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『 摂関屋敷へいらっしゃい 』(天文十二年、夏)<改訂>

 掲示しました地図は、またもやエクセルを方眼紙に見立てて作製した、ざっくりとした簡略図です。信用するもしないも貴方次第です(平身低頭)。

 誤字誤表記の御報告に感謝を!(2021.04.13)

挿絵(By みてみん)


 朝食を済ませ房楊枝で歯を磨く。

 日本人が歯を磨く習慣は仏教伝来と共に始まったそうだが、基本は小枝の片方の先を尖らせた楊枝である。

 切っ先で歯間を穿り、尖らせていない方を噛み締めて柔らかくしブラシ状にして磨くのが基本。

 だが永久歯が生える前の子供には難しい作業なので、使用人達に頼んでクロモジを使った房楊枝を作ってもらった。

 とはいえ歯ブラシと違いどうにも使い勝手が今一つなので、試行錯誤の最中だ。

 抜けた馬のタテガミを束ねた物は結構良さげであったが、使い回しすると衛生的には宜しくないし。いやはや現代文明の再現は中々に難しい。

 試行錯誤と言えば歯磨き粉もだ。

 この時代にそんな良い物はないので、こちらも色々な材料で試作品を作りまくっていた。木炭の粉に竈の灰、貝殻を細かく砕いた物、丁子や薄荷などの生薬、茄子の皮を焼いた物などなど。

 ある程度の値段に抑えられれば銭を生む商品となるかもしれないが、今はまだ中々に難しい。

将軍家御用達と銘打てばド田舎の領主達には売れるかもしれないけれど、必需品じゃなくて贅沢品だからなぁ、今のご時世では。

 贅沢品がお手頃価格になるには幾つもの壁を突破せねばならない。

 需要がある事、供給が安定している事はスタートラインだ。

 超えねばならぬ壁は、世の中が平和である事、作製現場からお客さんの手元までの流通が構築されている事。

 何よりも購買層が生活必需品以外を購入するだけの“ゆとり”がある事。

 例えばとして、葬送について考察してみよう、ひあ・うぃー・ごー♪

 この時代、民衆の大半は死んだらほったらかされて終わりだ。京都で言えば化野、鳥辺野、蓮台野で死体を野晒しにして終了。

 野犬が貪り、鳥が啄ばみ、虫が食べ、後は風化するに任せる鳥葬や風葬が一般的。

 お金があれば古い桶を棺桶にして土葬するが、お金が無ければ桶も用意出来ぬし、墓場まで死体を運んだり墓穴を掘ったりする人足すら雇えやしない。

 ましてや火葬など……夢のまた夢的な贅沢となる。

 生活必需品である薪を、生活必需行為でもない荼毘に使用するなど言語道断。

 薪が無ければ柴を使えば良いじゃないと、おフランス帰りのインテリならほざいたりするかもしれないが、お爺さんが山で拾える程度の柴で荼毘に付すなど無理難題の所業。お骨になるまで何度山へ行かねばならない事か。

 それならお婆さんに頼み、川で洗濯するついでに河原へ捨ててもらう方が、余程効率的だ。

 他所の民衆に比べ、洛中の住人は随分と恵まれた生活をしているように思えるが、それは表面を撫でたような上っ面の感想である。

 舶来品である唐物を生活雑器にしていたりするのがその証左だけど、それは安物が大量に運び込まれたからに過ぎない。

 結論として。

 この時代に贅沢品を流行らして売り捌くには、余程の付加価値を持たせるしかないのだ。

 金持ちだからこそ買える物を、買えば一段と高みに上れた気がする物を。

 然れど未だ戦塵からの復興途上にあり、いつまた戦火に見舞われても可笑しくない洛中なのだ。

ゆとりも平和であればこそ。

 それが無ければ生きて行けない、って物でもなけりゃバカ売れする事はないだろう。必要とされれば少々高くても皆が競って購入するのだけれど。

 例えば天正年間以降の鉄砲のように。

 ……無い物ねだりしても仕方無いか。地道に地味に堅実に致しましょう。

 千里の道も一歩から、千里へ行くならモノレールか電車でだ。

 俺は車でレッツ・ゴーしたいけどね。


 口を綺麗に濯いだら顔を拭い、髷を結い直して貰ったらお着替えだ。

 直垂を着るほどじゃないが平素の素襖では略式過ぎるだろうか?

うむ、準礼装の大紋にしよう。

 戦国武将の肖像画でよく見られる、生地全体に家紋が装飾された衣装だ。萌黄色の生地に、白糸で刺繍された“足利二つ引”の家紋が少し派手かな?

 ピッカピカに磨いた三角縁の銅鏡で確認確認、近代文明の産物たる鏡よりは写りが宜しくないが、うむうむトレビアン♪

 これならドン何某(なにがし)のファッションチェックもオッケーだろう!


「若子様、前合わせが逆でございまする」

 ……おや、与一郎が言うように左前になっている。これでは死装束だな。……死地に赴く気分がそのまま出てしまったのか?


「何と不吉な。もしかして今日は験が悪いのではなかろうか? ……方違えの為に近江国まで参るが良かろうと……」

「……お迎えも参っておりますので、御着替えの御手伝いをさせて戴きまする」


 待て待て与一郎、今日は御日柄も宜しくないから物忌みと詐称して東求堂に、あ~~~~……。


 有無を言わさず衣装を直された俺は、わざわざ用意された輿に放り込まれ東山から洛中へと連行される。

 引き戸の隙間から見える洛中は今日も華やかだ。

 室町幕府が出来てから何度も何度も焼けたのに、京は天皇陛下のおわす街である限りは不死鳥のように蘇るのだろうな。

 小さく汚れた烏帽子を被り袖筒に括袴の男衆はいつも通りに喧しく、小袖や湯巻き姿の女子衆はいつも通りに姦しい。

 荷は背負子で、天秤棒で、笊で、背や肩で担ぎ頭に載せて運んでいる。

 道に溢れるほどの人々は、そのまま物流が活発である事の証左。

 平穏が続けばこの光景が常態となるのだろうが、一朝事あり不穏になれば身形の悪い者、物騒な格好をしたむさ苦しい野郎共が彼らに取って代わるのだ。

 幸い今は、非常事態宣言発令中ではないので街の民衆は日常生活を営み、俺はこうして憂鬱な気分で北小路を運ばれているのだけれどねー。

 あ、其処の角を南に下らないか?

 室町小路は今日も賑やかだぞ。また掘り出し物があるかもしれないじゃないか?

 そんな俺の思いを一顧だにせず、忖度すらしようとせぬ担ぎ手達の薄情な事よ。

 輿は無常にも室町小路を北へと上がり、“花の御所”の前を通って、立ち売りが騒がしく商いする十字路で東へと進路を取る。

 左右に従っている三淵伊賀守や細川与一郎らいつもの面々に、“水島、帰ろうよ”と言った処で通じぬだろうしなぁ……通じる訳ないか。

 ああ、気が重い。

 ゴルゴダの丘まで十字架背負った人もこんな気分だったのだろうか?

 いや、徒歩で担ぐ方だったから、あっちの方が大変か。

 そんな事しか考えられぬ内に、輿の進行が止まる。

 お、もしかして前方で六条御息所と葵の上の牛車が正面衝突した事が原因の事故渋滞が発生したのか?

 それとも百鬼夜行の通過待ちか?


「若子様、近衛殿御屋敷に着きましてございまする」


 そうだろうな、そんな事だと思ったよ!

 グズグズとしながら輿から降りれば、そこには立派な門構えの“刑場”があった。

 ぶん殴られたら痛いで済みそうにない棒を携えた仗身(じょうしん)(=門番)が二人、膝を就いて出迎えしてくれている。

 腰を屈めても俺よりデカイのだから、立っていたらさぞや立派な赤鬼青鬼だろうなぁ。


「御到着にあらせられまする~~~ッ!」


 門内で平伏していた青侍が大声を発したのに少しビビり、俺の躊躇は起動停止状態に移行した。……よし、今日は帰ろう。


「若子様、御進みあれ」


 仗身と同じように膝を就いていた三淵の太い手が、俺の腰をやんわりと押す。ここが敵地ならば真っ先に突っ込むのだろうが、彼の認識ではそうではないようだ。

 いやいやいやいや、充分敵地だよ、ここは!



 何ゆえに、俺がここまで警戒し捲くっているのか?

 それには訳がある。

 幕府の体制にベッタリと寄り添っている振りをして、朝廷での権勢を維持するために将軍権力を徹底的に利用しようと企んだのが、この近衛家だからだ。

 近衛家次世代当主で俺と同い年である前久(さきひさ)は、己が理想とする世界を実現する為に将軍家を踏み台にして権謀術数の限りを尽くし、それで飽き足らなくなると日本全国を東奔西走するのだ。

 上杉謙信と肝胆相照らす仲となったら即座に越後から関東へと赴き、将軍家がお墨付きを与えた関東管領の威令で以って三好家の打倒を企図したりして。

 かと思えば、将来の俺を殺した三好三人衆と易々と手を携えたりもした。

 俺の弟である室町最後の将軍の義昭、未だ会った事がないからどんな奴か知らないが、“俺の兄貴を殺した奴の共犯者だろう!”って疑われて仲違いしたり。

 公家の身ながら戦場までノコノコと出かけたりもするし、薩摩にも顔を出す。

破天荒過ぎる行動派だよなぁ前久って。だから流浪の戦国貴族と言われたりするのだよ。

 と、ここまで未来予想図で非難し倒した前久だけど、こいつにも未だ会った事がないから本当はどのような輩かは実際知らないのだよなぁ、これが。

 知っている事はと言えば、一昨年既に元服を済ませて官位を貰い昇殿の身になっている事だぜ。

 去年更に昇進し、今は正三位権中納言左近衛権中将様だよ。元服前で無位無官の俺とは大違いだよ、全くさ!

 因みに現在は、前久ではなく“晴嗣(はるつぐ)”を名乗っている。前久を名乗るのは後年の話なり。

 晴嗣の親父は関白太政大臣にまで上り詰め去年退任し、現将軍の義兄の立場から武家伝奏の役割を果たしている、先の“藤氏長者”だった稙家。

 “藤氏長者”とは、文字通り全藤原氏の頂点って意味だ。

 去年は一緒に近江の坂本へ行ったから何となく顔見知りなのだけど。

 一見すると人当たりが良さそうな風流人の風情。しかし流石は公家の頂点に立つ男、少し会話をしただけで油断のならなさを感じたっけ。

 だから出来るだけ二人きりにならぬよう、坂本ではこそこそと逃げ回り続けた俺である。

 稙家の父である尚通も、息子同様に関白太政大臣と藤氏長者を歴任し、今は出家身分の楽隠居生活を満喫中の御様子。

 出家号は“大証”。大阪証券取引所よりも現世に影響力を持った大将さんだ。

 前ゴッドファーザーと現ゴッドファーザーと将来のゴッドファーザーに、誰が会いたいと思うだろうか、いや思わない。反語表現。

 その娘で妹で叔母で、現世の俺の母親である烈女、後世に知られた君の名は慶寿院様。

 俺が一番恐れているのが、その女性だ。

 母親だぜ母親!!

 子供の異変にいち早く気づく存在、それが母親様なのだぜ。

 赤点取った答案用紙を隠しても見つけ出すし、戸棚のお菓子を摘み食いしてもあっさりと指摘したりもするし。

 “あんた無職じゃん”と真正面から息子を一刀両断するのも厭わぬ存在なのだよ、母親ってさ。

 母とは誠に得難く有難く、極めて怖く恐ろしい存在であるのは今も昔も一緒だろう。

 そして更に更に重要な点は、俺がM&Aする前の菊幢丸の事を誰よりも一番良く知っているであろう人、って事なのだ。

 気分はもう、お先真っ暗。

 上手い言い訳が見つかるまでは、最良の言い逃れが用意出来るまでは、絶対に会いたくない人物の断トツでナンバーワン。

 その人物がこの門の向こう側に、聳え立つ豪壮なお屋敷の奥におられ、これから対面せねばならぬのだ。

 “お前は誰だ?”と言われたら、どう答えれば良いのだろう?

 “何を隠してる?”と尋問された時の最良の切り返しは、何が正解なのだ?

 昨年からズーッと考え続け何度も予行演習をし、昨夜も寝ずに考えたのだけど完璧と思える答えは結局見つからなかった。

 ……出たトコ勝負するしかないか。

 溜息すら洩らす気分になれぬ俺は、今日ばかりは全く頼りにならぬ三淵達を従えトボトボと歩き出す。

 屠殺場に連れ込まれる家畜の気持ちが嫌になるほど理解出来るぜ、ドナドナド~ナ。

 玄関口で待ち構えていたのは、慈照寺まで召集令状を届けに来やがった斎藤……何とかという地獄の使者。

 彼奴の案内で屠殺場に上がり込んだ俺達は、表御殿をウロウロと歩かされる。

 取り敢えず皆と一緒なら、いざとなれば強行突破が出来るだろうと一寸だけ安堵したのだけれど。

 御供の方々はこちらにてお待ちあれ、の一言で無残にも淡い希望は砕かれた。

 おのれ、地獄の使者め!

 こうなれば、腰に差した脇差だけが最後の頼みの綱だ。

とは言え、別に殿中松の廊下を再現する心算はないけどね。

 ほら、溺れる者は藁をも掴む、と言うじゃないか。

 例え足に重さ1トンの鉄球を繋がれていたとしても、もしかしたらもしかしたら助かるかもしれないじゃないか?


 案内役が細い廊下で、地獄の使者から内仕えの女性に交代する。

 雑士女にしては衣装が上等のようだから女房の一人なのかな?

 もしかしたら……奪衣婆?

 細い廊下を渡り切れば、公的空間である表御殿から奥と呼ばれる私的空間に入り込んだって訳なのだろうなぁ。


「お連れ申し上げました」


 行き当たった襖の前で平伏した女性が一声かけると、襖越しに涼やかな声が。


「どうぞお入りあそばされませ」


 襖が開けられ通されたのは、上座と下座を別ける段差も敷居もない縦長の八畳間。その一番奥に一人の臈たけた女性が座している。

 ひと目で理解する、慶寿院だ。

 踏み入ったその場で思わず平伏する俺。ここは絶対に土下座が正解に違いない。


「み……御台所様に於かれましては……ま……益々御清祥の段、誠に……け……慶賀に存じます……る」


 噛み噛みでつっかえつっかえだが、どうにかこうにか言上した。床にぶつけた額が多少痛いが我慢出来る範囲だ。どうせ泣き言など聞いちゃくれないだろうし。


「菊幢丸殿、こちらへ」

「は、ははぁ」


 平伏したまま、もぞもぞと膝を動かし半歩ほど進む。


「もそっとこちらへ」

「は、ははぁ」


 更に半歩ほど進んで身動きを止めた途端、パシンと鼓膜に響く音がした。


「菊幢丸殿」


 恐る恐る上目遣いで窺うと、慶寿院は手にしていた雪洞(ボンボリ)(=扇子の一種)を床に打ちつけた姿勢で、俺を睨んでい……おられる。


此方(こなた)は将軍家御台所として御世継様に御会い致しているのではありゃしませぬ、母が子に逢うておるのです。近う寄りなされ」

「は、はい!」


 ……覚悟を決めよう。

 後は野となれヤマト発進、さらば地球よ、愛の戦士たち!

 366日後には戻る予定だけど、今年が閏年じゃなければ俺もお前も木っ端微塵だ、ざまぁみろ……って何言ってるのだ俺は。そもそも今年は閏年だったっけ?

 動転し過ぎだ落ち着け落ち着け、逃げちゃ駄目だ逃げ……たいよう!

 意を決して立ち上がるや爪先を滑らせるようにして慶寿院の前まで進み、どっかと腰を下ろして胡坐を掻く俺。

 相変わらず顔は伏せたままだけど。


「面を挙げなされ」


 イエス・サー・マザー!


「……だいぶ面変わりされたような」


 中身は丸っきり入れ替わっておりまする、サー・マザー!


「久しく逢わぬ内に大層御育ちになられて……」


 有難うございまする、サー・マザー!


「御壮健な事、母として誠に嬉しく思いまする」


 身形は大して変わっておりませんが、毎日牛乳を飲んでおりますので今後は絶対に成長する予定でありまする、サー・マザー!


「ところで」


 何でありましょうか、サー・マザー?


「近頃、少々奇妙な事をなされておられる由、聞き及んでおりまするが……」


 不意にサー・マザーが俺の手を握り締め、間近から俺の目を覗き込んでこられた!


「菊幢丸殿は、世子様である御立場を如何御考えあそばされておわすのか?」


 その瞬間、額にブワッと汗が滲む。脂汗だ。背中には冷や汗が流れ出した。

 首を捻って鋭利な眼差しから逃れようとするも、細く白い手が俺の顎を掴んで離さない。意外と力強いのですね、サー・マザー!


「どうなされたのでありまするや、菊童丸殿?」


 はい、脂汗も冷や汗も止まりませんです、サー・マザー!


「も……」

「……も?」

「申し訳ござりませぬ!」


 サー・マザーの手を振り切って額を床に擦りつけ、取り敢えず謝ってはみたものの……ああ、本当にどうしよう、どこかに天啓はないのか!?

 助けはないのか、杉野は何処!?

 まるで世紀末が到来したかのようにジタバタしている俺の頭上で、“ふう”と溜息が洩らされた。


「菊幢丸殿、何事か此方(こなた)に謝らねばならぬ事がおありかえ?」

「いいえ、ございませぬ!」


 つい反射的に答えてしまった。そうだ、俺にはお天道様に顔向け出来ぬような後ろ暗い処は何もない……はずなのだ!

 ……顔は伏せたままだけど。


「ならば何ゆえに左様申されたのです?」

「御母上様に無用な御心痛を与えておる事に、気づかされたからでございます!」

「子を想うは親なれば当たり前の事」

「されど……」

「菊幢丸殿は、何を隠しておいででおわしまする?」


 ああ、とうとう聞かれたくないキーワードの一つが突きつけられてしまったよ。

 仕方がない。

 心構えを定める余裕もなく、最終兵器の機動ボタンを押す時が来てしまったか、とうとう。

 義を見てせざるは勇なきなり。義を見てもいないし勇などこれっぽっちも持ち合わせていないけど、自爆スイッチにも成り得る可能性が大の赤いボタンを押さなければ!

 所謂これが自暴自棄って状態か。然らば皆様、ポチッとな。


「母上様は、夢を御覧になられまするや?」


 ……押してしまったよ、起爆スイッチを。

 もうこうなれば、破れかぶれのブレイブハートで押し通すしかない!

 無理が通れば道理で苦しい、とは名言だよね、そんな名言ないけどさ。


「余は毎日……見ております」

「夢を、ですか?」

「はい」


 居直り強盗上等だ!

 焼けのやんぱち日焼けの茄子、色が綺麗で食いつきたいがわたしゃ乳歯で歯が立たない、とくらぁ!

 面を挙げて威儀を正した俺は、詐欺師が主人公の漫画で学んだ嘘を真とする明日の為のその1を実践する事にした。覚悟完了だぜ!

 つまり、目を逸らさずに、堂々とした振る舞いで、自分自身を騙せるくらいの勢いで情報を開示するのだ、躊躇はするな。情けは味方で仇は敵だ。

 意味不明だが、気にするな!

 昨年から考え続けた不思議ちゃんの戯言、いざ披露するは今がその時だ!


「余は絶える事なく毎日毎夜、夢を見ておりまする」

「どのような夢を見るのです?」

「余は日ノ本を遥かに見下ろす雲の上に、独りで座しておりました。すると四方から見知らぬ御方が現れましたのです。

 然れど余には、その皆様方が何方であるかが直ぐに判りました。

 何故であるかは存じませぬが、不思議と直ぐに判ったのでございまする。

 西からお越しになられましたのは、鹿苑院(=足利義満)様。

 余が生まれる遥か前にございました数多ある武家と武家の争いを御見せ下され、“そなたは如何する如何する”と問いかけて来られましたが……何も答えられませなんだ。

 南からお越しになられましたのは、普広院殿(=足利義教)様。

 余が生まれてから此の方までの数多ある武家と武家の争いを御見せ下され、“奈辺に理非はありや理非はありや”と性急に質されましたが……何も答えられませなんだ。

 東からお越しになられましたのは、慈照院(=足利義政)様。

 余が大人となり齢を重ねてから死ぬまでの間に起こる武家と武家の争いを御見せ下され、“浮き世は全て詮なき事よ詮なき事よ”と嘆げかれておられ……何も申せませなんだ。。

 最後に北からお越しになられましたのは、等持院殿(=足利尊氏)様。

 余が死した後も日ノ本では西でも東でも武家と武家が争いを続けている様を御覧になられ、“大儀など無用なり、自侭にせよ自侭にせよ”と呵呵大笑なされておられました」

「何と……」

「いつ頃から斯様な夢を見出しましたのかは確とは存ぜませぬ。然れど、去年からは必ず見続けておりまする」

「等持院殿様方も、……幼きそなたに惨い事をなされまする事……」


 最初はカラカラで引き攣り気味だった声も、無駄に力を込めて舌を動かせば想像以上に回ってくれた。

 その働きに我ながら感心しながら、サー・マザーの目を見る己の目に一際力を込める。


「母上様、余は思うのです。今の日ノ本に“将軍家”は必要であるのだろうか、と」

「菊幢丸殿」

「夢を見て目が覚める度につくづくと思い知らされるのです、将軍家の儚さを」

「それ以上」

「“世子様である御立場を”と母上様は仰られました。然れど余は考えるのです。斯様に頼りなく甲斐のない将軍家に意味などあるのか、と」

「申してはなりませぬ!」


 サー・マザーは不意に俺をその胸に掻き抱かれた。

 逃げる暇など勿論ないし、女性に抱かれるなんてこの時代に来てからは初めての事だから、ある意味じゃ御褒美なのかもしれないが。


此方(こなた)が斯様に辛い目に遭うておったとは……知らぬ事とはいえ責めるが如き物言いをして済まぬ事でした」


 脂汗に塗れた俺の額に、冷たくて温かい雫がポツリと垂れた。


「そなたは斯様に小さく幼き身で、左様な重荷を背負うておったのですね」

「いえ、実に得難い夢でございました」

「無理をせずとも良いのですよ」

「母上様、無理をせずば、此の身は惨く儚い事と相成りまする」


 ビクリと身を震わせたサー・マザーの手に力が込められ、唐織の打掛と間着(あいぎ)に俺の顔は埋もれかける。


「慈照院様が御見せ下さったこの先が真であれば、余は今の母上様の年頃となりました時に、殺されまする。

 余は、死にとうございませぬ。何もなさぬ内に殺されとうなどございませぬ。

 ゆえに無理であろうと死なぬ道を探さねばならぬのです」

「母がそなたを殺させは致しませぬ」


 あ、ちょっと待ってサー・マザー。息が苦しくなってきましたよ?


「何があろうと母がそなたを守ってみせまする」


 その前に、窒息死しそうです……サー……マザー…………。



 意識が戻った時、俺は一人ではなかった。

 どのくらい気を失っていたのかは判らなかったが、俺を抱き締める存在が傍にいるのは目を開けずとも判る。

 サー・マザーが添い寝してくれているのだ!

 ……どうにか無理ゲー的ミッションはクリア出来たようだな。

 やれやれ本当に草臥れたよ。死を覚悟して門を潜り、死ぬ気で以前から考え続けていた言い訳をベラベラと並べ立てたら、過失で殺されそうになったのだもの。


「母が……守って差し上げ……まする……」


 え!?

 あ、寝言か、良かった。安心したらまた眠くなって来た。そういや昨日も寝てないし。

 もういいや、今日は寝よう。明日は明日の風が吹くだろうからな。



 次に目が覚めた時、俺は一人であった。

 ここはどこだろう? ……そうだ、近衛屋敷だよ。……近衛屋敷だったよ、仮想敵地認定の場所じゃないか!

 そんな所で何をガーガー寝ていたのだ、俺は?

 さてこれからどうするか?

 ……逃げよう。もうここでの用は済んだのだし、済んだ筈だし、済んだに違いないのだ、スンダランドは今何処?

 それはさておき、用が済めばとっとと退散するのが礼儀だよね?

 居続ける意味はないから当然だよな!

 となれば、三淵達と合流しなければ。どこにいるのだ、あいつらは?

 寝床から這い出し、襖を開けて、いざ旅立ちの時、と思ったのだけど……。


「お目覚めですか菊幢丸殿。朝餉の仕度が出来ておりますよ」


 開けた襖の前にいたのはサー・マザーだった。

 敵前逃亡に失敗した俺は抱き上げられ、部屋を移動させられ、甲斐甲斐しく御給仕されながら食事を済ませる事に。

 昨日は朝食しか食べてないから有難い事ではあるのだが、何となく最後の晩餐を食べている気分になるのは何故だろう?


「菊幢丸殿、今日は母と共に過しましょう」


 ええ!? マジですかサー・マザー!?

 そして俺は昼御飯時分まで抱き人形と化して過したのである。前世の俺視点でも美人だと思えるやや細面のサー・マザーに接するのは嬉しいと言えば嬉しい。

 目力があり過ぎるのが難点だし、トイレにまでついて来ようとしたのは、ちょっとアレだったけど。

 そんなこんなで昼食時分となる。

 するとサー・マザーは俺を抱き上げたまま何処かへと歩き出された。

 昨日も思いましたが結構力持ちなのですね、そう言えば背も高い方ですよね。

 俺も背が高くなるのでしょうか?

 出来れば背が高くなるまで生きていたいので、そろそろ心臓に悪い御宅を辞去したいのですが如何でしょうか?


「御台所様、世子様のお越しでございまする」


 運ばれ行き当たった襖の前に侍る女房が、俺達の到来を甲高い声で告げる。

 音もなく襖が開けば、そこはそれなりに広い部屋であった。書院のような、だとしたら食事をするのはもう少し後なのかな?

 いや、気にするのはソコじゃない。

 部屋には幾人もの人物が俺達を待ち構えていたのだ。

 最上位の位置には座が三つ設けられ、一番右端には白髯が立派な高齢者が一人、既に座っている。

 残る二つの座のある方へと進むサー・マザーは上座のど真ん中に俺を座らせてから、その隣に腰を下ろされた。

 え、どうゆう状況?

 改めて室内を見渡せば俺達のいる上座を頂点として、見知らぬ人々を含め総計十三名が座に連なっている。

 男は俺を含め七名で女性がサー・マザーを含め六名の内、子供は俺を入れて三名。僧服姿が五名、立烏帽子に直垂姿で末広(=扇子の一種)を手にした者が四名、サー・マザーと同じ打掛に間着姿が三名。


「父上様、母上様、兄上様方、皆々様方に於かれましては、御多忙にも関わらず此方(こなた)の為に急ぎ御集まり下さいまして、誠に忝くございまする」


 サー・マザーが膝頭で両手を揃え頭を下げると、垂髪(すいはつ)に纏められた射干玉色の艶やかな髪がサラリと流れた。


「よいよい。御台所様に頭を下げられては余も前太閤も御坊方々も、逆らえぬゆえなぁ」

「ほんに、ほんに」

「「「「全く全く」」」」

「父上様。近衛第では御台所ではなく政子と呼んでくりゃれ」

「ほほ、また叱られたわ」

「父上様が左様な有様でございまするゆえに長兄である身共も、妹には頭が上がらぬのでございまするぞ」


 俺の隣に座る爺さんが額に手を当てて笑えば、サー・マザーの近くに座る細面の中年が眉を顰め……ってあんたは、稙家さんじゃないか!

 ああ嬉しくないし、遭いたくなかったよ!


「「然り然り」」


 見知らぬ坊さん二人が何度も頷いてくれるが、俺への同意じゃないのだろうきっと。二人の尼僧さんは口元を覆って笑うのみ。はて、後一人の坊さんは……。


「それで政子よ、如何であったのかの菊幢丸の申しようは?」


 状況が今ひとつ飲み込めず呆然としていた俺の意識が、肯いてなかった一人の坊さんの楽しそうな声で瞬時に覚醒した。

 何やら聞き覚えが……って、あんたは俺の伯父さんの義俊法師!

 という事は?


「菊幢丸殿、此方(こなた)の父上様、母上様、兄上様方、皆々様方に御挨拶をなされませ」


 警報は昨日で無事に解除されたのではなかったのだ。今日も今日とて最大級の警報が発令されていたのである。

 気がつけば俺は危険地帯の真っ只中、嵐だか暴風だかが吹き荒れるグラウンド・ゼロに座らされていたのだよ。


「菊幢丸よ、挨拶代わりに今様を一節歌うてくれても良いぞ?」


 義俊……伯父殿が含み笑いをしながら俺を見遣る。

 では御紹介に与りましたので遠慮なく一曲、曲目は『雪の進軍』です、って歌えるかいッ!!

 今日も昨日と同じ頃に、同じような脂汗をダラダラと流しながら、俺はふらりと上体を伸ばしてからヨロヨロと頭を垂れ、やけっぱち気分で蚊の鳴くような声を絞り出したのだった。


「菊幢丸に……ござりまする。皆様宜しく御……引き回しのほどを御願い奉りまする……」


 こうして俺は近衛家の主要人物達の前で、無事にソロデビューを果たしたのである。

 ……無事かどうかは定かじゃないが、な!

 慶寿院様のお名前が判らなかったので、拙著では「政子」とさせて戴きました。

 モデルは、ドラマ『平清盛』の北条政子様です。因みに年齢も女優さんとほぼ同じ位でありまする(平身低頭)。

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