『 アイ・ガット・メール 』(天文十二年、夏)
『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』(著/谷津矢車、刊/徳間時代小説文庫)を読み出しまして。
ああやはりプロの描写は素晴らしい、と感嘆し、己の技量の未熟さに肩を落としておりまする。トホホ……。
サブタイトルを変更し、一部改訂致しました。(2021.04.06)
落ち着けと言い、落ち着かれなされませと言われ、てんやわんやの事態が収束するのには少々時間がかかった。
御乱心と言われた時に思わず“違うわボケェ!”と叫んでしまったのが拙かったようだ。普段の言動が品行方正なので……多分、乱暴な物言いに皆が吃驚したのかもしれない。自重自重、隠忍自重。
「世子様が御乱心で無いと判り、臣として安堵致しました」
ああ悪かったね、伊勢伊勢守。無駄な心配をかけて。だからそんなに冷たい目で睨まないでくれないか?
もうパラパラは二度とやらない、封印するからさ。
急遽呼び出された医師と薬師に挟まれ、脈を計られながら舌を出して口内を覗き込まれる状態で小言を頂戴するのは何とも間抜けだよなぁ。
「御様子に些かも不調はございませぬ」
うん、判っているとも。問題ありとされた原因は前世にあるのだから。
役目大儀、と言って医師と薬師を脇へ下がらせると俺は、伊勢の文机に先ほどから握り締めていた書状を広げた。
「若子様、その書状が如何なされましたので?」
横から三淵が太い眉を上げ下げさせながら覗き込むのが少々暑苦しいが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。
「伊勢守よ、その方はこれを如何に思う?」
「さてさて如何にと申されましても、この者が訴え出た事共が正しいのであればでございますれば。……“式目”に照らし合わせますると、理非は明らかであるやと存じまするが」
「ではこの者の申しようは“理”であると?」
「左様にて」
“式目”とは勿論、宗武入道に講義してもらった“御成敗式目”の事。
その第四十三条に“稱當知行掠給他人所領、貪取所出物事”とある。
訳せば“当知行と称して他人の所領を掠め、貪り取る事”は許されないのだ。
“當知行” とは、不動産等の物権や職権を現時点で実質占有している事を言い、権利を証明する書状を所持していなくとも占有期間が二十年を超過すれば認められるとされていた。
室町幕府は、本来の有り様よりも現状追認に重きをおいて判断していたので、それが武家による積極的な土地の横領・他者の権利の侵害を後押ししていたのである。
また“所出物”とは年貢などを意味する言葉だ。
力ある者が支配権を行使するのは当然の行為である。
但し、従前の主張を優先した方が権力者によって都合が良ければ差し戻し判決も平然と行われたりするのが何ともはや、だけど。
それを踏まえて目の前に広げたこの書状を見れば、奪われた領地が己の物であるとの確かな保証をして欲しいとの旨が、簡潔に記されている。
「隠居した父に代わり奪われた領地は何れ自力で取り戻す所存ある、ですか。
実に頼もしき事ではありますな」
いや、三淵よ。注目点は其処じゃないのだ。俺は書状の送り主の名を指でなぞる。
「種子島左衛門尉殿の名が気になられまするか?」
「うむ。種子島左衛門尉とは、何処の者であるか?」
「詳しくは存じませぬが確か……薩摩守護の島津家に仕える者であったかと」
「左様よな」
俺は文机の筆を取り床に散らばっていた反故紙の一枚を裏返し、ささっと走らせる。
「略図であるがこれが日ノ本の形である。我等がおる京はここであり、薩州はここである。さて種子島左衛門尉がいるのはここら辺りにある島々だ。奪われたのは屋久島であるそうだから、ここら辺りでは一際大きな島である」
ざっくりと書いた日本地図。京を点で示してから薩摩を黒く塗り潰し、適当に描いた南西諸島の内で最も大隅半島に近い場所を丸で囲んだ。
「これらの島々を辿り南西へと進めば琉球へと至り、更にその先には台湾……いや今は高山か高砂か……兎も角やたらと大きな島があり、その向こうには唐土の南方がある」
小学生の社会の時間に散々っぱら筆写させられた日本列島の形、どこをどう見れば秋津なのかは判らないけれど、いつ俯瞰しても妙な形をしているよなぁ。
神武天皇は腋上の丘から見下ろして言われたと『日本書紀』にあるが、どう見たらトンボに見えるのだろう?
そう思わないか、と同意を求めようとして頭を上げたら、先ほどまでとは違う伊勢の目に射竦められた。
ふと周囲を見渡せば室内にいる全員が俺を見ている。
……おや、どうしたのかな皆の衆?
「世子様、一つお尋ねさせて戴きたき事が」
「一つと言わず申してみよ」
「然れば……“この図”は一体何でありましょうや?」
「何って勿論、日本地……図……」
「…………」
「…………」
しまった、しくじった!?
伊能忠敬がいないこの時代では子供の落書きよりはマシ程度のこの地図でも、精密図になってしまうのか!?
隠忍自重を金科玉条とするのじゃなかったか、俺?
誓った途端に自重を土俵の外へうっちゃってしまうとは、馬鹿か俺は!?
何気ない振りして反故紙を再び完全な紙屑にしようと伸ばした手が、伊勢にむんずと掴まれる。
「世子様、宜しいでしょうか?」
いや、宜しくない宜しくない。誰かある、伊勢の乱心ぞ!
「若子様、この図について某にもお教え下さいませぬか?」
いやだなぁ、三淵。お前が指差しているのは北海道じゃないか。蝦夷地を知らないのか、って知る訳ないか。
この時代に伝わる“行基図”って子供の落書き以下の日本地図には、蝦夷地など記されてないものな!
機械的な測量など行われていない時代にしては随分頑張った地図だけど、前世という未来から来た俺からすれば何だコレ、だからなぁ“行基図”って。
誰も彼もが地図を指さしワーワーと。
ええい、者共騒ぐな、乱心するな、たかが地図如きで!
……いや、たかが地図の話じゃないって事は俺自身が一番判っている。
十重二十重と取り囲む者共からは逃げられそうもないし、衆人環視の中での証拠隠滅はもっと無理そうだ。
このままでは“世子様御乱心”が定着してしまいそうだな、えい仕方なし、伝家の宝刀を抜くとするとしよう。
「夢で見たのだ」
出来るだけ重々しい口調でそう言うと、室内の張り詰めた空気が僅かに緩んだ。
「夢、でござりまするか?」
「左様、夢でだ」
さて如何に言い逃れすべきか……夢、夢、夢……夢窓疎石?
「どのような夢でございましたので?」
「そうよなぁ……国師様が顕現なされたのだ」
「国師様?」
「まさか夢窓国師様で?」
「伊勢の申す通り、夢窓国師様であった」
「「おお!」」
「皆も存じておる通り、国師様は我が父祖等持院殿様(=足利尊氏)へ日ノ本六十余州に一寺一塔を建立する事を勧められた。
全ての国に安国寺を建立し利生塔を建てられたのだが……」
力の抜けた伊勢の手を払い立ち上がった俺は、不用意に泳ぐ視線を誤魔化す為に天井を仰ぐ。
「国師様の、等持院殿様のなされた篤志は今まさに失われようとしている。
寺院は荒廃の一途、利生塔も多くが崩れようとしている。
遥か日ノ本を見下ろす天上の高みへと余を誘われた国師様は、暗澹とされておられた」
「「おお……」」
「その折に見下ろした日ノ本の形が……その……斯様なものであったのだ」
「……左様でございましたか」
よし、騙されてくれたか、三淵よ!
単純脳筋でいてくれて有難う!
他の者達も信じてくれたか? 流石は近代文明に啓蒙されていない室町時代の人々だぜ、万歳三唱!!
「然れば“種子島”の事は如何様にして御知りになられましたので?」
ううむ、やはり伊勢は手強いな。
「余は物知らずであるからな。日ノ本の事など行基法師の記された図でしか知らぬ。然れど、真下に横たわるは真の日ノ本の姿である、と国師様は仰せられた。
故に訊ねたのよ、京はどこでありましょうか、と。
さすれば国師様は丁寧に御教え下された。そこが京のある山城国である、と。
そして、あそこが鎌倉府のある相模国である、などとな。
……理由までは存ぜぬが種子島や屋久島、琉球国の事もようよう御存知であった」
「左様でございましたか」
目を閉じた伊勢が、ゆっくりと両手を板間に就く。
「御無礼の段、平に御容赦を」
伊勢が頭を下げれば、三淵を含めた室内の者共が俺に伏礼をする。医師や薬師の全員が。
いやいや気にするな皆の者。易々と騙されて……判ってくれれば良いのだ。
どっこいしょと腰を下ろした俺は、文机の書状の横に地図を広げて指し示した。
「種子島左衛門尉が斯様に遠き島より京まで文を届け、“やね”とか申す者の非を……」
「彌寝、でございまするな」
「……“ねじめ”と申す者の非を訴え出た事、誠に殊勝、誠に健気とは思わぬか?」
「力なきは理不尽を是とせねばならぬのも、世の常にござりますれば」
「“式目”に反するとしてもか?」
「左様。我ら政所に勤める者共は皆、その理不尽を糺し世の道理を正しくせんと致しておりまするが……実情は中々に難しゅうござる」
そうなのだよなぁ本当に。“悪御所”“万人恐怖”とまで恐れられていた六代義教でさえ、何も出来なかったのだもの。
将軍家の側近たる奉公衆の一人が、自分の領地だと証明する権利文書付きの土地が奪われたので何とかして欲しい、と訴え出た時の事。
確かにお前の主張する通り権利文書は有効である、と回答しただけで何もしなかったのだ。
訴訟を起こした原告は法に基づく厳正な処分を実行される事を求めたのに、裁判所は原告の主張を認めただけで判決結果を実行しなかったのだよ、皆の衆。
実際には“出来なかっただけ”なのだ。
何故ならば、訴えられた被告は天下の実力者である細川氏であったのだから。
将軍本人は果断実行の人であっても、公儀は全然そうではない。
無力は泣き寝入りせよ、が実力本位上等が武家社会のメインストリーム。
何とも情け無い話だが、それが凡そ百年前からの現実なのだよ、トホホのホ。
徳川家康が朱子学を積極的に導入して、日本を実力主義の下剋上世界から秩序を重んじる安定社会に導いた理由が良く判る。
ところがギッチョン、定着させた朱子学の理論で倒幕されたのは嗤うに嗤えぬ事だろうけど。
……今年生まれたばかりの未来の英傑の為し様を嗤える立場じゃないけどね?
「うむ、その方らの献身、誠に大儀である。その方らの奉公に報いてやれぬ我が身の非力が悔しゅうてならぬ……許せ」
「何を仰いますやら」
「御言葉、誠に有難く存じまする」
「世子様は誠、道理と情けを分別なされておわしまする」
「然り然り」
おいおい。褒めてくれるのは嬉しいけれど、一部上司批判が混じっているぞ。
この場合の上司はトンチキ親父の事だろうし、引いてはトンチキ親父を良い様に振り回しているポンコツ管領の事だろう?
気をつけてディスらないと粛清されるぞ、マジで。
相手はポンコツだけど、“万人恐怖”すら手出し出来なかった細川本家の現当主野郎だぞ。
「者共、余の話を聞いて欲しい」
室内に座す者達の姿勢がピンと伸びる。
「余は、この種子島左衛門尉の殊勝に報いてやりたいと思うのだ」
「如何あそばされたいと申されますのでしょうか?」
「余の名で書状を給する」
伊勢が軽く頷き、用意させて戴きまする、と言ってくれた。
「併せて援軍も差し向けたく思うのだが」
「援軍、ですと?」
それは難しい、と伊勢をはじめとする政所の者達全員が嘆息しながら首を横に振る。
……それはそうだろうなぁ。だが、公儀でなければ出せるだろう?
「彦右衛門はおるか?」
「はは、こちらに」
執務部屋の一番外側、ほぼ廊下の辺りから元気な声がした。
「余の書状を持ち種子島へ赴け」
「は、……ははぁ」
元気な声が少し翳った気がするが、多分気の所為だろう。
「西国街道の行き着く先の更に向こう、筑紫の果ての海に浮かぶ島まで道程は穏やかならず、険しく厳しい事であろう。
相国寺に預けてある余の賄いから路銀を出すゆえに、道中の無事を計らいながら後生大事を旨として参るが良い……判ったな?」
「……某、恥ずかしながら根っからの臆病者にてござる。後生大事を旨と致さば五人十人の供連れでは些か心許なくございまするが」
「五十人百人であれば大事ないであろう」
俺が笑みを洩らせば、室内の雰囲気がやや軽くなる。
去年までとは違い、高僧方々や富貴な風流人相手の文化サークルの月謝がたんまりとあるのだ。贅沢三昧出来る程ではないけれど、潤沢であるのは間違いない。
最悪、禅師に借金したとしても一千貫文までなら何とかなるだろう、多分。
「怠りなく直ぐさまに旅仕度を調えよ」
「畏まりまして候」
「伊勢よ、手伝ってくれようか?」
「承りまして候。……然れば使者出立の際には、我らが郎党より腕の確かな者を五名ばかりは供に付けましょう」
「ああ、有難い。彦右衛門よ、更に人数が必要ならば道中で購えば良かろう。
判っておろうが、これは公儀の務めに非ず、全く以って余の私事である。然様心得よ」
「伊勢守殿!」
「如何なされた、治部少輔殿」
「某、急な差し込みありて暫しお役目を休ませて戴こうかと」
「……洛外の風に当たられれば良くなられましょうか?」
「左様に存ずる」
「某も持病の癪が」
「中務大輔殿も……ですか」
「源三郎も某と同じ病をかかえておったのう」
「え? ああ、はい、左様です」
「……では荒川治部少輔殿、摂津中務大輔殿、米田源三郎の三名は暫くの間、出仕する事能わず……で宜しゅうござりましょうや?」
「「「誠に申し訳なく」」」
“病気を”理由に休職する事となった幕臣三名のキラキラした目に見つめられ、俺の目も潤みそうになった。
「……余の書状共々、彦右衛門の事、宜しく頼みいる」
「謹み畏まりまして候」
代表して荒川が言えば、摂津と米田も勢い良く頭を下げる。
「島津のみならず大内や大友にも書状を給するゆえ安心であろうと思うが、道中では努々油断するべからず。
再び京へと舞い戻り、余に事の次第を言上するまでが役目と思うべし」
帰宅するまでが遠足だってのは、昔からのお約束だからな。
「「「「ははッ!!」」」」
改めて平伏する四名を見ながら、良き家臣に恵まれた幸せを噛み締めていた。
……彦右衛門にはくれぐれも“秘宝”を忘れぬように後で伝えておかねば。
上手くいけば史実よりも早く“秘宝”と書いて御土産と読む、偉大なる最新式の殺戮兵器である“鉄砲”を入手出来るかもだ、アイ・ガッタ・ガン!
おや? 伊勢がまた難しい顔をしているな。
「世子様、西国筋は些か荒れておりまするゆえに、仕度は用心に用心を重ねた方が宜しいかと存じまする」
え? どうゆう事?
派遣する四名に三淵と大舘伊予守を伴い、用意された別室へと場所を移した俺は伊勢から説明を受ける事に。何故か医師も一緒であったが。
「政所には各地より届けられる書状の他にも数々の音信が参りまする。
それによりますれば、大内が先年より尼子攻めを致しておるのですが、その次第が些か宜しからぬ事と相成っておりますようで」
「宜しからぬとは?」
「大内が兵を挙げた前年、尼子は当主である修理大夫(=詮久)の後見であった伊予守(=経久)が亡くなっておりまする。
然れば尼子危うしと見た出雲、石見、安芸の国人らが大内へと馳走したのでありまするが」
「その者共が寝返りでもしたのか?」
「伊賀守(=三淵)殿の申される通りにて」
「大内頼み難し、という事であるのか」
「尼子の軍略が上々であったとの事にて、大内は間もなく兵を引く事になろうかと。都雀の間でも少なからず噂がなされておるようでありまするな」
……確か前世で読んだ本に書いてあったよな、月山富田城の戦いでボロ負けした大内は政治に興味を無くし衰退したって。
その事に危機感を覚えた重臣の陶義賢が政治を掌握し専横を極めた果てに崩壊し、毛利元就が飛躍する遠因になったとか。
そして月山富田城は難攻不落であると世に知れ渡ったけれど、大内と陶を打倒した元就があっさりと攻め落としたのだったっけ。
経久という“謀聖”の死が、廻り回って元就という“謀神”を生んだのだよなぁ。
「つまり、細川が領する和泉灘や播磨灘はまだしも備後灘から先は乱れておるやもしれぬ、そういう事か?」
「然様に存じまする。恐らくは某よりも、御典医殿の方が良く存じておられようと」
「僭越ながら言上致しまする。拙僧は忝くも大樹公の御下命を頂戴し、医師として侍らせて戴いておりまする吉田宗桂と申す者にて。
世子様におかれましては我が甥子に格別の御贔屓をば下されまする段、叔父として誠に忝く存じまする」
え? そうだったの?
去年、牛乳を飲み過ぎて腹を下した時に診てくれたのは丹波って苗字の爺さんだったから、てっきりその息子の丹波何某だと思っていたぞ。
「与兵衛の叔父とな?」
「はい。世子様の事は甥から様々聞いており、是非とも拝謁したいとかねがね思っておりました」
「……碌な話ではないであろう?」
「いえいえ、然様な事は」
「話を続けても宜しゅうございましょうか」
大袈裟に咳払いをする伊勢に思わず肩を竦める俺と宗桂師。怒鳴るよりも怖い声を出す技術をその内に教えて貰おうかな。
「御典医殿は一昨年、唐土よりお戻りになられた身にございますので、我ら洛中より他出せぬ者よりは余ほど世情に通じておられまする」
「唐土より? ……はて、そう言えば昨日、策彦周良法師も同じ事を申しておったな」
「拙僧は策彦周良様の供をさせて戴きました」
与兵衛はそんな事、一言も言ってなかったけどなぁ。
馴れ合い過ぎるのを避けたのか、それとも言うまでもない事だと思ったのか。
次に会ったらとっちめてやろう。
「往路も帰路も西国街道を通りませんでしたので詳しくは存じませぬが、水路は特に申さねばならぬほどの事はございませなんだ。
塩飽も能島も淡路も、何処の海賊共も銭さえ払えば何事もなく通してくれましたゆえに」
「陸の事は陸の事、海に関わりなければどうでも良いのであろう。
然れば、助五郎に申して堺の天王寺屋より船を仕立てさせるが上々吉であろうな」
「街道を無理して通り悪戯に時を費やす必要もございますまい」
「彦右衛門、荒川治部、摂津中務、源三郎、その方らは船に慣れておるか?」
「川舟ならば」
「いえ」
「全く」
「さっぱりです」
「然様か……然らば慣れろ」
苦笑いを浮かべていた四名の顔が綺麗に揃って引き攣るが、俺の知った事ではない。
「どうせ薩摩国からは外の海に出るのだ、川の急流とは比べ物にならぬ荒波高き難所もある。早い内に慣れた方が身の為であるぞ」
またも綺麗に揃って項垂れる四名。これもすまじきものは宮仕え、の宿命だ。諦めろ諦めろ。
「世子様は甥の申すように、ほんに面白き御方様でございまするなぁ」
不意に宗桂師がカラカラと笑われた。
「何故斯様に様々な事を御存知であらせられるのか。
本朝では知りえぬ事を唐土にて幾多と学びましたが、もしや世子様は唐土でも学べぬ事を数多御存知なのではありますまいか?」
ええっと……。
「“能古面”と申されまするか?」
未だ知られぬ奇妙な病状を発症した患者を診察する医者の目で、俺を見つめる宗桂師。
ぐるりと首を捻って顔を背ければ、檻の中でジタバタする珍獣を見る観客の目をした彦右衛門達。
伊勢と三淵は、連日の残業で草臥れきった会社員みたいに溜息をついてやがるし。
大館だけが楽しそうに高みの見物を決め込んでいやがった。
畜生お前ら、何れもっと無理難題を吹っ掛けてぐうの音も上げられぬ目に遭わせてやるからな、覚えてろよ!
どうにかこうにかその場を逃げ出した俺は、とっとと慈照寺へと戻り引き篭もり生活を再開する事に、誠心誠意徹する。
それからの三日間は、実に平穏無事であった。
政所からの使いや彦右衛門や三淵達が何かと東求堂へ顔を出し、どう致しましょう如何なされますかと訊ねて来たが、積み上げた文書の山に首を突っ込みながら幕末の毛利の殿様ごっこに終始する事で凌ぐ俺。
そうせい、そうせい、然様せい、って何と楽な対応だろうか。
しかし、平穏無事な日々もピラピラの紙一枚で木っ端微塵に吹き飛ぶのは、前世の社会人生活と同じく世の常なのだろうか?
『三匹の子豚』の一匹目の家のように、安穏な時間は与一郎の呼び出し声の前に脆くも崩れ去り、俺は住処から否も応も無く引き摺り出される事となった。
会所の縁下で膝を就いているのは斎藤元盛と名乗る年配の青侍。近衛家に代々仕える諸大夫の一人だそうな。
「御台所様より書状を預かり罷り越しました」
そう言いつつ差し出してきたのは小さく巻かれた一通の手紙。
与一郎を介して受け取り開けば、流麗で優しげな女文字が数行に亘り記されている。
だが内容はちっとも、流麗で優しげなものではなかった。
「必ず御返事を頂戴せよとの事にて候。何卒御願い致しまする」
「……相判った。明日、巳の刻には参ると」
「確かに承りまして候」
深く平伏し、然らば御免と立ち去る斎藤何たら。
「何てこったい……」
「如何あそばされましたか、若子様?」
静かに暮れなずむ慈照寺の風景がこの世の終わりの黄昏に見えるぜ……。
心配そうに俺を伺う与一郎を余所に、俺は呆然と立ち尽くしていた。
恐れていた母上様からの召喚状だよ、召喚状。
嫌だ嫌だと駄々捏ねて断りたいのは山々だが、強制力は徴兵の赤紙級だからどうしようもない。
前世の現代じゃ無名に等しいけれど、爺様の集めた書物を読み散らかした俺の記憶ではそうではない事を知っている。
今川家の寿桂尼よりも遥かに勝るゴッドマザー様なのだよ、現将軍の御台所様にして俺こと菊幢丸の母ちゃんはよ!
慶寿院という出家後の名前しか伝わっていないが、事績は色々と書き残されている。
若き将軍十三代義輝……俺だけど、を後見して政務に携わり、俺が殺される永禄の変では燃え盛る二条御所の火中に身を投じて自害した烈女様なのだよ、近衛家に生まれた彼女は!
「どうしよう……」
「若子様、大丈夫でございますか?」
「与一郎よ」
「はい、何でございましょう」
「余も船に乗って種子島に行っちゃ駄目かな?」
「……何を申されまするか」
心配頻りの表情から破顔一笑した与一郎が、次の瞬間には般若の如き形相となる。
「駄目に決まっておりましょうが!」
俺より先に伊勢の声音を会得するとは、流石は後の世に古今伝授を相伝する与一郎だな、誠に天晴れだ、褒美はやらないが。
「駄目かぁ……」
がっくりと肩を落とし腰も落とす俺の目に、夕陽は何とも眩しかったのだった。
遂に次回、女性キャラが登場します! 人妻だけど。
女っ気の欠片もなかった拙著に遂に! 主人公の母親だけど。
夜も寝ないで昼寝して待て! いえ、待たなくて良いですから充分に安眠下さいませ(平身低頭)。
「行基図」につきましては、画像検索して戴きますれば幸甚です(平身低頭)。