女神の誓い
「エイル様…ですよね」
鎖で雁字搦めになった状態で仰向けに地面に寝そべった格好のエイルを見下ろしながらエミリアはおそるおそる訪ねる。
「…っ!?…貴方は忖度者の…エミリアと言ったかしら?」
自身の名前を呼ぶ少女。しかもじぶんの庇護する国のトップ。エイルはなんとか威厳を保とうと澄ました顔えエミリアの名を呼ぶ。
「はい。エミリアでございます」
エミリアも恭しく頭を垂れ、エイルを敬う態度で接する。鎖で芋虫状態の少女に話しかける姿はシュールであるが、本人達は至って真面目である。
「とにかくこの拘束を解きなさい」
エイルが命令口調でそう告げると、エミリアは奈都芭の顔を見る。奈都芭は無言で首を横に振る。
「…だめみたいです」
「…よく分かったわ。あなたから聖印を剥奪します」
「それは…」
聖印とは王権の象徴。召喚陣の起動キーでもある。八つの血族が八人の女神よりそれぞれ授けられたもので親から子へ受け継いできたものでもある。
それを喪失するという事はエミリアが王女でいられない事を意味する。
聖印自体には、召喚陣の起動キー以上の力は無いが女神の信任を得ている証でもある。
要するに某時代劇の御老公の印籠のようなものである。
それがあるから、他国も表向きでも対等な付き合いが出来ている。
聖印を失ったとなれば、この国は帝国あたりに一瞬に呑まれてしまうだろう。
戦くエミリア様子にエイルは口元に小さな笑みを浮かべる。
「分かったのならこの拘束を今すぐ解きなさい。今ならばこの無礼な行いも水に流す事を約束します」
エミリアはオロオロした様子で奈都芭とグランシアの顔を見る。
奈都芭はそんなエミリアを手で制すと、エイルに近づいていく。
「随分と余裕ね貴方。この状況で」
「不穏分子。貴方たちが何を企んでいるのか知らないけど、私は…いいえ私達は貴方に屈しない」
「ご立派。ご立派」
奈都芭は心にも無いといった白々しい笑みを浮かべながら手を叩く。
「これでもね。私怒ってるの。親友を攫われて」
「攫ったとは心外な。彼等は神意の礎となるべくこの地に渡っていただいたのです。それに目的を達する事が出来たのなら彼等には相応の褒美を取らせます。貴方も翻意するなら今の内ですよ」
「…痛々しいな。ホントに」
そう言い、奈都芭は哀れみの表情をエイルに向ける。
「なんですって。女神であるこの私の何処が痛々しいと言うのですか!!」
「こんな辺境で女神を名乗ってる事がよ。まぁ、大体の事は察しがついた」
「何が分かったと言うのですか?」
「そんな事を貴方に話す義理は無いでしょ?」
一転して、小馬鹿にするような奈都芭の言動にエイルは顔を歪める。
「さて、貴方に残されてる選択肢は二つ。私達に協力するか、ここで消滅するか」
「誰が貴方なんかに…」
「十秒待ってあげる。沈黙は拒否した事とみなすからね。それじゃあ、10・9・8・7・6・5・4――」
カウントダウンと共に、奈都芭の体から深紅の炎が巻き上がり、グランシアの周囲には無数の光球が浮かび上がる。
力の奔流が周囲を支配する。エイルは確信する。彼女の言葉が脅しでは無い事を。
湧き上がる感情。それは今まで強者として存在していた彼女が久し忘れていた感覚。
しかし、彼女の中で何かが抗う。たとえ死のうとも、恐怖には屈せ無い。
矜持を捨てれば、自分には本当に何の価値もなくなってしまう。
そのことの方が怖かった。
「できません。例え死のうとも…私はこれ以上自分を裏切れない」
何かは分からない。何故かは思い出せない。しかし、私は後悔している。いつかの自分の行いを。
「難儀ね貴方。素直に言う事を聞けばこの場やりすごせるでしょうに。グランシアちゃん。この人の拘束を解いて。もう一度お願いしてみるわ」
「いいのですか?」
「手段を選んでられないからね」
「わかりました」
そういい、グランシアはエイルの拘束を解いていった。
◆◇◆
「どういうつもりですか。私は貴方に協力するつもりはありません」
拘束を解かれ自由の身になったエイル。
かといって、このまま正面から挑んでも勝ち目が無いと自覚しているのか、その表情には焦りがあった。
(まずはここから逃げ出して、その後なんとか他の女神に連絡をとって、それから対策を…)
強がってみせるエイル。しかし体が震えだす。
(なんでこんなに震えるの…私、どうしちゃったの?)
自分より強い存在などいくらでも見てきた筈なのに、彼女たちの力――特に奈都芭の炎を見た瞬間、言い知れない恐怖にエイルは襲われた。恐怖といっても、これは畏怖の感情に近いと自覚した時、自己矛盾に陥る。
「柄乃崎奈都芭。我が名において命じます。私に協力しなさい」
「私は…」
エイルは二の句が継げなかった。
拒絶しなければいけない。そう思っても言葉が出ない。
彼女に逆らう事に忌諱感を覚える。
即座に理解した。誓約によって自らを戒めたのだと。そして改めて心の底から震える事になる。言葉だけで女神を縛る埒外の存在。そんなものに食ってかかっていた事を。もはや選択肢は無かった。
「私は貴方に従います」
恭順を示した瞬間、体に駆け抜けるえもいわれぬ高揚感。
それは初めての感覚だった。下腹部の火照りと早鐘を打つ鼓動。呼吸は荒くなり顔が紅潮していく。
(ああ…なんて凜々しい御方なの)
奈都芭を見るだけて幸福感で胸が一杯になる。
「永遠の忠誠を誓います。我が主」
「はっ?アンタ何言ってんの?」
跪き、完全に蕩けた雌の顔で自分の顔を見上げるエイルに奈都芭は唯々戸惑うのであった。
女神様…こんなキャラにするつもりは無かったけど完全に成り行きです。