苦しみ。息が出来ない。もがくように地面を掻きむしる。
爪は割れ、赤い血が滴るが、そんな事を気にする余裕が無い程の不快感が、体の芯からこみ上げてくる。
気がつくと、自身の足下に黒い影が広がっていた。それは生き物のように蠢き、体を這い上がってくる。
「エイル様!」
とっさにエイルに近づこうとするエミリア。しかし、奈都芭がそれを制して止めた。
「近づいてはダメ。呑まれるわよ」
「でも、このままじゃ」
「天の意思に逆らった結果って奴よ。特にこの子は天部の被造物だからね。天意に逆らえば粛正される。そういう仕組みなのよ」
こうなる事は分かっていた。だから止めた。だが彼女は聞かなかった。
ただそれだけの話。だが奈都芭は気に入らない。こんな結末は気にくわない。
「根性見せなさい。貴方は何になりたいの?」
奈都芭の声に反応して、エイルは奈都芭のいる方にゆっくりと顔を向ける。
「貴方と…共に…」
絞り出す声。口にするのは心からの願い。
「ならこの程度、軽くいなしなさい。でないと話にもならないわよ」
奈都芭の言葉に胸が熱くなる。あの人の隣に立ちたい。
(そうだ…私はこの時を…ずっと待っていた…だから)
「ああああああああああっっ!!」
力の限りの絶叫がその場に響き渡った。
奈都芭とエイルには因縁があったりします